旦那様は魔法使い

なかゆんきなこ

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幼馴染は魔法使いの弟子

黄色い薔薇の物語編 5

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 アニエスの夢を見てから、サフィールは夜、あまり眠らなくなった。
 眠ってしまうと、またあの夢を見てしまいそうな気がした。
 見たくなくて、自慰もした。でも、どうしても頭にアニエスの姿が過って、やめた。
 朝方まで研究に没頭する。そうして何日も徹夜して力尽きるように眠れば、夢も見ずにいられる。
 夢の中で彼女を汚すくらいなら、自分の身体を壊した方がマシだと、サフィールは不健康な生活に身を置いていたのだ。
 
 それが過ちだったと、サフィールは後悔することになる。
 それでもそれが、この時少年にできる最善だったのだ。


 クラウドに忠告めいたことを言われた翌朝。
 この日も徹夜で研究していたサフィールは、紙面を追う視界が霞むのを目を擦ることで誤魔化そうとし、結局それが叶わなくて、諦めるようにごろんと後ろに倒れ込んだ。
 もう何日寝ていないだろう。
 身体が切に眠りを訴えている。
 深く深く、夢も見ないほどに眠れるだろうか。
 そう祈るような気持ちで、サフィールはそっと瞳を閉じた。
 もう寝台に向かうのも億劫だ。このままここで、眠ってしまおう。
 遠くに、人の足音が聞こえた気がした。
 でもサフィールの意識はもう眠りの淵に吸い込まれていった。
 
 夢の中で、アニエスの声を聞いた気がした。
 久しぶりに聞いた幼馴染の声は、どこか寂しそうで。
 サフィールは無性に、アニエスが恋しくなった。
 ごめん。アニエス。
 避けてごめん。今は君が大事だから、君と顔を合わせられない。
 もっと大人になって、この感情をコントロールできるようになったら。
 また、君の傍に行くから。
 君と一緒に、いるから。


 サフィールは丸一日を眠って過ごして、次の日の朝、クラウドに叩き起こされた。
「この馬鹿弟子!! とっとと起きろ!! 早く行かないと、間に合わないぞ!!」
「????」
 間に合わない? 一体何のことだろうと、眠気眼ねむけまなこでサフィールは師を見上げた。
「今日はアニエス達が島を発つ日だろう!!」
 島を発つ…?
 アニエスが…?
「……………」
 サフィールは師から告げられた言葉を理解できなかった。
 そんな弟子の様子に、クラウドは「まさか…」と眉を寄せた。
「お前、知らないのか…? アニエス達一家がこの島を離れることを…」
「……知ら…ない…」
「昨日、アニエスがお前に別れを告げに来ただろう!」
「きのう…」
 自分は、泥のように眠っていて。
 アニエスが訪ねてきていたなんて、知らなかった。
 気付かな…かった…。
「アニエス…は…」
 彼女は自分に、何を言いに来たんだろう。
 どんな別れの言葉を、告げようとしたんだろう。
「…アニエス達は王都で暮らすことになった。…本当に、知らないのか」
 クラウドは何となく、事情を察したようだった。
 この所、何日も徹夜しては螺子の途切れた人形のように深い眠りにつくという生活を送っていたサフィール。間の悪いことに、アニエスが訪れた時この弟子はちょうど眠りに落ちていたらしい。
 だから扉を壊していいと言ったのにと、クラウドは歯噛みする。
 アニエスは昨日、今にも泣きそうな顔で出て行った。
 きっと、別れを惜しんでいるのだろうと思ったが、彼女はサフィールに別れを告げることができなかったのだ。
「…この馬鹿が…」
 ちっと、舌打ちするクラウド。
 忠告した傍からこれだ。いや、自分ももっと早く口出しするべきだったのかもしれない。
 サフィールは、突然知ってしまった事実に茫然としている。
 それは昔よく見た、アニエスに置いて行かれた時の表情そのままだった。
「…とにかく、行きなさいサフィール。後悔する前に」
 行って、クラウドはサフィールに箒を手渡す。
 サフィールはそれを受け取って、のろのろと箒に跨る。
 寝起きのせいもある。
 でも何より、突然の事態に頭が、身体が追い付いていないのだ。
 箒でふらふらと飛んで、サフィールは港へ向かった。
 大陸へ向かう船。アニエス達が乗るという船は、とっくに出航してしまっていた。
 そのまま追おうとするサフィールを、港の人達が必死になって止める。
 青い顔でふらふらと箒に乗るサフィールがこのまま海へ出て、落ちでもしたら大変だと。
 結局、サフィールは間に合わなかったのだ。
 逃げて、避けて、ためらっている内に。
 失ってしまった。
 師匠の言葉が、今になって身に沁みる。
 失ってから後悔しても、遅いのだと。
 自分はどうすれば良かったのだろう。
 君を女として見ている。抱きたいと思っていると、そう幼馴染に告げていれば良かったのか。まだ十五の、少女に。
 それとも自分の劣情を隠して、隠して。
 何事も無かったかのように振る舞えていたら、良かったのか。
 昨日、アニエスは何を言おうとしたのだろう。
 今まで自分を避け続けたサフィールに、何を…。

「…馬鹿だ…俺は…本当に…」

 サフィールは呻くように、言葉を吐いた。
 自分を罵倒する、言葉を。



************************************************
サフィールは眠っていて、アニエスの言葉を聞いていなかったのです。
間の悪い二人。
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