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第二章
永遠の花嫁 07
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――パキン!
小気味良い音がする。見れば大翔がマカダミアナッツの殻を専用のクラッカーを使って割ったところだった。
彼は妙なこだわりがある。好物のナッツは殻入りのもしか食べない。颯太は彼に見せられるまでチョコレートに入っているマカダミアナッツがあれほど堅く丸い玉のような殻に入っているものだとは知らなかった。
また彼はマカダミアナッツの玉を掌サイズの万力のような道具で締め上げていく。クロエに言わせれば拷問器具である。颯太もやらせてもらったことがあるが、割ることができなかった。
――カキン!
また殻にヒビが入り、更に締め付けると破片を散らして割れる。中身を彼が口に放り込む。
(ああ、そうか)
颯太は何もかもが無駄だと気付いた。
この男は今ここに生きている他人のことなどどうだっていいのだ。死んでしまったところで痛む心もないのだ。死して時を経てからやっと見向きする。過去に生きている人を解放する。
けれど、自殺を何よりも嫌う。自殺は美しいものではないというメッセージは彼が作る歌にも込められている。理由はわからない。過去に何かあったのだろうかとは思っても聞けるような仲ではない。彼にとっても話すような仲ではないだろう。おそらくクロエや捺樹も知らないだろう。
「宝生先輩と言えば……あの人、最近おかしくないですか?」
無駄だとわかっていながらも颯太は聞いてしまう。最早、独り言であっても構わない。そうでなければ不安に押し潰されてしまいそうだった。
「あいつは元々おかしい。天才の一言で片付ければそれまでだろうが」
「確かに、初めて会った瞬間、髪の毛ぐしゃぐしゃにされましたよ」
捺樹は初めからよくわからない人間だった。言葉を交わすよりも先に手が出てきた。
《スリーヤミーゴス》は全員例外なく曲者だ。
「でも、特にこの頃はがっついてるっていうか……生き急いでるっていうか、少し疲れが顔に出てる感じありません?」
「あいつの場合、死に急いでるって方が合ってる」
まさか、颯太は漏らす。毎日、絶えず、飽きることなくクロエに求愛している彼が死ぬだろうか。
その時、大翔は捺樹を止めるのだろうか。クロエはどうするのだろうか。
「刹那主義者なんだろ? あいつは」
捺樹は過去に囚われない。瞬間を生きる。彼に言わせれば大翔ほど愚かしい男はいないということになる。
その反対に大翔は捺樹という人間を理解できないのだろう。
「何か変な感じがするって言うか……こう言葉にできないんですけど……」
捺樹は何かを焦っているようだった。そして、クロエへの愛情が前よりも尋常でないものになってきているようでもある。
不意に大翔がクラッカーのハンドルを回す手を止めた。
それから黒光りする携帯電話を取り出す。画面を確認し、そっと耳に当てる。
「もしもし?」
警戒心の滲む声音で大翔が出る。
「……だから、何だ?」
何を話しているかは颯太にはわからないが、大翔はかなり怒っているようだ。その表情は滅多に見ないほど険しい。たとえ、捺樹が鬱陶しかろうと彼が激怒することはない。大抵は颯太に無言で指示を送ってくる。
「……俺は今の事件には全く興味がねぇ。捕まえてほしけりゃ、宝生に言え」
それはいつもの言い種だ。別段驚くことではないが、こういう時、彼がその名を出したことがあっただろうか。二人の探偵活動は公ではない。怒りでルールを忘れてしまったのだろうか。大翔らしくもない。
颯太はぐるぐると考える。向こうの声は聞こえるはずもないのに耳をそばだてる。
「今起きてる事件ってのはまだ迷宮の入り口に立ってるかどうかってなもんだ。んなもん、俺には何の刺激にもなりゃしねぇ」
大翔は深遠を望む。闇に閉ざされた世界をこじ開けたいからだ。彼の光は強い。ステージの上に立つ彼に感じた強烈な光は探偵としても発揮される。あるいは、闇がなければ彼は光らないのかもしれない。
「しかも、被害者があの女じゃあ迷宮入りになったって解決してやる気にもならねぇな。勃つもんも勃たねぇ。俺を不能にする気かって話だ。興奮しねぇんだよ。どうにでもしろ」
大翔の悪い癖が出た。颯太は密かに眉を顰める。これこそクロエが大翔を天才的な変態扱いする理由である。彼にとって事件は女、謎解きはセックスにも近い。好みでない女には見向きもしない。
「あの女……」
思わず颯太は呟いてしまった。きっと、クロエのことだ。そう確信する。
「そういうことだ。じゃあな」
それ以上、相手の言葉も聞かず、大翔は一方的に通話を切ってしまったようだ。無情にも画面を消して、しまわれる。
「龍崎先輩!」
颯太は叫んだ。彼は一体、何をしたのだろう。
今、クロエを見捨てたのではないか。
「何か変な声の奴が、御来屋を死なせたくなかったら……ん?」
大翔は首を傾げる。どうやら、この男は今聞いたばかりのことを忘れてしまったようだ。本当に過去以外のことでは彼の脳は仕事を放棄しがちだ。
「先生を誘拐したってことなんですよね?」
変な声というのは声を機械で変えているということだろうか。
彼女は連絡が付かず、『死なせたくなかったら』という言葉から導き出される答えは一つしかない。
「そんな感じだったかもな……どうでもいいだろ」
颯太の推理を誉めるわけでもなく、大翔はあくびをした。
「いいわけないですよ! 犯人は先輩に挑戦してきたんじゃないんですか?」
「だから、断ったんだ。俺はそんなの受けねぇ。こっちの方がおもしれぇ」
大翔はニヤッと笑い、ファイルを叩いて見せた。まるで本の続きを楽しみにしているようでもある。普段なら格好いいと思えただろうが、今は違う。不謹慎に思える。
「いくら何でもひどすぎます! け、警察、連絡しちゃって平気ですかね?」
颯太は握りしめていた携帯電話を確認する。先程から何度もかけていたが、クロエと捺樹のどちらからも着信はない。
「ほっとけ」
「人でなしぃぃぃぃぃっ!!」
絶叫である。うるさそうな顔をされても気にならなかった。
見ず知らずの人間に関する事件なら颯太にとっても非現実的なことであり、大翔が見放そうと仕方がないと思えた。けれども、クロエを見捨てるなどとは考えてもいなかった。何だかんだ言っても仲間を助けるのではないかと思っていたが、それは希望的観測にすぎなかったらしい。
「宝生に任せておけばいいだろう」
「いや、いや、やっぱり警察ですよ!」
「警察に連絡したら殺すとか言ってたような……いや、これはドラマの定番か?」
颯太の中で大翔の好感度が急降下していく。現在の事件に関しての推理はいつも的外れどころか、大事なところを見落としすぎて全く成り立たない。役に立たないのはわかっていたが、これではあんまりだ。
「とりあえず、落ち着け、コーヒー淹れてやるから」
「いりません!」
いつもは絶対に淹れてくれないというのに機嫌取りのつもりなのだろうか。だが、今はそんなものなど飲みたくない。
小気味良い音がする。見れば大翔がマカダミアナッツの殻を専用のクラッカーを使って割ったところだった。
彼は妙なこだわりがある。好物のナッツは殻入りのもしか食べない。颯太は彼に見せられるまでチョコレートに入っているマカダミアナッツがあれほど堅く丸い玉のような殻に入っているものだとは知らなかった。
また彼はマカダミアナッツの玉を掌サイズの万力のような道具で締め上げていく。クロエに言わせれば拷問器具である。颯太もやらせてもらったことがあるが、割ることができなかった。
――カキン!
また殻にヒビが入り、更に締め付けると破片を散らして割れる。中身を彼が口に放り込む。
(ああ、そうか)
颯太は何もかもが無駄だと気付いた。
この男は今ここに生きている他人のことなどどうだっていいのだ。死んでしまったところで痛む心もないのだ。死して時を経てからやっと見向きする。過去に生きている人を解放する。
けれど、自殺を何よりも嫌う。自殺は美しいものではないというメッセージは彼が作る歌にも込められている。理由はわからない。過去に何かあったのだろうかとは思っても聞けるような仲ではない。彼にとっても話すような仲ではないだろう。おそらくクロエや捺樹も知らないだろう。
「宝生先輩と言えば……あの人、最近おかしくないですか?」
無駄だとわかっていながらも颯太は聞いてしまう。最早、独り言であっても構わない。そうでなければ不安に押し潰されてしまいそうだった。
「あいつは元々おかしい。天才の一言で片付ければそれまでだろうが」
「確かに、初めて会った瞬間、髪の毛ぐしゃぐしゃにされましたよ」
捺樹は初めからよくわからない人間だった。言葉を交わすよりも先に手が出てきた。
《スリーヤミーゴス》は全員例外なく曲者だ。
「でも、特にこの頃はがっついてるっていうか……生き急いでるっていうか、少し疲れが顔に出てる感じありません?」
「あいつの場合、死に急いでるって方が合ってる」
まさか、颯太は漏らす。毎日、絶えず、飽きることなくクロエに求愛している彼が死ぬだろうか。
その時、大翔は捺樹を止めるのだろうか。クロエはどうするのだろうか。
「刹那主義者なんだろ? あいつは」
捺樹は過去に囚われない。瞬間を生きる。彼に言わせれば大翔ほど愚かしい男はいないということになる。
その反対に大翔は捺樹という人間を理解できないのだろう。
「何か変な感じがするって言うか……こう言葉にできないんですけど……」
捺樹は何かを焦っているようだった。そして、クロエへの愛情が前よりも尋常でないものになってきているようでもある。
不意に大翔がクラッカーのハンドルを回す手を止めた。
それから黒光りする携帯電話を取り出す。画面を確認し、そっと耳に当てる。
「もしもし?」
警戒心の滲む声音で大翔が出る。
「……だから、何だ?」
何を話しているかは颯太にはわからないが、大翔はかなり怒っているようだ。その表情は滅多に見ないほど険しい。たとえ、捺樹が鬱陶しかろうと彼が激怒することはない。大抵は颯太に無言で指示を送ってくる。
「……俺は今の事件には全く興味がねぇ。捕まえてほしけりゃ、宝生に言え」
それはいつもの言い種だ。別段驚くことではないが、こういう時、彼がその名を出したことがあっただろうか。二人の探偵活動は公ではない。怒りでルールを忘れてしまったのだろうか。大翔らしくもない。
颯太はぐるぐると考える。向こうの声は聞こえるはずもないのに耳をそばだてる。
「今起きてる事件ってのはまだ迷宮の入り口に立ってるかどうかってなもんだ。んなもん、俺には何の刺激にもなりゃしねぇ」
大翔は深遠を望む。闇に閉ざされた世界をこじ開けたいからだ。彼の光は強い。ステージの上に立つ彼に感じた強烈な光は探偵としても発揮される。あるいは、闇がなければ彼は光らないのかもしれない。
「しかも、被害者があの女じゃあ迷宮入りになったって解決してやる気にもならねぇな。勃つもんも勃たねぇ。俺を不能にする気かって話だ。興奮しねぇんだよ。どうにでもしろ」
大翔の悪い癖が出た。颯太は密かに眉を顰める。これこそクロエが大翔を天才的な変態扱いする理由である。彼にとって事件は女、謎解きはセックスにも近い。好みでない女には見向きもしない。
「あの女……」
思わず颯太は呟いてしまった。きっと、クロエのことだ。そう確信する。
「そういうことだ。じゃあな」
それ以上、相手の言葉も聞かず、大翔は一方的に通話を切ってしまったようだ。無情にも画面を消して、しまわれる。
「龍崎先輩!」
颯太は叫んだ。彼は一体、何をしたのだろう。
今、クロエを見捨てたのではないか。
「何か変な声の奴が、御来屋を死なせたくなかったら……ん?」
大翔は首を傾げる。どうやら、この男は今聞いたばかりのことを忘れてしまったようだ。本当に過去以外のことでは彼の脳は仕事を放棄しがちだ。
「先生を誘拐したってことなんですよね?」
変な声というのは声を機械で変えているということだろうか。
彼女は連絡が付かず、『死なせたくなかったら』という言葉から導き出される答えは一つしかない。
「そんな感じだったかもな……どうでもいいだろ」
颯太の推理を誉めるわけでもなく、大翔はあくびをした。
「いいわけないですよ! 犯人は先輩に挑戦してきたんじゃないんですか?」
「だから、断ったんだ。俺はそんなの受けねぇ。こっちの方がおもしれぇ」
大翔はニヤッと笑い、ファイルを叩いて見せた。まるで本の続きを楽しみにしているようでもある。普段なら格好いいと思えただろうが、今は違う。不謹慎に思える。
「いくら何でもひどすぎます! け、警察、連絡しちゃって平気ですかね?」
颯太は握りしめていた携帯電話を確認する。先程から何度もかけていたが、クロエと捺樹のどちらからも着信はない。
「ほっとけ」
「人でなしぃぃぃぃぃっ!!」
絶叫である。うるさそうな顔をされても気にならなかった。
見ず知らずの人間に関する事件なら颯太にとっても非現実的なことであり、大翔が見放そうと仕方がないと思えた。けれども、クロエを見捨てるなどとは考えてもいなかった。何だかんだ言っても仲間を助けるのではないかと思っていたが、それは希望的観測にすぎなかったらしい。
「宝生に任せておけばいいだろう」
「いや、いや、やっぱり警察ですよ!」
「警察に連絡したら殺すとか言ってたような……いや、これはドラマの定番か?」
颯太の中で大翔の好感度が急降下していく。現在の事件に関しての推理はいつも的外れどころか、大事なところを見落としすぎて全く成り立たない。役に立たないのはわかっていたが、これではあんまりだ。
「とりあえず、落ち着け、コーヒー淹れてやるから」
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