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76.神の復権
しおりを挟むシュテルグース共和国の首都が壊滅した日から、二か月後。
真昼だというのに生憎の酷い雨模様のせいで、夕暮れ時のように薄暗い中、ヴェルメリア皇国皇宮の大議事堂は、各大陸国家からの来訪者を迎えざわめきに満ちていた。
ドーム状の高い天井に埋め込まれた大型の照明用魔道具を中心に、柱や壁面、果ては床のタイルに至るまで、繊細に施された装飾の数々が煌めく光に満ちた室内では、困惑と猜疑に満ちた感情が渦巻いている。
というのも、今回この場に集っている彼ら、それぞれの大陸に成立している国家及びそう見なされる集団の統治者たちに招集をかけたのが、あの《魔導の頂点》本人だったからだ。
神にも等しき魔術師の名が使われた招待状を、誰が無碍に出来ると言うのか。
例えその文面に「多忙であれば文書で後日知らせるので、欠席でもよい」という意味の一文が添えられていようと、「当日の拘束時間は十分程度」や「出席状況によっては魔術通信で発表する形に切り替える」といささか参加者を気遣う文面になっていようとも。
《魔導の頂点》自らが面前にて玉音を下す、という途方もなく稀有な機会なのだから、他のどのような公務を放り出してでも馳せ参じるのは当然であった。
しかし、今まで滅多に衆目の前に姿を現すことすらしなかったかの存在が、何故突然このような場を設けたのか。一体、何がその口から語られるのか。それは世界の危機か、はたまた破滅なのか。
皇国での療養中に、愛弟子でもあったかの皇帝との関係性を変えたことも周知の事実である以上、様々に思いを巡らせる者も多い。
ヴェルメリア帝が《魔導の頂点》を篭絡し、皇国が全大陸への覇権を唱える為の場ではないか、というまことしやかな噂さえ流れているのだから。
ただし、そんな喧騒も参加者たちが大議事堂への入場を終え、その全てが席についた後、僅かな時間を置いて皇帝の入来を告げる鐘の音が響き渡ればピタリと収まった。
そして誰もが口を噤んだまま、議事堂の最奥へと視線を向ける。
数段高くなったその席は玉座であり、皇国の富と権力を象徴する重厚で華美な座具が鎮座しており、その背後には皇帝とそれを守る近衛兵のみが出入りする専用の扉があった。
三大陸の統治者及びその随伴者、併せて百を優に超える視線が注がれる中、ゆっくりと両開きの扉が開かれる。
まず最初に姿を現したのは、多くの者の記憶にあるよりもかなり短く髪を整え、深紅のローブを纏った皇国の絶対支配者であり、その背後に続くのは公式に次期皇帝であると宣言されている翡翠色のドレスに身を包んだ妙齢の美女。
その二人が、それぞれ玉座の脇に立つと同時に、背後の扉は再び音もなくゆっくりと閉まっていく。
一番の待ち人はどこか、と列席者たちの視線が彷徨う前に、窓の締め切られた室内に微かな風が玉座から吹いた。そう、席の近い者の何人かが感じた直後
最初からそこにいたかのように、小柄な人影が、やや気怠い様子で足を組み、肘掛に頬杖をついて悠然と腰かけていた。
息を呑む小さなどよめきが走る中、立ち上がりかけた何人かの動きを制するようにヴェルメリア皇国皇帝の腕が静かに上がる。
伝えられている黒衣の姿ではなく、鮮やかな空色の外套を身に纏った黒髪の人間は、議場が再び静まるのを待ってから無表情で顔を固定したまま、ゆっくりとその口を開いた。
「遠路はるばる、ご苦労。俺の招待に応えてくれたことに、まず感謝する。
あぁ……初めましての人も多いかな?《魔導の頂点》と呼ばれている者だ。」
少年と青年の狭間で時を止めた、楚々とした涼やかな顔立ちを隠すものは何もなく、露わにされたその容貌に魅入る者が多くいる中、そう自己紹介を終えた薄い唇が再び小さく開く。
「今日、各国の指導者に俺から伝えたいことは三つ。
一つは、色々心配してくれたみたいだけど、俺はこの通り怪我も癒え、元気だってこと。」
決して声を張り上げているわけではないのに、清冽なその声音が議事堂の隅々にまで響き渡るのは、強くも弱くもない絶妙な加減で込められた魔力の為せる技。
文字通り言葉にして語られる《魔導の頂点》の快癒報告に、どこかほっとした空気が生まれた直後
「二つめ、この世界は詰んでいる。人間が魔物に喰いつくされるのは時間の問題だ。」
その滅びの宣告に、室内が一気に凍り付いたように誰もが固まった。ただ、誰かが疑問や真偽を問う声を上げるよりも早く、淡々とした声音が続きの言葉を紡ぎ始める。
それは感情を伴うことなくただ事実だけを羅列するように、負化魔力の存在と、魔物発生の因果関係を語り、このままでは近い将来、凡そ百年程度で世界の至る所で大多数の魔物が発生することになる、と。
「説明した通り、魔術による自然魔力への干渉で、負化魔力は浄化される。今後、俺とその弟子共が今まで以上に各国を渡り歩くだろうから、柔軟な対応と協力を求める。
ただ、はっきり言って五人――まぁ実質四人でどうこうできる段階じゃない。せいぜい時間稼ぎの悪あがきだ。それでも一つだけ、この状況を覆せる手が残っている。だから、各国指導者たちに頼みがある。」
頬杖をついていた腕が宙へと伸ばされると、その空色をした腕にはいつの間にか一匹のドラゴンが現れていた。白銀の毛並みをした小さな生き物が、パタパタと羽搏き玉座の肘掛に舞い降りるのを数多もの視線が追うなか、神託は告げられた。
「こいつらドラゴンも、負化魔力を浄化できる。だから皇国で繁殖させたドラゴンを、各大陸の適切な地に放していこうと思う。場所が決まり次第、該当国家の指導者には伝えるから、全力で守って欲しい。ドラゴンの生息数次第で、世界の趨勢が決まる。
知っての通り、こいつらは巨大化できるし強い生き物ではあるが…………一度眠ったら殺されても起きないらしいから。」
憂い気なため息と共にそう語る《魔導の頂点》が、まさか心の中で「この世界のドラゴンってマジ残念ファンタジー」と嘆いていることなど知る由もなく、列席者たちは深く頷き合いながら互いに視線を交わす。
ドラゴンの希少性も、その身に宿す魔石の価値も、この場にいる者は理解している。なかには過去、密漁に関わっていた者もいるかもしれない。
だがそれが世界の、いや自国の存続に関わるというのなら、話は別だ。是が非でも、下賜されたドラゴンは守らねばならない。さもなくば―――………
「あぁ、もう大体予想はついていると思うけど、もし、仮に、万が一、俺たちの放したドラゴンを意図的に殺したり傷つけた場合は………この先は言わなくてもいいよな?」
そう初めて小さく嗤った神の怒りを買うなど、どんな利潤を前にしても割が合わないのだから。
一度議事堂を睥睨するように見回した《魔導の頂点》は、列席者たちの従順な様子に満足したのか、小さく頷いた後、自分の左側に佇む美女をちらりと見上げ
「じゃあこの件について質問や細かい事は、皇国の次期皇帝となるセネルさ――セネルディアと詰めて欲しい。」
にっっっこり、とどこか圧のある笑みを受けてその名前を言い直した後、《魔導の頂点》はおもむろに玉座から立ち上がる。
つられるように飛び立った白銀のドラゴンが、その左肩へと居場所を変えた後、一同を前に魔術師は不意に、嫣然と笑った。
「最後に、今日一番の重要なお知らせ。」
心の底から嬉しいと、歓喜の滲むような明るい声音で、つい先ほどまで世界の先を淡々と告げていた人物とは別人であるかのように、彼は宣告する。
「ロイは、ロディリクス・ディ・ユレンス・ヴェルメリアは俺の、《魔導の頂点》の『伴侶』だから。
もし手を出すなら、覚悟するように。」
この歴史的な神託の場に居合わせた多くの者たちは、後にこっそりと語る。あれはまさしく寵愛であった、と。
ただ、年相応の少年のように嬉しそうに笑って右腕を伸ばした魔術師と、この上なく甘く瞳を眇めた皇帝がその手を取って微笑む姿は、まさしく神に祝福されたかのように美しかった、とも。
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