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陽の試練 蒴也の忍耐
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結局、ミートローフをほんの少し食べたところで手が止まってしまった陽は昼食後も咲恵と玄関で絵本を読んで過ごした。
家事の合間に様子を見に来る楠瀬も陽の状態を案じて声をかけてくれるが、それに対する陽の反応は薄かった。
空が茜から縹に変わる頃、漸く朔也により玄関のドアが開けられた。
まさか玄関で陽と咲恵の出迎えを受けると思っていなかった朔也は状況が理解できず、咲恵から陽の様子を聞き靴も脱がずに陽を抱き上げた。
朔也はすぐに言葉が見つからなかった。
陽が自分を待っていてくれたことは素直に嬉しい。嬉しいのだが、いつ帰ってくるかも知れない朔也を日がな1日こんな場所で待たせてしまったのだ。
その罪悪感たるや半端なものではない。
『陽くんには試練だったと思うわ』
陽を抱き上げたままの朔也に咲恵が諭すように言う。
それは朝から玄関に座り込んでいたことよりも、朔也に「置いていかれた」と思わせるような状況を作ってしまったことに対してのことだろう。
陽は言葉にできずとも、それに似た感情を抱いたはずだ。
育児と言う概念を持たなかった長谷美由紀と過ごしていた数日前までは、独りで過ごすことに感情を動かすことはなかったのかもしれない。
しかし、朔也からもたらされる心地好い温もりに気付いたのだ。
咲恵や他の2人が居たとしても、それでは埋められない寂しさを覚えてしまったのだろう。
『でもね』
陽を置いていったのには訳があること、そして必ず陽の下へと帰ってくること、それを伝える言動が必要だったのだろうと咲恵は言う。
これまでも言葉をかけてきたつもりではいたが、それでは足りなかったのだ。胸の内で思うだけではだめなのだ。
『陽ごめんな』
朔也の首に巻き付くように腕を回した陽は漸く安心したのか、抱き上げれたまま朔也の耳元で小さく呟く。
『おしっこ』
帰宅した朔也に対して「おかえり」でも「待っていた」でもなく開口一番にそれだ。それに吹き出しそうになりながらも、それが今の陽ならば、それでいい。
『おしっこ言えてエライな』
朔也は陽を抱えたまま靴を脱ぎ、トイレへと向かった。
トイレで床に下ろしても朔也から離れようとしない陽の下衣を脱がせ腰を下ろさせる。
手を繋ぎ、朔也も膝を折って視線を合わせれば陽は安心したように用を足し始める。
『なぁ陽』
俺は仕事をしてお前も、組の若衆も、フロント企業の社員やその家族も養っていかなければならない。
だから仕事で家を留守にする。
『でもな』
必ず陽の所に帰ってくるから。陽もこの家で待っていてほしい。
2人の場所。2人の約束。
『玄関で待たなくても、部屋に居てくれればいい』
必ず帰ってくるから。
相変わらず無表情な陽が2人の約束を理解するのには、もう少し時間がかかるのかもしれない。
今解らないのなら、解るまで何度も言葉にすればいい。朔也にとって、その時間は惜しいものではなく大切な時間だと思えた。
陽の顔に幾分安堵が混じったのは、朔也が帰宅したせいか、2人の約束を作ったせいか、それとも膀胱がスッキリしたせいなのか、真意は不明だ。
こうして2人の初めての約束はトイレと言う色気の欠片もない究極のプライベートな空間で交わされた。
家事の合間に様子を見に来る楠瀬も陽の状態を案じて声をかけてくれるが、それに対する陽の反応は薄かった。
空が茜から縹に変わる頃、漸く朔也により玄関のドアが開けられた。
まさか玄関で陽と咲恵の出迎えを受けると思っていなかった朔也は状況が理解できず、咲恵から陽の様子を聞き靴も脱がずに陽を抱き上げた。
朔也はすぐに言葉が見つからなかった。
陽が自分を待っていてくれたことは素直に嬉しい。嬉しいのだが、いつ帰ってくるかも知れない朔也を日がな1日こんな場所で待たせてしまったのだ。
その罪悪感たるや半端なものではない。
『陽くんには試練だったと思うわ』
陽を抱き上げたままの朔也に咲恵が諭すように言う。
それは朝から玄関に座り込んでいたことよりも、朔也に「置いていかれた」と思わせるような状況を作ってしまったことに対してのことだろう。
陽は言葉にできずとも、それに似た感情を抱いたはずだ。
育児と言う概念を持たなかった長谷美由紀と過ごしていた数日前までは、独りで過ごすことに感情を動かすことはなかったのかもしれない。
しかし、朔也からもたらされる心地好い温もりに気付いたのだ。
咲恵や他の2人が居たとしても、それでは埋められない寂しさを覚えてしまったのだろう。
『でもね』
陽を置いていったのには訳があること、そして必ず陽の下へと帰ってくること、それを伝える言動が必要だったのだろうと咲恵は言う。
これまでも言葉をかけてきたつもりではいたが、それでは足りなかったのだ。胸の内で思うだけではだめなのだ。
『陽ごめんな』
朔也の首に巻き付くように腕を回した陽は漸く安心したのか、抱き上げれたまま朔也の耳元で小さく呟く。
『おしっこ』
帰宅した朔也に対して「おかえり」でも「待っていた」でもなく開口一番にそれだ。それに吹き出しそうになりながらも、それが今の陽ならば、それでいい。
『おしっこ言えてエライな』
朔也は陽を抱えたまま靴を脱ぎ、トイレへと向かった。
トイレで床に下ろしても朔也から離れようとしない陽の下衣を脱がせ腰を下ろさせる。
手を繋ぎ、朔也も膝を折って視線を合わせれば陽は安心したように用を足し始める。
『なぁ陽』
俺は仕事をしてお前も、組の若衆も、フロント企業の社員やその家族も養っていかなければならない。
だから仕事で家を留守にする。
『でもな』
必ず陽の所に帰ってくるから。陽もこの家で待っていてほしい。
2人の場所。2人の約束。
『玄関で待たなくても、部屋に居てくれればいい』
必ず帰ってくるから。
相変わらず無表情な陽が2人の約束を理解するのには、もう少し時間がかかるのかもしれない。
今解らないのなら、解るまで何度も言葉にすればいい。朔也にとって、その時間は惜しいものではなく大切な時間だと思えた。
陽の顔に幾分安堵が混じったのは、朔也が帰宅したせいか、2人の約束を作ったせいか、それとも膀胱がスッキリしたせいなのか、真意は不明だ。
こうして2人の初めての約束はトイレと言う色気の欠片もない究極のプライベートな空間で交わされた。
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