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第12話 宮廷に出入りする化粧師②

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 なるほど、社交に加わらない私を、イザークがそういうことにしているわけね。下級貴族相手ならいざしらず、上級貴族の招待を断るのだもの、それなりの理由は必要よね。
 普段は夫婦で招待を受けている筈だけど、カップルの集まりに参加したくないイザークが、日頃の言い訳をここでも使ったということね。妻の体調がすぐれないので、夫婦で参加する集まりには顔を出せません、と。

 華やかな集まりは苦手だけれど、夫と関係を深める為の集まりであれば、私もずっと出たいと思っていたのにね……。
 私の扱われ方を見て、私がロイエンタール伯爵夫人であることを今更思い出したのか、先に馬車を降りてかたわらに控えていたメイドは、一瞬目を見開いて私を見た。

 私はそれを無視して、メイドを従えてバルテル侯爵家の庭を歩いた。私の見覚えのない令嬢たちの姿もチラホラ見かける。本来ならばこんな時は、専属メイドが顔と名前を覚えておいて、主人にそっと身分と名前を告げるものだ。なぜなら上の立場の貴族には、名乗られるまで挨拶が出来ないのだから。

 当然私の連れて来たメイドは、私とともに社交に参加するのが初めてだったから、その点においてまったく役には立たなかったのだけれど、かわりにバルテル侯爵夫人が、久しぶりに参加した私を、皆さんに一人ずつ紹介して下さったので事なきを得た。

 私の後ろについて歩くだけのメイドはあてにならなかったので、私は顔と名前を覚えようと必死になっていた。
「それと、今日は久しぶりに、アデリナ・アーベレ嬢がいらして下さいましたのよ?
 お招き出来てとても嬉しいですわ。──こちらはロイエンタール伯爵夫人です。」

 ──アデリナ・アーベレ!!バルテル侯爵夫人が紹介して下さったその令嬢を、私は思わず瞬きもせずに見つめてしまった。
 豊かに揺れる軽く巻かれた、背中にかかるくらいの金髪、日除けの為の大きなつばの広い帽子をかぶり、その下からこぼれ落ちそうな大きな瞳がこちらを見つめている。

 すっと伸びた鼻梁に形のよい眉。ふっくらとした唇は艷やかな真紅の口紅で彩られている。あれは……、ほんの少しオレンジが混ざっているのかしら?アデリナ嬢の抜けるような白い肌にとてもよく似合っていた。
「はじめまして、アデリナ・アーベレと申します。ロイエンタール伯爵夫人……、お名前をお伺いしても?」

 アデリナ・アーベレ嬢は、たおやかな笑みを浮かべて私にそう言った。私は思わず目が揺れそうになってしまうのをなんとかこらえた。──貴族令嬢は結婚すると名前で呼ばれなくなる。学生時代は名前でしか呼ばれなかったのに、結婚と同時に個人であることを捨て去るかのように、嫁いだ先の夫人としての名でしか呼ばれなくなるのだ。

「フィリーネと申します。」
「フィリーネ様!とても可愛らしいお名前ですね。私のことも、アデリナと呼んでいただけますか?」
「はい!もちろんですわ!」
 私はロイエンタール伯爵家に嫁いでから初めて、他人から名前を呼ばれたのだった。

 バルテル侯爵家の中で絵を見る前に、しばらく全員が庭で歓談することとなり、お茶と軽食が運ばれて来て、お菓子やスコーンをつまみながら、私はアデリナ嬢のテーブルでお話させていただくことになった。
「アデリナ嬢のお化粧はとても素晴らしいですね。初めて見る技法な気が致します。ご自分で研究なさったのですか?」

 私は気になっていたことを聞いた。
「いいえ。今日の私のパートナーである彼にほどこしていただいたものですわ。こちらは宮廷にも出入りをするほどの人気の化粧師であり、フィッツェンハーゲン侯爵家の3男であらせられる、シュテファン・フォン・フィッツェンハーゲン様です。」

 そう言って、アデリナ嬢は、かたわらにいた男性を紹介してくれた。アデリナ嬢よりも色の薄い金髪を緩やかに1つに束ね、椅子に腰掛けていても分かる背の高さ、少し垂れた優しげな眼差しで、ひと目見て美しいと分かる男性だった。この方が人気なのは、化粧の腕だけの話ではないのかも知れないわね。

「初めてお目にかかります、シュテファン・フォン・フィッツェンハーゲンと申します。
 化粧師を生業と致しております。とてもお美しい肌をなさっていらっしゃいますね。」
 肌を褒められるのは初めてのことだ。外に出ることがないから、あまり化粧をしないし特に気を使ってのことではないけれど、褒められれば素直に嬉しかった。

「──ですが、おしい。
 とてももったいなく感じてしまいます。これほどの素材をお持ちでありながら。……失礼ですが、本日の化粧はどなたに?」
 初対面でいきなりそんなことを言われ、私は困惑して思わず少し体が引けてしまう。
「当家のメイドですわ。」
「もしよろしければ、私に奥様のメイクをお任せいただけませんか?」

「──フィッツェンハーゲン卿に?」
 突然の申し出に、私はなんと答えたら良いのかわからなくなってしまった。
「この方は女性を美しくするのが趣味のようなものなのですわ。気を悪くなされないのであれば、お任せしてみてはいかがですか?」
 アデリナ嬢がそう言って、私を見つめてクスリとイタズラっぽく笑う。

「フィッツェンハーゲン卿のメイクが見られるのですか!?」
「見せていただきたいわ!」
「私もやっていただきたいです。」
 口々に令嬢や御婦人たちから声が上がる。
 一気に私たちのテーブルは注目の的となってしまい、全員の視線がこちらに集まる。

「ロイエンタール伯爵夫人、ぜひわたくしからもお願いいたしますわ。わたくしも出来ることなら自分がお願いしたいのですけれど、フィッツェンハーゲン卿は滅多なことではお客を取らないことでも有名ですの。」
 バルテル侯爵夫人までもが、キラキラした目でこちらを見てくる。……困ったわ。

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