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第二章 オオカミ少女は信じない
恐怖の根源(3)
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牧の姿が見えなくなった途端、狼原はその場にしゃがみ込んだ。
「どうした、気持ち悪くなっちゃったのか? 袋持ってくるか?」
狼原も胃腸炎の餌食になっちゃったのかなーとか思いながら右手で狼原の背中をさすると、狼原は顔をうずめたまま頭をふるふる振った。そしてさすっていた右手はぺしっと弾かれた。これ以上やったら殺すみたいな弾かれ方。
迂闊に触った俺も悪いけど、それはあんまりじゃないかな……。俺の善意が。
「体調が問題ないなら早く食え。食って体育館戻ろうぜ」
気がつけば鼻血が止まっていた。再び腰を下ろし、狼原の返答を待った。
すると、狼原の顔の真下に、ちたちたと音を立てて黒いシミが生まれる。雫が一滴、また一滴と落ちていく。
なんだよ俺に触られるのがそんなに嫌でしたか。また俺の女子泣かせ伝説が誕生しちゃったじゃねぇか。「女泣かしの右手」と書いて「ティアドロップライト」みたいなルビふっとけばそれっぽい。「右手」を「ライトハンド」じゃなく、あえて「ライト」に省略するのがミソ。奏太から借りたラノベはこんな感じに洒落たルビがふってあったから、これで間違いない。
などと考えていると、狼原はぐずっと鼻をすする。
「私、余計なことしないでって言ったよね。なんであんなことしたの?」
「ごめんごめんて。触って悪かった」
両手を挙げて「もう触れません」の意思表示をしてみせる。狼原は地面とにらめっこしていて俺を見ていないから意味はないと思うが、こういうのは形式が重要なのだ。
だが、狼原は再び頭を横に振る。そしてようやく顔を上げた。涙と鼻水でびだびだである。そこまで泣かれると申し訳なくなってきた……。一回出直して、スーツで実家に菓子折りとか持ってった方がいいかな……。
「なんでこういうことするの?」
「だからごめんて」
二度あることは三度あるということだろうか、狼原はまたもや首を振った。そして今度はこう付け加えた。
「牧先輩にやったことだよ」
「やったことって言われても……。俺は牧に自己紹介しただけなんだけど」
名前を名乗っただけで泣かれるという称号をゲットしたのか……? いよいよ俺の名前、忌み名になったのか……?
「夜接くん、わかってる? 牧先輩に目をつけられたんだよ」
「だからどうした。こちとら川瀬先生に常日頃から目ぇつけられてんだよ。俺からしたらそっちの方が五億倍怖い」
今もどっかで見てるんじゃないのあの人。いきなりスリッパの裏ですぱーんとはたかれてもおかしくない。あれ痛いから嫌なんだよな。
いつ襲われるかわからない恐怖に内心がたがた震えながら、狼原に問う。
「牧が怖いか」
一呼吸の間の後、狼原は首を縦に振った。だが、あえて俺はそれを否定する。
「……違うな。お前が怖いのは牧じゃない」
「え?」
「お前が怖がっている理由を、俺が当ててやろう。これ食わないならもらうぞ」
俺は狼原の皿から、未だ手つかずだったたまごサンドをいただき、少しかじった。
サンドイッチを飲み込んで。
「狼原。もう一度言うが、お前が怖がっているのは牧じゃない。すべての元凶は『責任』にある」
あくまで俺視点でしか話はしていないが、半日も様子を見ていれば大体は理解できる。
まず第一。四月に有名選手である小桜蛍が女子バレー部を脱退したこと。狼原曰く、狼原と小桜は親友の仲らしい。チームとしての支柱と、プライベートな関係の支柱が両方同時に瓦解したのだから、メンタルが崩れるのは無理もない。
そんで第二。胃腸炎での人員減少。水ヶ原高校との合同練習が決まっていた時点で、この出来事は女バレにとって相当の痛手だっただろう。狼原は実質的な部長の役割を担うことになる。いきなり「今日からあなたはこの中で一番偉くて、責任がまとわりつきます」なんて言われたら、そこらの社会人でも胃が荒れる案件だ。普通の女子高生が耐えられるわけない。
最後に第三。小桜と星宮の存在である。今日の合同練習会に参加しているほぼすべての人間が小桜の実力を買っていて、星宮の圧倒的人心掌握能力を見せつけられた。小桜と星宮、あの二人は普通の女子高生ではない。異常者の部類だ。
きっと狼原は「実力で小桜に負けないように」「人付き合いで星宮に劣らないように」と思って動いてきたのだ。どちらか片方ならなんとかなるのかもしれないが、二人同時に相手にするのはまず不可能。だから、今の狼原にまず勝算はない。
すべては、真の恐怖対象。狼原が泣くほどに追い詰めたものの正体。
それは、押し付けられた「責任」に他ならない。
そしてその恐怖は、狼原の中で「責任」から、高圧的な態度を見せつけてくる「牧」にすり替わっただけの話だ。イグザクトリー。QED。証明完了。
「狼原、考えてみろよ。牧なんてタンパク質と水の塊だ。だからあんまり気を負うな」
「…………なにそれ。擦られまくったネタじゃん」
狼原はそう言って笑い、ぐしぐしと涙を拭った。
これでいい。
せめてこんな冗談でもいいから、狼原には笑っていてほしかった。
撃っていいのは撃たれる覚悟があるやつだけ。
俺たちは一人残らず、その「責任」を彼女一人に押し付けた「責任」を背負う必要があるのだから。
「どうした、気持ち悪くなっちゃったのか? 袋持ってくるか?」
狼原も胃腸炎の餌食になっちゃったのかなーとか思いながら右手で狼原の背中をさすると、狼原は顔をうずめたまま頭をふるふる振った。そしてさすっていた右手はぺしっと弾かれた。これ以上やったら殺すみたいな弾かれ方。
迂闊に触った俺も悪いけど、それはあんまりじゃないかな……。俺の善意が。
「体調が問題ないなら早く食え。食って体育館戻ろうぜ」
気がつけば鼻血が止まっていた。再び腰を下ろし、狼原の返答を待った。
すると、狼原の顔の真下に、ちたちたと音を立てて黒いシミが生まれる。雫が一滴、また一滴と落ちていく。
なんだよ俺に触られるのがそんなに嫌でしたか。また俺の女子泣かせ伝説が誕生しちゃったじゃねぇか。「女泣かしの右手」と書いて「ティアドロップライト」みたいなルビふっとけばそれっぽい。「右手」を「ライトハンド」じゃなく、あえて「ライト」に省略するのがミソ。奏太から借りたラノベはこんな感じに洒落たルビがふってあったから、これで間違いない。
などと考えていると、狼原はぐずっと鼻をすする。
「私、余計なことしないでって言ったよね。なんであんなことしたの?」
「ごめんごめんて。触って悪かった」
両手を挙げて「もう触れません」の意思表示をしてみせる。狼原は地面とにらめっこしていて俺を見ていないから意味はないと思うが、こういうのは形式が重要なのだ。
だが、狼原は再び頭を横に振る。そしてようやく顔を上げた。涙と鼻水でびだびだである。そこまで泣かれると申し訳なくなってきた……。一回出直して、スーツで実家に菓子折りとか持ってった方がいいかな……。
「なんでこういうことするの?」
「だからごめんて」
二度あることは三度あるということだろうか、狼原はまたもや首を振った。そして今度はこう付け加えた。
「牧先輩にやったことだよ」
「やったことって言われても……。俺は牧に自己紹介しただけなんだけど」
名前を名乗っただけで泣かれるという称号をゲットしたのか……? いよいよ俺の名前、忌み名になったのか……?
「夜接くん、わかってる? 牧先輩に目をつけられたんだよ」
「だからどうした。こちとら川瀬先生に常日頃から目ぇつけられてんだよ。俺からしたらそっちの方が五億倍怖い」
今もどっかで見てるんじゃないのあの人。いきなりスリッパの裏ですぱーんとはたかれてもおかしくない。あれ痛いから嫌なんだよな。
いつ襲われるかわからない恐怖に内心がたがた震えながら、狼原に問う。
「牧が怖いか」
一呼吸の間の後、狼原は首を縦に振った。だが、あえて俺はそれを否定する。
「……違うな。お前が怖いのは牧じゃない」
「え?」
「お前が怖がっている理由を、俺が当ててやろう。これ食わないならもらうぞ」
俺は狼原の皿から、未だ手つかずだったたまごサンドをいただき、少しかじった。
サンドイッチを飲み込んで。
「狼原。もう一度言うが、お前が怖がっているのは牧じゃない。すべての元凶は『責任』にある」
あくまで俺視点でしか話はしていないが、半日も様子を見ていれば大体は理解できる。
まず第一。四月に有名選手である小桜蛍が女子バレー部を脱退したこと。狼原曰く、狼原と小桜は親友の仲らしい。チームとしての支柱と、プライベートな関係の支柱が両方同時に瓦解したのだから、メンタルが崩れるのは無理もない。
そんで第二。胃腸炎での人員減少。水ヶ原高校との合同練習が決まっていた時点で、この出来事は女バレにとって相当の痛手だっただろう。狼原は実質的な部長の役割を担うことになる。いきなり「今日からあなたはこの中で一番偉くて、責任がまとわりつきます」なんて言われたら、そこらの社会人でも胃が荒れる案件だ。普通の女子高生が耐えられるわけない。
最後に第三。小桜と星宮の存在である。今日の合同練習会に参加しているほぼすべての人間が小桜の実力を買っていて、星宮の圧倒的人心掌握能力を見せつけられた。小桜と星宮、あの二人は普通の女子高生ではない。異常者の部類だ。
きっと狼原は「実力で小桜に負けないように」「人付き合いで星宮に劣らないように」と思って動いてきたのだ。どちらか片方ならなんとかなるのかもしれないが、二人同時に相手にするのはまず不可能。だから、今の狼原にまず勝算はない。
すべては、真の恐怖対象。狼原が泣くほどに追い詰めたものの正体。
それは、押し付けられた「責任」に他ならない。
そしてその恐怖は、狼原の中で「責任」から、高圧的な態度を見せつけてくる「牧」にすり替わっただけの話だ。イグザクトリー。QED。証明完了。
「狼原、考えてみろよ。牧なんてタンパク質と水の塊だ。だからあんまり気を負うな」
「…………なにそれ。擦られまくったネタじゃん」
狼原はそう言って笑い、ぐしぐしと涙を拭った。
これでいい。
せめてこんな冗談でもいいから、狼原には笑っていてほしかった。
撃っていいのは撃たれる覚悟があるやつだけ。
俺たちは一人残らず、その「責任」を彼女一人に押し付けた「責任」を背負う必要があるのだから。
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