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盲目の聖女1

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 翌朝、ユリアナはわずかに朝日を感じて目を覚ますと、寝台の上に残されていた鈴がチリンと鳴った。手を伸ばして鈴に触れると、固い音が鳴る。

 ——あぁ、もう彼はいないのね。

 男は何も告げずに部屋を出て行った。シーツには男の温もりも何も残っていない。ただ、鈴だけが置いてあるだけだった。

 ユリアナはふぅ、と息を吐きながらお腹に手を当て、下腹部に残る異物感を確かめるようにそっと撫でた。身体は拭き清められているのか、べたつきは残っていなかった。

 自分さえ何も言わなければ、当面は何も変わらないだろう。今すぐに『純潔を失った』ことがわかれば、神殿は相手である護衛騎士のレームを探すだろうが、それはレオナルドを追い込むことになる。

 時が経ってから父に伝えれば、きっと上手に隠してくれるだろう。元々「レーム」という護衛騎士は存在しないのだから。そうすれば、神殿も諦めるに違いない。

 ——もう、私は聖女ではないのだから……。

 ユリアナは最後に視た先見の映像を思い出した。精悍な顔つきをしたレオナルドが、後ろ姿の女性に満面の笑みを見せていた。

 ——こんなにも、幸せそうな顔をしている殿下を視ることができたのだから……

 レオナルドの幸せを願わずにはいられない。昨夜は自分のわがままに付き合わせてしまったけれど、これから彼は自分の妻となる白い髪の女性を見つけ出し、彼女に幸せそうに微笑むのだろう。

 ツキンと胸が針で刺されたように痛む。昨夜、自分を求めて情熱的に抱いてくれたように、彼が他の女性を抱くかと思うと身が焦がれるように切なくなる。

 けれど、一度だけでも抱いてくれたことに感謝しなくてはいけない。いくら王族とはいえ、聖女の純潔を奪ったことが表明すれば何かしらの罰を受けることになる。けれど、レオナルドが自ら言わなければ、ユリアナの先見の力が失われたことは秘密にできるはずだ。

 万が一、明るみにでたとしても王族である彼であれば、神殿の攻撃からは守られるだろう。

 父はそのことを考えて、彼を送り込んだのかもしれない。……父はずっと胸に秘めて来た、ユリアナの恋情を知っているに違いないのだから。

 ユリアナは朝日を遮断するようにそっと目を閉じた。

 聖女の力を失った自分がどうなるのか、何もわからない。それでも自分にとって最初で最後の男が、レオナルドで良かったと心から思う。

 手の中の鈴が零れ落ちていく。チリリン、と鳴りながら床に転がっていく鈴の音に、もうこの音を鳴らすレームは消えたことを実感する。

「寒い……」

 何も映すことのない瞳の眦からは、涙がとめどなく流れていく。この想いは、雪解けのころには全て溶けているだろうか。白く冷たい雪のようなこの恋を、いつか手放すことができるだろうか。……もう、彼には二度と会えないのだから。

 ——泣くのは、今だけだから。今日だけは、泣いてもいいよね……。

 外は新しい雪が森の中の屋敷を閉じ込めるように深々と降り積もっている。今は屋敷を覆うように降る雪も、春が来ればいつか溶けてなくなってしまう。そんな雪のように、この想いもなくなる日がくるだろうか。

 その日、ユリアナは横笛を吹くことができなかった。



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