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第四章 二人の日常3
図書館司書とブチ猫 後編
しおりを挟むキースはその日、アニエスのパン屋の厨房でパン作りの手伝いをしていた。
アニエスに教わりながら、初めて一匹で胡桃の入ったパンを作り、焼き上げる。
上手にできたわね、とアニエスは言ってくれた。
キースは嬉しくて、嬉しくて。
このパンを、誰かに。
いや、あの人に食べてもらいたいと思った。
キースはアニエスにお願いして、このパンをある人にプレゼントしても良いですか? と問うた。
アニエスは、使い魔猫一食いしん坊なこのキースが、自分で食べるのではなく「誰か」にプレゼントしたいのだと言ったことに驚きながらも、優しく微笑んで頷いた。
「もちろんよ、キース。喜んでもらえるといいわね」
「にゃ!」
そしてキースはその日の仕事を終えると。
夕食はとっておくからと言ってくれたアニエスに頭を下げて。
胡桃パンの入った紙袋を手に、駈け出した。
あの、図書館へ。
図書館の入口にはすでに閉館のプレートが掛っていたが、館内にはまだ灯りがついていた。
司書のアリスは、まだ中にいるのだ。
キースは、そういえば、と。
少年の姿の自分を、見る。
おかしいところは、ないだろうかと。
キースは慌てて、自分の髪の毛を撫でつけた。
そして服の埃をぱたぱたと払い、最後に猫耳と猫しっぽを撫でつけて身綺麗にしてから、窓をこんこんと叩く。
「アリスさ…」
カーテンの隙間越しに、椅子に座っているアリスの姿が見える。
だが、彼女は。
「アリスさんっ!!」
泣いて、いた。
手に何か紙のようなものを握り締め、嗚咽を堪えるように俯き、その細い体を抱きしめながら。
泣いて、いたのだ。
キースは血相を変えて、窓に手を掛けた。
窓には鍵が掛っておらず、勢いのままに内側に開く。
そうして飛び込んできた少年の姿に、アリスは驚き、
「…キース、くん…?」
ぽつりと。
呟くように、その名を呼んだ。
手紙が、きた。
王都に居る妹から。それは…、
メアリーとエリオットの、結婚式を知らせる手紙で。
『姉さんも参列してね。愛する妹より』
という言葉で締めくくられていた。
閉館後の図書館で。
届いたばかりのその手紙を読んでいたアリスは、その最後の言葉に。
戦慄し、そして。
「どう…して…」
涙が、止まらなかった。
どうしてこんな風に言えるの!?
愛していた妹と、愛していた男の裏切りを。
どうして。
どうして、祝福なんてできようか。
妹は本気で言っているのか。自分を愛していると。
自分に愛されていると。
それが本当なら、妹は狂っているに違いない。
でなければどうして、こんなことができる!?
それとも自分は本当はこれほどまでに、妹に…。
憎まれて、いたのか。
(わからない。私にはあの子のことがわからない)
どうして放っておいてくれないの。
なんのために、自分がこんな遠くに来たと思っているの。
結婚なんて、好きにすればいい。
もう二度と、関わらないで。
自分から、遠い所で。
勝手に、幸せにでも何でもなってくれればいい。
(知らない、知らないわ! 私にはもう関係ないの。放っておいて。もう、二度と…)
私の心を、掻き乱さないで!!
アリスは心の中でそう叫んだ。
ぐしゃりと、手に持っていた手紙が潰れる。
だがそんなことはかまわなかった。
そんな時だ。
「アリスさんっ!!」
この島に越してきてから、唯一。
閉ざしていた心にそっと寄り添い、慰めてくれた猫の声が。
響いた、のは。
向かい合う、図書館のテーブル越しに一人と一匹。
椅子に座ったアリスは、「ごめんね」と。
心配げに自分を見るブチ猫の少年に、言った。
「みっともなく泣いちゃって…」
指で涙の後を拭う。
キースはふるふると、首を横に振った。
「どこか、痛いのですか…?」
「ううん。大丈夫…。本当にもう、大丈夫なの」
ただ…と。
「一番傍に居たはずの人の気持ちがわからなくて、どうしようもなくて…」
「…………」
ああ、自分はどうして。
こんなことを、この猫さんに話しているのだろう。
「もう誰も、信じられないと思ったら」
涙が、溢れて止まらなかったの、と。
アリスは言って、俯いた。
瞳からまた、涙が溢れそうで。
良い大人なのに、と。
自分が情けなく、悲しくなった。
「………誰、も?」
それは、と。
キースは悲しげに耳をしょんぼりさせ、小声で問う。
「オ、オレのことも…?」
「え…?」
問われ、アリスはきょとんと目を瞬かせた。
この、ブチ猫の少年のことを…?
「オレ、アリスさんのために、なにも、できないかもしれないけど」
「キース君…」
「オレ、アリスさんにひどいこと、しないにゃ。アリスさんを泣かせたり、しないにゃ。オレだけじゃ、にゃい。この島のひと、みんな優しいにゃ。誰も、アリスさんいじめたりしない! だから…」
誰も信じられないなんて、そんな悲しいこと。
言わないで…。
「アリスさんに、なにがあったかわからない。でも、アリスさんが辛そうなの、わかる。寂しそうなの、わかるよ、オレ」
人を信じないって。
信じ、られないって。
言う彼女の顔が寂しそうなのは、悲しそうなのは。
本当は人を信じたいって。
愛したいって、思っているから。
「…………」
「アリスさん、一人じゃない。寂しく、ないよ。オレ、オレが…」
寂しい時は、いつだって。
一緒に、いるから。
アリスさんを泣かせる奴、いじめる奴。
オレが、ぶっとばしてやるから、と。
そう言って、ブチ猫の少年は目を潤ませると。
泣きながら、持っていた紙袋を差し出した。
「…これ。オレが作ったのにゃ。アリスさんに、食べてほしくて…」
「キース君…」
「お、お腹が減ってると、悲しくなるのにゃ。でも、美味しい物食べると」
また、元気になれるのにゃ、と言って。
キースは泣きながら、微笑んだ。
「………」
アリスはそっと、その紙袋を受け取る。
中には、花に似た形のパンが二つ。
取り出して、口に近付ける。
甘いパンと香ばしい胡桃の香りが鼻腔を抜けていって、食欲を誘う。
ぱくり、と。口に含めば。
素朴な甘さと、胡桃の食感がとても美味しくて。
ぱくり、ぱくりと。
アリスは泣きながら、無言でパンを食べた。
「……本当ね」
「アリスさん…?」
美味しい物を食べると、と。
彼女は微笑む。
「…元気に、なれる気がするわ…」
優しい猫さん。
あなたがいる、この島でなら。
私はまた、人を。
誰かを、信じられるように。
誰かを、愛せるように。
なれる、気がするわ。
「ありがとう。キース君」
アリスはそっと、目の前の少年を抱きしめる。
キースはその温もりに抱かれながら、ゆっくりと目を細めてごろごろと喉を鳴らした。
「アリスさん…」
いつも優しく声を掛けてくれて。
いつも美味しいお菓子を差し入れてくれる人。
優しくて、でもどこか寂しげだった人。
ああ、どうか。この人が。
幸せに、なれますように。
************************************************
辛い恋をして、逃げるように島へやってきた図書館司書と。
使い魔猫の、お話でした。
キースとの交流をきっかけに、徐々に傷を癒していくアリス。
人気投票にて「猫ちゃんたちは恋をしたりしないんでしょうか?」とコメントをいただきましたが、これで答えになれたでしょうか?
もちろん他の猫達も、誰かに恋をしたりします。いつか他の猫のお話も、書けたらいいなあと思います。
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