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78.目指す先

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 ぽすんっ、と柔らかな音を立てて膝から着地した先は、深奥宮殿内で俺専用になっている抜け出してきた寝室、そのベッドの上だ。

 やけくそ気味に転移魔術で帰ってきたが、幸い暴発はしなかったので、横たわったままのロイを踏みつけることもなかった。
ただ、足が夜露に濡れたままなのを忘れていた。綺麗なシーツに泥でもつけたら、ロイに黙って出かけたことがバレてしまう。
バレれば絶対にどこで何をしていたかは追及されるだろうし、ロイに問われていつまで俺が口を割らずにいられるかは……自信がない。むしろ、カナタ?と優しく問われ……いや哀しそうにされるだけで、洗いざらい全部をぶちまける自信ならあるけど。

 完全に俺の我儘だとわかってはいる、でも、ロイには『レガリア』を継承して欲しくないし、ロイとファイの関係も壊したくない。だからわざわざこんな手間をかけた以上、証拠隠滅はきっちりとしなければ。

(えと……ちょっと灯りつけて……よし。あとは、浄化、魔術……で……)

 枕もとより少し高い位置にある埋め込み式光源ランプを手は触れずに魔力だけで操作して、ほんの少しだけ灯す。羽織っていたナイトガウンをこそこそと脱いで、シーツの汚れ具合と合わせてざっと確認し、アヒル座りのまま今の俺にとってはとても簡単な魔術を使おうとしたところで

ぽた、と太腿に置いた緑のガウンの上に何かが落ちた。


(……っ………嘘だろー…なんで、なんで泣くんだよ、俺………)


 一度自覚すれば、堰を切ったようにとめどなく頬を伝う熱と、ともすればしゃくり上げそうになる声を必死に飲み込んで押し殺す。
 今暴れている感情は、『俺』のじゃない。そう言い切ってしまいたいのに、胸に渦巻く想いは頭の中で確かな言葉になっていく。
それが嫌で、無意識に小さく頭を振ったその時、ふわりと柔らかな魔法陣の光が、天蓋カーテンで閉ざされた空間を小さく照らし上げた。途端、俺の濡れていた足も、ほんの少し土で汚れたシーツも、湿気を帯びていたナイトガウンの裾も、何もなかったかのように元通りになる。
ぎょっとして隣に横たわる端正な顔を見下ろせば、その瞼はしっかりと閉じられたままで。

「……っ………ろい?」

泣き声にならないよう、できるだけ自然に聞こえるように、そう小さく問いかければ

「―――私は眠っている。が、そろそろ起きてもよいか?」

なんて意味不明な事を言い出すから、思わず俺は小さく噴き出しながら首を縦に振った。気配だけでもそれを察したのか、やがてゆっくりと瞼の向こうから紫水晶の瞳が現れる。

「どうした?カナタ。、夢見が悪かったか?」

 あーぁ、これ多分全部バレてるんだろうな。おっかしいな……確かに眠りの魔術をかけたはずなのに。さっきまでファイといた時だって、監視魔術の気配なんて全然気づかなかったんだけど。やっぱり、魔力とか魔術のリハビリもっと頑張ろう。
なんて頭の片隅で思いながら、身を起こしたロイがその綺麗な指先で目元を拭ってくれるのを黙って受け入れていた。

 ロイのことだから、俺が考えてることなんてきっと全部お見通しなんだろう。だからこそ、こうして何も知らない振りをしてくれるのか。俺の、為に。

「ん……ちょっと、嫌な、夢……だったから………なぁ愚痴ってもいいかな?」

だから未だ泣き止めない俺は、ありがたくその配慮に甘える事にした。

 どこまでも優しく眇められた紫色の瞳に、甘く低い声音で「おいで」と囁かれたら、もう取り繕うこともできずに顔を歪めて、その胸に飛び込んだ。
背中を大きな手があやすようにゆっくりと往復するのに合わせて、頭を占める言葉を追い出すように、しゃくりあげながら口から吐き出していく。

「……っ、た、たぶん……みと、認められ、たかった…んだ………期待に、応え、たかっ…た!よく、よくやったって……褒めて、ほしっ…かった……!なの、にっ……残念って…んな……言わなくても、いいじゃんっ!わか、わかってる、し……!っおれ、俺が、こんなん、だからっ…、心配して、言ってくれたって、のもっ……わかってる、けどっ……!」

 そう、わかってはいるんだ。あの言葉の数々は、決して悪意じゃないと。でもなぁ、俺の中の俺が、ほんとに子供みたいに泣くんだよ。
 シュレインという大切な人の、役に立ちたかった、期待に応えたかった、認められたかった、そして、手放しに褒めてもらいたかったって。

 それが現実はどうだ。単純・幼稚・子供と手厳しく鑑定されたと思ったら、『残念』扱いだ。この無意識にしていた仄かな期待と、それをことごとく裏切る現実との、落差。
例えるなら、小学生が一生懸命頑張ったテストで90点取ったら、100点じゃなかったのね、と両親にガッカリされたのと同じというか―――……。

「……あぁ、そっか……」

「カナタ?」

 ただ黙って聞いてくれるロイの胸で、ひとしきりしゃくり上げた後、そこまで考えてようやくこの想いの出所に納得した。俺は、きっとあの人にずっと――


「シュレイン、に……父さんを、見てた、のかなぁ……」


これは比較対象のロイがいるからこそ、わかったことかもしれない。

「……うん……ロイと、シュレインへの想いは、やっぱり…。なんだ俺、あの人に父親、やって欲しかったのか……」

 ずっと傍にいて、守ってくれて、助けてくれて、手を引っ張ってこっちだよ、と導いてくれる。
 何もわからず酷い目に遭い続けていた異世界で、初めて俺を庇護してくれた人に、そんな理想の姿を見ていたのかもしれない。
物心がついたばかりの俺に、ほんの少しだけ、そうしてくれたひとがいたように。

 気づいてしまえば、胸にすとんと収まりよく落ちてくる感情に、ようやく楽に息が出来るようになった。
そんな俺の様子を敏感に察知してくれたのか、耳に心地良い声音が「落ち着いたか?」と静かに問いかけてくる。
 絶対的な安堵感をもたらす温もりに包まれる中、それに頷きながら、はたと気づいた。これは今まさに、子供が癇癪起こして泣き喚いた状態、では?

「…………ロイ……こんなガキで、ごめん……」

 そりゃシュレインじゃなくても、単純・幼稚・子供とか言うだろ。しかも、俺としては二度目に記憶を失くしたことで、これが悪化したとも思えない。そう、この世界で目覚めた時から、俺はだった。
 自覚すればするほど自己嫌悪が膨らみ、いたたまれなさも相まってロイの胸に更に顔を埋めながらそう零せば、何故か愉し気に喉の奥で笑う気配につい顔を上げた。
俺の咎めるような視線を受けたロイが、今度は後ろ髪を梳くように手を動かしながら、その精巧な美貌に柔らかな笑みを刻んで

「すまぬ、馬鹿にしているわけではない。ただ――このように泣くカナタも、笑うカナタも、怒るカナタも、全て愛しいと思ってな。」

「……んなっ…な……っ…!」

そんな言葉を、真っ直ぐに馬鹿正直に間近で言うものだから、俺は口を小さく戦慄かせるだけで、何も言えなかった。多分今、頬が急速に熱くなってきているし。
なのに、ロイの口は更に甘い声音を紡いでいく。

「私は『今のカナタ』を一番愛しく想う。《魔導の頂点レグ・レガリア》も、何も知らぬ真っ新なカナタも、大切で愛しいと想うが、それでもカナタが何よりも愛おしい。
 今まで泣きも笑いもしなかった、いやできなかった時間の分を取り戻しているのだと思えば、良いではないか。私はそれがだとは思わぬ。今のカナタには必要なことで、これから積み重ねていくべきことなのだ。
 故に、カナタは思うままに振舞えば良い。」

あぁもう、俺を甘やかすようなことを言うから。

「っ……どーすんだよ……本気にするぞ、それ……。そしたら、もっと俺、鬱陶しくなるかもよ?」

「なればよい。私は一度たりとも、カナタを鬱陶しいなどと思ったことはないがな。」

 抱きすくめられたままロイを見上げているのに、また視界が滲み始めて、その顔が見えなくなるじゃないか。どうしてここまで、『俺』を受け入れて、認めてくれるんだ。

なんで、俺の欲しい言葉を次から次へと、惜しみもなく与えてくれるんだ。


「愛している、私のカナタ。私の『伴侶』、私の最愛
 私の、全て」


 極上の声音がそう静かに紡がれながら、頬を両手で挟まれ、ゆっくりと近づいてくるぼやけた紫色の瞳を直前まで見つめて、目を閉じた。そのすぐ後に、柔らかく触れるだけの熱が唇に落とされる。
 たったそれだけの、熱。なのに、言の葉に込められた莫大な熱量が、わかる。

 全て俺を愛しているからだと、その圧倒的な想いで答えをくれる。
でも、それが少しだけ怖いのだと、俺のどこかが小さく呟く。

 この想いと、同じだけの想いを返せるのか?どれだけこの人を愛せば、その想いに釣り合うのか?こんなにも俺を想ってくれる存在ひとへ、俺は何ができる?


「……好き、大好きだ、ロイ。
 世界で、唯一人の、俺の……『伴侶』」


こんな言葉しか返せない、俺なのに。
それでも、ロイは今まで見てきた中でも一番の、幸せそうな笑みを浮かべるんだ。

 それがあまりにも綺麗だったから、この先何度でも何度でも、俺はこの言葉を贈ろうと強く強く、胸に刻んだ。



 そうして、しばらくまたぐずりあげた俺がようやく落ち着いた後、「そろそろ伝えようと思っていたのだが」と前置きして、ロイはゆっくり話してくれた。

 ロイは皇位を、ヴェルメリア皇国皇帝の地位を、およそ二年後を目途にセネルさんへ譲位する予定であり、先日各国を招いた際、内々にそれを周知させたと。
 それは《魔導の頂点レグ・レガリア》という神にも等しき存在、その『伴侶』が一国の主という一種のパワーバランスの崩壊を防ぐためでもある。

 これまでも皇国は三大陸中のどの国家よりも強大であったが、その皇帝に《魔導の頂点レグ・レガリア》の『愛弟子』だけでなく、『伴侶』という肩書まで加わってしまっては実質上世界の覇権を手にしたのと同等の意義になるらしい。
そうなれば誰も皇国に、ロイに逆らえなくなる。《魔導の頂点》へ逆らえないのと、同じように。

 表面上はどの国も恭順の意を示すだろうが、それでは確実に裏側で不満が溜まり、近い将来何らかの火種になる事はおそらく避けられない。
 負化魔力の浄化に一刻を争う現状で、もし人間同士の戦争でも起きれば、戦闘魔法によって一気に負化魔力が増大し、最悪の場合それが世界滅亡への切っ掛けとなってしまう。
だから、各国をなるべく刺激せず、今までのパワーバランスに沿う形で世界が回るよう、ロイは皇帝を退くと。

 ただそれだけでは、形だけの譲位だと勘繰る国が大半だろう。新たな皇帝となるセネルさんの背後に、俺とロイがいるということに、変わりはないのだから。

「故に、私が《魔導の頂点カナタ》へ婿入りする形を取る予定だ。」

 愉し気に笑ってそう口にしたロイ曰く、昔から俺を信奉する集団が世界各国に点在していたが、近年それをとりまとめて一本に組織化した有能な男がいるらしい。
魔導の頂点レグ・レガリア》を神と崇める、どの国家にも属さない紛うことなき世界的宗教組織なわけだが、皇位を譲位した後、ロイはそこへ身を寄せるのだと。
 それで完全に、とはいかないが表向き皇国とは無関係の立場を手に入れることができる。

「なんか……もう、色々お手数をおかけして……ごめん……」

 俺がロイを誰にもとられたくないから、ロイは俺のだって言っておきたかったから、そんな理由であの『伴侶』宣言を思いついたのに、こんなにもロイの手を煩わせることになるなんて想像してなかった。
それも、俺のせいで本当に皇帝を辞めさせることになるとは……。

 ファイが言っていたのは、この事だったのか。俺の浅はかな『暴走』を、ロイは上手く『処理』してくれた、と。

 ずーん、と再び湧き上がる深い深い自己嫌悪に、吐く息がなくなりそうなほどのため息を零せば、少しだけ眉を顰めたロイに窘められる。

「このような些事、手間でもなければ煩わしくもない。元より、皇位の方が邪魔になっていたくらいだ。それに私は今この百……何十年かのなかで、一番幸福な時を過ごしている。
 他でもないカナタに、この口から、『伴侶』だと言ってもらえたのだから。」

相変わらず自分の歳を正確に覚えていないロイが、再びその口元を緩くつりあげながら、親指の腹で俺の唇を辿ってそう笑う。

「カナタに、誰よりも何よりも想われていると、愛されているのだと、世界を前に証明してもらったのだ。恐悦至極きょうえつしごく祝着至極しゅうちゃくしごく、望外の喜び、あとは何と言えば良い?
 どの言葉も、私のこの慶福を伝えきるには足りぬ。」

 とろりと極上の甘さに蕩けた紫色の瞳を眇め、普段とは違う熱の籠った声音で、そんなことを言い募られたら、俺なんかがこの足りない頭でうだうだ考える余裕なんてあるはずないだろ。

「っそ、そんな甘やかして……後悔しても、責任とれない、からな?」

ほら、もうその言葉だけで単純な俺は、顔を真っ赤にして口ではそう言いながらも、ロイがいいならいいか!と反省タイムを即刻終了しようとしているのだから。
むしろ、俺の想いがちゃんと伝わってる!と感激しそうにまでなっている。

 多分この先も、俺は山ほど自己嫌悪することになるんだろう。今の俺が、そんな出来たものじゃないっていうのは、嫌と言う程思い知らされたから。
 世界のことも、俺とロイの行きつく先のことも、まだまだ不安だらけだ。俺がまた、無自覚に何かやらかすかもしれないし。
何度失敗して、何度後悔して、何度泣くことになるのか、全然見当もつかない。でもきっと俯いている時間も、そう多くはなさそうだ。ロイが、傍にいてくれるのなら。

 だから今は、とにかくまずは一歩一歩、この世界で生きていけばいいのかな。

「誰も甘やかしてなどおらぬが、責任なら私が取ろう。
 カナタは思うが儘、望むが儘に、笑って生きてくれればよいのだ。」


 このどこまでも俺に甘い『伴侶』を、いつの日か支えられるくらいの大人になることを、目指しながら。






 そうしてその夜、空が白むまでロイと語り明かした俺は翌朝、早速後悔して泣きついた。


「なんっ…で?!なぁなんで??俺って……ほんっと――ぐすっ……」

「泣くな、カナタ。タイミングが悪かったのだろう。色々疲れも溜まっていたはずだ。」

「っ……でも、これって……これってさ!?絶対知恵熱だろッ!!?マジで子供じゃん!!ちょっと昨日ぐだぐだ思い悩んだだけなのにッ!!熱出るとかッ……!!!」


 俺が精神的にちゃんとした大人になれる日は、結構遠いのかも、しれない。



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