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本編

生贄のささやかな願い-1

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 わかっていた。本当はわかっていた。わかりたくなかっただけだ。
 現実から目を逸らしても何も変わらない。胃の辺りを押さえても痛みは治まらない。
 けれど、もし、魔法があるならば、一度だけかかっていてほしかったと紗綾は思う。
 もし、神様がいるなら、ささやかな願いだけは叶えてほしかった。
 これから先、またずっと小さな不運が続くとしても。
 それでも、少しだけ、ほんの少しだけ許してほしかったのだ。
 自分の我が儘でしかないとわかっているとしても。


「置いてくなんてひどいじゃないっスか」
「圭斗君……」

 彼は慌てた様子で追ってきた。
 そうしてほしかったのか、ほしくなかったのか、紗綾にはわからない。

「俺は紗綾先輩にどこまでもついてくっつーか、一人でドMの人たち観察するドSな趣味はないっスから」

 彼は本当のことをわかっていないだけなのではないか。
 紗綾の中にそんな思いがあった。
 だから、圭斗からも逃げ出したのかもしれない。

「でも、私と関わらない方がいいんだよ?」

 生贄は部の伝統であり、近付いてきたのは彼の方だ。
 けれども、割り切れないところがある。
 今は良くてもいつかは辛くなるのではないかと考えてしまう。
 やはり自分のせいで圭斗までもが悪く言われるのは辛いのだ。

「部室の外では話しかけるなとか絶対に言わないでくださいね」

 言われて紗綾は困惑した。
 思い付かなかったことだが、それが正解なのかもしれないと考える。
 寂しくなるが、彼にとってはきっといいのだ

「まあ、言われても従ってあげないし、むしろ、もっとべたつくっスけど。既成事実作るぐらいの勢いで」

 圭斗は笑っている。
 なぜ、と思うことはある。
 けれど、口にするのは怖かった。
 見えていない真実を突き付けられるのはあまりに恐ろしいからだ。

「あんなの紗綾先輩は悪くないじゃないっスか」
「私が生贄だから」

 誰かが悪いとは思いたくない。仕方がないことなのだ。
 きっと、誰もが悪意のはけ口を求めている。
 だから、生贄なのだと紗綾は思う。
 はけ口のない悪意は好ましいものではない。

「そんなのおかしいっスよ。いくらあいつに黒い噂があるからって」

 圭斗は少し怒っているようだった。

「黒羽部長は悪い人じゃないから」

 紗綾を生贄にしたのは十夜であって十夜ではない。
 十夜でさえどうにもできなかった。彼も認めたくはなかったのだから。
 彼に黒い噂が付き纏うのも、彼が何かをしたわけでもない。
 彼もまた悪魔であって生贄なのだ。

「大体、あの部長さんだってゆっくり見学していいって言ったじゃないっスか。大歓迎って」
「将也先輩は優しい人だから」

 彼は優しい。来るなとは言わない、帰れとも言わないだろう。
 だからと言って甘えすぎていけないのだと紗綾は思う。

「他人のこと気にし過ぎっスよ。俺のこと、気にしてくれるのは嬉しいっスけど、変に遠慮されるのは嬉しくないっスよ」

 この一年、紗綾はずっと他人を気にして生きてきた。
 それはもう癖になってしまって今更どうにもできない。抜け出せないのだ。


「圭斗君も優しいね」
「俺は……」

 圭斗の表情が曇るが、それでも紗綾は続けた。

「幸せにしてあげよっかなんて言ってくれたの、圭斗君が初めてなんだよ? 嬉しかったの。からかわれているとしても」

 溜め息一つから始まった出会い、その真意はまだまだわからなくなるばかりだ。
 だが、そこで圭斗の表情が険しくなったのがわかった。

「それ、誰が言ったんスか?」
「え?」
「俺がからかってるって誰が言ったの? 田端先輩?」
「け、圭斗君……?」

 圭斗の声は低く、そういうものだと思っていた紗綾は困惑した。
 彼が指摘する通り、確かにそれは香澄に言われたことだ。だから、心を許すなと。

「無理しないでってさっき言ったのに、やっぱり色々考え込んでたっスね」

 常に大丈夫だと言い聞かせている。
 それを紗綾は無理だとは思っていなお。

「まあ、親友の言うことを聞くのも良いっスけどね……でも、俺のことも信じてほしいっスね。下心とか言われたかもだけど、不純な気持ちだけで怪しいところに踏み込んで自分の始まったばかりの青春を犠牲にはできないっスよ」

 なぜ、圭斗が進んで生贄になろうと思ったのか。
 紗綾は聞きたくても聞けなかった。
 はぐらかされるような気がして、でも、真実を問い詰める勇気はない。
 香澄には色々言われたが、それを見透かされていることにも驚いて、紗綾は何も言えなくなってしまった。
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