旦那様は魔法使い

なかゆんきなこ

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第五章 二人の日常4

奥様のスランプ

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大変長らくお待たせして申し訳ありませんでした!

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「うーん……」
 客足が緩やかになる正午過ぎ、アニエスは一人カウンターに立って頭を悩ませていた。
 彼女の視線は、店の棚に置かれたパン籠を一瞥する。それらに納まっているのは全てアニエスの自信作だ。今日の売れ行きも上々である。
(……でも、そろそろ新しい商品を出したい……のよね……)
「うーん……」
 アニエスのパン屋では、定番商品の他に季節の素材を使った『今日のおすすめパン』など、日に寄って違うメニューもある。これはその日手に入る食材を使って作るパンで、常連客の間で人気が高い。
 だが、そういった日替わりパンとも違う別の、お店の目玉になるような『新商品』を出したいと、アニエスは考えているのだ。
 けれど、肝心の『新商品』のアイディアがまったく思い浮かばない。日替わりパンのように旬の食材を使ったパン……では、出せる季節が限られてしまう。ならば通年で取り扱える食材を使ったパンを……とあれこれ考えているのだが、「これだ!」というものがないのだ。
 日頃、その日のおすすめパンなどのレシピを考えるのにはそう時間の掛らない方なのだが、今回ばかりは袋小路に迷い込んでしまったらしい。アニエスは「はあ……」と深いため息を吐いた。


「奥方様、どうしたのですにゃ?」
 アニエスが何か悩んでいるらしい、というのは使い魔猫達にもすぐに察せられた。
 その日の夕食作りを手伝っていた黒猫のカルが、野菜を洗う手は止め、傍らで魚を捌くアニエスに尋ねる。
「……実はね、新商品のアイディアが浮かばないの」
「新商品?」
「そうなの。そろそろ、何か新しい商品をメニューに加えたいと思ったんだけど……」
 ちっとも浮かばないのよねぇ、とアニエスは再びため息を吐く。
「あの、俺でよければいつでもお力になりますにゃ」
「ありがとう、カル。それじゃあ……」
 アニエスはふと思案し、それから、主想いの黒猫にこう問いかけた。
「カルはどんなパンが好き?」
「え……? えっと、俺は……黒パンが好きですにゃ」
 カルは少し照れ臭そうにしながら、言葉を続ける。
「奥方様が作ってくれる黒パンのサンドイッチ、とっても美味しいですにゃあ。他のパンも好きですが、黒パンはちょっと酸味があるのも、どっしりしてて噛みごたえがあるところも、好きですにゃ」
 黒パンのサンドイッチの味を思い出したのか、カルはうっとりと目を細めた。
「そうね。黒パンはとても美味しいわよね」
 そのまま食べても美味しいし、ちょっとオーブンで炙ってもいいし、サンドイッチにしても美味しい。色々使い手のあるパンだ。
「ですにゃ!」
 にこにこと嬉しそうに黒パンの魅力を語るカルを見て、アニエスはほんわり楽しい気持ちになった。
 思えば、いつもメニューを考えるのは楽しい時間であったのに、今回はアイディアが浮かばないからと悩み過ぎて、気が塞いでいたように思える。それじゃあ良いパンはできないわよねと、アニエスは気を取り直した。
「ありがとう、カル。私、頑張るからね」
(少し酸味のある味、どっしりとして噛みごたえのある食感、ね)
 参考にさせてもらおうと、アニエスは一人頷く。


「奥方様~!!」
 夕食の後片付けで洗い物をしていたアニエスの腰に、ぽすんっと飛びついて来たのは縞猫のアクアだった。さらに、ブチ猫のキースも一緒にいる。
「新商品のアイディアを探しているって聞きましたにゃ~! おれもっ! おれもお手伝いしますにゃ!!」
「オレも!!」
「まあ」
 黒猫のカルから話を聞いたのだろう。キラキラと目を輝かせてアニエスを見上げるアクアとキースに、アニエスも笑みが零れる。
「それじゃあふたりにも聞くわね。ふたりはどんなパンが好き?」
「ベーコンのエピが好きですにゃっ!!」
 元気よく答えたのは縞猫のアクアだ。
「形が面白くって~、ベーコンがカリカリっとしてて~。あっ! それに、奥方様の作ってくれるエピはベーコンの肉汁がパンにしみてて、とお~っても美味しいのですにゃ!!」
 そういえばアクアはアニエスがベーコンエピを作るといつも嬉しそうにしていたっけ。最初にこれを食べた時も「すごい! すごい!! えっと、エビ……じゃなくて、エピ!!」とはしゃいでいた気がする。そうか、あの頃からずっと好きでいてくれたのかと、アニエスは嬉しくなる。
「奥方様っ、オレは胡桃パンが一等好きですにゃっ!! 香ばしくって~、ふわふわで~、でも中の胡桃がカリッとしてて~、その食感がたまりませんにゃ~。それにっ、形もお花みたいで可愛いですにゃ~」
「キースは胡桃パンを焼くのがとっても上手だものね」
「にゃ~!!」
 食いしん坊な性格のキースは、猫達の中でも一番積極的に料理やパン作りの手伝いをしてくれる。そんな彼が一番得意とするのが、胡桃パンを焼くことなのだった。
「でもっ、まだまだ奥方様のパンには敵いませんのにゃ~。おれも奥方様みたいに、美味しい~パンを作れるようになりたいですにゃ」
「ありがとう、キース」
「にゃっ! オ、オレだって奥方様のパンが一等好きですにゃ~!! パン作りのお手伝いも、頑張りますにゃっ!!」
「ありがとう、アクア」
 アニエスは可愛い猫達の頭を撫で、ぎゅっと抱きしめる。アニエスからは甘いミルクの匂いがして、猫達はうっとりと目を細めたのだった。

 それから、話を聞いた他の猫達もアニエスの所へやって来て、自分がどういうパンが好きかを熱く語ってくれた。
 白猫のジェダは、コーヒー生地のコッペパンに生クリームをたっぷりサンドしたクリームサンドが一番好きだと言う。
(ジェダは生クリームが大好き、だものね)
『それに、ビターなパンと甘いクリームの組み合わせがまた良いのですにゃ~』
 と言っていた白猫の得意気な表情を思い出し、アニエスはくすっと笑う。
(うん、そういう素材の組み合わせも大事だわ。それから、ネリーは……)
 茶色猫のネリーは、ベリーのデニッシュが一番好きだと言った。ベリーのデニッシュと一口に言っても、アニエスは季節や日によって使うベリーの種類を変えている。それもあってか、お店でも人気の商品だった。
(そうね、ネリーはクロワッサンやデニッシュ系のパンが好きだもの。それにベリーのジャムも大好き。うーん、お店でもクロワッサンやデニッシュはよく売れるし、サクサクの食感が人気なのかしら。ああでも、ライトは……)
 灰色猫のライトは、定番中の定番――バゲットが一番好き、と言い切った。色んな料理に合うから……と。何より、バゲットを綺麗に焼き上げた時のやり切った感がたまらないとか。
(ふふ。これは作る側の意見、だけどね)
 それに保存も効くし、もし余らせてもラスクにして食べたりと、色々活用術があって良い! と。そう、日頃クールなライトが珍しく熱弁を振るったのだ。
(うん、ただ食べるだけじゃなくて色んな料理に使えるのはポイントが高いわよね。それから、セラフィは……)
 三毛猫のセラフィは、『私は……レーズンパンが一番ですにゃ』と言った。セラフィはドライフルーツ、ことレーズンが一番好きなのだ。生で食べるより旨味が増している、と。ドライフルーツを使ったお菓子やパンを食べる時はいつもより嬉しそうにしている。
(そうね。ドライフルーツを使ったパンも確かに人気だわ。それにドライフルーツなら保存が効くから通年で取り扱えるし……)
 たくさんの意見を聞けたのはよかった。どれも参考になる。だが……
「うーん……」
 湯を浴びた後も、アニエスは頭を悩ませていた。
 猫達の意見は参考になった。どれも頷ける『パンの魅力』だ。それを活かせたらと思うのだが、今度は参考になる意見が多すぎて一つに絞り切れずにいる。
 いっそ、猫達が語ってくれたそれぞれのパンの魅力を一つのパンに凝縮……いやいや、いくらなんでもそれはごった煮に過ぎる。大体、甘いパンも惣菜系のパンも主食系のパンも一緒くたにしてしまったら、とんでもないことになるだろう。
(あああ……、アイディアが思い浮かぶどころか、ますます行き詰ってしまったわ)
「はぁ……」
「まだ悩んでるの?」
 難しい顔で鏡台に向う妻にそう声をかけたのは、夫であるサフィールだ。
「そうなの……。ねえサフィール。あなたはどんなパンが一番好き?」
「アニエスの作ってくれるパンなら何でも好きだよ」
「………………」
 にっこりと、本心からそう言ってくれるのは嬉しいけれど、本当に嬉しいのだけれど、あまり参考にならない意見だ。「今日の夕飯何がいい?」と聞いて「なんでも」と返されるのに似た脱力感がある。
「なんでも……じゃ困るの。あのね、こう……目新しくって、お客さんがびっくりして、美味しい!! って思ってもらえるような、そんなパンを作りたいの。でも、全然ダメ……。何も浮かばなくって……」
 表情を曇らせ、しゅんと項垂れるアニエス。サフィールはそんな妻を見て、こう言った。
「アニエスは、お客さんをびっくりさせたいの?」
「そうよ。だって、いつもと同じばっかりじゃあ……飽きちゃうでしょう?」
「……日替わりのパンだってあるし、充分目新しいものはあると思うけど」
「でも……。そうじゃなくって、通年で置けるメニューに新作を……と思っているの」
 なのにアイディアが全然浮かばないわ……と項垂れる彼女は、すっかりスランプに嵌っているらしい。
「……私、パン屋の才能がないのかしら……」
 しかも、そうとう落ち込んでしまっている。新作メニューが浮かばないくらいで、とも思うが、サフィールはアニエスのこういう生真面目な所も愛していた。
「……ねえ、アニエス」
 サフィールは寝転がっていた体勢から身を起こして、「おいで」とアニエスを手招く。彼女はそれに従って、彼の隣に座った。その肩を、サフィールはそっと抱き寄せる。
「君が作るパンは本当に美味しいよ。俺だけじゃなくて、皆そう思ってる。目新しい……日替わりのメニューだけじゃなくて、定番メニューだってちゃんと人気があるでしょ?」
「……猫達は、定番メニューのパンが一番好き……だって」
 そうなのだ。使い魔猫達が『一番好き!』と言ってくれたパンは、どれもアニエスのパン屋の定番メニューだった。
「ほら。それを君に語る猫達の表情は、どんなだった?」
 サフィールはそう、優しく問い掛けてやる。
「……皆、目がキラキラしてたわ。本当に好きでいてくれるんだって、私、とても嬉しかった」
「ね? 君のパンはこんなに愛されている。確かに、目新しいものも時には必要かもしれない。日替わりパンも人気だしね。でも、変わらないものだって大事だと思う」
「変わらないもの……」
「いつ来ても、そこにあるもの。自分の好きな味、パンがいつでも食べられるっていうのは、すごく、幸せなことだと思う」
「いつ来ても、そこにあるもの……」
「そう。俺の傍に、いつでも君がいてくれるみたいにね」
「サフィール……」
 彼の言葉で、それまで雁字搦めに絡まっていた糸がゆっくりとほぐれていくような……そんな感覚を、アニエスは覚えた。
「……サフィール、私、間違っていたわ」
 沈んでいたアニエスの瞳に生来の光が戻ったのを見て、サフィールは笑みを深める。それは、周りにいる者も元気にしてくれるような、太陽のように明るい光だった。
 彼女はしゅんと項垂れていても綺麗だけれど、こうして元気に笑っている方がずっと魅力的である。
「無理に新しいメニューを考えようとするよりも、今あるメニューをもっと、もっと美味しくすることを考えてみる!」
「うん。楽しみにしてる」
 そしてサフィールは、愛する妻の額にちゅっと激励のキスを贈った。


 それからしばらく、アニエスと使い魔猫達はお店の定番メニューを『もっと』美味しくする改良に取り掛かった。
 そして奮闘の甲斐あり、改良を重ねた定番メニュー達は「さらに美味しくなった!」と、お客さん達の間で評判となるのだった。





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