169 / 192

第65話 サーカスの思い出④

しおりを挟む
 屋台の散策を終えて、さっそく自宅に戻って絵を描きたいのだと帰りの馬車の中で告げる。わかった、とうなずくイザーク。

 アンとも久しぶりにお茶がしたいわ。イザークにモヤモヤさせられる気持ちを晴らしてくれるのは、アンの笑顔だけね。

 ……それに、他の人に、変わりつつあるイザークに対する疑問や愚痴を言うことは出来ないもの。アデリナ嬢にだって、こんな愚痴は話せない。結局自分の問題だから。

「それと、明日からは依頼された絵を描きにまた村に行く必要があります。」
「わかっている。君専用の馬車を用意したから、それを使って行くといい。」

「私専用……ですか?今更?私はひと月しかおりませんよ?」
 本当に今更だ。専用の馬車も、専任の侍女もつけてもらえなかったというのに。

「本来君が受けられる筈の恩恵だったのだ。本当に今更だと思うが、ここにいるからには伯爵夫人として過不足なく過ごせるようにしたい。専任の侍女も選んでおいたから、これからはその者に申し付けるといい。」
 とイザークは言った。

「ひと月で任を解かれたら、その侍女も困惑するのではないですか?私には、今更そんなもの必要ありません。」

「だが私は仕事で常に家にいない。君の求めるものに対処するには、男性の家令では無理があるだろう。専属はどうしても必要だ。君は先のことは考えず過ごしてくれたらいい。それに馬車だって護衛と隠密行動を考えたら御者を騎士にするしかない。狙われているというのに、毎回辻馬車をひろうつもりか?」

「それはそうですが……。」
「今まで遠慮をさせてきてしまったから、従者にまで気を使ってくれているのかも知れないが、それは本来伯爵夫人が心配することではない。君が気にすることではないんだ。」

 もう伯爵夫人のつもりがないから、遠慮してしまっている、というのもあると思うわ。
 ただでさえ護衛してもらっているというのに、ロイエンタール伯爵家のお金を、これ以上今更私に使われたくはないと思う。

 伯爵夫人としての品質維持費を削られて生きてきたのに、あとひと月の間、自由に使えと言われても、困惑してしまうのだ。

 イザークとしては、お金以外で私に対する誠意の示し方がないと思っているのかも知れないけれど。それより私に対して時間を取ってくれることのほうがよほど嬉しいもの。

「……本当なら、私が一緒に直接馬車で送っていきたいのを我慢しているのだ。出来れば私が安心出来る方法で生活して欲しい。」
「……は?イザークが、私を?」

「……ああ見えて、つての広い母のことだ。どこで何をしかけてくるかわかったものじゃない。私がそばにいない時に、何をされるか、不安で仕方がないんだ。」

「イザーク……。」
「両親とのことがあったから、私は君をないがしろにしてきた。……だが母とのことがあったから、君がどれだけ大切な存在かということを思い知らされたんだ。」

 なんて答えるべきなのだろうか。だけど私はそれに対する答えを持ってはいなかった。イザークと頑なに別れようとしている私には、彼の気持ちをおもんばかることも、寄り添った言葉をかけることも出来ない。

「私と別れたがっているのは知っている。だがそれでも、あとひと月、私に君を守らせてくれるのだろう?だったら、確実に君が安心だと思える方法を取らせて欲しいんだ。」

 確かに村に戻るまでの間に何があるかわからないから、馬車の御者は護衛を兼ねてくれていたほうがいい。

 義母が息がかかった人間を紛れ込ませても対処出来るように、信用のおける専属の侍女はいたほうがいい。何より私のロイエンタール伯爵家での安心感が大きく異なるわ。

「わかりました。あなたの提案通りにしたいと思います。私もそのほうが安心なので。」
 私がそう言うと、イザークは心からホッとした表情で微笑んだ。

 私は部屋に戻ると、早速サーカスの絵を描き始めた。あの鳥が一斉に羽ばたいているシーンを、出来るだけ細密に思い出しながら。

「……うん、やっぱりこうしましょう。」
 私は観客席を描いて、そこにサーカスを一緒に見ている、私とイザークを描きこんだ。

────────────────────

X(旧Twitter)始めてみました。
よろしければアカウントフォローお願いします。
@YinYang2145675

少しでも面白いと思ったら、エピソードごとのイイネ、または応援するを押していただけたら幸いです。
ランキングには反映しませんが、作者のモチベーションが上がります。
しおりを挟む
感想 89

あなたにおすすめの小説

「婚約破棄された聖女ですが、実は最強の『呪い解き』能力者でした〜追放された先で王太子が土下座してきました〜

鷹 綾
恋愛
公爵令嬢アリシア・ルナミアは、幼い頃から「癒しの聖女」として育てられ、オルティア王国の王太子ヴァレンティンの婚約者でした。 しかし、王太子は平民出身の才女フィオナを「真の聖女」と勘違いし、アリシアを「偽りの聖女」「無能」と罵倒して公衆の面前で婚約破棄。 王命により、彼女は辺境の荒廃したルミナス領へ追放されてしまいます。 絶望の淵で、アリシアは静かに真実を思い出す。 彼女の本当の能力は「呪い解き」——呪いを吸い取り、無効化する最強の力だったのです。 誰も信じてくれなかったその力を、追放された土地で発揮し始めます。 荒廃した領地を次々と浄化し、領民から「本物の聖女」として慕われるようになるアリシア。 一方、王都ではフィオナの「癒し」が効かず、魔物被害が急増。 王太子ヴァレンティンは、ついに自分の誤りを悟り、土下座して助けを求めにやってきます。 しかし、アリシアは冷たく拒否。 「私はもう、あなたの聖女ではありません」 そんな中、隣国レイヴン帝国の冷徹皇太子シルヴァン・レイヴンが現れ、幼馴染としてアリシアを激しく溺愛。 「俺がお前を守る。永遠に離さない」 勘違い王子の土下座、偽聖女の末路、国民の暴動…… 追放された聖女が逆転し、究極の溺愛を得る、痛快スカッと恋愛ファンタジー!

側妃の条件は「子を産んだら離縁」でしたが、孤独な陛下を癒したら、執着されて離してくれません!

花瀬ゆらぎ
恋愛
「おまえには、国王陛下の側妃になってもらう」 婚約者と親友に裏切られ、傷心の伯爵令嬢イリア。 追い打ちをかけるように父から命じられたのは、若き国王フェイランの側妃になることだった。 しかし、王宮で待っていたのは、「世継ぎを産んだら離縁」という非情な条件。 夫となったフェイランは冷たく、侍女からは蔑まれ、王妃からは「用が済んだら去れ」と突き放される。 けれど、イリアは知ってしまう。 彼が兄の死と誤解に苦しみ、誰よりも孤独の中にいることを──。 「私は、陛下の幸せを願っております。だから……離縁してください」 フェイランを想い、身を引こうとしたイリア。 しかし、無関心だったはずの陛下が、イリアを強く抱きしめて……!? 「離縁する気か?  許さない。私の心を乱しておいて、逃げられると思うな」 凍てついた王の心を溶かしたのは、売られた側妃の純真な愛。 孤独な陛下に執着され、正妃へと昇り詰める逆転ラブロマンス! ※ 以下のタイトルにて、ベリーズカフェでも公開中。 【側妃の条件は「子を産んだら離縁」でしたが、陛下は私を離してくれません】

前世の記憶が蘇ったので、身を引いてのんびり過ごすことにします

柚木ゆず
恋愛
 ※明日(3月6日)より、もうひとつのエピローグと番外編の投稿を始めさせていただきます。  我が儘で強引で性格が非常に悪い、筆頭侯爵家の嫡男アルノー。そんな彼を伯爵令嬢エレーヌは『ブレずに力強く引っ張ってくださる自信に満ちた方』と狂信的に愛し、アルノーが自ら選んだ5人の婚約者候補の1人として、アルノーに選んでもらえるよう3年間必死に自分を磨き続けていました。  けれどある日無理がたたり、倒れて後頭部を打ったことで前世の記憶が覚醒。それによって冷静に物事を見られるようになり、ようやくアルノーは滅茶苦茶な人間だと気付いたのでした。 「オレの婚約者候補になれと言ってきて、それを光栄に思えだとか……。倒れたのに心配をしてくださらないどころか、異常が残っていたら候補者から脱落させると言い出すとか……。そんな方に夢中になっていただなんて、私はなんて愚かなのかしら」  そのためエレーヌは即座に、候補者を辞退。その出来事が切っ掛けとなって、エレーヌの人生は明るいものへと変化してゆくことになるのでした。

【完】夫から冷遇される伯爵夫人でしたが、身分を隠して踊り子として夜働いていたら、その夫に見初められました。

112
恋愛
伯爵家同士の結婚、申し分ない筈だった。 エッジワーズ家の娘、エリシアは踊り子の娘だったが為に嫁ぎ先の夫に冷遇され、虐げられ、屋敷を追い出される。 庭の片隅、掘っ立て小屋で生活していたエリシアは、街で祝祭が開かれることを耳にする。どうせ誰からも顧みられないからと、こっそり抜け出して街へ向かう。すると街の中心部で民衆が音楽に合わせて踊っていた。その輪の中にエリシアも入り一緒になって踊っていると──

婚約破棄追放された公爵令嬢、前世は浪速のおばちゃんやった。 ―やかましい?知らんがな!飴ちゃん配って正義を粉もんにした結果―

ふわふわ
恋愛
公爵令嬢にして聖女―― そう呼ばれていたステラ・ダンクルは、 「聖女の資格に欠ける」という曖昧な理由で婚約破棄、そして追放される。 さらに何者かに階段から突き落とされ、意識を失ったその瞬間―― 彼女は思い出してしまった。 前世が、 こてこての浪速のおばちゃんだったことを。 「ステラ? うちが? えらいハイカラな名前やな! クッキーは売っとらんへんで?」 目を覚ました公爵令嬢の中身は、 ずけずけ物言い、歯に衣着せぬマシンガントーク、 懐から飴ちゃんが無限に出てくる“やかましいおばちゃん”。 静かなざまぁ? 上品な復讐? ――そんなもん、性に合いません。 正義を振りかざす教会、 数字と規定で人を裁く偽聖女、 声の大きい「正しさ」に潰される現場。 ステラが選んだのは、 聖女に戻ることでも、正義を叫ぶことでもなく―― 腹が減った人に、飯を出すこと。 粉もん焼いて、 飴ちゃん配って、 やかましく笑って。 正義が壊れ、 人がつながり、 気づけば「聖女」も「正義」も要らなくなっていた。 これは、 静かなざまぁができない浪速のおばちゃんが、 正義を粉もんにして焼き上げる物語。 最後に残るのは、 奇跡でも裁きでもなく―― 「ほな、食べていき」の一言だけ。

継母の嫌がらせで冷酷な辺境伯の元に嫁がされましたが、噂と違って優しい彼から溺愛されています。

木山楽斗
恋愛
侯爵令嬢であるアーティアは、継母に冷酷無慈悲と噂されるフレイグ・メーカム辺境伯の元に嫁ぐように言い渡された。 継母は、アーティアが苦しい生活を送ると思い、そんな辺境伯の元に嫁がせることに決めたようだ。 しかし、そんな彼女の意図とは裏腹にアーティアは楽しい毎日を送っていた。辺境伯のフレイグは、噂のような人物ではなかったのである。 彼は、多少無口で不愛想な所はあるが優しい人物だった。そんな彼とアーティアは不思議と気が合い、やがてお互いに惹かれるようになっていく。 2022/03/04 改題しました。(旧題:不器用な辺境伯の不器用な愛し方 ~継母の嫌がらせで冷酷無慈悲な辺境伯の元に嫁がされましたが、溺愛されています~)

竜王の「運命の花嫁」に選ばれましたが、殺されたくないので必死に隠そうと思います! 〜平凡な私に待っていたのは、可愛い竜の子と甘い溺愛でした〜

四葉美名
恋愛
「危険です! 突然現れたそんな女など処刑して下さい!」 ある日突然、そんな怒号が飛び交う異世界に迷い込んでしまった橘莉子(たちばなりこ)。 竜王が統べるその世界では「迷い人」という、国に恩恵を与える異世界人がいたというが、莉子には全くそんな能力はなく平凡そのもの。 そのうえ莉子が現れたのは、竜王が初めて開いた「婚約者候補」を集めた夜会。しかも口に怪我をした治療として竜王にキスをされてしまい、一気に莉子は竜人女性の目の敵にされてしまう。 それでもひっそりと真面目に生きていこうと気を取り直すが、今度は竜王の子供を産む「運命の花嫁」に選ばれていた。 その「運命の花嫁」とはお腹に「竜王の子供の魂が宿る」というもので、なんと朝起きたらお腹から勝手に子供が話しかけてきた! 『ママ! 早く僕を産んでよ!』 「私に竜王様のお妃様は無理だよ!」 お腹に入ってしまった子供の魂は私をせっつくけど、「運命の花嫁」だとバレないように必死に隠さなきゃ命がない! それでも少しずつ「お腹にいる未来の息子」にほだされ、竜王とも心を通わせていくのだが、次々と嫌がらせや命の危険が襲ってきて――! これはちょっと不遇な育ちの平凡ヒロインが、知らなかった能力を開花させ竜王様に溺愛されるお話。 設定はゆるゆるです。他サイトでも重複投稿しています。

王太子妃は離婚したい

凛江
恋愛
アルゴン国の第二王女フレイアは、婚約者であり、幼い頃より想いを寄せていた隣国テルルの王太子セレンに嫁ぐ。 だが、期待を胸に臨んだ婚姻の日、待っていたのは夫セレンの冷たい瞳だった。 ※この作品は、読んでいただいた皆さまのおかげで書籍化することができました。 綺麗なイラストまでつけていただき感無量です。 これまで応援いただき、本当にありがとうございました。 レジーナのサイトで番外編が読めますので、そちらものぞいていただけると嬉しいです。 https://www.regina-books.com/extra/login

処理中です...