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37.ぴーぴんぐ・うさ
しおりを挟むとっぷりと夜の帳が降りた白亜の宮殿、控える者も少ないその深部では静寂のみが、薄暗く広い廊下を支配している。
そんな空間に溶け込むように物音一つ立てず、気配さえも霧散させるようにひっそりと佇んでいたのは、特徴的な長く白い両耳をピンと伸ばした、一人の男。
扉に向かってその全神経を耳に集中させることしばし、まるで誰かに応えるように小さく一度頷くと、彼は一切足音も衣擦れの音もたてずに、そっとその場を後にした。
彼の足取りが迷いなく向かうのは、主人の寝室から最も遠い場所にある使用人専用の控室の一つ、しかも現在空き部屋となっている場所だ。
長い廊下を幾つも歩き、時折階段を下り、辿り着いたその部屋の前で彼、ファイラル・エヴィンスは敢えてノックをせずに、これまた音も立てずにその扉を開く。
ベッドすらもないがらんとした小部屋には、小さな丸椅子が二つ。そしてそのうちの一つには、すでに先客が腰を掛けて、期待に満ちた眼差しで彼を待ち構えていた。
だがファイはすぐに口を開くことなくジェスチャーで促せば、心得たとばかりにその先客の周りに魔法陣が同時に三つ浮かび上がり、瞬く間に発光して宙に溶けた。その直後
「で!?首尾は!?どうなりました!?元鞘!?破局!?」
「おふぉん、結論から言わせて頂ければ―――…………」
深刻な表情を浮かべつつ焦らすように一拍、そこで呼吸を置く。明らかにそれに苛つき、両手をわきわきと気持ち悪く動かしながら口元を引きつらせる青年に、爺を自称する兎はにんまり笑って言った。
「ばっちり元鞘でございます。」
グッと立てた親指と共にそう告げた瞬間、ファイの目の前で勢いよく立ち上がった先客の、その派手なピンク髪が小さく宙を舞った。
「いよっしゃぁあぁぁぁあ―――――――!!!!」
両腕を頭上に掲げ、まるで勝利の雄たけびのように吠えたサリアス・メル・イングレイドを好々爺然とした表情で見つめながら、その向かいの席にファイはあっさりと腰を下ろす。
心のままに叫び続ける若者を、生暖かく見守りながら。
「これでっ!これで《魔導の頂点》もといシン様は捕獲完了ですねッ!!!あー!!全くもう陛下ときたらなに逃げられてるんですか!!陛下のくせにっ!!!一報を聞いた時の僕の気持ちがおわかりです!?
《魔導の頂点》ですよ!?《魔導の頂点》!!!
本来なら一目見るだけでも命懸けとか言われてた超激ヤバの魔導の至高の存在ですよ!?今も記憶がないとか言いながら滅茶苦茶発想ヤバイわセンス冴えわたってるわの天才ですよ!?魔法と魔術の複合結界を一点突破であっさり崩せるくらいのッッ!!!
もしこのまま逃げられてたら僕本気でお暇もらって追いかけましたからねッ!?バル君はご愁傷様―――――ぁ!!!!魔境でバカンス頑張ってぇ―――――――!!!!」
世界の反対側にいる同僚へ届け、とばかりに声を上げるサリアスの口は、それでもまだ止まらない。
「魔境といえば!ちらっとですが見えましたよぉ!?シン様マジえぐい!ヤバイ!なんで発動途中の魔法陣ブチ壊せちゃうんですぅ!?あれが魔術師の基本仕様とか言われたらまたカウンター魔法を作らないといけないじゃないですかぁ!!やーだぁあああ―――――!!!たのっすぃいぃぃいいいぃい!!!!!
もうほんっとシン様最高!ずっと皇国にいてくださいッ!!陛下!超頑張って!!!僕その為ならいくら完徹しても文句言いませんからぁあぁ!!!!」
徹夜明け、しかもこれで連続七日か八日目らしいサリアスのテンションはまだまだ収まることなく、怒涛の勢いで更にしゃべり続ける。最初から相手が聞いていようがいまいが、関係ないのだろう。
「でも陛下も意外に人の子だったんですね!!シン様がいなくなってからお迎えに旅立つまでのあの荒れよう!!!僕はもう二度とお付き合いしたくないかなって!!流石の僕も無意識魔術までは対抗できませんって!あと一歩ずれてたら壁ごと吹き飛ばされてましたからね!?バル君みたいに頑丈じゃないんでほんっとマジ勘弁してくださいって!
挙句なんで対魔術師戦をここでやる羽目になったんですかねぇ!?めっちゃくちゃ楽しかった―――――!!!もう一回誰か殴り込みに来ても歓迎ですよ僕はッ!!!!
でもシン様がいるとわかってて殴り込みに来そうな魔術師なんていませんしねぇ……うーん困った……」
「閣下、魔術師といえば先日のあの御方はどうなさったのです?明日以降、シン様が事の次第をお知りになれば、お会いになるとおっしゃるやもしれませんが。」
サリアスが自らの思考に囚われた瞬間を逃さず、絶妙なタイミングで口を挟むファイ。
その問いかけに、一時の興奮状態から立ち返った魔導馬鹿の愛称を持つ彼は、そのピンクの瞳をキラキラさせ、うっとりとしながら応える。
まるで恋する乙女もかくやのその様子に、目の前の兎が内心全力でひいていることも気づかずに。
「そ~れ~なんですけどぉ、もぅほんっっと可愛いですね!魔術師って!ちょっと優位性崩してあげただけで怯えた子猫みたいにプルプルしちゃって!思わず本気で可愛がりたくなっちゃいましたよぉ僕~。
でも、陛下の兄弟子、シン様のお弟子さんですからねぇ、やり過ぎたら僕が怒られちゃうでしょ?陛下ならまだしもシン様に嫌われてお茶会という魔導談義から外されたらもう生きていけないんで、そこそこで止めてますよぉ?
でも今はいい具合に従順になってくれてますし、まぁこのままで大丈夫かなってところです。」
その瞳にほんのりと嗜虐的な光を纏ってぺらぺら語り続けるサリアスを穏やかに眺めつつ、ファイは胸の裡でまことにご愁傷さまです、と話題の魔術師へそっと哀れみの情を抱く。
しかしどう考えても、自業自得ではある。
見知った人間ならば、一目見た瞬間に主人の暴走状態はわかっただろうに、敢えてそれでもその邪魔をしたのだ。むしろまだ生かされている事の方が驚きだが、案外現金な主人の事。腕の中に最愛の《魔導の頂点》を取り戻した途端、留飲が下がったのだろう。
となれば、『シン様のお願い』でその処遇も掌を返すだろうことは、想像に難くない。
それをこの魔導馬鹿と称される青年も理解しているからこそ、
「つまり、あまり酷な拷問をなさっているわけではない、ということですね?」
「拷問!?えぇ~酷いなぁファイさんは。僕は誰かと違ってそんなこと滅多にやりませんって。」
にっこにこといつもの笑顔を浮かべるこの国の諜報部トップは、そう嘯いた。だがその後に、ふと真剣な表情を纏って疑問を呈す。
「正直な話、魔術師って何が一番堪えます?金銭なんていくら奪ってもちょっと他所の国で歓待されればすむ話ですし、人間関係だって数は流石に《魔導の頂点》よりは少ないですけど熱心な信者がいますし、やっぱり魔力全封印とかですかねぇ?」
やりませんし今はまだできませんけど、と付け足すサリアスにファイは微笑を浮かべたままきっぱりと答えた。
「存じ上げません。」
「えぇーそんなこと言わずにちょっとヒント下さいよぉ。暗部だって案の一つや二つ持ってるんでしょー?
苦痛耐性は《魔導の頂点》の指導でやってそうだしぃ?となるとやっぱり快楽堕ちですかね?エロい方向に走りましょうか………。あ、当然例の御方には傷一つ、指一本入れ……触れてないんで!そんな目で見ないでくれますぅ?」
大体そういうコトをするなら僕にだって好みの相手というものがありますしぃ、とまだまだその軽い口の滑りが良いのは、いよいよ睡眠不足からくる異様なテンションのせいだろう。きっと。
そう考えながら、愚痴にも等しい独り言のおしゃべりを止めるべく、ファイは唐突にまだまだ若輩者の青年を褒め称えてみせた。
「それにしても、閣下は腕を上げられましたな。以前であれば、いくら隠密魔法を併用しようとも陛下はすぐにお気づきになったでしょうに。」
その一言に、ぱぁっと輝いた青年の顔は、いたずらが成功した少年のようでもあった。
「でしょう!?これぞ対監視魔術用に開発したピーピング魔法!!………って言いたいところなんですけどぉ、ファイさんのその異様な聴力を当てにして、身体能力増幅させて気配消して魔力隠蔽しただけですからねぇ……。
まぁ即席の割にはよく出来た方かなって、自分でも思ってますけど。」
主人と《魔導の頂点》の恋路。その着地点が皇国だけでなく世界にすら多大な影響をもたらすであろう事は、自明の理。
というわけで、どうしてもその二人の話の内容、とまではいかずとも雰囲気なり結果なりを知りたかったファイは、超個人的理由で同じ願望を持っていたサリアスと結託し、二人でこっそりひっそり暴挙に出たのだ。
ずばり、《ヴェルメリア皇帝》と《魔導の頂点》の密談、その盗み聞きという暴挙に。
方法はいたって単純。兎の獣人という元々聴力に秀でている種族でありながら、群を抜いて更に耳のいいファイが実行役となり、サリアスが様々な魔法を使ってそのサポートをした、というものだ。
もっとも実際ファイが耳をそばだてていたのは、二人の夕食が終わってから閨が始まるまで、という極めて短時間の間だった。話の最後だけ聞けば結論はわかるだろうし、バレるリスクも減る、という理由で。
勿論、実際に話を聞くのはファイのみ、というのはサリアスも納得している。これでも侍従、主人の秘密を口外するわけにはいかないのだから。
「いやぁでもスピード解決で良かったですよぉ。コレ、何日も粘られたら僕も魔力足りませんから。今もこうして隠蔽魔法の複合展開で隠れてこっそりはっちゃけてますけど、ガンガン魔力使ってますからね!」
「ふぉふぉふぉ、精人の面目躍如ではございませんか。本来、魔術師相手に盗み聞きなど、命がいくつあっても足りませぬから。」
「しーかーもー!相手はウチの陛下と《魔導の頂点》ですからねッ!コレ経験しちゃえば後はもう怖いものナシですよねぇ~!」
「同意でございます。此度のみのこと、となれば幸いなのですが。」
「何度もシン様に家出されるようなら陛下のカイショーもしれるってもんですよ!あはははのはっ!」
ケラケラと朗らかに笑うたれ目がちの青年と、ふぉふぉとジジ臭く笑う男との密談はそうして無事に終わった。
深奥宮殿より《魔導の頂点》が失踪して以降、皇国内の至る所へ人的物質的被害をもたらした彼らの主君の暴走が無事、収束したことを互いに労いながら。
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