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第49話 不器用な2人③

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 トラウマ、というやつだろうか。貴族の女性と関わることが恐ろしくなって、私の姿がそれに突然見えるようになる。私も、貴族の若い女性だから。だから避けていたの?

「私たち……。もっと早くに話し合えたら良かったわね。そうしたら、きっと今、こんな風になっていなかったと思うわ。」

「離婚の意思は……変わらないのか?」
「ええ。私はこの家を出て、絵師として自立したいの。父にも、ロイエンタール伯爵家にも、縛られない人生をおくるのよ。」

「私も離婚を拒む意思は変わらない。」
「どうして?唯一吐き気がしないから?」
「違う。」
 イザークが私の手を掴んだ。

「──君じゃなきゃ、駄目だからだ。」
 私の目をじっと見つめてくるイザーク。
 こんなに切羽詰まったような表情を見るのも初めてのことだ。

「初恋……だったんだと思う。君のことが。
 記憶に蓋をして、忘れていたけれど、君のことだけはどこかで覚えていたんだと思う。」
 私の脳裏にあの日の少年の姿が浮かぶ。

「それなのに突然怖くなって、自分で自分がわからない。どうしたらいいのかも……。
 こんな自分を知られるのが怖かったんだ。
 もう、話してしまったがな。」

 イザークが苦笑しつつそう言った。
 その手は私に、つながれたまま。
「子どもの頃欲しかったのは、子猫と過ごせる生活と、君といられる時間。それだけだ。
 それだけが、私の欲しいものなんだ。」

「でも……大人になったあなたが私にしてきたことは消えないわ。私が無視されて悲しかった時間も。最初から話してくれていれば、私だって寄り添えたかも知れないけれど、私が苦しかったことも事実なのよ?あなたのお母さまにされてきたことだってそうだわ。
 あなたはそれを止めなかったじゃない。」

「そうだな……。私は自分を守ろうとするあまり、君を傷つけてきたんだな。今日、君と話してそれをまざまざと実感したよ。頑なになっている私につき合わせるべきじゃなかったと。私は結婚すべきではなかったんだ。
 少なくともこの傷が癒えるまで。」

 イザークは真面目な顔つきでそう言った。
 私は困惑していた。イザークの言葉にも、態度にも。これはいったい、誰……?

「あなたの行動に理由があったことはわかったわ。だけど、それで同じことを私にしていいわけじゃない。この年になってしつけされるだなんて、……こんな屈辱、ないわ。」

「そうだな。私はお母さまの言う通り、君のことが“くだらないもの”に感じるから、そういう感情が沸き起こるのだと思っていた。だからしつけが必要だと思っていた。私がされてきたように。それは私の間違いだった。」

 ──どうしてイザークは、こんなに素直なんだろうか。どうして私たちは、もっと早くに話し合えなかったのだろうか。どうしてこうなる前に、もっと早く……。

「私は君と、やり直したい。」
「……でももう、私は前を向いて歩いているのよ。あなたから離れたいの。
 ロイエンタール伯爵家からも。
 それは尊重してくれないの?」

「フィリーネ……。」
「今更名前を呼ばないでよ……!
 今まで一度も、一度だって呼んでくれたことなんてなかったじゃない……!」

 思わず涙があふれた。これはなんの涙なんだろうか。困惑、愛憎、今更という気持ち、色んなものが混ざりあって溢れ出て来くる。

「私だって、あなたと愛し合えたら、あなたと幸せになれたら、それが1番良かったわ!
 今更よ、今更なのよ……!」

 イザークがそっと指の甲で溢れ出る涙を拭ってくる。そんな風に優しくしないで。あなたも辛かったんだって、本当はずっとこうしたかったんだって、そう思ってしまうから。

 今更だと思っていてもイザークに対する情は残っている。あなたと愛しあいたくて求めた時間が心をよぎる。このまま彼を遠ざけたい気持ちと、どこか憎みきれない気持ちも。

 イザークが、そっと私を抱きしめた。
 私はされるがまま、イザークに背中を抱かれていた。あふれる涙が止まらないまま、私は感情を吐き出すように泣き続けた。

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