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第一章
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しおりを挟む「もう、クレイグ。私、また足を踏まれたわ」
心地よい音楽が奏でられ着飾った貴婦人と紳士が言葉を交わし、時に踊る。エール王国にいる間、私は商会の跡取り娘として多くの人への顔つなぎのため私は夜会に出ることが多い。
今夜も私をエスコートするのは、婚約者のクレイグ。彼の髪の色と同じ黒のジュストコールにジレ、紫色のクラバットを纏った貴公子は、今夜も微笑みを顔に張り付けて私の隣にいる。
「ん? どうした? 何かあったのかな、私の宝石姫」
「そんな、白々しい。私がこうなっているのも、元をただせばクレイグのせいでしょ」
今日は青と白のグラデーションの色合いが美しいドレスを着て、気分が良かったのに。なぜか足をかけられて転びそうになることが三回。その度に「あら、ごめんあそばせ」と言って私を横目で通り過ぎて行ったご婦人たちは皆、年齢層が高かった。
さらに、血走った目をして睨んできた令嬢が一人。私と同じ年くらいの若い子は特に危ない。何をしでかすかわからないからだ。彼女が赤ワインのグラスを持っていたのでさすがに避けた。以前、別の若い令嬢にかけられたこともある。
とにかく夜会にでると女性陣に睨まれる。蹴られるし無視されるし一度は扇子が飛んできた。冗談のようで本当なのだ。それもこれも……この隣に立って、視線だけで孕まされそうな色気を駄々洩れしている男のせいに違いない。
「言っていることが、わからないな。そんなに眉を寄せていると、せっかくの美人が台無しだよ」
その前にお前のピ——を台無しにしろ!
いけない。つい、××ワードを使ってしまうところだった。
今の私は騎士科の男子学生たちの下品な話を耳にしているクローディアではない。王家とも親戚関係にある公爵令嬢、クローディア・シュテファーニエだ。
常に気品ある微笑みと相手を不快にさせない仕草、完璧なマナーを身に着けた私は立派な淑女だ。
……今だけだけど。
「もうっ、クレイグの相手だった方なんでしょ、私に悪意を向けないように、きちんと指導しておいて」
「相手だなんて、ただの友人だよ。少し、親しくはさせてもらったけど」
クレイグは女性陣に非常にモテる。理由の一つは、二十五歳で既に大きな商会を任されているからだ。母の立ち上げた商会は、すでにクレイグが補佐というよりは実権を握っているに近い。
それは、あらゆる情報を瞬時に記憶してしまう頭の良さだけではない。商売をする上で欠かせない、人に表情を読み取らせない能力に、時には冷酷なまでの決断力。さらに、私という母の一人娘の婚約者という立ち位置。それら全てを利用して、彼は巨大な商会を動かす立場を手に入れた。
幼い頃から近くにいるようで、でも彼は私と一定の距離を保っている。私という存在を利用するために婚約しているのだ。いくら甘い言葉を囁いても、私を見る目のその奥は冷たい。
でも、それも仕方のないことだと思う。彼が多感な十七歳の頃、私はまだ十歳と幼すぎた。そして彼には商会を手に入れようとする野心があった。
それでも私がこの国にいる間の火遊びは控えているから、幼い頃は騙されていた。レーヴァンは親しい兄のような存在だったのに対し、クレイグは幼い私にとって憧れのような存在だった。
「あら、こんなおチビちゃんがクレイグ様の婚約者なの?」
妖艶な未亡人から不躾な視線を浴びた時、クレイグとの関係を匂わされた。その時、私は自分の恋心に気がついたと同時に虚しさを覚えた。
クレイグの容姿と年齢、資産と地位からいっても女性が寄り付かないわけがない。初恋と同時に彼にとって私という存在は利用する対象でしかないことに気がついた。
素直になることができなくて、それ以来私はクレイグに素っ気ない態度しかできない。
「その、あなたの数多くいるご友人の一人かしら、先ほどから真剣に見つめているわよ?」
扇子で口元を見せないようにして、チラリと視線を先ほどの目が血走っているご令嬢の方を見る。
「はははっ、私ではないよ」
「そうかしら? 私、ワインはかけられたくないわ」
「そうだね、それは私も避けたいところだよ。けど、君は私のことばかり言うけど、あちらの国には君のナイトがいるだろう?」
「それはっ」
クレイグにもレーヴァンにも、私に二人の婚約者がいることを知らせていない。けれどクレイグは商会独自の情報網を持っていたため、もう一人の婚約者のことに気がついた。
クレイグのことだから、レーヴァンのことは徹底的に調べているはずだ。これまで直接聞かれたことがなかったから、話題にしたこともなかったのに。
話を振られると焦ってしまう。サッと顔色を変えた私を気遣ったのか、クレイグはそれ以上話を進めることはなかった。
「君を守るのはナイトではなくて、私だということを覚えておいてくれればいいよ」
クレイグの声を聞くと心が走りそうになる。けれど私はいつもブレーキをかけるようになっていた。
二人も婚約者がいる私は、自分の中の恋情を抑えることに慣れてしまっていた。
私がこのエール王国にいない期間、彼は大きくなった商会の仕事で忙しい。母はすでに、商会に飽きてしまったのか趣味の時間に生きている。そんな彼に私は淡い恋心を持ったまま成長して……、今も心が報われない恋をしている。
「クローディア、どうやら君はご機嫌斜めだね」
クレイグはハーフアップにしている私の髪を一房とって私の耳にかけた。そして顔を近づけると露わになった耳元で囁くのだ。いつものシダーウッドの香りをさせて。
「そんな君も、誰よりも可愛いよ」
——それは嘘だとわかっていても、私の耳は真っ赤になっているに違いない。
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