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第一章
犯研 02
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パタンという音がして、颯太が反射的に振り返れば大翔がファイルを閉じたところだった。脇腹がピキッと攣り、思わず小さく呻いたが、誰も心配はしてくれない。
「安心しろ、御来屋。てめぇは間違いなく天才的な変態だ。称賛に値するほどのな」
大翔の意志の強さの象徴でもある黒曜石のような瞳がやはり颯太を無視して真っ直ぐにクロエに向けられている。一体、どこから聞こえていたのだろうか。
『それはあなたのことでしょう?』
クロエは何も反論しなかったが、颯太にはそんな声が聞こえた気がした。
彼女はいつだって何かを言いたげにしているが、絶対に口にはしない。力関係というものがあり、クロエは自分が下だと思っている。
実際、成り立ちを思えば二人は対等とは言えないのかもしれないが、颯太には不思議でならなかった。
「ちなみにこれは俺なりの褒め言葉だ」
勘違いするな、と大翔が付け加えるが、意味のないことだ。どんな言葉を使っても二人の関係は覆らない。いつでもクロエは大翔に対して少し怯えている。まるで颯太が憧れていたはずの大翔に苦手意識を持つように。
「それで、せ……御来屋先輩の見解はどうなんですか? 龍崎先輩も聞かせてくれるとありがたいんですけど……」
気を取り直して颯太はもう一度聞いてみる。目の前のテーブルの上に乱雑に置かれた新聞や週刊誌の中から一番上にあった適当な物を広げて、指さす。
残りにも同じ事件に関する記事が並んでいる。最近、巷を騒がせる《妊婦連続殺人事件》だ。
「俺からは興味が沸かねぇ事件としか言えねぇが……」
そこまで言いかけて大翔は視線を動かした。それを追って颯太は早まったことをしてしまったと近頃暴走気味な己の好奇心を呪った。
今度は反対側に捻られた脇腹が攣ると同時に心臓まで引き攣ってしまったような気がした。
「何、勝手に、この俺を差し置いて始めようとしてんの? おちびちゃん。お前はいつから、そんなに偉くなったのかな? ん?」
入り口に立っているのは長身痩躯の男、端正な顔に不機嫌を露わにして颯太を睨みながら純白のトレンチコートをハンガーに掛ける。大翔とはまた違う派手さがある男子生徒だ。
アッシュブラウンに染めた髪は今日も綺麗にセットされ、クロエほどではないにしても白い肌は手入れが行き届いているようで、ニキビなど彼には無縁の話なのかもしれない。日焼けをしたことがあるのかも怪しいほどだ。
肌だけではなく、髪も指先も、きっと足の先に至るまで、全てにおいて気を抜いていないだろう。隙間から覗く耳にはピアス、開けた胸元ではネックレスを煌めかせ、自然な仕草で前髪を掻き上げる指もリングに彩られている。
大翔をワイルドと表現するなら彼はスタイリッシュである。アクセサリーの趣味も大振りな物を好む大翔に対して捺樹は繊細なものを身に着けている。
彼らはこの学園で最も有名なイケメンだと言える。大翔に《ドラグーン》のフロントマンという肩書きがあるように、もう一人――宝生捺樹はモデルだ。
つまり、学校一の天才美男美女が三人も一つの部屋に集まっているのだから、容姿も成績も何から何まで凡人である颯太には肩身の狭いものであり、羨ましがられても、実際は喜んで代わってほしいほどに息苦しくなっている。
三人が揃っていることも、そこに颯太がいることも大いなる謎であり、英明学園の新七不思議にも含まれているほどだ。否、新七不思議のほとんどが犯研絡みだと言っても過言ではない。
「す、すみません! 今日は来ないと思って……」
颯太は焦った。捺樹は怒らせると大変であり、特に流れるように紅茶の用意を始めた今はまずい。熱湯をかけられたことがあるわけではないのだが、彼ならばやりかねない空気がある。
クロエ同様、綺麗だからこそ冷たく、迫力があるものだ。彼女はまだいいが、捺樹は元々気分屋であり、理不尽なところが多々ある。特に颯太には一切の容赦をせず、それどころか『社会の厳しさを今から教えてあげてる』と言い張るのだ。彼もまた一つ年上なだけなのだが。
颯太は捺樹から名前を呼ばれたことはない。出会った時から『おちびちゃん』だ。百八十センチ近い彼からすればギリギリ百六十センチの颯太などちびで十分なのかもしれないが、名前を呼ばれないということは認められていないということのようだ。
単なる後輩いじめなのだが、どうにかできるわけでもない。
「クロエ、お菓子食べよっか? 今日はね、すっごく美味しいって評判のチョコを取り寄せたの」
捺樹は当然のようにクロエのすぐ隣に座った。大きめの二人掛けのソファーは痩せた二人が座っても余裕があるにも関わらずぴったりとくっついている。その手には小さな箱が乗り、綺麗なチョコレートが収まっていた。
「うわっ、それ、超有名店のじゃないですか! 俺でも聞いたことありますよ!」
一粒五百円もするような代物だ。テレビでも話題で入手が難しいというそれを彼はきっと軽々と手に入れるのだろう。冷静であれば、憧れるほど何もかもがスマートな男なのだ。
「お前にはこれで十分だよ」
「いたっ!」
余程颯太が物欲しそうに見えたのか捺樹はテーブルの上の籠に入った個別包装のチョコレートを投げ付けてくる。お徳用パックに入った安売りのチョコレートだが、颯太はこれが好きだった。
「ありがとうございます!」
捺樹はただ理不尽なのではなく、きちんと優しさも持ち合わせている。だから、女性にとてもモテる。男性ファンの方が多い大翔とは何から何までが対照的だ。
尤も、その優しさのほとんどはクロエに注がれてしまい、その他の人間に向けられるのはほんの一片だというのが残念な部分である。
しかし、二人は恋人同士というわけではない。捺樹はすっかりその気のように振る舞っているが、クロエは嫌がっている。それでも彼の機嫌を損ねると面倒だということをよくわかっているからこそ、ある程度は容認しているところがあり、大翔もわざわざ何かを言うのは面倒だと思っているようだ。
「安心しろ、御来屋。てめぇは間違いなく天才的な変態だ。称賛に値するほどのな」
大翔の意志の強さの象徴でもある黒曜石のような瞳がやはり颯太を無視して真っ直ぐにクロエに向けられている。一体、どこから聞こえていたのだろうか。
『それはあなたのことでしょう?』
クロエは何も反論しなかったが、颯太にはそんな声が聞こえた気がした。
彼女はいつだって何かを言いたげにしているが、絶対に口にはしない。力関係というものがあり、クロエは自分が下だと思っている。
実際、成り立ちを思えば二人は対等とは言えないのかもしれないが、颯太には不思議でならなかった。
「ちなみにこれは俺なりの褒め言葉だ」
勘違いするな、と大翔が付け加えるが、意味のないことだ。どんな言葉を使っても二人の関係は覆らない。いつでもクロエは大翔に対して少し怯えている。まるで颯太が憧れていたはずの大翔に苦手意識を持つように。
「それで、せ……御来屋先輩の見解はどうなんですか? 龍崎先輩も聞かせてくれるとありがたいんですけど……」
気を取り直して颯太はもう一度聞いてみる。目の前のテーブルの上に乱雑に置かれた新聞や週刊誌の中から一番上にあった適当な物を広げて、指さす。
残りにも同じ事件に関する記事が並んでいる。最近、巷を騒がせる《妊婦連続殺人事件》だ。
「俺からは興味が沸かねぇ事件としか言えねぇが……」
そこまで言いかけて大翔は視線を動かした。それを追って颯太は早まったことをしてしまったと近頃暴走気味な己の好奇心を呪った。
今度は反対側に捻られた脇腹が攣ると同時に心臓まで引き攣ってしまったような気がした。
「何、勝手に、この俺を差し置いて始めようとしてんの? おちびちゃん。お前はいつから、そんなに偉くなったのかな? ん?」
入り口に立っているのは長身痩躯の男、端正な顔に不機嫌を露わにして颯太を睨みながら純白のトレンチコートをハンガーに掛ける。大翔とはまた違う派手さがある男子生徒だ。
アッシュブラウンに染めた髪は今日も綺麗にセットされ、クロエほどではないにしても白い肌は手入れが行き届いているようで、ニキビなど彼には無縁の話なのかもしれない。日焼けをしたことがあるのかも怪しいほどだ。
肌だけではなく、髪も指先も、きっと足の先に至るまで、全てにおいて気を抜いていないだろう。隙間から覗く耳にはピアス、開けた胸元ではネックレスを煌めかせ、自然な仕草で前髪を掻き上げる指もリングに彩られている。
大翔をワイルドと表現するなら彼はスタイリッシュである。アクセサリーの趣味も大振りな物を好む大翔に対して捺樹は繊細なものを身に着けている。
彼らはこの学園で最も有名なイケメンだと言える。大翔に《ドラグーン》のフロントマンという肩書きがあるように、もう一人――宝生捺樹はモデルだ。
つまり、学校一の天才美男美女が三人も一つの部屋に集まっているのだから、容姿も成績も何から何まで凡人である颯太には肩身の狭いものであり、羨ましがられても、実際は喜んで代わってほしいほどに息苦しくなっている。
三人が揃っていることも、そこに颯太がいることも大いなる謎であり、英明学園の新七不思議にも含まれているほどだ。否、新七不思議のほとんどが犯研絡みだと言っても過言ではない。
「す、すみません! 今日は来ないと思って……」
颯太は焦った。捺樹は怒らせると大変であり、特に流れるように紅茶の用意を始めた今はまずい。熱湯をかけられたことがあるわけではないのだが、彼ならばやりかねない空気がある。
クロエ同様、綺麗だからこそ冷たく、迫力があるものだ。彼女はまだいいが、捺樹は元々気分屋であり、理不尽なところが多々ある。特に颯太には一切の容赦をせず、それどころか『社会の厳しさを今から教えてあげてる』と言い張るのだ。彼もまた一つ年上なだけなのだが。
颯太は捺樹から名前を呼ばれたことはない。出会った時から『おちびちゃん』だ。百八十センチ近い彼からすればギリギリ百六十センチの颯太などちびで十分なのかもしれないが、名前を呼ばれないということは認められていないということのようだ。
単なる後輩いじめなのだが、どうにかできるわけでもない。
「クロエ、お菓子食べよっか? 今日はね、すっごく美味しいって評判のチョコを取り寄せたの」
捺樹は当然のようにクロエのすぐ隣に座った。大きめの二人掛けのソファーは痩せた二人が座っても余裕があるにも関わらずぴったりとくっついている。その手には小さな箱が乗り、綺麗なチョコレートが収まっていた。
「うわっ、それ、超有名店のじゃないですか! 俺でも聞いたことありますよ!」
一粒五百円もするような代物だ。テレビでも話題で入手が難しいというそれを彼はきっと軽々と手に入れるのだろう。冷静であれば、憧れるほど何もかもがスマートな男なのだ。
「お前にはこれで十分だよ」
「いたっ!」
余程颯太が物欲しそうに見えたのか捺樹はテーブルの上の籠に入った個別包装のチョコレートを投げ付けてくる。お徳用パックに入った安売りのチョコレートだが、颯太はこれが好きだった。
「ありがとうございます!」
捺樹はただ理不尽なのではなく、きちんと優しさも持ち合わせている。だから、女性にとてもモテる。男性ファンの方が多い大翔とは何から何までが対照的だ。
尤も、その優しさのほとんどはクロエに注がれてしまい、その他の人間に向けられるのはほんの一片だというのが残念な部分である。
しかし、二人は恋人同士というわけではない。捺樹はすっかりその気のように振る舞っているが、クロエは嫌がっている。それでも彼の機嫌を損ねると面倒だということをよくわかっているからこそ、ある程度は容認しているところがあり、大翔もわざわざ何かを言うのは面倒だと思っているようだ。
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