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パロディ小話『落窪物語』アニエス&サフィール編
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こちらはWEB拍手にて公開しておりました、人気投票第一位の小話です。
キャスト→落窪姫:アニエス。右近の少将:サフィール。 四の君(落窪姫の弟)に仕える童達:使い魔猫達。
※原作の設定を変えたり、はしょったりしています。
********************************************
それは都が『平安京』と呼ばれていた時代のお話。
中納言である源忠頼には、今は亡き妻との間にそれはそれは美しい姫君がいた。
しかし北の方(正妻)の激しい妬みにあい、姫君は寝殿の隅にある、畳の落ち窪んだ部屋へと追いやられ、日々家の者の繕い物に追われる、とても貴族の姫君とは思えぬ生活を余儀なくされていた。
北の方や家の者達に「落窪姫」とまで呼ばれ、姫君は今日も一人、薄暗い部屋の中で針仕事に励む。
しかし当の姫君は、自分の境遇をさほど不幸とは思っていなかった。
北の方に辛く当られるのは悲しいが、この部屋での静かな暮らしは気に入っている。
針仕事は嫌いではないし、何より…。
「姫君様。ご機嫌はいかがですかにゃ~」
異母弟である四の君の所の童達が、いつもこうして様子を見に来てくれたり、なにくれと様々な物を差し入れてくれたりするのだ。
「今日は唐菓子を持ってきましたにゃ」
「美味しいですにゃ~」
「ありがとう、皆。一緒に頂きましょうね」
「「「「「「「にゃー!!」」」」」」
童達は、この落窪姫が大好きだった。
他の姉姫達のように驕った所の無い、心根の優しい姫君。
いつも温かく迎え入れてくれて、遊んでいて破いてしまった衣などをいつもささっと直してくれる。
童達は、いつでもこの優しい姫君の幸せを願っていた。
「姫様は、このままこの邸にいちゃいけないと思うにゃ…」
ある日の夜。
童の一人が、自分達の部屋で寝衣に包まりながらぽつり、と言った。
「このまま北の方様に苛められてるの、可哀そう…」
「姫様には幸せになってもらいたい…」
「誰か、姫様を幸せにできる人、いないかにゃあ…」
この時代、女である姫君が幸せになる道と言ったらやはり結婚だろう。
身分高く、見目よく。妻の実家に頼らずとも良いくらいの財産があり、姫君を大切にしてくれる貴公子。
そんな人との結婚が、姫君の幸せだと考えた童達。
「うーん…。あっ! そうにゃ!! 右近の少将なんて、どうにゃ?」
「右近の少将…?」
突然上がった名前に、他の童達が首を傾げる。
「前、お使いに行った先で会ったことがあるのにゃー」
「右近の少将といったら、確かに将来有望だが…」
身分は、悪くない。
「お顔も、とってもかっこいい人なのにゃー。ちょっと無口だけど」
見目も、悪くないらしい。
「それに、右近の少将は確か未来の右大臣との呼び声高い左大将の長男…」
血筋も財産も、申し分ない。
「あとは、右近の少将が姫君を大切にしてくれるかどうか…にゃ」
童達はその晩、遅くまで話し合った。
いかに、右近の少将と姫君を出会わせるか、を。
満月が美しい夜。
右近の少将は一人、人目を忍んで中納言邸を訪ねた。
今日、かつて一度だけ面識のあった童から、「中納言様の家に『落窪姫』と呼ばれる絶世の美姫がいる。けれど北の方に虐げられ、とてもお寂しい暮らしをなさっていて哀れだ。どうか、姫君を助けてほしい」と懇願されたのだ。
「…美しい姫君ねぇ…」
右近の少将は、その肩書きと容貌からすこぶるモテた。
しかし、今までどんなに美しい姫や女房を前にしても、興味がわかなかった。
それでも、今夜その『落窪姫』とやらの所へ忍んでみようかと思えたのは……
「………」
あの童の、必死な様相。
自分の直接の主人でもない姫君のために、他家にもぐり込んでまで直談判する心意気に絆されたのだ。
そして…、
「あの童にそうまでさせる、『落窪姫』…」
童が必死になって「助けてほしい」と懇願する落窪姫に、興味がわいた。
邸へ忍びこむと、待っていたらしい童が息を潜めて右近の少将を落窪姫のいる部屋へと案内した。
「姫君は何も知らないのですにゃ…。どうか…」
「わかってる。乱暴なことはしないよ」
顔を見にはきたが、そもそも童達が望むように姫を妻にするかはわからないのだ。
童の持っている灯りを受け取って、右近の少将は頷いた。
童は少し不安そうにしながらも、「俺は近くに控えていますにゃ」と言って、少将を送り出す。
わずかな灯りに照らされる小さな室内。
覗き見れば、一人の女性がちくちくと針を動かしているようだった。
後ろ姿しか見えないが、長く伸ばされた漆黒の髪が大層美しい。
これは、「絶世の美姫」と言うのはあながち嘘ではなかったかと、少将は独りごちる。
「…こんばんは、姫君」
「っ!?」
少将は御簾を手で開くと、そう声を掛けて中に入った。
突然のことに、姫君の華奢な肩がびくっと震える。
「…どっ、どなたです!?」
誰かの部屋とお間違いでは!? と、姫君は扇で顔を隠し後ずさる。
しかし少将は、「いいえ、貴方に会いに来たのです」と言って、その手を取った。
「美しい姫君…。どうか隠さず、その顔を俺に見せて下さい…」
「いやっ。離して、はなし…」
しかし姫君の抵抗むなしく、扇はあっというまに取られてしまう。
そして…、
「…………………」
わずかな灯りの下で間近に見た、姫君の顔。
その、雪のように白い肌。
大きく潤んだ漆黒の瞳に、右近の少将は言葉も無く、ただ見惚れる。
「…あなたは誰? どうしてこんなひどいことをなさるの?」
「…俺は右近の少将。姫君、どうか…」
どうか、俺の妻になって欲しい…。
右近の少将は囁いて、そっと落窪姫の手に口付けをした。
「……右近の少将様……」
翌日の朝。
落窪姫は名残惜しげに去っていった右近の少将を見送って、その名を呟く。
なんだろう…。この胸の高鳴りは。
突然の夜這いに怯える自分に、少将は根気よく愛を囁いた。
そして、とても…。
思い出し、落窪姫の頬が赤く染まる。
とても、優しくしてくれたのだ…。
いつしか落窪姫も、右近の少将を恋慕うようになった。
そして、その訪れを今か今かと待ち望むように、なった。
「た、大変にゃ!!」
ある日の事。
北の方の所へお使いに言っていた童の一人が、仲間達の所に慌てて駆けつける。
「どうしたのにゃ?」
最近、童達は幸せ気分いっぱいだった。
なにせ、自分達の目論見通りに右近の少将は落窪姫の所に通うようになり、(しかも今まで以上に他の女には見向きもしない溺愛ぶりで)落窪姫がとても幸せそうなのだから。
あとは時期を見て、右近の少将の家に落窪姫を迎え入れてもらえば大丈夫。
きっと、大切に愛されるだろうと思っていたのだ。
「北の方様が、右近の少将のことに気付いちゃったのにゃ!」
「ええ!?」
「いや、正確には右近の少将だってはバレてないんにゃけど…、「姫様が男を通わせてる」って、カンカンで…」
「ええええー!!??」
「それで北の方様、「良い所の男に攫われでもしたら…」って、自分の叔父さんを姫様の婿にしようとしてるのにゃ!!」
「はあ!? 叔父さんって、あの歳のいった好色ジジイ!?」
「そうなのにゃー!! ぜったい、ぜったい駄目にゃー!!」
あろうことか北の方は、落窪姫に良い婿がつくことが許せず、自分の叔父である典薬の助を宛がおうとしているらしい。 典薬の助と言ったら、良い歳をしているくせにうだつがあがらず、姪である北の方の世話になってこの邸の居候になっている男だ。
いつも何かにつけ、美しい落窪姫を狙っていた好色ジジイが、姫君の婿!?
「今夜にでも姫君の所に夜這いに行くって!! どうしよう!!」
「馬鹿!! すぐに右近の少将のところに報せに行くにゃ!!」
姫君は今宵もわずかな燈台の灯りの下で針仕事をしながら、右近の少将の訪れを待っていた。
あの方は毎日、ここへ来てくれる。
いつも「姫のために…」と摘んで来てくれた花を手土産に。
「右近の少将様…」
口数は少ない彼が、閨ではたくさんの愛を囁いてくれる。
落窪姫は毎夜その言葉に、すっかり夢見心地になってしまうのだ。
「…駄目ね、私ったら…」
あの方は私を愛してくれて、私もあの方を愛しているけれど…
「……………」
自分は北の方に疎まれ、父にも見捨てられた落窪姫。
あの方のためにしてやれることなんて、何も無い。
あの方の出世のために力になれる後見のいない自分が、いつまでもあの方の隣にいられるわけがない。
「わかっている…。わかっているわ…」
それでも、今だけは…。
今だけは、あの方の愛に包まれていたい。
愛を知って、自分は『幸福』を知った。
幸福を知って、自分はそれを失う『恐れ』を知った。
愛を知らずにいれば、きっと自分は今も心穏やかに過ごせていたろうに…。
落窪姫はそっと目を瞑って、右近の少将のために縫い上げた衣をぎゅっと抱きしめた。
「…今宵はいらっしゃらないのかしら…」
いつも少将が忍んで来る刻限になっても、彼は現れなかった。
落窪姫は少しの不安を感じつつ、灯りをともしたまま彼の訪れを待った。
やがて…、
「少将様?」
御簾の開けられる音がして、落窪姫がぱっと顔を上げると。
「っ!!」
「こんばんは、姫君」
しゃがれた声で、どこか薄汚れた姿の老人が、落窪姫ににいっと笑いかける。
絶句する落窪姫に、老人はさらに言った。
「わしは典薬の助。この邸の北の方の叔父に当たる者。そして今宵から、姫の夫じゃ」
「……わた…しの…」
「そうじゃ。可哀そうな落窪姫。かように汚い部屋に住まわされ、世間から忘れられた美しい姫よ。わしが、そなたの婿になってやろう…」
婿も通わせず独り朽ちていくのは淋しかろう、と典薬の助は言う。
そうだ…。自分はきっと、右近の少将と出会わなければ。
こうしてこの部屋で、世間から忘れ去られていくだけの身の上だった。
でも…。
「…………い、いや……」
「おお、おお。なんと美しい。どぉれ、たっぷり可愛がって…」
にやりにやりと笑いながら、ゆっくりと近付いて来る典薬の助。
落窪姫は逃げなくては、と思いながらも、体が震えて動けずにいる。
「それ以上姫に近付くな、下郎が」
その時、姫の耳に救いの声が響いた。
「ひいっ!!」
抜き身の太刀を持つ右近の少将が、典薬の助の後ろに立っていたのだ。
「姫君は俺の妻だ。それ以上姫に触れようとしたら…」
隠しきれぬ怒気を纏う右近の少将は、太刀をさらに首筋に当てる。
「ばっ、馬鹿な!! わしが夜這うはこの邸の北の方の意向ぞ!!」
姫の婿はわしじゃ!! とさらに言いわめく典薬の助に、右近の少将は、
「北の方? だからなに? ああ、それ以上…」
喋らないでくれる? 耳障りだから。
そう、低い声で言って、右近の少将は太刀の柄で典薬の助の鳩尾を殴りつけた。
「ぐえっ」
まるで蛙のようなうめき声を上げて、典薬の助はその場に倒れる。
「…間に合ってよかった」
太刀を鞘に戻し、右近の少将は震える落窪姫に手を差し出す。
「もうこんな所に君を置いていけない。姫君、どうか俺と…」
しかし落窪姫は、ふるふると首を横に振った。
「いいえ。いいえ少将様…。私では…」
「姫…?」
「私のような女は、少将様には相応しくありません」
言いながら、落窪姫の瞳から涙が零れる。
こんな、こんな落ち窪んだ部屋に住まわされ。
下女のように扱き使われ、このような老人に夜這いされそうになった自分…。
なんの後ろ盾も無い自分が、今をときめく右近の少将にふさわしいはずがない。
「…少将様にお通いいただけた日々、まるで夢のようでございました…」
自分は、この貴公子にはふさわしくない。
自分は、『落窪姫』だから…。
だから、もう終わり。
これ以上幸せに浸って、戻れなくなる前に別れを告げなければ。
「……ありがとうございます、少将様…」
さめざめと泣く落窪姫に、右近の少将は、
「………許さない」
そう小さく呟いて、無理やりその体を抱き上げた。
「っ!? 何をっ」
「どうしてそんなことを言うの?」
「っ…、私では、あなたのお力になれません。私のような女は…っ」
「俺の事、嫌いになった?」
「いいえ、いいえ!!」
「なら…」
俺から、離れようとしないで。
右近の少将はぎゅうっと、落窪姫を抱きしめる。
「報せを聞いて、姫があの男に何かされたらって、気が気じゃなかった。俺は君を離したくない。…姫、どうか、俺の事を少しでも想ってくれているなら」
「少将様…」
「このまま、俺に攫われてください」
「…っ、私…、私は…っ」
「俺は姫の家の力を当てになんてしてない。出世も、本当はしたくないし。でも、姫のためならいくらだって頑張る。自分の力で出世して、姫を幸せにする。俺の家に迎えて、もちろん他の女人はいらない。姫がいてくれるなら、それだけでいい…」
「少将様…」
「ねえ、姫。良いって言って。妻になるって。あの時、俺を受け入れてくれたように…」
「………はい」
姫は涙でぼろぼろになった顔で、こくんと頷いた。
右近の少将は、そんな姫が愛しくて、愛しくてならなかった。
そうして落窪姫は、ある夜に右近の少将に攫われていったのです。
右近の少将は姫を自分の邸の北の方に住まわせ、それはそれは大切に大切に慈しみました。
この時代には珍しく、姫以外を妻に迎えず通いもしなかった右近の少将は、自力で出世しました。
その一方で、姫に辛く当った北の方に復讐なんかもしちゃったりして、幸せに幸せに暮らしましたとさ。
おしまい。
キャスト→落窪姫:アニエス。右近の少将:サフィール。 四の君(落窪姫の弟)に仕える童達:使い魔猫達。
※原作の設定を変えたり、はしょったりしています。
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それは都が『平安京』と呼ばれていた時代のお話。
中納言である源忠頼には、今は亡き妻との間にそれはそれは美しい姫君がいた。
しかし北の方(正妻)の激しい妬みにあい、姫君は寝殿の隅にある、畳の落ち窪んだ部屋へと追いやられ、日々家の者の繕い物に追われる、とても貴族の姫君とは思えぬ生活を余儀なくされていた。
北の方や家の者達に「落窪姫」とまで呼ばれ、姫君は今日も一人、薄暗い部屋の中で針仕事に励む。
しかし当の姫君は、自分の境遇をさほど不幸とは思っていなかった。
北の方に辛く当られるのは悲しいが、この部屋での静かな暮らしは気に入っている。
針仕事は嫌いではないし、何より…。
「姫君様。ご機嫌はいかがですかにゃ~」
異母弟である四の君の所の童達が、いつもこうして様子を見に来てくれたり、なにくれと様々な物を差し入れてくれたりするのだ。
「今日は唐菓子を持ってきましたにゃ」
「美味しいですにゃ~」
「ありがとう、皆。一緒に頂きましょうね」
「「「「「「「にゃー!!」」」」」」
童達は、この落窪姫が大好きだった。
他の姉姫達のように驕った所の無い、心根の優しい姫君。
いつも温かく迎え入れてくれて、遊んでいて破いてしまった衣などをいつもささっと直してくれる。
童達は、いつでもこの優しい姫君の幸せを願っていた。
「姫様は、このままこの邸にいちゃいけないと思うにゃ…」
ある日の夜。
童の一人が、自分達の部屋で寝衣に包まりながらぽつり、と言った。
「このまま北の方様に苛められてるの、可哀そう…」
「姫様には幸せになってもらいたい…」
「誰か、姫様を幸せにできる人、いないかにゃあ…」
この時代、女である姫君が幸せになる道と言ったらやはり結婚だろう。
身分高く、見目よく。妻の実家に頼らずとも良いくらいの財産があり、姫君を大切にしてくれる貴公子。
そんな人との結婚が、姫君の幸せだと考えた童達。
「うーん…。あっ! そうにゃ!! 右近の少将なんて、どうにゃ?」
「右近の少将…?」
突然上がった名前に、他の童達が首を傾げる。
「前、お使いに行った先で会ったことがあるのにゃー」
「右近の少将といったら、確かに将来有望だが…」
身分は、悪くない。
「お顔も、とってもかっこいい人なのにゃー。ちょっと無口だけど」
見目も、悪くないらしい。
「それに、右近の少将は確か未来の右大臣との呼び声高い左大将の長男…」
血筋も財産も、申し分ない。
「あとは、右近の少将が姫君を大切にしてくれるかどうか…にゃ」
童達はその晩、遅くまで話し合った。
いかに、右近の少将と姫君を出会わせるか、を。
満月が美しい夜。
右近の少将は一人、人目を忍んで中納言邸を訪ねた。
今日、かつて一度だけ面識のあった童から、「中納言様の家に『落窪姫』と呼ばれる絶世の美姫がいる。けれど北の方に虐げられ、とてもお寂しい暮らしをなさっていて哀れだ。どうか、姫君を助けてほしい」と懇願されたのだ。
「…美しい姫君ねぇ…」
右近の少将は、その肩書きと容貌からすこぶるモテた。
しかし、今までどんなに美しい姫や女房を前にしても、興味がわかなかった。
それでも、今夜その『落窪姫』とやらの所へ忍んでみようかと思えたのは……
「………」
あの童の、必死な様相。
自分の直接の主人でもない姫君のために、他家にもぐり込んでまで直談判する心意気に絆されたのだ。
そして…、
「あの童にそうまでさせる、『落窪姫』…」
童が必死になって「助けてほしい」と懇願する落窪姫に、興味がわいた。
邸へ忍びこむと、待っていたらしい童が息を潜めて右近の少将を落窪姫のいる部屋へと案内した。
「姫君は何も知らないのですにゃ…。どうか…」
「わかってる。乱暴なことはしないよ」
顔を見にはきたが、そもそも童達が望むように姫を妻にするかはわからないのだ。
童の持っている灯りを受け取って、右近の少将は頷いた。
童は少し不安そうにしながらも、「俺は近くに控えていますにゃ」と言って、少将を送り出す。
わずかな灯りに照らされる小さな室内。
覗き見れば、一人の女性がちくちくと針を動かしているようだった。
後ろ姿しか見えないが、長く伸ばされた漆黒の髪が大層美しい。
これは、「絶世の美姫」と言うのはあながち嘘ではなかったかと、少将は独りごちる。
「…こんばんは、姫君」
「っ!?」
少将は御簾を手で開くと、そう声を掛けて中に入った。
突然のことに、姫君の華奢な肩がびくっと震える。
「…どっ、どなたです!?」
誰かの部屋とお間違いでは!? と、姫君は扇で顔を隠し後ずさる。
しかし少将は、「いいえ、貴方に会いに来たのです」と言って、その手を取った。
「美しい姫君…。どうか隠さず、その顔を俺に見せて下さい…」
「いやっ。離して、はなし…」
しかし姫君の抵抗むなしく、扇はあっというまに取られてしまう。
そして…、
「…………………」
わずかな灯りの下で間近に見た、姫君の顔。
その、雪のように白い肌。
大きく潤んだ漆黒の瞳に、右近の少将は言葉も無く、ただ見惚れる。
「…あなたは誰? どうしてこんなひどいことをなさるの?」
「…俺は右近の少将。姫君、どうか…」
どうか、俺の妻になって欲しい…。
右近の少将は囁いて、そっと落窪姫の手に口付けをした。
「……右近の少将様……」
翌日の朝。
落窪姫は名残惜しげに去っていった右近の少将を見送って、その名を呟く。
なんだろう…。この胸の高鳴りは。
突然の夜這いに怯える自分に、少将は根気よく愛を囁いた。
そして、とても…。
思い出し、落窪姫の頬が赤く染まる。
とても、優しくしてくれたのだ…。
いつしか落窪姫も、右近の少将を恋慕うようになった。
そして、その訪れを今か今かと待ち望むように、なった。
「た、大変にゃ!!」
ある日の事。
北の方の所へお使いに言っていた童の一人が、仲間達の所に慌てて駆けつける。
「どうしたのにゃ?」
最近、童達は幸せ気分いっぱいだった。
なにせ、自分達の目論見通りに右近の少将は落窪姫の所に通うようになり、(しかも今まで以上に他の女には見向きもしない溺愛ぶりで)落窪姫がとても幸せそうなのだから。
あとは時期を見て、右近の少将の家に落窪姫を迎え入れてもらえば大丈夫。
きっと、大切に愛されるだろうと思っていたのだ。
「北の方様が、右近の少将のことに気付いちゃったのにゃ!」
「ええ!?」
「いや、正確には右近の少将だってはバレてないんにゃけど…、「姫様が男を通わせてる」って、カンカンで…」
「ええええー!!??」
「それで北の方様、「良い所の男に攫われでもしたら…」って、自分の叔父さんを姫様の婿にしようとしてるのにゃ!!」
「はあ!? 叔父さんって、あの歳のいった好色ジジイ!?」
「そうなのにゃー!! ぜったい、ぜったい駄目にゃー!!」
あろうことか北の方は、落窪姫に良い婿がつくことが許せず、自分の叔父である典薬の助を宛がおうとしているらしい。 典薬の助と言ったら、良い歳をしているくせにうだつがあがらず、姪である北の方の世話になってこの邸の居候になっている男だ。
いつも何かにつけ、美しい落窪姫を狙っていた好色ジジイが、姫君の婿!?
「今夜にでも姫君の所に夜這いに行くって!! どうしよう!!」
「馬鹿!! すぐに右近の少将のところに報せに行くにゃ!!」
姫君は今宵もわずかな燈台の灯りの下で針仕事をしながら、右近の少将の訪れを待っていた。
あの方は毎日、ここへ来てくれる。
いつも「姫のために…」と摘んで来てくれた花を手土産に。
「右近の少将様…」
口数は少ない彼が、閨ではたくさんの愛を囁いてくれる。
落窪姫は毎夜その言葉に、すっかり夢見心地になってしまうのだ。
「…駄目ね、私ったら…」
あの方は私を愛してくれて、私もあの方を愛しているけれど…
「……………」
自分は北の方に疎まれ、父にも見捨てられた落窪姫。
あの方のためにしてやれることなんて、何も無い。
あの方の出世のために力になれる後見のいない自分が、いつまでもあの方の隣にいられるわけがない。
「わかっている…。わかっているわ…」
それでも、今だけは…。
今だけは、あの方の愛に包まれていたい。
愛を知って、自分は『幸福』を知った。
幸福を知って、自分はそれを失う『恐れ』を知った。
愛を知らずにいれば、きっと自分は今も心穏やかに過ごせていたろうに…。
落窪姫はそっと目を瞑って、右近の少将のために縫い上げた衣をぎゅっと抱きしめた。
「…今宵はいらっしゃらないのかしら…」
いつも少将が忍んで来る刻限になっても、彼は現れなかった。
落窪姫は少しの不安を感じつつ、灯りをともしたまま彼の訪れを待った。
やがて…、
「少将様?」
御簾の開けられる音がして、落窪姫がぱっと顔を上げると。
「っ!!」
「こんばんは、姫君」
しゃがれた声で、どこか薄汚れた姿の老人が、落窪姫ににいっと笑いかける。
絶句する落窪姫に、老人はさらに言った。
「わしは典薬の助。この邸の北の方の叔父に当たる者。そして今宵から、姫の夫じゃ」
「……わた…しの…」
「そうじゃ。可哀そうな落窪姫。かように汚い部屋に住まわされ、世間から忘れられた美しい姫よ。わしが、そなたの婿になってやろう…」
婿も通わせず独り朽ちていくのは淋しかろう、と典薬の助は言う。
そうだ…。自分はきっと、右近の少将と出会わなければ。
こうしてこの部屋で、世間から忘れ去られていくだけの身の上だった。
でも…。
「…………い、いや……」
「おお、おお。なんと美しい。どぉれ、たっぷり可愛がって…」
にやりにやりと笑いながら、ゆっくりと近付いて来る典薬の助。
落窪姫は逃げなくては、と思いながらも、体が震えて動けずにいる。
「それ以上姫に近付くな、下郎が」
その時、姫の耳に救いの声が響いた。
「ひいっ!!」
抜き身の太刀を持つ右近の少将が、典薬の助の後ろに立っていたのだ。
「姫君は俺の妻だ。それ以上姫に触れようとしたら…」
隠しきれぬ怒気を纏う右近の少将は、太刀をさらに首筋に当てる。
「ばっ、馬鹿な!! わしが夜這うはこの邸の北の方の意向ぞ!!」
姫の婿はわしじゃ!! とさらに言いわめく典薬の助に、右近の少将は、
「北の方? だからなに? ああ、それ以上…」
喋らないでくれる? 耳障りだから。
そう、低い声で言って、右近の少将は太刀の柄で典薬の助の鳩尾を殴りつけた。
「ぐえっ」
まるで蛙のようなうめき声を上げて、典薬の助はその場に倒れる。
「…間に合ってよかった」
太刀を鞘に戻し、右近の少将は震える落窪姫に手を差し出す。
「もうこんな所に君を置いていけない。姫君、どうか俺と…」
しかし落窪姫は、ふるふると首を横に振った。
「いいえ。いいえ少将様…。私では…」
「姫…?」
「私のような女は、少将様には相応しくありません」
言いながら、落窪姫の瞳から涙が零れる。
こんな、こんな落ち窪んだ部屋に住まわされ。
下女のように扱き使われ、このような老人に夜這いされそうになった自分…。
なんの後ろ盾も無い自分が、今をときめく右近の少将にふさわしいはずがない。
「…少将様にお通いいただけた日々、まるで夢のようでございました…」
自分は、この貴公子にはふさわしくない。
自分は、『落窪姫』だから…。
だから、もう終わり。
これ以上幸せに浸って、戻れなくなる前に別れを告げなければ。
「……ありがとうございます、少将様…」
さめざめと泣く落窪姫に、右近の少将は、
「………許さない」
そう小さく呟いて、無理やりその体を抱き上げた。
「っ!? 何をっ」
「どうしてそんなことを言うの?」
「っ…、私では、あなたのお力になれません。私のような女は…っ」
「俺の事、嫌いになった?」
「いいえ、いいえ!!」
「なら…」
俺から、離れようとしないで。
右近の少将はぎゅうっと、落窪姫を抱きしめる。
「報せを聞いて、姫があの男に何かされたらって、気が気じゃなかった。俺は君を離したくない。…姫、どうか、俺の事を少しでも想ってくれているなら」
「少将様…」
「このまま、俺に攫われてください」
「…っ、私…、私は…っ」
「俺は姫の家の力を当てになんてしてない。出世も、本当はしたくないし。でも、姫のためならいくらだって頑張る。自分の力で出世して、姫を幸せにする。俺の家に迎えて、もちろん他の女人はいらない。姫がいてくれるなら、それだけでいい…」
「少将様…」
「ねえ、姫。良いって言って。妻になるって。あの時、俺を受け入れてくれたように…」
「………はい」
姫は涙でぼろぼろになった顔で、こくんと頷いた。
右近の少将は、そんな姫が愛しくて、愛しくてならなかった。
そうして落窪姫は、ある夜に右近の少将に攫われていったのです。
右近の少将は姫を自分の邸の北の方に住まわせ、それはそれは大切に大切に慈しみました。
この時代には珍しく、姫以外を妻に迎えず通いもしなかった右近の少将は、自力で出世しました。
その一方で、姫に辛く当った北の方に復讐なんかもしちゃったりして、幸せに幸せに暮らしましたとさ。
おしまい。
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消防署で開かれたお祭りに連れて行った太陽。
太陽の存在を知った一人の消防士さんが・・・私に言った。
「俺は太陽がいてもいい。・・・太陽の『パパ』になる。」
「俺はひなたが好きだ。・・・絶対振り向かせるから覚悟しとけよ?」
※お話に出てくる内容は、全て想像の世界です。現実世界とは何ら関係ありません。
※感想やコメントは受け付けることができません。
メンタルが薄氷なもので・・・すみません。
言葉も足りませんが読んでいただけたら幸いです。
楽しんでいただけたら嬉しく思います。
お知らせ有り※※束縛上司!~溺愛体質の上司の深すぎる愛情~
ひなの琴莉
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2021/3/10
しおりを挟んでくださっている皆様へ。
こちらの作品はすごく昔に書いたのをリメイクして連載していたものです。
しかし、古い作品なので……時代背景と言うか……いろいろ突っ込みどころ満載で、修正しながら書いていたのですが、やはり難しかったです(汗)
楽しい作品に仕上げるのが厳しいと判断し、連載を中止させていただくことにしました。
申しわけありません。
新作を書いて更新していきたいと思っていますので、よろしくお願いします。
お詫びに過去に書いた原文のママ載せておきます。
修正していないのと、若かりし頃の作品のため、
甘めに見てくださいm(__)m
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