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バルシュ辺境伯と路地裏で②

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「大丈夫か?」
「は、はい……すみません、膝に力が入らなくて」

 彼の低い声を耳元で聴くと、トクトクと鼓動がうるさいくらいに鳴りはじめる。身近に彼の体温を感じると、顔に血が上るようだ。

「すみませんっ、今頃怖くなってきちゃったのかな」

 すると男性は「大丈夫か?」と言い私の様子を伺っている。力強い腕が私の腹に回されていた。

「まだこの地域は危ない。もし、私が怖くないのであれば……馬車まで送ろう」
「あ、はぁ……ありがとうございます。でも、私は……って、きゃあっ!」

 彼は私が返事をした途端、膝裏に手を伸ばすとそのまま横抱きにする。私は思わず彼の首に手を回してしまった。

「あ、あの! 自分で歩けますから」
「だが、膝に力が入らないのであればこの方が安全だ」
「で、でも……こんな、重いのでは」
「ははっ、羽のように軽いから大丈夫だ」

 男は朗らかに笑いながら先を進んでいく。落ちてはいけないとしっかりと首を持ち、身体を寄せる。男はがっしりとした体格で揺らぐことはない。力強い腕に厚い胸板を感じ、私の心臓は早鐘のように打ち始めた。

 ど、どうしよう……こんなことになるなんて。

 慣れない触れ合いに頬が赤く染まる。恥ずかしいと思いながらも、不思議と抵抗感はない。顔は見えなくても、彼の心根が優しいことは伝わってきた。

「それにしても、どうして君はあんな路地裏に一人でいたんだ?」

 男性は歩きながら疑問を口にする。それはそうだろう、私のような令嬢が入り込むような場所ではない。

「あの……少年を好きな魔女がいると聞いて、やってきました」
「少年を好きな……魔女?」
「はい。その方の薬を飲めば、小さな男の子を好きになることができると聞いて」

 怪訝な声を出した彼は、「どうしてそんな薬を求めるのか?」と尋ねてくる。どうしようかと迷いながらも、私は正直に胸の内を話すことにした。

「実は、私は今まで跡取り娘として育てられてきました。でも……この前、弟が生まれて。すると、もう私は後を継がなくてもいいからって。これまで頑張ってきた勉強も、もういいよって言われて」
「……そうか」
「それで、まだ小さな弟が憎くなってしまって。この子が産まれなければ、とか。そんなことを思ってしまう自分も嫌でたまらなくて。でも、魔女が少年を好きになる薬を売っていると聞きました」

 大通りに出るまでの道すがら、彼は静かに話を聞いてくれる。私はなぜか、顔も見えないのに悩みを語り、自分の醜いところを晒していた。

「君は優しいんだな」
「そんなこと、ありません。弟のこと、好きになりたくて」
「無理しなくてもいい。家族だからと言って、誰しもが無条件に好きになれるものでもないだろう。無理をしても……そうしたことは、どこかで反動がでてしまう」

 低く落ち着いた声で『もう、無理に好きにならなくてもいい』と言われると、心の中に刺さっていた棘が抜けていく。まるで背中を撫でられたように、温もりが伝わってくる。

「無理しなくてもいい……」
「ああ、それに魔女に頼るのは良くない。あれはそんな、人を助けるような存在ではない」
「そうなのですか?」
「俺も魔女を探して調べているが、あいつらは人助けをするふりをして、騙すのが仕事だ。君も気をつけた方がいい」

 そこまで言われると、もうこれ以上魔女を探す気持ちにはなれず、彼の言葉で私の心は軽くなっていた。

 大通りに出ると、シェナが馬車の近くで待っているのが見える。彼女は私の姿を見つけると、息を切らして駆け寄って来る。

「お嬢さま! ご無事でしたか?」

 シェナはようやく私を見つけることができ、安堵する声を零した。しかし私を抱き上げる男の顔を見て引きつった表情をする。どうやら襲われていると勘違いしたのか、恐怖に染まった表情をした。

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