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◇後日談&番外編
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◆番外編:本編開始前のカナタ過去話
《魔導の頂点》。
いつの頃からか俺は、この世界の人間からそう呼ばれるようになっていた。
その言葉の意味も由来も全く興味はなく、他の呼び名と同じように、呼びたいように呼ばせていたらそれが定着していただけ。何の感慨もない。
なのにそんな呼び名を、誰よりも想いを込めて口にする男が、いる。
「ここにいたのか、《魔導の頂点》」
あぁ、まただ――。俺が誰よりも好きだったその声音で、俺の名とは違う音で、俺を呼ぶ。
苛立ちか嫌悪か、どちらにせよ決してプラスではない感情がちろりと胸に灯る中、俺はゆっくりと目を開けた。
フレイリール連邦のド田舎、人の手もろくに入っていない深い森の中に在る、シュレインの物だった隠れ家の一つ。今日はそこでしばらく過ごしていたところだった。
一見粗末な木造の小屋、されど俺の諸々の魔術によって強固に保護されているその建物の前で、丁度一休みしていたのだ。
「何故、外のソファーで午睡しているのだ?不用心であろう。」
直接地に膝をつき、俺を覗き込みながらそう言ったのは案の定、この前独り立ちをしたばかりの弟子だ。
俺の知る凡そ全ての中で、最も秀麗な顔。その眉間に僅かばかり皺を刻み、誰よりも何よりも懐かしい紫水晶の瞳で、ひたとこちらを見下ろしてくる。
当然、この弟子が転移魔法で俺の近くに跳んで来る気配は事前に察知していた。やろうと思えば、転移自体を阻むことも出来たが、そこまで毛嫌いしているわけではない。
むしろ、この弟子には一番の期待をしているところだ。俺が終わりを迎えたその後に、幾許かでも世界を維持してくれそうだと。
シュレインが巡っているはずの、この世界を今のまま維持すること。それだけが、俺の生きる理由なのだから。
その為には、こいつにも少しは甘い顔をしておくべきだろうか。
俺を見るその瞳に、言葉以上の想いを潜ませる青二才は、たかだか数分の直接会話の為だけに俺を捜して、見つけて、足繁く通う健気な奴なのだから。
そんな打算で俺はよくこいつと、皇子と直接会っている。
「俺の寝首でも搔きに来たのか?皇子。」
「即位は終わった、もう皇子ではない。それより狙われているのか?誰に?何処の手の者だ?他の魔術師は知っているのか?身を隠すなら空いている離宮がある故、すぐに用意――――」
「わかった、俺が悪かった、冗談だ、皇帝。」
「一人前になったら、名で呼ぶ約束だったはずだが。」
まだ二十歳そこそこの若造に、こうして言葉を交わすたびに訂正を強いられるのも鬱陶しい。かと言って、名前が長ったらしくて呼びにくいなどの特段の事情がない限り、この世界の人間を親し気に呼ぶ気など今も昔もさらさらない。
それでも、あの人と同じ紫色の瞳が、あの人と全く違う光を纏って俺を見据えるから―――
「ちっ………ほんっとしつこいな、ロディリクスは。」
早々に面倒くさくなって、請われるままにその名を口にするのも、いつものことだ。
そして、いっそ甘いと言えるほどに、奴がその双眸を緩く眇めるのも。
そんな瞳で俺を見るな、虫唾が走る。
喉元まで出かかった言葉を意識的に飲み込みながら、俺はようやく転寝していたソファーから身を起こして立ち上がった。ついでに地面に置いていたソファーは、勝手に拝借していた顔見知りの商人の元へ転移魔術で送り返しておく。
「もう行くのか?」
若く、ほんの少しまだ少年のあどけなさの残る麗しい顔を残念そうに歪める男。その表情一つに、また胸の奥が小さくざわつき始めるのだ。
俺の中に遺るあの人の面影に比べて、この男はまだ幾分若い。だがそれも、あと何年のうちだろうか。いずれすぐに、この男はシュレインの見た目に追いつくのだろう。
その時、俺は平静でいられるのか。
シュレインを亡くしてからずっと、その巡る先はどこだと世界を駆けずり回って捜しているのに、俺には未だ何もわからないのに。
まだ幼かったこの男を見つけた時ほど、期待に胸が震えたことはなかった。でも結局、捜しても捜しても、シュレインを見つけられないままだ。
それなのに、もしこの男が、シュレインの見た目通りに成長してしまったら――………
「《魔導の頂点》?」
俺をそう呼ぶことに、耐えられるのか?今ですら、遠い昔に死んだ子供の声が頭の奥から聞こえる気がするのに。
そんな名前で呼ばないで、ちゃんと『カナタ』って呼んでほしい
頭を撫でて、髪を梳いて、よくやったって褒めてほしい
もう置いていかないで、傍に………ずっとずっと傍にいてほ―――
「………馬鹿だな」
「?――すまぬ、何か気に障っただろうか。」
蘇りかけた子供のくだらない願望を思わず切って捨てれば、隣に佇む男がそう気遣わし気に口にした。
ほんの十年で、あっという間に俺の背を追いぬいた弟子を見上げながら、何でもないとだけ応えた後、適当な転移地点を意識していく。
今日はここに泊まろうかと思ったが、ロディリクスがいるならば早々に立ち去りたい。ふとした切っ掛けで、この男を殺してしまわぬように。
(シュレインと同じくせに、シュレインじゃない、シュレインの偽物、紛い物、劣化品………。違う、本当はそうじゃない。わかっているのに、どうしても止められない―――)
俺が亡くした、一番大切な人。焦がれて焦がれて、捜し続けている、人。
もう二度と会えないという絶望を誤魔化し続けて、今も息をしているというのに。それを嘲笑うかのような存在が、目の前にいる。
お前の失くしたモノはこれだろう?どうだ欲しいか?と、よりにもよって偽物をこれ見よがしに、眼前に突きつけられているようだ。
(あぁくそっ……面倒だな。殺してしまえば楽なんだが、それでもこの男は貴重な魔術師だから必要で………俺の後釜にもなれるから、死なれたら困るのも俺で……………はぁ)
ここ数百年、自分の思うが儘に短絡的に生きてきた自覚はある。
気に入らなければ壊す、気に入れば守る。そんなことを繰り返していたせいで、気に入らないが壊してもいけない存在なんて出てくると、どうしたらいいのかわからなくなる。
「皇帝が暇なわけないだろ。俺に構うより仕事しろ馬鹿が、と言ったんだ。」
「政務に滞りはない。それにお前を訪ねるより重要な事など、あるはずもなかろう。」
誤魔化しついでに継いだ言葉に、なぜか嬉しそうに応える弟子。
視線を逸らしていたはずなのに、どうしてか俺の視界の隅に映ったその微笑に、また酷く胸の中を搔き乱される。
だから、他に何も告げることなく次の瞬間には、俺は全く別の場所にある隠れ家の室内へと転移した。
ベッドと机と椅子。必要最低限の物しかない、がらんとしたいつもの小部屋に知らず息をついたのは、安堵からだったのだろうか。
「―――シュレインは、あんな顔で笑わない。」
無意識に零れた言葉と共に隠れ家を震わせた振動と轟音は、俺が空に向けて苛立ち紛れに放った魔術のせいだ。
都市であれば軽く廃墟に出来るほどの威力だが、空中であれば被害も大して出ないだろう。
何よりも、ロディリクスを殺さずに済んだのだ。今日は、まだ。
ただ、これから先はどうしたらいいのか。
俺はいつまでシュレインを追い求めて、その面影をロディリクスに見ながら、生きていかなければいけないのだろうか。
「――――もう、疲れた。」
言葉にすれば途端に、どっと疲労が体を覆う錯覚さえして、ずるずるとそのまま床に座り込む。ベッドに横になるのすら、しんどい。
そうして自分の膝を抱え込んで頭を垂れながら、ゆっくりと目を閉じる。もう、色々考えるのも面倒で、心が大きく動かされるのも煩わしい。
憎しみも哀しみも寂しさも、もうたくさんだ。いっそ、石のように本当に何も感じなくなってしまえればいいのに。
それでも、まだこの異世界は続いていくから、続けていかねばならないから、俺は息を止めるわけにはいかないんだ、まだ。
俺を見て淡く深く輝く紫色の瞳と、そこに宿る熱に気づきながらも、殺意と動揺を押し殺して、全てを先送りにしながら。
――――そんな風に考えていたことを、百年近く経った今、なぜか鮮明に思い出している。
「っ…げほっ……」
剥き出しの大地の上で、気が付いたら横向きに倒れこんでいた。
はっきり自分の状況をそう自覚したのは、咳き込んだ拍子に口から零れた赤が、土色に黒く染みをつけてからだった。
戦闘中に意識が飛ぶなんて、今まであっただろうか……。ぼんやりとそう考えていられたのは、もう体の感覚がほとんどなくて、ろくに痛みも感じていないせいだろう。
だがデレス級13体の同時発生、なんてふざけた事態が起きたが、どうにか俺の計画通り全てのデレスを討伐出来たようだ。
視界の隅に映る蒼い世界…………もう既に紫色へと変わりゆく自然魔力を眺めながら、それに酷く安心した。
俺の防御魔術を突破する程のデレス級なんて、残り四人の魔術師が束になって対処したとしても、荷が勝ちすぎるだろう。それを俺一人の命で全て葬り去れたのならば、十分お釣りがくる。
記憶という経験値を魔力に変換する、という荒業も上手く成功した。その記憶も、悪いとは思うがロディリクスに予定通り押し付けることができた。
だから、全て、上手くいったはずだ。
今はまだ俺にも記憶が残ったままだが、おそらく多少の時間をかけて消えていくのだろう。
ぼろぼろになったこの体から、止まることなく血が零れていくのと同じように。
(……け、っきょく……シュレイン…………見つけられなかった、な……)
徐々に視界が暗くなっていく中、最期まで脳裏を占めていたのは遠い昔に別れた家族でもなく、永い間求め続けた唯一人だった。
なぜか思考が明瞭になっている今なら、その理由がわかる。
不老不死みたいな躰になって、この世界で生きていかなければならなかった俺は、生きる理由にする為に、シュレインの存在を利用していただけだったのだと。
(好き、だと……思ってたけど…………違ったのかな……守って、くれた人、だから……)
雛鳥に刷り込まれるように、俺は俺自身にそう刷り込んでいたのかもしれない。
シュレインの為に、シュレインが望んだから、シュレインが好きだから―――憎くても、辛くても、哀しくても、生きていかなきゃいけないって。
シュレインは、俺のことなんて愛してくれないのに。彼を理由に、逃げていただけだ。もう誰も好きにならないように、愛さないように、自分が傷つかないよう生きていく為に。
(あ、そうか……俺は、けっきょ、く……)
愛されたかっただけなのかもしれない。
俺が大切に想う、人に。
そうか、だからあれだけロディリクスに苛立ちを覚えたんだ。
あいつなら、俺を愛してくれる。あいつを愛せたなら、きっと俺は幸せだった。俺の欲しいものは全部、ロディリクスが―――ロイが、持っていた。
幼い頃からずっと唯一人、俺だけを見てた。
俺が何をしようと、一度も否定しなかった。
いつだって、どんな時でも、俺にだけその手は伸ばされていた。
(は、ははっ……いま、さら……もう全部……終わったこと、なの、に――)
体の感覚はないのに急に寒気だけを覚える中、長年捻くれて凝り固まっていた存立基盤があっけなく崩れたことを、盛大に自嘲した。
いくら何でも、最期にこんな答え合わせはいらなかったと思いながら。
最期に、独りで、ただ永く生きただけの生を締めくくる。それを声を上げて嗤いたかったのに、口から零れるのは掠れた不規則な吐息か、鉄錆の味がする液体だけ。
でも、これで当然なのだろう。それだけの事は、やってきた。この世界で俺が殺した人間は、それこそ星の数程いるのだから。
だから、これもその報いなのだろう。全てが、自分の終わりすら予定通りだというのに、そこには何の達成感もカタルシスもない。
むしろ、どこまでもあの日と同じ虚無感と孤独に満たされるだけだ。
壊れたからゴミのように森に捨てられた、あの日のように
俺は最期まで独りで、死―――
「カナタッ!!!」
静かな諦念に抱かれて、視界が完全に闇に染まる寸前、声が聞こえた気がした。
もう誰も呼ばないはずの、俺の名を叫ぶ、声が。
それだけで満たされたような、穏やかな暖かさに包まれた。
「カナタ!!カナタッ……!?死ぬな、目を開けろ!!カナタッ!!」
だってその声は、間違いなく俺を愛しいと語り、大切だと告げ、必要だと証明してくれたから。
唯一人、俺だけを求めると。
だから、ふと馬鹿なことを最期に考えた。
……もし、もしも、この穏やかな闇の先で、また目を開くことができるなら、もしもそんな世界があるのなら―――
この男を、『好き』になってもいいだろうか。
そんな生き方が、まだできるだろうか。
今度こそ、大切に想う人から、愛してもらえるなら――……もう少しだけ、終わりを先送りしてもいいかな、と。
《魔導の頂点》。
いつの頃からか俺は、この世界の人間からそう呼ばれるようになっていた。
その言葉の意味も由来も全く興味はなく、他の呼び名と同じように、呼びたいように呼ばせていたらそれが定着していただけ。何の感慨もない。
なのにそんな呼び名を、誰よりも想いを込めて口にする男が、いる。
「ここにいたのか、《魔導の頂点》」
あぁ、まただ――。俺が誰よりも好きだったその声音で、俺の名とは違う音で、俺を呼ぶ。
苛立ちか嫌悪か、どちらにせよ決してプラスではない感情がちろりと胸に灯る中、俺はゆっくりと目を開けた。
フレイリール連邦のド田舎、人の手もろくに入っていない深い森の中に在る、シュレインの物だった隠れ家の一つ。今日はそこでしばらく過ごしていたところだった。
一見粗末な木造の小屋、されど俺の諸々の魔術によって強固に保護されているその建物の前で、丁度一休みしていたのだ。
「何故、外のソファーで午睡しているのだ?不用心であろう。」
直接地に膝をつき、俺を覗き込みながらそう言ったのは案の定、この前独り立ちをしたばかりの弟子だ。
俺の知る凡そ全ての中で、最も秀麗な顔。その眉間に僅かばかり皺を刻み、誰よりも何よりも懐かしい紫水晶の瞳で、ひたとこちらを見下ろしてくる。
当然、この弟子が転移魔法で俺の近くに跳んで来る気配は事前に察知していた。やろうと思えば、転移自体を阻むことも出来たが、そこまで毛嫌いしているわけではない。
むしろ、この弟子には一番の期待をしているところだ。俺が終わりを迎えたその後に、幾許かでも世界を維持してくれそうだと。
シュレインが巡っているはずの、この世界を今のまま維持すること。それだけが、俺の生きる理由なのだから。
その為には、こいつにも少しは甘い顔をしておくべきだろうか。
俺を見るその瞳に、言葉以上の想いを潜ませる青二才は、たかだか数分の直接会話の為だけに俺を捜して、見つけて、足繁く通う健気な奴なのだから。
そんな打算で俺はよくこいつと、皇子と直接会っている。
「俺の寝首でも搔きに来たのか?皇子。」
「即位は終わった、もう皇子ではない。それより狙われているのか?誰に?何処の手の者だ?他の魔術師は知っているのか?身を隠すなら空いている離宮がある故、すぐに用意――――」
「わかった、俺が悪かった、冗談だ、皇帝。」
「一人前になったら、名で呼ぶ約束だったはずだが。」
まだ二十歳そこそこの若造に、こうして言葉を交わすたびに訂正を強いられるのも鬱陶しい。かと言って、名前が長ったらしくて呼びにくいなどの特段の事情がない限り、この世界の人間を親し気に呼ぶ気など今も昔もさらさらない。
それでも、あの人と同じ紫色の瞳が、あの人と全く違う光を纏って俺を見据えるから―――
「ちっ………ほんっとしつこいな、ロディリクスは。」
早々に面倒くさくなって、請われるままにその名を口にするのも、いつものことだ。
そして、いっそ甘いと言えるほどに、奴がその双眸を緩く眇めるのも。
そんな瞳で俺を見るな、虫唾が走る。
喉元まで出かかった言葉を意識的に飲み込みながら、俺はようやく転寝していたソファーから身を起こして立ち上がった。ついでに地面に置いていたソファーは、勝手に拝借していた顔見知りの商人の元へ転移魔術で送り返しておく。
「もう行くのか?」
若く、ほんの少しまだ少年のあどけなさの残る麗しい顔を残念そうに歪める男。その表情一つに、また胸の奥が小さくざわつき始めるのだ。
俺の中に遺るあの人の面影に比べて、この男はまだ幾分若い。だがそれも、あと何年のうちだろうか。いずれすぐに、この男はシュレインの見た目に追いつくのだろう。
その時、俺は平静でいられるのか。
シュレインを亡くしてからずっと、その巡る先はどこだと世界を駆けずり回って捜しているのに、俺には未だ何もわからないのに。
まだ幼かったこの男を見つけた時ほど、期待に胸が震えたことはなかった。でも結局、捜しても捜しても、シュレインを見つけられないままだ。
それなのに、もしこの男が、シュレインの見た目通りに成長してしまったら――………
「《魔導の頂点》?」
俺をそう呼ぶことに、耐えられるのか?今ですら、遠い昔に死んだ子供の声が頭の奥から聞こえる気がするのに。
そんな名前で呼ばないで、ちゃんと『カナタ』って呼んでほしい
頭を撫でて、髪を梳いて、よくやったって褒めてほしい
もう置いていかないで、傍に………ずっとずっと傍にいてほ―――
「………馬鹿だな」
「?――すまぬ、何か気に障っただろうか。」
蘇りかけた子供のくだらない願望を思わず切って捨てれば、隣に佇む男がそう気遣わし気に口にした。
ほんの十年で、あっという間に俺の背を追いぬいた弟子を見上げながら、何でもないとだけ応えた後、適当な転移地点を意識していく。
今日はここに泊まろうかと思ったが、ロディリクスがいるならば早々に立ち去りたい。ふとした切っ掛けで、この男を殺してしまわぬように。
(シュレインと同じくせに、シュレインじゃない、シュレインの偽物、紛い物、劣化品………。違う、本当はそうじゃない。わかっているのに、どうしても止められない―――)
俺が亡くした、一番大切な人。焦がれて焦がれて、捜し続けている、人。
もう二度と会えないという絶望を誤魔化し続けて、今も息をしているというのに。それを嘲笑うかのような存在が、目の前にいる。
お前の失くしたモノはこれだろう?どうだ欲しいか?と、よりにもよって偽物をこれ見よがしに、眼前に突きつけられているようだ。
(あぁくそっ……面倒だな。殺してしまえば楽なんだが、それでもこの男は貴重な魔術師だから必要で………俺の後釜にもなれるから、死なれたら困るのも俺で……………はぁ)
ここ数百年、自分の思うが儘に短絡的に生きてきた自覚はある。
気に入らなければ壊す、気に入れば守る。そんなことを繰り返していたせいで、気に入らないが壊してもいけない存在なんて出てくると、どうしたらいいのかわからなくなる。
「皇帝が暇なわけないだろ。俺に構うより仕事しろ馬鹿が、と言ったんだ。」
「政務に滞りはない。それにお前を訪ねるより重要な事など、あるはずもなかろう。」
誤魔化しついでに継いだ言葉に、なぜか嬉しそうに応える弟子。
視線を逸らしていたはずなのに、どうしてか俺の視界の隅に映ったその微笑に、また酷く胸の中を搔き乱される。
だから、他に何も告げることなく次の瞬間には、俺は全く別の場所にある隠れ家の室内へと転移した。
ベッドと机と椅子。必要最低限の物しかない、がらんとしたいつもの小部屋に知らず息をついたのは、安堵からだったのだろうか。
「―――シュレインは、あんな顔で笑わない。」
無意識に零れた言葉と共に隠れ家を震わせた振動と轟音は、俺が空に向けて苛立ち紛れに放った魔術のせいだ。
都市であれば軽く廃墟に出来るほどの威力だが、空中であれば被害も大して出ないだろう。
何よりも、ロディリクスを殺さずに済んだのだ。今日は、まだ。
ただ、これから先はどうしたらいいのか。
俺はいつまでシュレインを追い求めて、その面影をロディリクスに見ながら、生きていかなければいけないのだろうか。
「――――もう、疲れた。」
言葉にすれば途端に、どっと疲労が体を覆う錯覚さえして、ずるずるとそのまま床に座り込む。ベッドに横になるのすら、しんどい。
そうして自分の膝を抱え込んで頭を垂れながら、ゆっくりと目を閉じる。もう、色々考えるのも面倒で、心が大きく動かされるのも煩わしい。
憎しみも哀しみも寂しさも、もうたくさんだ。いっそ、石のように本当に何も感じなくなってしまえればいいのに。
それでも、まだこの異世界は続いていくから、続けていかねばならないから、俺は息を止めるわけにはいかないんだ、まだ。
俺を見て淡く深く輝く紫色の瞳と、そこに宿る熱に気づきながらも、殺意と動揺を押し殺して、全てを先送りにしながら。
――――そんな風に考えていたことを、百年近く経った今、なぜか鮮明に思い出している。
「っ…げほっ……」
剥き出しの大地の上で、気が付いたら横向きに倒れこんでいた。
はっきり自分の状況をそう自覚したのは、咳き込んだ拍子に口から零れた赤が、土色に黒く染みをつけてからだった。
戦闘中に意識が飛ぶなんて、今まであっただろうか……。ぼんやりとそう考えていられたのは、もう体の感覚がほとんどなくて、ろくに痛みも感じていないせいだろう。
だがデレス級13体の同時発生、なんてふざけた事態が起きたが、どうにか俺の計画通り全てのデレスを討伐出来たようだ。
視界の隅に映る蒼い世界…………もう既に紫色へと変わりゆく自然魔力を眺めながら、それに酷く安心した。
俺の防御魔術を突破する程のデレス級なんて、残り四人の魔術師が束になって対処したとしても、荷が勝ちすぎるだろう。それを俺一人の命で全て葬り去れたのならば、十分お釣りがくる。
記憶という経験値を魔力に変換する、という荒業も上手く成功した。その記憶も、悪いとは思うがロディリクスに予定通り押し付けることができた。
だから、全て、上手くいったはずだ。
今はまだ俺にも記憶が残ったままだが、おそらく多少の時間をかけて消えていくのだろう。
ぼろぼろになったこの体から、止まることなく血が零れていくのと同じように。
(……け、っきょく……シュレイン…………見つけられなかった、な……)
徐々に視界が暗くなっていく中、最期まで脳裏を占めていたのは遠い昔に別れた家族でもなく、永い間求め続けた唯一人だった。
なぜか思考が明瞭になっている今なら、その理由がわかる。
不老不死みたいな躰になって、この世界で生きていかなければならなかった俺は、生きる理由にする為に、シュレインの存在を利用していただけだったのだと。
(好き、だと……思ってたけど…………違ったのかな……守って、くれた人、だから……)
雛鳥に刷り込まれるように、俺は俺自身にそう刷り込んでいたのかもしれない。
シュレインの為に、シュレインが望んだから、シュレインが好きだから―――憎くても、辛くても、哀しくても、生きていかなきゃいけないって。
シュレインは、俺のことなんて愛してくれないのに。彼を理由に、逃げていただけだ。もう誰も好きにならないように、愛さないように、自分が傷つかないよう生きていく為に。
(あ、そうか……俺は、けっきょ、く……)
愛されたかっただけなのかもしれない。
俺が大切に想う、人に。
そうか、だからあれだけロディリクスに苛立ちを覚えたんだ。
あいつなら、俺を愛してくれる。あいつを愛せたなら、きっと俺は幸せだった。俺の欲しいものは全部、ロディリクスが―――ロイが、持っていた。
幼い頃からずっと唯一人、俺だけを見てた。
俺が何をしようと、一度も否定しなかった。
いつだって、どんな時でも、俺にだけその手は伸ばされていた。
(は、ははっ……いま、さら……もう全部……終わったこと、なの、に――)
体の感覚はないのに急に寒気だけを覚える中、長年捻くれて凝り固まっていた存立基盤があっけなく崩れたことを、盛大に自嘲した。
いくら何でも、最期にこんな答え合わせはいらなかったと思いながら。
最期に、独りで、ただ永く生きただけの生を締めくくる。それを声を上げて嗤いたかったのに、口から零れるのは掠れた不規則な吐息か、鉄錆の味がする液体だけ。
でも、これで当然なのだろう。それだけの事は、やってきた。この世界で俺が殺した人間は、それこそ星の数程いるのだから。
だから、これもその報いなのだろう。全てが、自分の終わりすら予定通りだというのに、そこには何の達成感もカタルシスもない。
むしろ、どこまでもあの日と同じ虚無感と孤独に満たされるだけだ。
壊れたからゴミのように森に捨てられた、あの日のように
俺は最期まで独りで、死―――
「カナタッ!!!」
静かな諦念に抱かれて、視界が完全に闇に染まる寸前、声が聞こえた気がした。
もう誰も呼ばないはずの、俺の名を叫ぶ、声が。
それだけで満たされたような、穏やかな暖かさに包まれた。
「カナタ!!カナタッ……!?死ぬな、目を開けろ!!カナタッ!!」
だってその声は、間違いなく俺を愛しいと語り、大切だと告げ、必要だと証明してくれたから。
唯一人、俺だけを求めると。
だから、ふと馬鹿なことを最期に考えた。
……もし、もしも、この穏やかな闇の先で、また目を開くことができるなら、もしもそんな世界があるのなら―――
この男を、『好き』になってもいいだろうか。
そんな生き方が、まだできるだろうか。
今度こそ、大切に想う人から、愛してもらえるなら――……もう少しだけ、終わりを先送りしてもいいかな、と。
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