上 下
14 / 121

第7話 専属従者がいない理由②

しおりを挟む

「ではキャンバスの号数は、君から直接ヨハンに伝えるように。この話は以上とする。」
 イザークが控えていた家令を呼び寄せ、ヨハンがご用伺いに来たら、必ず私を呼ぶように言いつけ、家令がそれにうなずく。
「かしこまりました。」
 家令は銀縁の眼鏡をかけた、先代の時からロイエンタール伯爵家に代々つかえているという、白髪の細身の男性だ。

 家令は結婚当初から、私に優しくこそしないものの、特別失礼な態度も取らない。
 たとえ自身が平民であっても、ロイエンタール伯爵家全体を任されている特別な存在であるという自負があるからなのだろう。
 代々家令家の家の人間らしく、忠実ながら主人に必要以上に親しくもしない。

 もちろん態度や言葉に出さないというだけの話で心の中では、上級貴族の令嬢を望んでいたロイエンタール伯爵家に、子爵令嬢など主人の妻として迎えたくはなかっただろうから、私の存在を歓迎していない筈だけれど。
 従者というものは忠実であればあるほど、主人の望みが自らの望みになるというから。

 ヨハンに絵をたくせば、工房長に絵も見て貰えるし、新しい絵の具だって借りることが出来る。とうぶんは直接工房に行かれないことだけが残念だけれど今はこうする他ない。
 なんとか工房長に絵を見せることと、新しい絵の具を借りる手立てがついたことに、私はホッとしたのだった。

 既にキャンバスを5枚描き終えてしまった私には、部屋に戻ってもやることがない。
 だけど早くも新しい絵を描きたくて仕方がなくなっていった。
 もうそろそろヨハンがご用聞きに尋ねて来てもいい頃だ。そうすればすぐに新しいキャンバスと絵の具が手に入ることだろう。

 私は自室に戻ると、そういえば読みかけの本があったことを思い出し、テーブルの前の椅子に腰掛けて、ゆっくりと久しぶりに本を読み始めることにした。
 だけどちっとも内容が頭に入って来ない。
「……駄目だわ。」
 やっぱりどうしても絵が描きたくて、仕方がなくて落ち着かない。

 私はクローゼットをあけて描きあげた絵を取り出した。よく見るとキャンバスは布が釘で木に打ち付けられたものだ。
「……これ、布を外してひっくり返して釘を打ち直したら、別の絵が描けないかしら?」
 そう思ってもみたのだが、乾いた絵の具はある程度厚みのあるもので、布がたわんだら今にもヒビが入ってしまいそうに思えた。

 稚拙な作品であっても、私は自分の描いた絵に満足しており気に入っている。
 それに布はピンと貼られている。私が木に打ち付けられた釘をはずしたら、もう一度ピンと布を貼れる自信がなかった。
「……さすがにそれは、諦めたほうがよさそうね。私には無理だわ。」
 百歩譲ってこの絵をなかったものとして、さらに上から絵を描くしかない。

 私はうんうんとうなりながら、やはり諦めきれずに、これは練習だもの、と自分に言い聞かせて、別の絵を上から描くことにした。
 選んだのは壁掛け時計の絵だ。一度白い絵の具を薄く全体にのばして元絵を覆い隠す。
 時計しか描いていなかったので、割ときれいに隠せたが、それでも元々のキャンバスと比べると、凸凹している感じがいなめない。

 木炭のペンで下絵を描くと、ペンが引っかかってガタついてしまうところがあったが、絵の具を乗せていく頃にはそんなことは気にならず、絵の具の塗り重ねで下絵のガタついた輪郭を美しく補正することに成功した。
 描いている最中に、家令がヨハンが参りましたと、私を呼びに部屋に尋ねて来た。

 ──ヨハン!!
 私は立ち上がると、ドアの前まで向かい家令に、すぐに行くわとだけ伝え、クローゼットの中に小さなイーゼルと描きかけの絵と画材たちをしまい、花瓶にいけた花と蝶々の絵を木箱にしまった。
 そのまま部屋を出て裏口へと向かう。
 出入りの商人は正面玄関からは出入りしない為だ。

「──お元気そうですね、奥様。」
「あれからまだそんなに経っていないわよ。
 けど、あなたも元気そうね、ヨハン。」
 ニッコリと微笑んでそう言ってくれるヨハンに、私も笑顔をかえす。
 今は周囲にメイドたちもいない。私はヨハンに木箱に包んだ絵を手渡した。

「──これは?」
「アンに連れて行って貰ったお店の工房長に渡して欲しいの。それで分かると思うから。それと、2段目の段の1番右の緑の絵の具を貸して欲しいと伝えてちょうだい。」
「……2段目の段の1番右の緑の絵の具、ですね?わかりました。他にご用向きは?」

「キャンバスがいくつか欲しいと伝えて。
 代金が分からないから、──これを。
 それ以外では、私からは、ないわ。」
 私はヨハンに中金貨を1枚握らせる。
 キャンバス代がいくらかは分からないけれど、大金貨3枚がロイエンタール伯爵家のメイドの年俸なのだ。さすがに足りるだろう。

 ちなみにお店で見た魔石の粉末入りの絵の具の値段は、1番安いものでも小金貨5枚はした。アデリナブルーは中金貨3枚。
 つまりは36色入りの絵の具セットは最低でも大金貨2枚以上の値段がするのだ。
 私が受け取れないと思った理由もお分かりいただけると思う。

────────────────────

少しでも面白いと思ったら、エピソードごとのイイネ、または応援するを押していただけたら幸いです。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

もう尽くして耐えるのは辞めます!!

月居 結深
恋愛
 国のために決められた婚約者。私は彼のことが好きだったけど、彼が恋したのは第二皇女殿下。振り向いて欲しくて努力したけど、無駄だったみたい。  婚約者に蔑ろにされて、それを令嬢達に蔑まれて。もう耐えられない。私は我慢してきた。国のため、身を粉にしてきた。  こんなにも報われないのなら、自由になってもいいでしょう?  小説家になろうの方でも公開しています。 2024/08/27  なろうと合わせるために、ちょこちょこいじりました。大筋は変わっていません。

年に一度の旦那様

五十嵐
恋愛
愛人が二人もいるノアへ嫁いだレイチェルは、領地の外れにある小さな邸に追いやられるも幸せな毎日を過ごしていた。ところが、それがそろそろ夫であるノアの思惑で潰えようとして… しかし、ぞんざいな扱いをしてきたノアと夫婦になることを避けたいレイチェルは執事であるロイの力を借りてそれを回避しようと…

【完】夫に売られて、売られた先の旦那様に溺愛されています。

112
恋愛
夫に売られた。他所に女を作り、売人から受け取った銀貨の入った小袋を懐に入れて、出ていった。呆気ない別れだった。  ローズ・クローは、元々公爵令嬢だった。夫、だった人物は男爵の三男。到底釣合うはずがなく、手に手を取って家を出た。いわゆる駆け落ち婚だった。  ローズは夫を信じ切っていた。金が尽き、宝石を差し出しても、夫は自分を愛していると信じて疑わなかった。 ※完結しました。ありがとうございました。

【完結】婚約者の義妹と恋に落ちたので婚約破棄した処、「妃教育の修了」を条件に結婚が許されたが結果が芳しくない。何故だ?同じ高位貴族だろう?

つくも茄子
恋愛
国王唯一の王子エドワード。 彼は婚約者の公爵令嬢であるキャサリンを公の場所で婚約破棄を宣言した。 次の婚約者は恋人であるアリス。 アリスはキャサリンの義妹。 愛するアリスと結婚するには「妃教育を修了させること」だった。 同じ高位貴族。 少し頑張ればアリスは直ぐに妃教育を終了させると踏んでいたが散々な結果で終わる。 八番目の教育係も辞めていく。 王妃腹でないエドワードは立太子が遠のく事に困ってしまう。 だが、エドワードは知らなかった事がある。 彼が事実を知るのは何時になるのか……それは誰も知らない。 他サイトにも公開中。

【完結】断りに行ったら、お見合い相手がドストライクだったので、やっぱり結婚します!

櫻野くるみ
恋愛
ソフィーは結婚しないと決めていた。 女だからって、家を守るとか冗談じゃないわ。 私は自立して、商会を立ち上げるんだから!! しかし断りきれずに、仕方なく行ったお見合いで、好みど真ん中の男性が現れ・・・? 勢いで、「私と結婚して下さい!」と、逆プロポーズをしてしまったが、どうやらお相手も結婚しない主義らしい。 ソフィーも、この人と結婚はしたいけど、外で仕事をする夢も捨てきれない。 果たして悩める乙女は、いいとこ取りの人生を送ることは出来るのか。 完結しました。

「本当に僕の子供なのか検査して調べたい」子供と顔が似てないと責められ離婚と多額の慰謝料を請求された。

window
恋愛
ソフィア伯爵令嬢は公爵位を継いだ恋人で幼馴染のジャックと結婚して公爵夫人になった。何一つ不自由のない環境で誰もが羨むような生活をして、二人の子供に恵まれて幸福の絶頂期でもあった。 「長男は僕に似てるけど、次男の顔は全く似てないから病院で検査したい」 ある日ジャックからそう言われてソフィアは、時間が止まったような気持ちで精神的な打撃を受けた。すぐに返す言葉が出てこなかった。この出来事がきっかけで仲睦まじい夫婦にひびが入り崩れ出していく。

旦那様、離縁の申し出承りますわ

ブラウン
恋愛
「すまない、私はクララと生涯を共に生きていきたい。離縁してくれ」 大富豪 伯爵令嬢のケイトリン。 領地が災害に遭い、若くして侯爵当主なったロイドを幼少の頃より思いを寄せていたケイトリン。ロイド様を助けるため、性急な結婚を敢行。その為、旦那様は平民の女性に癒しを求めてしまった。この国はルメニエール信仰。一夫一妻。婚姻前の男女の行為禁止、婚姻中の不貞行為禁止の厳しい規律がある。旦那様は平民の女性と結婚したいがため、ケイトリンンに離縁を申し出てきた。 旦那様を愛しているがため、旦那様の領地のために、身を粉にして働いてきたケイトリン。 その後、階段から足を踏み外し、前世の記憶を思い出した私。 離縁に応じましょう!未練なし!どうぞ愛する方と結婚し末永くお幸せに! *女性軽視の言葉が一部あります(すみません)

花嫁は忘れたい

基本二度寝
恋愛
術師のもとに訪れたレイアは愛する人を忘れたいと願った。 結婚を控えた身。 だから、結婚式までに愛した相手を忘れたいのだ。 政略結婚なので夫となる人に愛情はない。 結婚後に愛人を家に入れるといった男に愛情が湧こうはずがない。 絶望しか見えない結婚生活だ。 愛した男を思えば逃げ出したくなる。 だから、家のために嫁ぐレイアに希望はいらない。 愛した彼を忘れさせてほしい。 レイアはそう願った。 完結済。 番外アップ済。

処理中です...