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第7話 専属従者がいない理由②
しおりを挟む「ではキャンバスの号数は、君から直接ヨハンに伝えるように。この話は以上とする。」
イザークが控えていた家令を呼び寄せ、ヨハンがご用伺いに来たら、必ず私を呼ぶように言いつけ、家令がそれにうなずく。
「かしこまりました。」
家令は銀縁の眼鏡をかけた、先代の時からロイエンタール伯爵家に代々つかえているという、白髪の細身の男性だ。
家令は結婚当初から、私に優しくこそしないものの、特別失礼な態度も取らない。
たとえ自身が平民であっても、ロイエンタール伯爵家全体を任されている特別な存在であるという自負があるからなのだろう。
代々家令家の家の人間らしく、忠実ながら主人に必要以上に親しくもしない。
もちろん態度や言葉に出さないというだけの話で心の中では、上級貴族の令嬢を望んでいたロイエンタール伯爵家に、子爵令嬢など主人の妻として迎えたくはなかっただろうから、私の存在を歓迎していない筈だけれど。
従者というものは忠実であればあるほど、主人の望みが自らの望みになるというから。
ヨハンに絵をたくせば、工房長に絵も見て貰えるし、新しい絵の具だって借りることが出来る。とうぶんは直接工房に行かれないことだけが残念だけれど今はこうする他ない。
なんとか工房長に絵を見せることと、新しい絵の具を借りる手立てがついたことに、私はホッとしたのだった。
既にキャンバスを5枚描き終えてしまった私には、部屋に戻ってもやることがない。
だけど早くも新しい絵を描きたくて仕方がなくなっていった。
もうそろそろヨハンがご用聞きに尋ねて来てもいい頃だ。そうすればすぐに新しいキャンバスと絵の具が手に入ることだろう。
私は自室に戻ると、そういえば読みかけの本があったことを思い出し、テーブルの前の椅子に腰掛けて、ゆっくりと久しぶりに本を読み始めることにした。
だけどちっとも内容が頭に入って来ない。
「……駄目だわ。」
やっぱりどうしても絵が描きたくて、仕方がなくて落ち着かない。
私はクローゼットをあけて描きあげた絵を取り出した。よく見るとキャンバスは布が釘で木に打ち付けられたものだ。
「……これ、布を外してひっくり返して釘を打ち直したら、別の絵が描けないかしら?」
そう思ってもみたのだが、乾いた絵の具はある程度厚みのあるもので、布がたわんだら今にもヒビが入ってしまいそうに思えた。
稚拙な作品であっても、私は自分の描いた絵に満足しており気に入っている。
それに布はピンと貼られている。私が木に打ち付けられた釘をはずしたら、もう一度ピンと布を貼れる自信がなかった。
「……さすがにそれは、諦めたほうがよさそうね。私には無理だわ。」
百歩譲ってこの絵をなかったものとして、さらに上から絵を描くしかない。
私はうんうんとうなりながら、やはり諦めきれずに、これは練習だもの、と自分に言い聞かせて、別の絵を上から描くことにした。
選んだのは壁掛け時計の絵だ。一度白い絵の具を薄く全体にのばして元絵を覆い隠す。
時計しか描いていなかったので、割ときれいに隠せたが、それでも元々のキャンバスと比べると、凸凹している感じがいなめない。
木炭のペンで下絵を描くと、ペンが引っかかってガタついてしまうところがあったが、絵の具を乗せていく頃にはそんなことは気にならず、絵の具の塗り重ねで下絵のガタついた輪郭を美しく補正することに成功した。
描いている最中に、家令がヨハンが参りましたと、私を呼びに部屋に尋ねて来た。
──ヨハン!!
私は立ち上がると、ドアの前まで向かい家令に、すぐに行くわとだけ伝え、クローゼットの中に小さなイーゼルと描きかけの絵と画材たちをしまい、花瓶にいけた花と蝶々の絵を木箱にしまった。
そのまま部屋を出て裏口へと向かう。
出入りの商人は正面玄関からは出入りしない為だ。
「──お元気そうですね、奥様。」
「あれからまだそんなに経っていないわよ。
けど、あなたも元気そうね、ヨハン。」
ニッコリと微笑んでそう言ってくれるヨハンに、私も笑顔をかえす。
今は周囲にメイドたちもいない。私はヨハンに木箱に包んだ絵を手渡した。
「──これは?」
「アンに連れて行って貰ったお店の工房長に渡して欲しいの。それで分かると思うから。それと、2段目の段の1番右の緑の絵の具を貸して欲しいと伝えてちょうだい。」
「……2段目の段の1番右の緑の絵の具、ですね?わかりました。他にご用向きは?」
「キャンバスがいくつか欲しいと伝えて。
代金が分からないから、──これを。
それ以外では、私からは、ないわ。」
私はヨハンに中金貨を1枚握らせる。
キャンバス代がいくらかは分からないけれど、大金貨3枚がロイエンタール伯爵家のメイドの年俸なのだ。さすがに足りるだろう。
ちなみにお店で見た魔石の粉末入りの絵の具の値段は、1番安いものでも小金貨5枚はした。アデリナブルーは中金貨3枚。
つまりは36色入りの絵の具セットは最低でも大金貨2枚以上の値段がするのだ。
私が受け取れないと思った理由もお分かりいただけると思う。
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