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65.この世界は
しおりを挟むドッカン、ドッカン、ドゴォオとかいう物騒なBGMを遠くに聞きながら、まだ被害の出ていない街の一角に降り立った俺とルーファウスは目についた無人のオープンカフェ、その一席に腰を落ち着けていた。
ちらりと通りを見渡してみたが、俺たちの他に誰一人いないのは、この辺りの人々は全て逃げ去った後だからなのだろう。
あの巨大タコ、こと異様なデレス級魔物を前にここなら絶対安全圏、とは言い難いがロイとノルンは奴を街の郊外へと誘導するように戦っているらしいので、ひとまずは大丈夫だろうとルーファウスが判断したのだ。
「はい、それではルーファウス先生の即席魔術講座始まり始まり~」
「簡潔に!かつわかりやすく!最速でお願いしまっす!!」
「師匠、始まる前からの無茶ぶりはご遠慮くださいってな」
ややくたびれた白衣を纏い、長い足を組んでふんぞり返って座るのが様になっているそのオッサンは、顎の無精ひげを撫でながらふざけた口調を改め、思案気に口を開いた。
「ちらっと前も話した、師匠とオレっちたちの魔術は似てるようで似てない。そう師匠本人が口にしてたってのは、覚えてっか?」
「うん、あの時はそこを突っ込んで聞こうとしたら、ロイの待ったが入ったんだよな?」
そうそう、といつかの出来事に頷く青紫色の瞳は、記憶の引き出しを探すかのように虚空を見つめている。
「オレっちとしては、ロディが何を識っているのかも気になるところではあるが、まぁ……今は置いとくか。
で、結局魔法と魔術の違いっていったら、魔力を動かすか出すか、の違いだとオレっちは思ってるし、そこは師匠も変わらないはずなんだけどよ。」
ロイは無事だろうか、と気ばかりが逸るなかそう言いだしたルーファウスの言葉に、俺の頭の中では特大のクエスチョンマークが三つほど浮かぶ。
動かすか、出す???
知らず首が大きく傾いている俺に、ルーファウスが今度は赤みがかかった金髪をがっしがしとかき回しながら眉根を寄せる。
「あー………ほら、魔法使う時は、体内魔力を規定通りに動かして魔法陣を起動させるだろ?こう、頭の中でパズルする感じで。」
「ごめん初耳」
「ロディの過保護め………とにかくそんな感じなんだっつの!で、魔術は――オレっちたちだとバーッと周りに出して、そこにイメージ叩き込んで起動、ってより起爆する感じ?ですかね、師匠?」
「いや聞いてるの俺だって」
「んんんん??昔の師匠曰く、『お前等みたいな天霊人系統の魔術師は想像力がモノを言うのに、この貧弱発想の無能共が』ってよく怒ってたのは確かなんだがなぁ。
一瞬で街を焼き尽くす高熱の光やら、海が立ち上がったり大地が裂けたり、天から狙い通りに降ってくる雷とか……突拍子の無いこと例に出してたぜ?」
……………それ現代兵器と自然災害のミックスの匂いがぷんぷんするが、それこそ今は置いておこう。
「お前等は、なんだろ?俺は?《魔導の頂点》は?どうやって魔術を使ってた?」
「んんん~~~……オレっちたちみたいな魔術師や、高位魔法士は他人の魔力をある程度感じ取れるのは知ってるよな?師匠の言う自然魔力とやらは全くもってかすりもせずにわかんねぇけど。」
「それがなんだ?ロイなんていつも通信魔法が自分宛に発動する前に気づいて、待ち構えてたりするけど?」
「ロディもそういう所は敏感で使えるのになぁ……あいつは制御壊滅なのがほんっと勿体ねぇ……。
まぁそういう感覚で言えば、師匠が魔術を使う時に目立つ予兆は一切なかった。どこから何が来るのかほんっとわっかんねぇ。ノーモーションでえげつない魔術がポンポン飛んで来てた。ただ、オレっちの勘違いかもしれねぇけど多分、いつも風が吹いてた気がする。」
……。
……………。
意 味 わ か ら ん。
多分顔が能面になっている俺に、焦ったようにルーファウスが言い募る。物は試しだとりあえず魔力を出してみろ、って。
ふ、ふ、ふ。
出せたらとうの昔に出してみてるっての!!俺が意図的に魔力っぽいものを扱えるのは、声に出して使う時か、魔法陣とか結界ぶち壊しのなんちゃってタブレット操作の時だけなんだよ!!
「魔力出すってどうやるんだ!?」
「マジでそこからなのか師匠ぉッ!?ロディのクソ過保護ッ!!
あ~~~と、アレだホレ!呪言系!声に魔力乗せる応用で!音出さずに魔力だけ出してみ!?」
「よしっ!……すぅ……ふ―――――っ!!」
「……………息だけ吐いてどーするよ、師匠。」
バースデーケーキの蝋燭が確実に18本近くは消せたであろう、会心の吐息だったのに……!!
こんなことしている間にロイが怪我するかもしれないのに、あぁもう他に何か方法はないのか。俺が出来ること……!!早く、早くロイの所に行きたいのに、このままじゃ足手まといにしかならない。でもどうしたら――!
「なぁ師匠、一回落ち着いてみ?」
焦りと苛立ちに塗れた俺の思考を遮るように、人が変わったかのようなとても静かなバリトンボイスが響く。
知らず手元に落としていた視線を上げると、紅いスクエア眼鏡の奥でひたと見据える青紫色の瞳に射抜かれる。
「あんたは、記憶を喪おうが魔力の扱い方を忘れようが《魔導の頂点》だ。
この世界で敵う者など誰一人いない、最高位魔術師だ。世界の全ては、あんたの手の上にあった。今もきっとそうだ。
師匠は転移で移動できる範囲に限りはないし、理論上は確実に魔力切れを起こすはずの魔術を連発できる。それこそデレス級が束にでもならなきゃ、あんたには傷一つ負わせることも出来なかったんだ。」
滔々と静かに語られる言葉に耳を傾けるうちに、頭に上っていた熱が徐々に冷めてくる。そうだ、いつかのお茶会でサリアスだって言ってたじゃないか。魔力を上手く扱うには冷静に、心を落ち着けていなければならない、って。
俺が転移や監視魔術を無意識で発動していた時だって、寝起きか寝ぼけているかのぼんやりした状態だったはずだ。それこそ、一番最初に空に浮かぶ結界に気づいた時も、それに触れた時も、特に何も考えていなかった………気がするな、うん。
「だから―――まぁ、気合入れてやればできるだろ、多分」
「っ最終的に根性論に持っていくなよ!?そこはもっと具体的なアドバイスする所だろ!?しかも多分とかつけるな!せめて口だけでも絶対とか言ってくれ!」
落ち着けって言うならツッコミが必要なこと言うなよ、とぼやきつつも深呼吸を繰り返してみる。
その間にもどれだけ派手な戦いをしているのか、地につけた足に伝わる揺れが大きくなったり小さくなったりしている。カタカタと周囲のテーブルや椅子が音を立て、店先の旗や観葉植物が静かに揺れるなか、椅子に肘をついてこちらを見つめるルーファウスにふと尋ねてみた。
「なぁ、ルーファウスはどうして俺にここまで付き合ってくれるんだ?今だってロイの言うことなんて聞かずに、一人で逃げても良かったんじゃないか?」
思えばノルンもそうだ。ロイに言われるがまま、あのエリューティアというタコ女神であるデレスと戦いに行ったけど、別に俺やロイに付き合う必要はないというか…………。
魔術師なんだから、転移でさっさととんずらもできるだろうに。
そんな俺の疑問にルーファウスは二、三度、目を瞬いた後、その口元を意味深に歪めた。男くさい渋みのある、クールな笑みの形に。
「まぁそっか………師匠は、忘れちまってるもんな。別にオレっちたちはロディに頼まれたから、従ってるわけじゃねぇよ。逆らったら後が怖いってのもないことはないが。
ただ――……親に捨てられて、地べた這いずり回って泥水啜ってたようなガキや、不義の子や忌み子と蔑まれ劣悪な環境で監禁されてたガキにとって、そこから救い出してくれて、衣食住の面倒を見てくれて、比類なき力まで与えてくれた恩人の役に立ちたい、そう思うのは特別大したことじゃねぇだろ?」
ロイとは違う、ごつごつとした強張った大きな手がくしゃり、と俺の頭を軽く撫でた。
交錯した青紫色の瞳に浮かんでいたどこか寂し気な色に、あぁそっか、と胸にすとんと何かが落ちてくる。
俺が失くした、この世界で生きた記憶。
そこには辛いことも多くあっただろうが、その中にはきっと、こんな関係性も少しはあったのかもしれない。
過去の記憶なんて絶対にいらない、と思っていたが、いや今でもその気持ちに変わりはないけど、それでも少しだけ…………惜しい気もした。
だってさ、ロイほどじゃなくても俺のことをちゃんと大切に想ってくれる人が、この世界にはいたってことなんだから。
(だったら…………この世界も、案外悪くなかったのかもな………)
そっか、とルーファウスに応えながら軽く目を閉じてもう一度、深呼吸をしてみる。
元の世界から迷い込んだというこの世界を、ウルスタリアを、確かに俺は呪っていたのだろう。
唯一人の大切だった存在と二度と巡り会えないことも、俺を性奴隷なんて目に遭わせたこの世界に生きる人間も、どうして死ねないんだと700年も生き続ける自分も、全て。
(でも、でもさ―……この世界は、ロイに会わせてくれた。)
嫌な過去を全部忘れた俺に、ロイはただ愛だけをくれた。何よりも今の俺を、守ってくれた。
親に愛されなかった、たったそれだけのことを認められなくてうじうじしていた俺を、そんなこともう平気だって思えるくらいに、愛してくれた。
(うん、それだけでこの世界に来て良かったな………俺)
心を落ち着けるためにあれやこれやしていたのに、なぜかそんな結論が出てしまった。あぁこれじゃダメだ、と苦笑交じりに目を開けた瞬間
「……………ありゃ?」
「どーしたよ師匠?オレっちのナイスガイな顔になんかついてるか?」
見つめる先で手を振るルーファウス、その姿は変わらない。けれど周囲がいつの間にか、フィルターをかけたように真っ赤に染まっていた。
赤い世界の中で、ルーファスの躰の輪郭は薄っすら青く輝き浮き上がって見えるのに、その他の物は全てが赤に埋没してしまっている。
しかもその赤は風か波のように揺らめき、所々で色の濃淡がある。その薄い部分をよくよく見れば、何か黒く輝く砂粒のようなものが中心にあるのがわかった。
その黒い粒子に一つ気づけば、次々と至る所に同じような黒が浮遊していることに気づく。赤い空気が揺らめいて流れていく中を、キラキラ輝く黒が一緒になって流れていくのだ。
「ん?んんん?なにこれ?赤い、赤………魔法陣発動前の……あ、もしかして、コレか!?自然魔力!!」
「おーい師匠、重要ワード零すならオレっちにも説明―――」
ルーファウスがそう言い終わる前に、突然ザアッと赤い空気が巨大な波紋となって大きく蠢いた。思わず席を立ち、その波が来た方向へ顔を向けると不思議な光景が目に飛び込んでくる。
幾つもの立ち並ぶ建物を透過して、濃く濃く凝り固まった黒に近い紅の巨体の姿と、その間近に浮かぶ二人の魔術師の姿。
そして天に掲げるように伸ばされた赤黒い無数の触手と、その先の空に生まれた赤く複雑な円形の魔法陣。
それは、円の中心から遠く離れた俺たちがいる場所をも覆う程に、巨大だった。
『ッルーファウス!!退避しろ!!』
「ロー君こっちもマズいわよコレっ!!」
おそらく通信魔術でそう指示を出しているのであろうロイの切羽詰まった声も、ノルンの悲鳴のような声も、耳に入らなかった。
なぜなら、俺の目に映ったロイは、解けた金の髪がばらばらの長さになっていて、さっき見たばかりの黒い軽装がもうボロボロで腕や肩の布地が大きく裂けていた。でも見えるのはその下にあるはずの白い肌じゃなく赤色で、あと――――
右腕が、肘から先が、無かった。
それを見た瞬間、ぶわりと俺の中の何かが動いて周囲が黒く染まった気がしたけど、よくわからなかった。
直後、俺の体は化物が展開した魔法陣の中央、その直上に浮かんでいて、やけに澄み切った頭で唯一つの事だけを考えていたから。
こいつは、絶対殺そう。と。
そんな思考が形を取るかのように、俺の周りを渦巻いていた黒い靄のようなそれが瞬く間に凝り固まり、俺よりも遥かに大きな影の剣となった瞬間、それは光の速さで魔法陣の中央を貫き、その下にいた黒タコの膨らんだ胴体を射抜いた。
一拍遅れて、空を叩き割ったような爆音が青空を震わせた。
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