旦那様は魔法使い

なかゆんきなこ

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婚約者は魔法使い

プロポーズは…編

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「…………はぁ」
 大工から渡された店舗と家の最終図面を見ながら、アニエスはため息を一つ。
 図面が気に入らないわけではない。むしろ、幾度かの打ち合わせの末に出来上がった図面は、アニエスの要望をほぼ叶えた仕上がりであった。
 資材の調達もあって、改装に移れるのはもうしばらく先だという。
 この島で、これ以上アニエスがやれることは現段階では無い。
 だからそろそろ、王都に帰らなければならないのだが…。
「…………」
 それをサフィールに告げるのが、躊躇われて。
 彼の元をまた、一時的にでも離れるのが淋しくて。
 こんな感情、島に戻って来たばかりの頃には想像もしなかった。
 また会えるとわかっているのに。
 これはあの、辛い別れの時とは違うのに。
「…駄目ね、私」
 このままではいけない。
 自分で彼に言ったではないか。
 すぐにまた戻ってくる。
 そうしたらまた傍にいられる。今よりもずっと、一緒にいられるのだと。
(…ずるずると悩んでいるよりも、すぱっと船の切符を買ってきて、未練を断ち切ろう)
「…そうしよう」 
(…王都に戻ったら、すぐに引っ越しの準備をしようかしら…)
 引っ越すのは新居の改装が終わってからの予定だったが、早めに戻って来て、新居が出来上がるまでサフィールの所に泊めてもらう…というのもありかもしれない。
 とにかくサフィールに、王都に戻る日取りを告げなくてはと、アニエスは差し入れの食事を手に彼の元へ向かった。


「…今日、船の切符を買って来たの。三日後、一度王都に帰るわ」
 差し入れた食事(今日のメニューはサフィールの好物の海老を団子にしたトマトクリームスープと堅めの黒パン。それにフルーツサラダだ)を共に食べながら、アニエスは言った。
 ここに来る前に、港に寄って買い求めてきたのだ。
「………」
 サフィールはぴたりと、スプーンを持つ手を止めてアニエスをじっと見つめる。
「…それでね、あの…私…」
 少し早めに戻ってくるから、新居が出来上がるまでここに居候させて欲しい…。
 そう頼むつもりだったのに、いざ口に出そうとすると言えない。
 …もし、嫌だと言われたらどうしよう。
 今更そんな不安が、過るのだ。
「………今日」
「えっ?」
「今日、ここに泊まっていかない…?」
 サフィールは、また何事も無かったかのように食事を再開して、言う。
(え、今日…? ええと、それは…)
 王都へ戻る前に、一晩を共に過ごそう…という誘いだろうか。
「え、ええ」
 それはもちろん、構わない。
 王都へ帰る日取りを宿屋の主人夫妻に言ったところ、手伝いは今日を最後にして良いと言われたのだ。残りの数日を、ゆっくり過ごすようにと。
 だから明日の朝の手伝いを気にしなくても良いので、ゆっくり過ごせる。
 一度宿屋に戻って着替えを用意し、夫妻にサフィールの所に泊まることを伝えれば…。
 そう頷くアニエスに、サフィールは薄く微笑んでちぎっていたパンを口に運ぶ。
「…良かった」
 そして大人しく二人の会話に耳を立てていた使い魔猫達に、アニエスの代わりに宿屋に行くように言って、また黙々と食事を続ける。
 サフィールは、アニエスが王都に帰ることに関しては何も言わなかった。
 ベッドの中の彼は、一分一秒でもアニエスを離したくない…と言わんばかりだったのに。
 また別れを惜しまれると思っていたアニエスは、そんな自分に苦笑する。
 人を恋するということは…。
 そんな、自分の我儘だったり傲慢だったり、嫌な一面を目の当たりにするということだわ、と思いながら。


 食事の後、アニエスは使い魔猫達と一緒に後片付けをして、お茶を淹れた。
 一緒に飲もうと、食卓に戻ったがそこにサフィールの姿は無く、隣にある店をのぞいてみれば、何やら一人で黙々と本を読んでいる。
「………」
 アニエスはまたも肩透かしをくらったような気分だった。
 泊まっていかないかと言うくらいだから、てっきり一緒に過ごすものだと思っていたのに。
 アニエスはそっと、サフィールの分のお茶を近くに置いてやって、家に戻った。
 そして猫の姿に戻った使い魔達の毛並みをブラシで整えてやりながら、静かな夜を過ごす。
 猫達は、素っ気ない主人以上に、アニエスが王都に帰ることを寂しがってくれた。
 すぐに戻ってくるわね、と言って撫でてやりながら、アニエスはまたも苦笑する。

 時計の針が八時を過ぎても九時を過ぎても、サフィールは戻ってこなかった。
 アニエスは、どうして自分はここにいるんだろうと思いながら、一人で先にシャワーを浴びて、使い魔猫達が持ってきてくれた寝巻に着替えて、サフィールのベッドに入る。
(…一人でこのベッドを使うことになるなんて、思わなかった…)
 こんなことなら、使い魔猫達を引き止めて(彼らはアニエスとサフィールがベッドを使う時、いつも気を使って隣の店に行くのである)一緒に寝てもらえば良かった。
 いやいっそ、宿屋の部屋で一人で眠った方が…。
 サフィールのいない彼のベッドに、一人で眠るよりはずっと…。
(…サフィールの馬鹿…)
 ごろん、とベッドの上で寝がえりをうち、アニエスは素っ気ない恋人を責める。
 泊まっていかないかと言ったのは、彼なのに。
 自分を放っておいて、彼は一体何をしているのだろうか。
(…寂しいと思っているのは、私だけなの…?)


「…エス…。アニエス…」
 いつの間にか眠っていたらしいアニエスは、名前を呼ばれ、揺り起こされてはっと目を覚ました。
 薄闇の中、僅かに灯された小さなランプの灯り。
 そしてそのほのかな灯りの下、黒いローブに身を包んだサフィールが、アニエスを呼んでいる。
「…サフィール…?」
「ごめん…。ちょっと、一緒に来て欲しいんだ…」
「…?」
 アニエスはゆっくりと起き上がると、眠気眼を擦りながらサフィールに手を引かれ、外へ出た。
 そして、家の外壁に立てかけられた梯子を上り、屋上へと出る。
 この家に屋上があることは、外観から知っていたけれど、実際に足を踏み入れるのは初めてだった。
 何も無い、石造りの屋上。
 そこには今、柔らかそうなラグが敷かれ、傍にはポットとカップ。それにお菓子や軽食の載ったプレートが置かれていた。
「…今日は、星が綺麗に見られるんだ。…一緒に、見よう」
 サフィールはアニエスの手を引いて、一緒にラグの上に腰掛ける。
 そして、寒いから…と寝間着姿のアニエスに厚手のストールをかけてやって、カップに熱い紅茶を注ぎ入れると、それを手渡した。
「……あったかい」
 一口飲んでみた紅茶は、ほのかにブランデーの香りがした。
 そして二人並んで、寄り添って。
 満天の星空を見上げる。
 空には、サフィールが言ったようにたくさんの星が瞬いていた。
「……まるで、子供の頃みたいね」
 魔法使いは、星の動きから人の運命を読み取る。
 故に、星の観察や星図の作成も、彼らの仕事だった。
 幼い頃、師匠と一緒になって星の観察をしていたサフィール。
 アニエスも何度か、魔法使いの家に泊まって一緒に星空を見上げたことがあった。
 彼らのように、人の運命を読み取ることはできないけれど。
 一緒に夜更かしできるのが楽しくて、嬉しくて。
 見上げた星空が、とても…。
 とても綺麗だったことを、良く覚えている。
「…うん」
「……私、今日はずうっと放っておかれるのかと思っていたわ」
 アニエスは星空を見上げたまま、傍らのサフィールに言う。
 だって、本当に淋しかったのだ。
 だからこれくらいの文句は、言ったっていいだろう。
「ごめん…。ずっと…考えてたんだ…」
「なにを…? あ! 流れ星!!」
 夜空に一筋、流れ星が落ちていく。
 それに気を取られていたアニエスは、一瞬サフィールの言葉を聞き逃した。

「君へのプロポーズ…の言葉」

「えっ?」
 今、彼は何と言ったのだろう。
 プロポーズと、そう言ったのだろうか…。
 アニエスは星空ではなく、傍らのサフィールの顔を見つめる。
 サフィールもまた、星空ではなくアニエスを見つめていた。
「だから、君へのプロポーズの言葉。…アニエスが王都へ戻る前に、言いたくて。でも、どんな風に言ったら、どんな風にプロポーズしたら、君は喜ぶだろうって…。そんなことを悩んでいる内に…こんな時間になって」
「サフィール…」
 彼はアニエスを放っておいたのではなく、ずっと考えていたのだという。
 彼女への、プロポーズを。
 本を読んでいたのも、考え悩んでいることを悟らせないためのポーズだったそうだ。
「だけど、結局俺は自分の気持ちを君に告げることしかできないって、気付いた。アニエス…」
「………」
 そして彼は告げる。
 その想い、を。
「アニエスが王都へ帰るの、嫌だと思った。もう離れたくないと思った。ずっと一緒に居たいって。…君は言ったよね、これからはずっと一緒にいられるって。でも、たとえすぐ近くに住んでいたって、別の家に君を帰したくないんだ。アニエス、君と…」
 一緒に暮らしたい、とサフィールは言う。

「だから、結婚して下さい。俺の、奥さんになって欲しい。一生をかけて、君を愛し、守っていきたい」

「サフィール…」
 驚きに目を見張るアニエスの、その瞳からぽろぽろと涙が零れる。
 それを指先で拭って、サフィールは問う。
「……だめ?」
「だっ、駄目…じゃない…。う、嬉しい…」
 涙は後から後から流れてくる。
 まさか、そんな風に想ってもらえているとは思わなかった。
 だけど、アニエスだって同じ気持ちだったのだ。
 ずっと一緒にいたい。
 もっと傍にいたい、と。
「…良かった…」
 サフィールは心底ほっとした、といった風に胸を撫で下ろすと、幼い少年のような笑みを浮かべて、アニエスにぎゅっと抱き付いた。
「…俺は君に会って、ずいぶんと欲深くなったよ」
「…それは…」
 それは私も同じだわ、とアニエス。
 幼いころとは違う。
 もっと深く、強く。
 互いを求める気持ちが止まらない。
「愛してる…」
「うん…私も…」
 だからこの手をとろう。
 これからもずっと、二人で生きていけるように。


 そして、かつて幼馴染だった二人は…。
 この満天の星空の下で…。
 恋人同士から、婚約者同士に、なったのでした。




  

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