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第8話 工房長からの手紙②

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 私はそう思い、描きなおしていた壁掛け時計の絵を描きあげてしまうことにした。
 前回よりも時間をかけて、細部まで描き絵を仕上げると、開け放った窓のへりの上に置いて乾かすことにした。
 前よりずっとまっすぐな線を描けるようにもなっていたし、多少人の手で描いたことの分かる歪さもまた味だと感じた。

 今日はこの絵を描くだけでかなり時間を使ってしまった。小さなキャンバスに描いた絵とは思えないくらい、大きさを感じさせる絵に仕上がり大満足だった。
 重ねた絵の具の量の多さから、前回ほどすぐには絵は乾かなかった。夕食を済ませて風呂に入り、窓を開け放ったまま絵を乾かしながらベッドで就寝した。

 目が覚めて私は窓枠の下の絵を確認してひと撫でした。絵は見た目通り無事に乾いていたので、私は壁掛け時計が絵から出てくるのを待ってから、イザークとの食事に向かうつもりでいた。
 だがいつまで経っても壁掛け時計が出てこないばかりか、私が朝食の場に行かないにも関わらず、誰もが呼びにすら来ない。

 朝の身支度はアンの仕事だったので、アンがいなくなってからは誰も手伝おうとはしない。私の為に余計な仕事を増やすことをメイドが嫌がったからと、家令が私絡みのことを管理しないからだが、それでもイザークとの朝食はロイエンタール伯爵夫人としてかせられた義務の1つだから、私が身支度を済ませて向かわなければ、誰かが部屋に呼びに来る手筈となっている。

 誰も来ないのはさすがにおかしかった。
 イザークが私の世話を一切やめるように言ったのだろうか?いいえ、イザークは私に関心がないというだけ。アンがいなくなったあとの私が困らないか気にかけて、家令にそれを指示したりはしないというだけ。

 家令はイザークから指示されないことをしない。しないというよりも余計なことをしてはいけないのだ。ロイエンタール伯爵の指示したことに正確に従い実行する。それが家令の仕事なのだから。
 メイドの手配は家令の仕事だが、家令を恨むことは出来ない。家令が私を気遣っていたとしても、ロイエンタール伯爵の許可なく勝手なことは出来ないのだから。

 私が逡巡していると部屋のドアがノックされた。私は壁掛け時計の絵をクローゼットに戻すと、今参りますと返事をしようとした。
「──奥様、ヨハンが参りました。」
 と家令がドア越しに私に告げた。
「ヨハンが?──こんなに朝早く?私は朝食もまだなのよ?」

 なんの用だろうか。昨日会ったばかりで、まだ来るはずの時期ではない筈だ。昨日何かをヨハンに頼んだ覚えはないし……。だが家令は私におかしなことを言ったのだった。
「朝食……でございますか?
 先程奥様は旦那様との朝食を済まされ、その際にヨハンが来たら奥様を部屋に呼びに行く手筈になった筈でございますが……。」

 ──なんですって!?
 その話は昨日の朝食の席でした話だ。どういうことだろうか。万が一にも私がボーッとし過ぎていて、イザークと朝食をとったことすら忘れていたとしても、同じ話を2日続けてする筈などない。
 それにヨハンは呼びつけたわけじゃなく、定期的に来ているご用向伺いの際に、ついでに用事を頼むことにしたのだもの。

 私は壁掛け時計を見上げる。朝だった筈の時間は10時過ぎまで進んでいた。
「まさか、時間が戻って……る?」
 私はその場に立ち尽くした。
「……奥様?
 いかがなさいましたでしょうか。ヨハンに会うのは取りやめにいたしますか?」
 家令が訝しげに私に声をかけてくる。

 私は慌ててクローゼットの中を探った。
 ……すると絵をしまう木箱の中から、昨日ヨハンに渡した筈の、花瓶にさした花と蝶々の描かれた絵が出てきたのだった。
 ドアの外から家令が私を呼ぶ声がしたが、私はすぐに身動きが取れないでいた。
 私はクローゼットの中から、一度しまった壁掛け時計の絵を取り出した。

 この絵なのだ。きっと上書きしたことで、今までと効果が変わってしまったのだろう。
 どうすれば元に戻れるのだろうか?絵から飛び出てきた物は、キャンバスに押し込めれば元に戻ったけれど、時間を押し込めるなんてことは出来ない。壁掛け時計を外して押し込める?だが私の手に届く位置にはない。

「困ったわね……。」
 考えよう。絵を撫でたらキャンバスから描いた物が飛び出て来たのよね。壁掛け時計もさっき私が撫でたから時間が巻き戻ったのだと思う。魔法絵は効果を切らすことが出来るもの。ならば巻き戻った時間を巻き戻る前に戻すことだって出来なければおかしいのだ。

 私に出来ることといえば、絵を撫でることだけだわ。さっきは左から右に撫でたから、反対向きに撫でてはどうかしら?私は壁掛け時計の絵を右から左に撫でてみた。
 シン……とする。ドアを開けてみたが家令の姿はなかった。振り返ると壁掛け時計の時間は朝食前に戻っていた。

 私はホッとして壁掛け時計の絵をクローゼットにしまい直すと、何はともかくイザークとの朝食の義務を果たす為、部屋を出たのだった。
 いつも以上にイザークとの会話をする気がしなかった。どうせ私の話は聞かないから、話しても寂しいだけだもの。それよりも先程の事象をどう再現するかに囚われていた。

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