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50.魔王ライフ 後編
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五百年――もうそんなに、時が流れていたなんて。
ベルちゃんに言われるまで、全然気が付かなかったなぁ。
一年に一度、ペンギンさんたちが大きなケーキを用意してくれる日があって、そこで初めて、自分の誕生日が今年も来たことを知る。
それ以外には特に、日付を意識して過ごすことなんて、僕にはなかったから。
今にして思えば、誕生日に独りだったくらいで「死にたい」と嘆いたことなんて、自分でも笑ってしまいそうだ。
でもあの頃のことを、こうして穏やかな気持ちで思い返せるのは、魔王のおかげだよね。
あの人が僕に、望みのままに生きることを、教えてくれたから。
「ふ、ふふっ……そっか、もう五百年なんだ。ふふふ……一番に聞いてもらうのは、どの話がいいかなぁ」
改めて脳裏に浮かんだ、鮮やかな記憶。
その大切な日々に思いを馳せれば、勝手に零れてくる笑みを止めることもなく、僕は描き上げた魔法陣の紙束をお気に入りの鞄に仕舞い込んだ。
『……お前はそう言って、今もまだ笑えるのだな……』
宙に浮いたままとぐろを巻くように体勢を整えたベルちゃんは、相変わらず人を上から見下ろすのが好きなようで。
今の僕には少しだけ小さな物書き机から立ち上がり、それでもやや見上げなければいけない位置にある黒龍の頭へ、視線を向けた。
「別におかしくないと思うよ?時が経てば経つほど、僕の望みに近づくわけだから。……でも、本当にこれ……大丈夫なんだよね?」
そう自信満々に答えつつも、どうしても払拭しきれない懸念の原因――即ち、自分の顔をぺたりと両手で触りながら、部屋の隅に置かれた姿見に映る人間をつい凝視してしまった。
黒龍の後ろ姿の横に佇む、人影。
それはもう、子供に見える程の小柄な人間ではなかったから。
「さすがに、このまま年を取っちゃうと……まずいよ?」
全身を映す鏡の前に歩み寄り、眉根の寄った自分の顔を見つめたまま、次から次へと思いついたことを問いかけていく。
「だいたいさ、僕のことを『不滅に近い』と評したのはベルちゃんでしょ?なのにこの変化はどういうこと?本当の本当に放置してても平気?僕はそろそろアンチエイジング生活とか、若返り魔法の開発に着手すべきなんじゃないの?」
『それについては問題ない……はずだ、と何度も答えたであろう』
「はずだ、なんて確定情報じゃないところが不安要素なんだってば」
むむむ、と更にしかめっ面になった自分の顔を間近で観察しながら、長くなった髪を適当に左肩の前で一つに結う。
勿論、使う髪紐は綺麗な瑠璃色をした、それなりに高価な物だ。
これも宝物庫から借りている物の一つだけれど、いつどのタイミングで僕の想い人と再会するか、わからないからね。
身だしなみには油断せず、ある程度は気を遣っていたいもの。
「……ふふ……この色、魔王はわかってくれるかなぁ」
僕の暗い色をした赤い髪には、光に煌めく青い髪紐がとてもよく映える。
それに気をよくした鏡の中の僕は、不満顔から一転、力の抜けた笑みを浮かべてみせていた。
この笑顔も、魔王が知っている僕とは違うものになってしまったけれど、変わらず『愛い』と持て囃してくれれば……いやいや、でもあの男……ちょっとロリコン、違う、ショタコン疑惑があったんだよね。
「……ベルちゃん、やっぱり若返り魔法教えて?」
『もはや、お前にあれこれ口出しするのは無駄なようだな』
黒龍へ真剣なお願いをした僕に返ってきたのは、深いため息交じりのそんな言葉。
でもそれは、僕が望む返答ではない。
来るべく魔王との再会に向けて、できることには全て挑戦しておかなければいけないのに。
「御託はいいから、さっさとショタ化する魔法か、そのコツを教えてってば。まさかベルちゃんともあろう龍が知らないなんて、言わないよね?魔王と同じくらい、凄い存在なんだものね?」
『少しでよい、遠慮と自制という言葉を思い出せ。まったく……私も焼きが回ったものだ。これのどこに、我が最愛の過去を見たというのか……ちっ』
そう苛立たし気に舌打ちまで零されては、僕も口を噤んで引き下がるしかないではないか。
もう仕方ないなぁ……また今度、この龍がご機嫌な時にでも再チャレンジするしかない。その為には、ベルちゃんご自慢の伴侶とやらの話にも、耳を傾けざるを得ないだろうか。
とりあえず今は、食事に付き合ってもらおう。
でも、そんな僕の脳内予定にはお構いなしに、突然ベルちゃんはクルクルと渦を巻くように宙で踊り出す。
かと思えば、鋭い牙が並んだワニに似たその顎を、パカッと大きく開いた。
次の瞬間、龍の口からポンッと飛び出してきたのは、薄い光の膜に包まれた細い漆黒のブレスレットで――。
「何かな、これ?」
僕の胸の前で浮かぶそれは、見るからに『普通』の装飾品ではない。
きっと『唯一無二』をコレクションするのが大好きな存在なら、間違いなく自分の宝物庫に、それも陳列棚に飾るほど気に入る一品になるだろう。
闇に星を散りばめたような、黒の中で仄かに輝く無数の煌めきは、思わず魅入ってしまいそうになるほど美しいもの。
そのうえ、あまりできのいい魔導士ではない僕ですら感じ取れるほどの、強い――いや、正直に言えば、怖気づきたいほどの強力すぎる魔力を帯びている気が……。
しかし、突然こんな物を吐き出したベルちゃんの次の言葉に、久しぶりに僕の思考は止まった。
『受け取れ。婚礼の――今となっては、前祝いだ』
「……え?」
緩く紫色の瞳を細めて僕を見つめる龍は、淡々とその祝いの品についての説明を続ける。
これは紛失防止魔法、および使用者限定魔法までついた、転移魔法発動用魔道具なのだそうだ。
僕の記憶に在る場所か、視界に映る範囲内であれば、どこへでも自由に転移できるという。
ただし、一日二百回までという制限があるから気をつけろ、と。
「――二百回って、それ無制限に近いよね?」
反射的にそんな指摘を口にしてしまったけれど、なぜかベルちゃんはそれを鼻で嗤った。
『移動手段としてのみ用いるのであれば、事足りよう。ただし、私の最愛のように戦闘に絡めることを考慮するならば、些か注意が必要な制限だ。何せ私の伴侶は――』
「っありがとうベルちゃん!ありがたく頂くよ!僕さ、転移魔法だけはどうしても無理だったから、本当に助かっちゃうな!でも……どうして、今なの?」
油断大敵。ベルちゃんの伴侶自慢突入だけは、是が非でも避けなければいけない。
僕の楽しい魔王ライフの為にはね!!
だから黒龍の言葉を遮るついでに、その真意を興味本位で問うた。
なぜ今この時に、わざわざ『婚礼祝い』を渡してきたのだろう、と。
すると、しばし口を閉じたベルちゃんは、やけに静かな光をその双眸に宿した後、異質な声音でゆっくりと語ってくれた。
まるで、独白のように。
『状況の過酷さは違えど、私の最愛もかつて、元は只人の身でありながらも、お前と同じような選択をした。そして永き時を越えたものの、その想いが報われることはなかった』
思わず、息を呑む。
『私が生まれる以前に起きたその事実は、決して変えられぬとはいえ、私は……残酷な時から、私の最愛を守ることができなかった』
窓から差し込む陽光に煌めく、黒龍の体。
それは小さく身じろぎすると、その頭をもたげた。
視線の先に映るのは、窓の向こうの青い空――その更に、彼方だろうか。
『私はそれが今でもまだ、歯噛みするほどに口惜しい。たとえ我が伴侶自身が、気にするなと笑ってくれようともな。故に、この異界の地にて偶然知己を得たお前が、同じ道を辿ることは、不愉快で仕方なかった』
だからこの龍は、何度も僕へ干渉しようとしたのか。
『この私の前で、永き時に独り挑む魔術師など――捨て置けるはずがない』
合成音声に似た、無機質な声音。
でも、そこに宿った鮮烈な感情がありありと見て取れるのは、それほどまでにこの龍が、その『最愛』を想っているからだろう。
ただ……この龍が今現在、想い人と長期間離れ離れになっているのであれば、僕ももう少しくらいは、つられて感傷的な気分に浸れたかもしれない。
だけど僕、知ってるんだよね。
ベルちゃんの意識は、この造り物である龍の体で活動している時だけ、こちらの世界に在る。
その根本の意識と本当の体――いわば本体とやらは、こことは違う彼自身の世界にいる。
そこで今も、ご自慢の最愛の伴侶さんとやらとラブラブ生活を送っているのだ、と。
こっちは聞いてもいないのに、自分から教えてくれたからね、この龍!!
僕がいわば遠距離恋愛中だっていうのにさー!だからベルちゃんの伴侶自慢は絶対回避事項なんだよね!んもぉっ……羨ましい!!
(あぁ~~もぉおぉ……!僕をダシにここで惚気ないでよって、言ってもいいかな!?そもそも、ベルちゃん……それ、物凄く自分勝手だよ。いや、勿論僕としては結果的に大助かりなんだけどさ、それでも、自分の奥さんと僕を勝手に重ねられてもさぁ……)
もうこの龍、さっさと宝物庫に戻って、意識も奥さんの所へ帰ってろ!と内心苛つきながら、黄昏ているベルちゃんへ「それじゃあまた今度」を切り出すタイミングを計る。
このお祝いの品は既に、ありがたくささっと左の手首に付けさせてもらったから、本当にもう用はないし。
だというのに、フッとなぜか虚空を見つめて笑ったベルちゃんは、まだ語り足りないようで……。
『……そう思っていたのだが。どうやらお前は、私の最愛などよりも余程図太く、強かで、逞しいらしい』
「それ褒めてないよね?」
『この五百年、それなりに楽しくやってこれたほど、あの魔王に相応しき不遜なお前ならば、その目覚めまでも辿りつけよう』
「お墨付きは嬉しいけど、絶対褒めてないよね?」
『そう判じたが故に、かつて我が朋より所望されし「極上の異界の品」を今、その伴侶へ奉じたまで――……待て貴様、もっと丁重に押し戴いてから身に付けぬか。我が最愛が手ずから創り出した、至高の一品なのだが?』
もう帰れ、この惚気龍。
再びこちらへ視線を戻したベルちゃんからの指摘に、にっこり笑顔の僕が解き放ってしまった本心によって、黒龍の矜持をかけた舌戦が開幕したのは、この直後のことだった。
そんな久しぶりの楽しい時間を過ごした後、僕は一人で神樹の下を訪れていた。
晴れた空には雲が出始め、その色も明るい蒼から黄金と朱色のマーブル模様へと変わっている。
「ふわぁ……これ、本当に転移魔法が使えるんだ。凄いなぁ……」
左手を顔の前に掲げ、手首で揺れる細身の黒いブレスレットを改めて観察する。
僕は今まで、主に使い魔を改良することで身の回りの環境やら、戦争に向けての準備を整えてきたけれど、どうしても転移魔法系だけは習得できなかった。
だから移動手段として最も速いのは、鳥型の使い魔による音速飛行くらいなもので……それは滅多に使いたくないから、普段は狼型使い魔を足にしているけれど。
でも、この魔道具があれば、今よりももっとやれる事が増えそうだ。
こうして試しに使ってみれば、魔王城から神樹の下まで、文字通り一瞬で辿りつけてしまったし。
「いっそ……世界征服とか、しちゃう?」
掲げた手の向こうに聳えるのは、真っ白な神樹。
その葉一つも風にそよぐことのない、無機質な石像だ。
あの日から何一つ変わることのないそれに向けて、冗談九割、本気一割で、そんなことを僕は呟いていた。
神樹を囲う広大な野原は、今はもう見事なまでに青と白の可憐な花々で埋め尽くされ、風が吹き抜けていく度にそれが波のように揺れる。
その中でちらほら動く影は、僕の大好きなシュレーズを造る作業担当であるペンギンさんたち。
今年のできはどうかな、と楽しみにしながら、いつもと変わらないその光景を眺めているうちに、今度はふと思い出し笑いが込み上げてきた。
それは、今日の黒龍の去り際のこと。
『餞別のついでに教えてやろう。私はかつて、お前に告げたな。お前も私と同じ、奴の単なるお気に入りの収蔵品、その一つに過ぎぬと』
何だかんだ言いながらも、僕の昼食に付き合ってくれた後、宝物庫へと戻ろうとしたベルちゃんはそう言って、
『だが、魔王の感情が魔族にすら伝播するほど、特別に『何か』を愛でたのは、私が知る限りお前が初めてだ』
柔らかく微笑んでいたように、僕には思えた。
「ふ、ふふっ……ベルちゃんたら、もっと早く教えてくれてもいいのに……もぅ……ふふっ」
夕日に照らされてもなお、白く白く輝く穢れなき大きな存在は、まさしくあの人そのものだ。
今後はどうであれ、少なくとも過去においては、僕はその『特別』であったのだと明かされて、嬉しくないはずがない。
そんな今日が――五百年過ごして辿り着いたこの時が、折り返しなのか、それともまだまだスタート地点なのか、僕にはわからない。
だけど、
「早く戻って来てね、魔王。でないと――話したいことばかりが増え過ぎて、聞くのが大変になるよ?僕がする話なんだもの……全部残らず、聞いてくれるよね?」
まだ、笑いながらこんなことを口にできる。
だから僕は、まだ大丈夫。
まだまだ僕は、僕の望みのためだけに戦っていける。
自分へそう暗示のように、言い聞かせた。
ベルちゃんに言われるまで、全然気が付かなかったなぁ。
一年に一度、ペンギンさんたちが大きなケーキを用意してくれる日があって、そこで初めて、自分の誕生日が今年も来たことを知る。
それ以外には特に、日付を意識して過ごすことなんて、僕にはなかったから。
今にして思えば、誕生日に独りだったくらいで「死にたい」と嘆いたことなんて、自分でも笑ってしまいそうだ。
でもあの頃のことを、こうして穏やかな気持ちで思い返せるのは、魔王のおかげだよね。
あの人が僕に、望みのままに生きることを、教えてくれたから。
「ふ、ふふっ……そっか、もう五百年なんだ。ふふふ……一番に聞いてもらうのは、どの話がいいかなぁ」
改めて脳裏に浮かんだ、鮮やかな記憶。
その大切な日々に思いを馳せれば、勝手に零れてくる笑みを止めることもなく、僕は描き上げた魔法陣の紙束をお気に入りの鞄に仕舞い込んだ。
『……お前はそう言って、今もまだ笑えるのだな……』
宙に浮いたままとぐろを巻くように体勢を整えたベルちゃんは、相変わらず人を上から見下ろすのが好きなようで。
今の僕には少しだけ小さな物書き机から立ち上がり、それでもやや見上げなければいけない位置にある黒龍の頭へ、視線を向けた。
「別におかしくないと思うよ?時が経てば経つほど、僕の望みに近づくわけだから。……でも、本当にこれ……大丈夫なんだよね?」
そう自信満々に答えつつも、どうしても払拭しきれない懸念の原因――即ち、自分の顔をぺたりと両手で触りながら、部屋の隅に置かれた姿見に映る人間をつい凝視してしまった。
黒龍の後ろ姿の横に佇む、人影。
それはもう、子供に見える程の小柄な人間ではなかったから。
「さすがに、このまま年を取っちゃうと……まずいよ?」
全身を映す鏡の前に歩み寄り、眉根の寄った自分の顔を見つめたまま、次から次へと思いついたことを問いかけていく。
「だいたいさ、僕のことを『不滅に近い』と評したのはベルちゃんでしょ?なのにこの変化はどういうこと?本当の本当に放置してても平気?僕はそろそろアンチエイジング生活とか、若返り魔法の開発に着手すべきなんじゃないの?」
『それについては問題ない……はずだ、と何度も答えたであろう』
「はずだ、なんて確定情報じゃないところが不安要素なんだってば」
むむむ、と更にしかめっ面になった自分の顔を間近で観察しながら、長くなった髪を適当に左肩の前で一つに結う。
勿論、使う髪紐は綺麗な瑠璃色をした、それなりに高価な物だ。
これも宝物庫から借りている物の一つだけれど、いつどのタイミングで僕の想い人と再会するか、わからないからね。
身だしなみには油断せず、ある程度は気を遣っていたいもの。
「……ふふ……この色、魔王はわかってくれるかなぁ」
僕の暗い色をした赤い髪には、光に煌めく青い髪紐がとてもよく映える。
それに気をよくした鏡の中の僕は、不満顔から一転、力の抜けた笑みを浮かべてみせていた。
この笑顔も、魔王が知っている僕とは違うものになってしまったけれど、変わらず『愛い』と持て囃してくれれば……いやいや、でもあの男……ちょっとロリコン、違う、ショタコン疑惑があったんだよね。
「……ベルちゃん、やっぱり若返り魔法教えて?」
『もはや、お前にあれこれ口出しするのは無駄なようだな』
黒龍へ真剣なお願いをした僕に返ってきたのは、深いため息交じりのそんな言葉。
でもそれは、僕が望む返答ではない。
来るべく魔王との再会に向けて、できることには全て挑戦しておかなければいけないのに。
「御託はいいから、さっさとショタ化する魔法か、そのコツを教えてってば。まさかベルちゃんともあろう龍が知らないなんて、言わないよね?魔王と同じくらい、凄い存在なんだものね?」
『少しでよい、遠慮と自制という言葉を思い出せ。まったく……私も焼きが回ったものだ。これのどこに、我が最愛の過去を見たというのか……ちっ』
そう苛立たし気に舌打ちまで零されては、僕も口を噤んで引き下がるしかないではないか。
もう仕方ないなぁ……また今度、この龍がご機嫌な時にでも再チャレンジするしかない。その為には、ベルちゃんご自慢の伴侶とやらの話にも、耳を傾けざるを得ないだろうか。
とりあえず今は、食事に付き合ってもらおう。
でも、そんな僕の脳内予定にはお構いなしに、突然ベルちゃんはクルクルと渦を巻くように宙で踊り出す。
かと思えば、鋭い牙が並んだワニに似たその顎を、パカッと大きく開いた。
次の瞬間、龍の口からポンッと飛び出してきたのは、薄い光の膜に包まれた細い漆黒のブレスレットで――。
「何かな、これ?」
僕の胸の前で浮かぶそれは、見るからに『普通』の装飾品ではない。
きっと『唯一無二』をコレクションするのが大好きな存在なら、間違いなく自分の宝物庫に、それも陳列棚に飾るほど気に入る一品になるだろう。
闇に星を散りばめたような、黒の中で仄かに輝く無数の煌めきは、思わず魅入ってしまいそうになるほど美しいもの。
そのうえ、あまりできのいい魔導士ではない僕ですら感じ取れるほどの、強い――いや、正直に言えば、怖気づきたいほどの強力すぎる魔力を帯びている気が……。
しかし、突然こんな物を吐き出したベルちゃんの次の言葉に、久しぶりに僕の思考は止まった。
『受け取れ。婚礼の――今となっては、前祝いだ』
「……え?」
緩く紫色の瞳を細めて僕を見つめる龍は、淡々とその祝いの品についての説明を続ける。
これは紛失防止魔法、および使用者限定魔法までついた、転移魔法発動用魔道具なのだそうだ。
僕の記憶に在る場所か、視界に映る範囲内であれば、どこへでも自由に転移できるという。
ただし、一日二百回までという制限があるから気をつけろ、と。
「――二百回って、それ無制限に近いよね?」
反射的にそんな指摘を口にしてしまったけれど、なぜかベルちゃんはそれを鼻で嗤った。
『移動手段としてのみ用いるのであれば、事足りよう。ただし、私の最愛のように戦闘に絡めることを考慮するならば、些か注意が必要な制限だ。何せ私の伴侶は――』
「っありがとうベルちゃん!ありがたく頂くよ!僕さ、転移魔法だけはどうしても無理だったから、本当に助かっちゃうな!でも……どうして、今なの?」
油断大敵。ベルちゃんの伴侶自慢突入だけは、是が非でも避けなければいけない。
僕の楽しい魔王ライフの為にはね!!
だから黒龍の言葉を遮るついでに、その真意を興味本位で問うた。
なぜ今この時に、わざわざ『婚礼祝い』を渡してきたのだろう、と。
すると、しばし口を閉じたベルちゃんは、やけに静かな光をその双眸に宿した後、異質な声音でゆっくりと語ってくれた。
まるで、独白のように。
『状況の過酷さは違えど、私の最愛もかつて、元は只人の身でありながらも、お前と同じような選択をした。そして永き時を越えたものの、その想いが報われることはなかった』
思わず、息を呑む。
『私が生まれる以前に起きたその事実は、決して変えられぬとはいえ、私は……残酷な時から、私の最愛を守ることができなかった』
窓から差し込む陽光に煌めく、黒龍の体。
それは小さく身じろぎすると、その頭をもたげた。
視線の先に映るのは、窓の向こうの青い空――その更に、彼方だろうか。
『私はそれが今でもまだ、歯噛みするほどに口惜しい。たとえ我が伴侶自身が、気にするなと笑ってくれようともな。故に、この異界の地にて偶然知己を得たお前が、同じ道を辿ることは、不愉快で仕方なかった』
だからこの龍は、何度も僕へ干渉しようとしたのか。
『この私の前で、永き時に独り挑む魔術師など――捨て置けるはずがない』
合成音声に似た、無機質な声音。
でも、そこに宿った鮮烈な感情がありありと見て取れるのは、それほどまでにこの龍が、その『最愛』を想っているからだろう。
ただ……この龍が今現在、想い人と長期間離れ離れになっているのであれば、僕ももう少しくらいは、つられて感傷的な気分に浸れたかもしれない。
だけど僕、知ってるんだよね。
ベルちゃんの意識は、この造り物である龍の体で活動している時だけ、こちらの世界に在る。
その根本の意識と本当の体――いわば本体とやらは、こことは違う彼自身の世界にいる。
そこで今も、ご自慢の最愛の伴侶さんとやらとラブラブ生活を送っているのだ、と。
こっちは聞いてもいないのに、自分から教えてくれたからね、この龍!!
僕がいわば遠距離恋愛中だっていうのにさー!だからベルちゃんの伴侶自慢は絶対回避事項なんだよね!んもぉっ……羨ましい!!
(あぁ~~もぉおぉ……!僕をダシにここで惚気ないでよって、言ってもいいかな!?そもそも、ベルちゃん……それ、物凄く自分勝手だよ。いや、勿論僕としては結果的に大助かりなんだけどさ、それでも、自分の奥さんと僕を勝手に重ねられてもさぁ……)
もうこの龍、さっさと宝物庫に戻って、意識も奥さんの所へ帰ってろ!と内心苛つきながら、黄昏ているベルちゃんへ「それじゃあまた今度」を切り出すタイミングを計る。
このお祝いの品は既に、ありがたくささっと左の手首に付けさせてもらったから、本当にもう用はないし。
だというのに、フッとなぜか虚空を見つめて笑ったベルちゃんは、まだ語り足りないようで……。
『……そう思っていたのだが。どうやらお前は、私の最愛などよりも余程図太く、強かで、逞しいらしい』
「それ褒めてないよね?」
『この五百年、それなりに楽しくやってこれたほど、あの魔王に相応しき不遜なお前ならば、その目覚めまでも辿りつけよう』
「お墨付きは嬉しいけど、絶対褒めてないよね?」
『そう判じたが故に、かつて我が朋より所望されし「極上の異界の品」を今、その伴侶へ奉じたまで――……待て貴様、もっと丁重に押し戴いてから身に付けぬか。我が最愛が手ずから創り出した、至高の一品なのだが?』
もう帰れ、この惚気龍。
再びこちらへ視線を戻したベルちゃんからの指摘に、にっこり笑顔の僕が解き放ってしまった本心によって、黒龍の矜持をかけた舌戦が開幕したのは、この直後のことだった。
そんな久しぶりの楽しい時間を過ごした後、僕は一人で神樹の下を訪れていた。
晴れた空には雲が出始め、その色も明るい蒼から黄金と朱色のマーブル模様へと変わっている。
「ふわぁ……これ、本当に転移魔法が使えるんだ。凄いなぁ……」
左手を顔の前に掲げ、手首で揺れる細身の黒いブレスレットを改めて観察する。
僕は今まで、主に使い魔を改良することで身の回りの環境やら、戦争に向けての準備を整えてきたけれど、どうしても転移魔法系だけは習得できなかった。
だから移動手段として最も速いのは、鳥型の使い魔による音速飛行くらいなもので……それは滅多に使いたくないから、普段は狼型使い魔を足にしているけれど。
でも、この魔道具があれば、今よりももっとやれる事が増えそうだ。
こうして試しに使ってみれば、魔王城から神樹の下まで、文字通り一瞬で辿りつけてしまったし。
「いっそ……世界征服とか、しちゃう?」
掲げた手の向こうに聳えるのは、真っ白な神樹。
その葉一つも風にそよぐことのない、無機質な石像だ。
あの日から何一つ変わることのないそれに向けて、冗談九割、本気一割で、そんなことを僕は呟いていた。
神樹を囲う広大な野原は、今はもう見事なまでに青と白の可憐な花々で埋め尽くされ、風が吹き抜けていく度にそれが波のように揺れる。
その中でちらほら動く影は、僕の大好きなシュレーズを造る作業担当であるペンギンさんたち。
今年のできはどうかな、と楽しみにしながら、いつもと変わらないその光景を眺めているうちに、今度はふと思い出し笑いが込み上げてきた。
それは、今日の黒龍の去り際のこと。
『餞別のついでに教えてやろう。私はかつて、お前に告げたな。お前も私と同じ、奴の単なるお気に入りの収蔵品、その一つに過ぎぬと』
何だかんだ言いながらも、僕の昼食に付き合ってくれた後、宝物庫へと戻ろうとしたベルちゃんはそう言って、
『だが、魔王の感情が魔族にすら伝播するほど、特別に『何か』を愛でたのは、私が知る限りお前が初めてだ』
柔らかく微笑んでいたように、僕には思えた。
「ふ、ふふっ……ベルちゃんたら、もっと早く教えてくれてもいいのに……もぅ……ふふっ」
夕日に照らされてもなお、白く白く輝く穢れなき大きな存在は、まさしくあの人そのものだ。
今後はどうであれ、少なくとも過去においては、僕はその『特別』であったのだと明かされて、嬉しくないはずがない。
そんな今日が――五百年過ごして辿り着いたこの時が、折り返しなのか、それともまだまだスタート地点なのか、僕にはわからない。
だけど、
「早く戻って来てね、魔王。でないと――話したいことばかりが増え過ぎて、聞くのが大変になるよ?僕がする話なんだもの……全部残らず、聞いてくれるよね?」
まだ、笑いながらこんなことを口にできる。
だから僕は、まだ大丈夫。
まだまだ僕は、僕の望みのためだけに戦っていける。
自分へそう暗示のように、言い聞かせた。
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