上 下
26 / 46
三章

二十五話 ~下心。王女メイドの申し出~

しおりを挟む
落ち着きを取り戻し、静かに本を読み過ごす時間がやってきた。壁に掛けられた時計が規則正しい秒針の進みを奏でている。

  (落ち着かん)

  人生の中で、女性と一緒に過ごした経験がないわけじゃない。だが、一人でいることが長すぎた弊害か。それとも相手がやんごとなき身分の御方だからか。

 とにかく、シャルと二人きりで本を読んでいるとソワソワとして集中できない。

 マリーともこうした一つの空間にいても、なんともないというのにどうしたことだろうか。シャル自身はさっきまでのやりとりなど遙か彼方。声をかけるのも憚るほどの集中力で読書をしている。

 それが余計、落ち着きのない自分とを比較し、悪化の一途に繋がっているというわけだ。できることならば夕食の時間になってほしいのだが、時計の針は遅々としか進んでいない。

 本を暫く呼んでいると集中できず時計を。次いでシャルをチラリと。そんな負の連鎖を繰り返してしまい、ムズムズとした落ち着きのなさを味わうのだ。

(俺から言い出した手前、今更出ていけとも言いづらい)

  ワクワクと興奮している顔。ハラハラと不安がっている顔。ウルウルと涙ぐんでいる顔。表情のみならずパタパタとブーツの爪先が床を踏み鳴らし肩が左右に揺れている。楽しんでいるというのが見てとれ、どこの場面を読んでいるのか、はっきりとわかる。

 そんな分かりやすいシャルを見ていると面白く、心が和む。だけど、バレてしまうかもしれない、はしたない、という自制心が働きながらも、いつしかシャルだけを盗み見るのを止められない。

「ほう・・・・・・」

  余韻を充分に味わっているような吐息、愛おしそうに持っていた本を閉じて置くと、そのまま本棚のほうへ。

「まさかもう読み終わったのか?」
「はいっ。面白くてあっというまに読んでしまいましたっ」

 軽い驚きだ。シャルが読んだ本は通常のよりも分厚く、難解な言い回しが多い。

 しかし、少し喋るとシャルは内容を詳らかに感想を語ってくれた。登場人物の台詞、情景描写。しっかり深く理解していないとここまで語ることはできない。

 本当に本が好きなのかと感心してしまう。

 「特にここの場面が、主人公が愛する人への気持ちを詩で伝えるというところが素敵ですっ」
「!  そうかっ。俺もだよ」
「まぁ、旦那様も?」
「ああ。しかも普段詩なんて作っていないのに、苦悩して書いているときを見ていると、余計にな」
「わかりますっ」

 おもいがけず、お互いの気持ちを語らうことになった。シャルとの会話に果てはない。いつ終わるともしれず考えず。語れば語るほどに気持ちに淀みがなくなり、心が弾んでくる。同じ趣味を持つ人はいなかったから、余計楽しくてしょうがない。

一人で過ごすのとは違う楽しい時間だ。こういう楽しみ方もあったんだなと再発見をした。

「あの、旦那様。そのお尻尾のことなのですが」

  乾いた喉を冷えた紅茶で潤し一服していると、膝の上に抱えていた尻尾について聞かれた。

「これがどうかしたのか?」

 というか、わざわざ尻尾におなんてつけなくてもいいのに。

「さっき本を読んでいるときもそうし本を載せておりましたが、疲れないのでしょうか?」
「ああ。それほど重くもないし」
「痛くもないのでしょうか?」
「ああ。何故だ?」
「いえ、お尻尾も体の一部なので。もしかしたら負担がかからないのかと。腕もずっと使っていたりずっと立っているだけでも疲れましょう?」
「いや、そういうのはないな」

 尻尾自体は、実はそれほど大きくはない。包んでいる毛の量が多く、長い。その分厚くなっているので図らずも尻尾本体への緩衝材と同じになっている。

「毛でクッションみたいになるから、こっちのほうが見やすい」

 シャルに当たらないようにと配慮もあるが、そうしないと座ったときの位置的に困らないということもある。

「ふふ、ふふふふふ!」
「?」

  コロコロと口の中で転がしているような、控えめな笑い声。なにがそんなに可笑しいのだろう?

「まさかそんな冗談を旦那様が仰るなんて、ふふふっ!」
「・・・・・・・・・冗談のつもりはないんだけどな」

 更に吹き出した。両手で口を押さえるほどに。

「本当にそうなのか、是非触って確かめてみたいですわっ。ふふふふふ。きっと本物のクッションよりも気持ちがいいことでしょうっ」

「絶対に触らせん」

  ムッとした意地が芽生えた。馬鹿にされているというときの不快さではなく、本当のことだと受け取られていない子供じみた。意地だ視界からも隠れるように体と肘掛の間に尻尾をギュウ、ギュウと押しやる。

「そんな風になさっては、お尻尾が潰れてしまいませんか?  もったいのうございます」

 なにがもったいない?

「前々からおもっていたがな。シャルは俺の尻尾に食いつきすぎだ。これほど邪魔なものはない。座るときにも着替えをするときにも邪魔になるんだぞ。いっそ斬り落としてしまいたいくらいだ」
「なんということをおっしゃるのですか!!!!」
「うを!?」

 どうしてそこで大声で怒鳴る!? 突然のことでビクッとしたぞ。

「そんな風に雑に扱ってはいけません! 旦那様の大切な体の一部でございましょう!? 座るときにも着替えるときにも大変だとおっしゃるのならば私がお手伝いいたしますのにっっっ!」
「あ、ああ?」
「自分を傷つけるような真似をなさってはいけませんっ! もしも斬り落としたとしても、どうされるおつもりなのですかっっ!」
「べ、別にどうもする気はない」

 なんだ。シャルがこれほど怒るだなんて初めてじゃないか。

「まったく、何故ご自分を傷つけるような真似をなさるのですか・・・・・・・」

 動物が好きだからか? モフモフした毛並みやそれに類する物に目がないからそれを雑に扱うのが許せない?

「くれるものならくれてやりたいくらいなんだがなぁ」
「はい?」
「いや、なんでもない。尻尾を本気で斬り落とすつもりはない。それくらい俺にとっては要らない物というだけのことだ。普段からこんな風に雑に扱っているしな」
「・・・・・・え?   まことですの?」

 ?  信じられないとばかりに驚いているが、なんでそんな表情になる?

「では、お風呂を上がったあとにキチンと拭いたりなどは?」
「していない。別に」
「では、櫛で梳いたりなどは?」
「それもしていない」
「・・・・・・・・・・マリーさんやサムさんにも?」
「皆等しくな」

 なにを真剣になっているのか。この世の終わり、とてつもなく悲しい衝撃を受けたとばかりな反応。

 いや、尻尾をそんな丁重に扱うわけがないだろう。女性の髪でもあるまいし。

「そうですわ、これを機に・・・・・・・・・・上手くいけば距離を縮めることに・・・・・・・急いてはことをし損じるとはいえ、物事には好機というのが・・・・・・・・・」
「シャル?」
「このままでは私もいつ・・・・・・・・・・・・・でもより親密に・・・・・・・・・・」
「シャル」

 俺の言葉は届いていないのか。ブツブツとまるで迷宮に入りこんだようなシャルに、読書を再開して良いのかどうか判断に困る。

「あの、旦那様。差し出がましいかもしれませんが」

 おそるおそる。意を決したような様相。重大ななにかを告げようとしている気配。やっとシャルを放っておこうと決めた間際だというのに。

 微妙な肩透かしを喰らったものの、つい体勢を向け直す。しかし、モジモジしたままで中々喋りだそうとしない。

「私に旦那様のお尻尾のお世話をさせてくれませんか?」
「・・・・・・は?」

 この子は一体なにを言っているんだろう。心底言葉を失った。


しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

四季
恋愛
父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

どうやら夫に疎まれているようなので、私はいなくなることにします

文野多咲
恋愛
秘めやかな空気が、寝台を囲う帳の内側に立ち込めていた。 夫であるゲルハルトがエレーヌを見下ろしている。 エレーヌの髪は乱れ、目はうるみ、体の奥は甘い熱で満ちている。エレーヌもまた、想いを込めて夫を見つめた。 「ゲルハルトさま、愛しています」 ゲルハルトはエレーヌをさも大切そうに撫でる。その手つきとは裏腹に、ぞっとするようなことを囁いてきた。 「エレーヌ、俺はあなたが憎い」 エレーヌは凍り付いた。

あなたが残した世界で

天海月
恋愛
「ロザリア様、あなたは俺が生涯をかけてお守りすると誓いましょう」王女であるロザリアに、そう約束した初恋の騎士アーロンは、ある事件の後、彼女との誓いを破り突然その姿を消してしまう。 八年後、生贄に選ばれてしまったロザリアは、最期に彼に一目会いたいとアーロンを探し、彼と再会を果たすが・・・。

5年も苦しんだのだから、もうスッキリ幸せになってもいいですよね?

gacchi
恋愛
13歳の学園入学時から5年、第一王子と婚約しているミレーヌは王子妃教育に疲れていた。好きでもない王子のために苦労する意味ってあるんでしょうか。 そんなミレーヌに王子は新しい恋人を連れて 「婚約解消してくれる?優しいミレーヌなら許してくれるよね?」 もう私、こんな婚約者忘れてスッキリ幸せになってもいいですよね? 3/5 1章完結しました。おまけの後、2章になります。 4/4 完結しました。奨励賞受賞ありがとうございました。 1章が書籍になりました。

【1/21取り下げ予定】悲しみは続いても、また明日会えるから

gacchi
恋愛
愛人が身ごもったからと伯爵家を追い出されたお母様と私マリエル。お母様が幼馴染の辺境伯と再婚することになり、同じ年の弟ギルバードができた。それなりに仲良く暮らしていたけれど、倒れたお母様のために薬草を取りに行き、魔狼に襲われて死んでしまった。目を開けたら、なぜか五歳の侯爵令嬢リディアーヌになっていた。あの時、ギルバードは無事だったのだろうか。心配しながら連絡することもできず、時は流れ十五歳になったリディアーヌは学園に入学することに。そこには変わってしまったギルバードがいた。電子書籍化のため1/21取り下げ予定です。

ある公爵令嬢の生涯

ユウ
恋愛
伯爵令嬢のエステルには妹がいた。 妖精姫と呼ばれ両親からも愛され周りからも無条件に愛される。 婚約者までも妹に奪われ婚約者を譲るように言われてしまう。 そして最後には妹を陥れようとした罪で断罪されてしまうが… 気づくとエステルに転生していた。 再び前世繰り返すことになると思いきや。 エステルは家族を見限り自立を決意するのだが… *** タイトルを変更しました!

【完結】婚約破棄される前に私は毒を呷って死にます!当然でしょう?私は王太子妃になるはずだったんですから。どの道、只ではすみません。

つくも茄子
恋愛
フリッツ王太子の婚約者が毒を呷った。 彼女は筆頭公爵家のアレクサンドラ・ウジェーヌ・ヘッセン。 なぜ、彼女は毒を自ら飲み干したのか? それは婚約者のフリッツ王太子からの婚約破棄が原因であった。 恋人の男爵令嬢を正妃にするためにアレクサンドラを罠に嵌めようとしたのだ。 その中の一人は、アレクサンドラの実弟もいた。 更に宰相の息子と近衛騎士団長の嫡男も、王太子と男爵令嬢の味方であった。 婚約者として王家の全てを知るアレクサンドラは、このまま婚約破棄が成立されればどうなるのかを知っていた。そして自分がどういう立場なのかも痛いほど理解していたのだ。 生死の境から生還したアレクサンドラが目を覚ました時には、全てが様変わりしていた。国の将来のため、必要な処置であった。 婚約破棄を宣言した王太子達のその後は、彼らが思い描いていたバラ色の人生ではなかった。 後悔、悲しみ、憎悪、果てしない負の連鎖の果てに、彼らが手にしたものとは。 「小説家になろう」「カクヨム」「ノベルバ」にも投稿しています。

彼女はいなかった。

豆狸
恋愛
「……興奮した辺境伯令嬢が勝手に落ちたのだ。あの場所に彼女はいなかった」

処理中です...