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1巻

1-2

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「ジャスティン、それなら目をつむっていて」
「ん、どうした?」
「いいから、目を閉じて」
「はいはい」

 アメリアの言うままに目を閉じたジャスティンの頬に、柔らかい唇をそっと当てる。
 驚いたジャスティンは、ハッと目を開けると一気に顔を赤くしてアメリアの唇が触れた頬を手で押さえた。

「ジャスティン、約束ね。私、待っているから」
「アメリア……、あぁ、約束する」

 ジャスティンは何かをぐっと耐える顔をしてアメリアを見つめた。
 仲のいい二人が話しているのを邪魔する者は周囲にいない。
 それを確認したジャスティンは、今度はアメリアに「そのまま」と言って、ひたいに触れるだけのキスをした。

「きゃっ」
「しっ、静かに!」

 まさか、ジャスティンがひたいにキスをするとは思わず、アメリアは両手を頬に当てた。

「いつか……、ここに」

 金色の瞳をまるでアメリアを狙う獣のように光らせて、ジャスティンは人差し指をアメリアの唇の上に置くと、そのまま首筋を沿わせ、鎖骨の上で止めてうなじを見る。
 うなじを噛むのは、獣人がつがいと定めた証拠だ。
 ジャスティンのつがいはアメリアだと言わんばかりの指と瞳の動きに、思わずぞくりとした何かが背筋を走る。
 ――つがい、それは獣人に備わった本能の伴侶だ。
 つがいは生まれた時から定められているが、出会うことはまれな存在だ。ただ、出会うことができた獣人はけしてつがいを離さないし、まるで物語のように求め合う。
 ジャスティンの両親もつがい同士で、二人はいつも近くにいてとても仲がいい。

(もしかして、私ってジャスティンのつがいなのかな。そうだと嬉しいけど)

 ただの人間のアメリアにはわからない習性が獣人には多いが、それでもつがいの存在は特別だということは知っている。
 ジャスティンの特別な存在になりたい。けれど、これまで誰からも『アメリアはジャスティンのつがい』だと聞いたことがない。ジャスティンからも言われたことがない。
 たとえアメリアがつがいでなくても、つがい以外と普通に恋をして結婚する獣人もいるから、いつかジャスティンが自分を選んでくれると嬉しい――
 一段と背の高くなったジャスティンを見上げ、アメリアは手をギュッと握りしめた。
 すると二人を見つけ、声をかけながら走り寄ってくる人がいる。

「おーい、ジャスティン! 久しぶりだな、いつ帰ってきた?」

 クリフォードがジャスティンを呼ぶ声が聞こえると、アメリアもハッとして兄のほうを向く。

「アメリア、忘れちゃダメだよ」
「うん、ジャスティンもね」

 にこり、と笑ったジャスティンはすぐに兄のほうに顔を向け、手を振った。

「おーい、クリフォード! 今行く!」

 どこかふわふわとした期待を胸にしたアメリアは、まさかその日を境にジャスティンと会えなくなるとは思ってもいなかった。


 誕生会の後、長い時間をかけてアメリアの両親とジャスティン、そして彼の両親たちは話し合いの場を持った。
 アメリアはそわそわしていたが、話し合いが終わるとすぐにジャスティンたちは帰ってしまう。
 ジャスティンとさようなら、と言葉を交わすこともできなかった。
 両親に呼ばれたアメリアは、期待と不安が入り混じった気持ちで父の書斎の扉を開けた。
 すると父が少し険しい顔をしているのを見て、アメリアは嫌な予感に胸が騒ぐ。

「アメリア、今日はジャスティン君の両親が、お前と彼との婚約を申し込んできた」
「お父様! 本当に?」
「だが……、お前はまだ十二歳だ。婚約するのに早すぎる訳ではないが、お父さんもお母さんもお前には自由に娘時代を過ごしてほしいと思っている」
「それって、どういうこと?」
「今すぐ、ジャスティン君と婚約することはない、ということだ」
「……っ、そんな!」

 これまで二人が仲良く過ごすのを反対しなかったから、まさか父親が断るとは思わなかった。
 同じ伯爵家同士で家格の問題もない。
 スティングレー伯爵家は兄のクリフォードが継ぐため、アメリアがジャスティンのところにとつぐのに、何の支障もないと思っていたから尚更だった。

「お父様、私、でもジャスティンのこと……」

 恋心を隠せないアメリアが思わず涙ぐんで父親を見ると、彼は困った顔をしている。

「アメリア、お父さんはね、将来ジャスティン君と結婚することを反対している訳ではないよ。ただ、それを決めるのはもう少し先でもいいかな、と思っただけだ。ジャスティン君も、騎士としての勉強があるから、しばらくはお前と会うこともできないだろう。まだお前たちは若い。少し距離をおいて、それでもお互いやっぱり結婚したいのであれば、その時は喜んで賛成するよ」

 父親はアメリアをいつくしみ、頭を優しくでた。

「では、お父様。私っ、ジャスティンのこと好きでいてもいいの?」
「あぁ、恋する気持ちを抑える必要はないが、とにかくアメリア。お前が十八歳になるまでは、ジャスティン君と二人きりになってはいけない。いいか、これだけは守りなさい」
「はい。お父様」

 将来のことまで反対されていない、それだけでアメリアはホッとする。
 ジャスティンが迎えに来るまで待つと約束したから、アメリアはずっと待つことを決心した。
 もらった狼のぬいぐるみにジョイと名前を付け、枕元に置いていつも話しかけながら眠るのがアメリアの日課となった。
 ジャスティンに会えない代わりに手紙を書いたけど、なぜか返事がくることはなかった。
 もしかしたら父親が婚約を断ったことに、腹を立てているのかもしれない。
 居ても立っても居られず、兄のクリフォードに相談しても、ただ「待て」としか言わない。
 それでも毎年誕生日になると、差出人のわからない色とりどりの豪華な花束が届く。
 かつてジャスティンがアメリアのために取ってきてくれた花束に似た色合いをしているから、この花束は彼からの贈り物だと信じることにした。

(きっと、何か事情があるんだろうな)

 寂しく切ない気持ちになりながらも、アメリアは一途にジャスティンを想い続けた。
 しかし何の連絡もないまま三年もたつと、手紙すら迷惑かと思い書くのをやめる。
 十六歳になって社交界デビューとなり、王宮で行われる夜会で久しぶりに見たジャスティンは、王太子殿下の後ろに控える精悍せいかんな騎士となっていた。
 だが、久々に会ったその日もアメリアと言葉を交わすどころか、いくら見つめても視線が合うこともない。
 もうあの時の約束なんてジャスティンは覚えていないのかもしれない。
 まばゆい光の中にいる彼に、アメリアは声をかける勇気を持っていなかった。
 それでもアメリアは――彼を忘れることはできなかった。


   ◆


「殿下! 一体あれは何ですか! いつ私が殿下の真実の愛の相手になったのですか!」

 ジャスティンは猛烈に怒っていた。
 王太子を相手に喧嘩けんかを売るなんて、不敬でしかないが黙ってはいられない。
 王太子と近衛騎士だが、普段から気安く話す間柄でもある。
 ナサナエルが夜会でオルコット公爵令嬢に婚約破棄を告げることは知っていたが、真実の愛の相手として、まさか隣にいた自分を指名するとは思ってもいなかった。

「いや、本当にすまん。だが、俺の相手が女嫌いで有名なお前なら真実味が出るだろう」
「でしたら事前に言ってください。私にも覚悟が必要です」
「ジャスティン。事前に伝えたらお前は反対しただろう? いや、お前を巻き込んでしまって、本当に申し訳ないと思っているよ。しかし、脅迫してきた犯人たちの意図がまだ見えない今、私の恋人と表明すると狙われる可能性もあるが、騎士のお前を襲う奴もいないだろう。それにお前にはもうつがいがいるから、俺に懸想けそうすることもないだろうし適任だと思ったんだ」
「……っ、殿下、それはそうでしょうが!」
「あれだけ派手にお前を恋人だと言った手前、もうお前しかいないんだ。頼む! 今だけでもなんとか、こらえてもらえないか?」
「殿下! 頭を下げないでください!」

 ナサナエルとジャスティンは騎士学校で出会って以来、もう七年も一緒に過ごしている。
 ジャスティンが近衛騎士に選ばれたのは、ナサナエルが気がねなく話せる相手であり、なおかつ護衛としても適任だったからだ。
 騎士学校を卒業したあと、ジャスティンは騎士としてナサナエルに忠誠を誓った。
 そのナサナエルの頼みを無下むげにすることはできない。
 もちろん命令となれば文句など言える立場ではないが、ナサナエルもさすがに今回のことは強制したくはないようだ。
 頭では理解している。王太子は考えられる選択肢の中から、最善を選ぼうとしただけだ。
 わかっているけれど、今日はジャスティンにとって特別な日だった。

(やっと、アメリアと話ができると思ったのに)

 忘れもしない、アメリアの十二歳の誕生日。婚約を申し込んだが、スティングレー伯爵の回答は予想外のものだった。
 アメリアが成人するまでは普通の令嬢と変わらず育てたい。
 幼いうちに婚約者を決めることはしない、だから婚約は辞退すると伝えられた。
 けれどアメリアはジャスティンのつがいだ。
 それは出会った時から確信している揺るがない事実だ。
 アメリアを奪う男がいたら、喉ぼとけを噛みちぎってでもアメリアを取り戻す。
 幼少時からのジャスティンの執着を見て、互いの両親は既にそのことをわかっていた。
 だが幼いアメリアはただの人間で、つがいを感じることができない。
 ジャスティンはアメリアにつがいと告白することも、愛をささやくことも止められた。
 さらに、成人するまで婚約できないどころか、接触することを禁じられた。
 獣人にとってつがいは唯一であり己の半身だ。その執着は身を滅ぼすこともある。
 もし幼いアメリアを蹂躙じゅうりんすることになれば、悲劇では収まらない。
 多くの獣人は成人した後で己のつがいと出会うため、ジャスティンのようにまだ幼い頃につがいに出会ってしまうケースはまれだった。
 ジャスティンの親は、獣人としてつがいへの強い想いを知っている。
 だから余計に、ジャスティンを厳しくいましめた。手紙を書くことすら禁止されるとは思いもしなかったが、毎年の誕生日に花を贈ることだけは見逃してくれた。
 あの時以来、直接の接触はしなかったが、間接的には干渉してきた。
 アメリアに声をかける男がいれば全ておどしてでも排除してきた。
 クリフォードを通じてアメリアの様子を聞き、できることがあればなんでもしてきた。
 結局、十二歳のアメリアと交わした約束だけが、ジャスティンのこころの支えとなっている。
 ――大きくなったら、成人したら迎えに行く。それまで待っていてほしい……
 その想いに嘘はない。しかし約束を今夜果たそうとしたところで、思わぬ事態に巻き込まれてしまった。
 ナサナエルにはアメリアがつがいであることを話しているが、今夜が再び会話することを許された日だったとは伝えていない。
 今夜はアメリア次第では、プロポーズをするつもりで服装を整え、指輪まで用意していた。
 なのにナサナエルの真実の恋人に指名されてしまった。
 もう状況を認めない訳にはいかない。

「わかりました、殿下。恋人のふりでもなんでもしますよ」
「そうか、ジャスティン! 相応の報酬は払うからな!」
「殿下、それはいいですから……」

 ジャスティンは自分の置かれた立場に、深いため息を吐いた。


 そもそもことの起こりは、ナサナエルの婚約者のキャサリン・オルコット公爵令嬢が犯罪集団のマクゲランにおどされたことだ。
 未来の王太子妃を狙う文言が並ぶ脅迫状が届き、実際に誘拐されかかったことも一度ではない。
 警備を厚くしてもマクゲラン一味を探し出すこともできず、目的も未だつかめていない。
 豊かな黄金の髪に美しい紺碧こんぺきの瞳をしたキャサリン嬢を、ナサナエルはことのほか愛している。
 公爵令嬢という地位にいながらもつつしみ深く、おごることのない人柄は人々に愛されている。
 幼い頃から未来の王妃となるべく、教育を受けその期待にこたえてきた。
 未来の王太子妃、ひいては王妃となれる人材はキャサリン嬢をおいてほかにない。
 大切な彼女を守るためにナサナエルは、婚約破棄をする芝居をすることに決めた。
 犯人の目的が「未来の王太子妃を殺す」ことならば、その地位を一時的になくせばいいからだ。
 婚約破棄を犯人に知らせるため、今夜の新年を祝う舞踏会で派手に宣言することになっていた。
 真実味を出すために、かわいそうだがキャサリンには何も知らされていない。
 あれほどショックを受けていた様子から察するに、キャサリンは自分とナサナエルが恋人関係であることを信じたのだろう。
 キャサリンでさえそうならば、アメリアが誤解するのは目に見えている。
 ジャスティンとナサナエルが二人で話していると、後方でがさりと木の陰に誰かが隠れる気配がした。

「誰かいるな、ジャスティン」
「はい、ただ、この匂いは……」

 これはアメリアの匂いだ。
 獣人のジャスティンが間違えることのない、唯一のつがいの匂い。

「殿下、アメリアです。あぁ、アメリアと話をさせてください。このままでは、誤解されたままでは……」
「まて、俺もキャサリンに真実を伝えたいが脅迫犯の動きが見えない。悪いがしばらく待ってくれないか」
「そ、それはそうでしょうが、そうするとアメリアが……」
「ジャスティン、俺もキャサリンをあんなにも悲しませてしまった。お前にもすまないと思うが、ああっ、キャサリン!」

 ナサナエルは恋しいキャサリンを思い出したのか、涙目になっている。
 よく、苛烈なイメージを持たれるナサナエルだが、それは赤髪と鋭い眼がそうさせているだけで本当の彼は涙もろい。
 情に厚く臣下想いなのに、少しヘタレで今回もやらかしてくれた。
 そのヘタレがようやく想いを告げて、最近やっとキャサリンと両想いになれた。
 それにもかかわらず相手を傷つけるとわかっているのに、彼女を守るために断腸の思いで婚約破棄を叫んだことは偉いと思う。

(だが、私を巻き込まないでほしかった……) 

 最愛のアメリアが近くにいる、それも今夜のドレスは胸の谷間がしっかりと見えていた。
 本当なら今すぐ抱きしめて、その谷間に顔をうずめたい。
 想像するだけでジャスティンの胸は高鳴るが、今はナサナエルの警護中だ。
 気を引き締めてナサナエルを見ると、彼は目をこすりながらジャスティンに話しかけた。

「ジャスティン、す、すまないが目に何かゴミが入ったようだ」
「殿下……、では、見てみますのでこちらを見上げてください」

 獣の目を持つジャスティンは、暗い夜でも大抵のものを見ることができる。
 背後にいるアメリアに意識を向けつつも、ジャスティンはナサナエルの頬に手を添え、その目の中を覗き込もうと顔を近づけた。

「何もありませんよ、殿下」
「そうか? 痛みを感じて……、あぁ、また泣けてきた」
「それはゴミではなくて、キャサリン嬢を悲しませたからではありませんか?」
「そ、そうか、そうだな……、あんなにもショックを受けて、ううっ、キャサリン!」
「殿下、でしたら一刻も早くマクゲラン一味を捕まえて、こんな茶番は終わらせましょう」
「あ、あぁ、そうだな」

 キャサリンを思い出して、今にも泣き出しそうなナサナエルをなだめていると、背後にあったアメリアの気配がスッと消えた。
 もう夜会も終わったからアメリアは馬車乗り場へ向かったのだろう。
 今夜話せなかったことは残念だが、脅迫犯を捕まえるまでのこと。
 キャサリンは未来の王太子妃となる大切な方だから、多少の犠牲ぎせいを払ってでも守らなければならない。今できることは、とにかくマクゲラン一味を見つけ出すことだ。

「殿下、こうなれば私も捜査隊に加えてください」
「わかった、今回の事件は陛下も心配している。人員を増やして指揮権は俺が持とう」
「そうしてください、マクゲラン一味を一刻も早くあぶり出します」
「すまないな、つい、お前を頼りにしてしまうよ」

 ジャスティンはナサナエルからの信頼にこたえるべく、決意も新たに拳をぐっと握った。
 ナサナエルと恋人関係だと公表したからには、それを利用して犯人を追い詰めるしかない。
 ナサナエルはヘタレだが、やるときはやる男だ。
 特に戦いの場での指揮官としての有能さは折り紙付きだから、今回も彼が指揮するのであれば解決も早いだろう。
 庭園を抜けて広間へ戻るナサナエルの後ろを歩いていく。
 まさかその時の二人の様子が決定打となり、アメリアが盛大に勘違いをすることになるとは思いもしなかった。


   ◆


「ねぇジョイ。聞いて、今日はすっごく悲しいことがあったの」

 アメリアは自宅のベッドに寝そべると、狼のぬいぐるみのジョイを手に持ち、いつものように話しかけた。毎晩寝る前にジョイとおしゃべりするのが日課になっている。
 照れ屋で引っ込み思案な性格のアメリアにとって、ジョイは大切な友人だ。
 今日は普段以上に着飾って参加した舞踏会だったのに、誰とも話すことができなかった。
 ジャスティンの姿を見ることができたけど、彼の見たくない姿も見てしまった。
 ぬいぐるみのジョイに語りかけることで、まるでジャスティンと会話している気持ちになれる。
 立ち姿がりんとして男らしくなった彼の姿を思い返しては、アメリアはいつかまたジャスティンが語りかけてくれるのを待っていた。

「でも、ジャスティンは私のこと、忘れちゃったみたい」

 兄はひたすら「待て」と言うけれど、どれだけ待っても彼は目も合わせてくれない。
 それどころか今夜の舞踏会ではナサナエルに真実の愛の相手だと名指しされ、夜の庭園では二人でキスをしていた。
 そう、キスを……
 もう、これ以上何を信じて待てばいいのだろうか。

「ねぇ、ジョイ……、ジョイとお話ができたら良かったのにね」

 話すことができなくても、せめて本物の狼になってくれたらよかったのに。狼の毛をでながら、喋りかけることができたら嬉しいのに。
 そんな魔法があったら良かったのに……
 そんな、ものに命を吹き込む魔法、魔法……

「あ、あったかもしれない!」

 アメリアは飛び上がると、部屋の本棚の中にある魔法辞典を取り出した。
 セリーナ王国では能力があれば、魔力を秘めた魔石を使って魔法を使うことができる。
 生まれ持った才能が必要なため、使える者はそれほど多くないがアメリアはその能力を持っていた。
 しかし、アメリアは何の訓練も受けていないので難しい魔法は使えない。
 魔法使いと呼ばれるためには、それこそ何年にもわたり過酷な訓練を受けなければならない。
 アメリアは苦労してまで魔法使いになりたいとは思わなかった。
 なぜなら小さな頃から、アメリアの夢はジャスティンのお嫁さんになることだったから。
 とはいっても、魔法に全く興味がなかった訳ではない。
 護身術代わりに姿を消す魔法を覚えたが、それもほんの短い時間だけだ。
 急に消えて、急に現れると気味が悪く思われてしまうから、親には万一の場合以外は使ってはいけないと言われている。
 でも魔法を使えるのだから、もしかしたらジョイに命を吹き込む魔法もできるかもしれない。

「えーっと、どこだっけ」

 魔法にもいろいろ種類がある。それらがしるされているのが魔法辞典なる書物だった。

「あ、あった!」

 そこには人形に命を吹き込むのは上級魔法だと書いてある。
 アメリアは一番簡単な初級魔法でさえ習得するのに時間がかかった。これまで上級魔法を成功させたことはない。

「上級だけど、うん、やってみよう!」

 辞典に書いてある説明では、命を吹き込む人形と魔法をかける人間の関係の深さによって、難しさが決まるとある。
 ジョイとはもう六年も一緒に過ごしている、アメリアにとって大切な友達、いやそれ以上の存在だから可能性はあるかもしれない。

「えーっと、月の光を浴びさせて、魔法陣を描くのかぁ」

 アメリアは魔法辞典を食い入るように読み始めた。
 普段の就寝時間を過ぎても夢中になって読み進めていく。
 何かに夢中になっていないと、ジャスティンのことを考え込んでしまいそうになる。
 アメリアは込み上げてくる涙をこらえ、休みなく本を読み続けた。


「また、アメリアは眠れていないのか?」
「お父様、そんなことはありません」
「だが、目の下にそんなくまをつくって、朝食も全然食べていないではないか」

 アメリアは眠れない日が続いていた。この頃は夜になると魔法辞典だけでなく、ありとあらゆる魔法の本を読み漁っている。
 さすがに寝不足がたたり、昨日は刺繍ししゅうをしながら針を指に刺してしまった。
 今朝も青白い顔をして、一目で睡眠不足とわかるれぼったい目をしょぼつかせている。
 父親からも心配されるが本当のことを言うことができない。
 ぬいぐるみを本物の狼にしたい、命を吹き込みたい。そんな魔法を実践したいと言えばきっと反対されてしまう。
 とはいえ、ただでさえジャスティンとナサナエルがキスをしている場面がまぶたの裏に残っていて、眠りに入ろうとすると思い出してしまい、時には夢にまで出てきて苦しくなる。
 結局、魔法辞典を読むことに没頭していなくても睡眠不足になっていただろう。

「お父様、大丈夫です」

 そう答えながらも、アメリアは切ないため息をらした。


「父上、アメリアのことで話があります」

 朝食が終わり、それぞれの部屋に戻る途中でクリフォードは父親に話しかけた。

「わかった、私の書斎で話そう」

 二人は連れ立って書斎に入ると、重厚な扉に鍵をかけた。

「父上、ジャスティンとナサナエル殿下のことはお聞きになりましたか?」
「あぁ、新年の舞踏会だったな。殿下がジャスティンを恋人だと宣言したと聞いたが」
「えぇ、そうです。そして、あの後からです。アメリアの様子がおかしいのは」

 クリフォードは浅く息を吐き、覚悟を決めて父親の顔を見上げた。

「父上、もうジャスティンを呼びましょう。アメリアと話をさせるべきです」
「だが、彼のほうからは何も言ってこないのだろう?」
「ですが、何か理由があるはずです。アメリアがジャスティンのつがいであることは、父上もご存知ですよね」
「あぁ、こればかりはくつがえせない事実だな」
「獣人である彼がつがいのアメリアを諦める訳がありません。アメリアが拒否したのであればともかく、アメリアもこの六年間、ずっとジャスティンを想い続けています」
「そのようだな」


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