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第五章
王子様は永遠に 02
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薄暗い、そして、汚い。埃臭く、呼吸の度に体内が汚れていくようで嫌になる。
それが彼の目覚めた空間だった。廃墟である。
考える。自分の状況は決して悪くないはずだと。自分の勘はまだ正常だと。
コツンコツンと響く足音に捺樹は顔を上げる。小柄なシルエットが目の前に立つ。
「おはようございます、捺樹先輩」
明るい声、髪に触れてくる手を払い除けたいと思う。自分に触れるのは彼女では駄目だ。
けれど、できないのだ。椅子に座らされ、手首を縛られている。触れてみればネクタイだろう。抜き取られている。
そして、ここへ来てから、それほどの時間の経過はないはずだ。おはようと言うような時間ではない。捺樹は冷静だった。
「一年の石山美奈です」
聞いてもいないことを彼女は答える。
捺樹は何者かに手紙で呼び出され、自らの意思でこの廃墟へ赴いた。そこで背後から襲撃された。そうされてやったのだ。
「私、嬉しいです」
美奈が微笑む。捺樹は冷めた視線を送る。
「先輩が来てくれたってことは私のものになってくれるってことですよね? やっぱり、捺樹先輩は私の王子様なんですね」
彼女は笑う。無邪気に笑う。告白の返事を貰ったかのように。
彼女について捺樹が知ることはほとんどない。何度か告白されたことがあったかもしれないという程度のことだ。そういう女子は何人もいる。取り分け、自分は本気だと主張してきたような気もする。
ぼんやりと覚えているのは単にしつこく、滑稽だったからだ。それ以上の意味はない。彼女の想いは捺樹には不必要なものだった。だが、冷たい態度でファンを減らすのはモデルとして賢明なことではない。そう思っていた。
「大好きです。先輩」
頬に添えられる手から顔を背けて逃げることもしない。今は彼女の好きにさせておく。今だけだ、と心の中で呟いて。
「だから、死んでください。私のために」
ふふっ、と彼女が笑った。
こんな子ではなかったはずなのに、そう思えば脳裏をよぎる顔がある。
(まったく、やってくれるよ)
随分とつまらないことをしてくれるものだ。
「先輩、怖くないんですか?」
不思議そうに彼女は首を傾げる。怖いはずがない。怖れるならば別の存在だ。
「怖くないよ」
できる限り優しい声を出す。本当は今すぐにでも彼女を殺したいぐらいの気分だったが、彼女なんかのために手を汚すつもりもない。
「御来屋先輩にさっきメールを送っておきました。でも、電話しても出ないんです」
「だろうね」
当然だと捺樹は思う。彼女は微塵も心配していないだろう。
「だろうね、って……だって……」
戸惑ったのは美奈の方だった。彼女はクロエのことを全く理解していないと捺樹は思う。
捺樹は彼女を理解できない人間に自分を理解することは不可能だとさえ考えている。
「俺達の関係を何だと思ってるかは知らないけど、付き合うには至ってないし、これから先もそうはならないんだろうね。俺が一方的に言い寄ってるだけ。お前達が陰で言うような誘惑もされてない。ちなみに彼女、龍崎大翔とも付き合ってないよ。それも、絶対この先ありえないことだね」
不愉快だ、捺樹は心の中で憤慨する。
《スリーヤミーゴス》には様々な噂が付き纏うが、捺樹は中でも三人の関係について言及するものが大嫌いだった。誰もがクロエを誤解し、男女が一緒にいれば付き合っているのだと囁き合う。彼女もバンドをやっていたりモデルだったりすればまた違ったのだろうか。
けれど、誰もがモデルである捺樹に好意的というわけではない。男子からは嫉妬され、女子からは冷たい視線を送られることだってある。クロエに憧れる男子に『彼女が迷惑している』という旨の文句を言われたこともある。大翔のファンにお前は顔だけだと言われたこともある。
だが、ナルシストと思われようとどうだって構わなかった。
「それでも、先輩は今日、私の物になるんです。永遠に私だけの王子様」
美奈もまた勝手なことを言う。捺樹はほとんど聞き流して別のことを考えているのだが、お構いなしだ。
それが彼の目覚めた空間だった。廃墟である。
考える。自分の状況は決して悪くないはずだと。自分の勘はまだ正常だと。
コツンコツンと響く足音に捺樹は顔を上げる。小柄なシルエットが目の前に立つ。
「おはようございます、捺樹先輩」
明るい声、髪に触れてくる手を払い除けたいと思う。自分に触れるのは彼女では駄目だ。
けれど、できないのだ。椅子に座らされ、手首を縛られている。触れてみればネクタイだろう。抜き取られている。
そして、ここへ来てから、それほどの時間の経過はないはずだ。おはようと言うような時間ではない。捺樹は冷静だった。
「一年の石山美奈です」
聞いてもいないことを彼女は答える。
捺樹は何者かに手紙で呼び出され、自らの意思でこの廃墟へ赴いた。そこで背後から襲撃された。そうされてやったのだ。
「私、嬉しいです」
美奈が微笑む。捺樹は冷めた視線を送る。
「先輩が来てくれたってことは私のものになってくれるってことですよね? やっぱり、捺樹先輩は私の王子様なんですね」
彼女は笑う。無邪気に笑う。告白の返事を貰ったかのように。
彼女について捺樹が知ることはほとんどない。何度か告白されたことがあったかもしれないという程度のことだ。そういう女子は何人もいる。取り分け、自分は本気だと主張してきたような気もする。
ぼんやりと覚えているのは単にしつこく、滑稽だったからだ。それ以上の意味はない。彼女の想いは捺樹には不必要なものだった。だが、冷たい態度でファンを減らすのはモデルとして賢明なことではない。そう思っていた。
「大好きです。先輩」
頬に添えられる手から顔を背けて逃げることもしない。今は彼女の好きにさせておく。今だけだ、と心の中で呟いて。
「だから、死んでください。私のために」
ふふっ、と彼女が笑った。
こんな子ではなかったはずなのに、そう思えば脳裏をよぎる顔がある。
(まったく、やってくれるよ)
随分とつまらないことをしてくれるものだ。
「先輩、怖くないんですか?」
不思議そうに彼女は首を傾げる。怖いはずがない。怖れるならば別の存在だ。
「怖くないよ」
できる限り優しい声を出す。本当は今すぐにでも彼女を殺したいぐらいの気分だったが、彼女なんかのために手を汚すつもりもない。
「御来屋先輩にさっきメールを送っておきました。でも、電話しても出ないんです」
「だろうね」
当然だと捺樹は思う。彼女は微塵も心配していないだろう。
「だろうね、って……だって……」
戸惑ったのは美奈の方だった。彼女はクロエのことを全く理解していないと捺樹は思う。
捺樹は彼女を理解できない人間に自分を理解することは不可能だとさえ考えている。
「俺達の関係を何だと思ってるかは知らないけど、付き合うには至ってないし、これから先もそうはならないんだろうね。俺が一方的に言い寄ってるだけ。お前達が陰で言うような誘惑もされてない。ちなみに彼女、龍崎大翔とも付き合ってないよ。それも、絶対この先ありえないことだね」
不愉快だ、捺樹は心の中で憤慨する。
《スリーヤミーゴス》には様々な噂が付き纏うが、捺樹は中でも三人の関係について言及するものが大嫌いだった。誰もがクロエを誤解し、男女が一緒にいれば付き合っているのだと囁き合う。彼女もバンドをやっていたりモデルだったりすればまた違ったのだろうか。
けれど、誰もがモデルである捺樹に好意的というわけではない。男子からは嫉妬され、女子からは冷たい視線を送られることだってある。クロエに憧れる男子に『彼女が迷惑している』という旨の文句を言われたこともある。大翔のファンにお前は顔だけだと言われたこともある。
だが、ナルシストと思われようとどうだって構わなかった。
「それでも、先輩は今日、私の物になるんです。永遠に私だけの王子様」
美奈もまた勝手なことを言う。捺樹はほとんど聞き流して別のことを考えているのだが、お構いなしだ。
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