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36.120年越しの

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 もう途中から何度手の中の物を放り投げそうになるのを耐えたのか、はっきり言って片手じゃ足りないとこまでは覚えている。
俺の精神的な何かを、酷くゴリゴリと削り切ったそんな黒い本をようやく閉じ、目頭を片手で揉みながら思わずぼやいてしまう。

「ナニコレ……誰が書いたの……いや、ロイだろ?うん、わかってる。でもさ、なんで日記じゃなくて物語調?かなり分厚いけどもしかしなくても長編物?あと俺の髪とか眼とか顔に夢見過ぎ……フィルターでもかかってんの?異世界フィルター?
 でもそんなの全部置いといてとりあえず、俺はロイが非常にめちゃくちゃ、超心配デス。恋愛対象の趣味悪すぎだろ?なに、もしかして俺のライバルってこの俺?この悪役ドハマりの俺を目指すの?…………先に言っとく、確実に無理。」

 音もなくそっと目の前のテーブルにカトラリーを並べている皇帝は、俺のそんな呟きに緩く口元を吊り上げ、その紫水晶アメジストの瞳を優しく眇めて見せた。

「質問に答えよう。当然、書き手は私だ。故に全て史実に即している。特段誇張はしておらぬ。
 物語調なのは、万一衆目に触れた場合を考慮し、事実か創作かの判別をつきにくくするためだ。ちなみに、そう私に勧めたのは母であったな。
 趣味が悪い、というのは心外だが理解は出来る。ただ――――」

 綺麗に料理が盛られた幾つもの皿が完璧な配置でテーブルの上に収まったと同時に、再び俺へと戻された視線が、次の言葉に嘘偽りがないことを雄弁に語る。

「恋に落ちるのに理由などいらぬ。」

「……ぅあー…………」

さらりと何を言ってくれてるんでしょうかねぇ、この完璧美人の皇帝陛下は。

 既に日も暮れ夕食には少し遅いという時間、室内を暖色系の灯りが照らす中でそんな台詞を甘ったるい視線で言われた日には、心臓がうるさく自己主張し始めてしまうではないか。
ついでに顔にまで一気に熱が散った気がして、呻きながらも照れ隠しに天を仰ぐしかない。そんな隣の席へと腰を下ろしたロイは、更に続けて言った。

「約120年越しの片想いであったのだ。今こうしてカナタの名を呼び、隣に在れるだけでも、信じられぬほどの僥倖だ。故………多少拗らせているのだと、ようやく自覚したところだ。」

「へ?拗らせて……?何を?」

「………続きは後にしよう。まずは食事だ、カナタ。」

 お、ロイがはぐらかすなんてこれも珍しい。そう思いながらも、その言葉に従って少し遅めの夕食を食べる事にした。

 あの黒い本を読み始めたのは、俺の話を聞いてもらった後だから多分昼前くらいから、だったのだがなぜこんなに時間がかかったのかというと、実はあの本、かなりの頻度で果てしなく詳細な注記がされていたのだ。
一例を挙げると、昔の俺がロイたちの前に不法侵入で突如現れたシーンだと、俺の声の抑揚やら口元の動きやらに始まり、行使したと思われる魔術がいかに高度なものかという解説、踏み潰した花のその後、等々。
なかでも特に多かったのが、俺の髪や瞳やら顔やらを事細かに褒めちぎるものだ。…………話の本筋よりもその注記を読むのにかなりの時間を使った気がするが、多分気のせいではない。

 ちなみに昼食は俺がそんな風に読書に集中していたら、いつの間にか団子のような小さくて甘い物が横から口元に差し出されていたので遠慮なく三、四個頂いて終わった。
なお、今も普通に食事をしてるはずなのに、なぜか隣から俺にちょいちょい食べさせてくれる人がいる。しかもこれがベストタイミングな上に、全部俺が食べたい物ばかりで…………うん、ロイはダメ人間製造機だな。そのうち俺はフォークも持たなくなるんじゃないか?
 そんな夕食が終わり、今日はもう時間も遅いということで趣味扱いの入浴はなし、浄化魔法をかけてもらって別の寝間着に着替えれば、後はもう眠るだけ。なのだが

「ロイ、じゃあ続き。なにを拗らせてたんだ?」

 俺の着ていた服を部屋の外へ持って行ってくれたロイが、同じく寝間着姿になって戻ってきたところで、ベッドの上に胡坐をかいて座って待っていた俺はそう問いかけた。
経験上、この世界での俺の体質だともう眠くなるところなんだが、そこは気合で睡魔を乗り切っているのだ。気になる話の続きなんだから。

 紺色のワンピースもどきに黒っぽい薄手のガウンを羽織ったまま、肩口でその金糸の髪を括っているロイはゆっくりとベッドの淵に腰を下ろす。あわよくばこのまま誤魔化したまま眠ってしまおうと思っていたのか、小さく苦笑しながら。

「さて……どうするかな。情けない話はあまりしたくないのだが……」

「俺だって俺の情けない話をかなりしたんですけどー?いい年こいてマザコンかよって思っただろー?」

 ロイがそんなことを言って茶化すように勿体つけるから、つい口をとがらせてそう零すと、途端に真顔になった人に真っ直ぐに見つめられた。

「そのようなことはない。カナタの苦しみも哀しみも、お前が状況を打開しようと戦ったからこそだろう。嗤うなど、決して有り得ぬ。むしろ、敬意を抱く。」

その紫色の瞳がそれが心の底からの言葉だと語るから、いや俺は逃げただけだし、と反論しようとした言葉は結局、口から出てこなかった。
 何をしても無駄でしかなかったはずのあの日々を、そう認めてもらえたことに、それが他ならぬロイだということに、少しだけ胸が熱くなったから。
そんな俺に、続けて口を開いたロイは言う。

「私は、ずっと逃げていたからな。カナタへ……《魔導の頂点レグ・レガリア》へ抱く想いから、ずっと。」

 俺を見ながら、けれどその向こうにも何かを見るように眇められた紫色に滲むのは、後悔だろうか。
そっと俺の頬に添えられた手の温もりを感じる中、ゆっくりと彼は語る。

 一目惚れの幼い恋は、《魔導の頂点レグ・レガリア》と共に過ごすうちに、明確な熱量を孕んだ想いへと成長したのだと。
ただその頃には、《魔導の頂点かつての俺》がロイを通して別の誰かを見ていることも、俺に必要とされるのはロイだから、ではなく、ただ『魔術師』という存在であるということも、理解してしまっていた。
だから、決して想いを告げるつもりはなかった、と。

「私は間違っても、《魔導の頂点レグ・レガリア》に愛されていたわけではないのだから。」

 他のどの魔術師よりも寵愛を受けていると言われようと、決して自分が『特別』なのではないと、知っていた。
 誰よりも天霊人という滅びた種族に近かった、それだけの理由しか、《魔導の頂点レグ・レガリア》にとって自分という存在の価値はなかった。
 そう知っていながら想いを告げたところで、邪険にされるだろう事は目に見えていた。最悪の場合、二度とまみえる事すら叶わなくなるだろう、と。

「しかし、もし想いを告げていれば命を絶たれるとまでは、流石に考えが及ばなかったがな。」

「……っ今だから言えるけど、ロイが黙っててくれて本当に良かったと思う……」

揶揄するように小さく笑ったロイに、俺は少しばかり俯いてそう口にする。
 ホントそうだよ。だって記憶を吹っ飛ばす前の俺、ばっちりくっきり書いてたじゃん。ロイに『もし「愛している」などと言われようものなら即座に殺すだろう。』って。

 でもロイは、何故か俺の言葉にゆるく首を振った。

「それでも、逃げずに告げるべきだったのだ。お前に愛されていないことを知っていた、理解していた、だからこそ、告げておくべきだった。
 そうすれば、あのような事をさせずに済んだ。」

ひたと俺を見据える紫水晶アメジストに、強い光が灯るのを間近で見つめながら小さく首を傾げる。

「あのような事?」

「独りで、世界の為に戦わせた。その記憶を、魂を、命すらをも捨てさせようとした。
 目の前で《魔導の頂点レグ・レガリア》が、お前が、死ぬかもしれないと自覚した瞬間、あったのは後悔だけだ。」

 デレス級という規格外の魔物と対峙する最中に、突然他人の記憶を植え付けられ前後不覚になりながらも、そう思ったのだとロイは言う。

「全ての魔物が消え去った後、荒野となった地に一人ぼろぼろになって倒れ伏していたお前を見つけた時、私は初めて声を上げて泣いた。受け継いだばかりの記憶で知った、お前の名を呼びながら。」

 そっと胸に抱き込まれ、囁くように告げるその声音は少しだけ、震えていた。

「名を呼べば殺すと言った意味も、その理由もわかった。それでも、呼びたかったのだ。『カナタ』と、お前の名を。
 それで目を開けてくれるなら、私を殺すために生きようとしてくれるなら、それでも構わぬと冷たくなっていくこの体を抱きしめた。」

 幸い、俺は死ななかった。
 でも幸か不幸か、次に目覚めた俺は、この世界での記憶全てを喪っていた。

 そんな俺へ、ロイは『愛している』と初めて想いを告げた。
 そして俺も、ロイへ『好きだ』と言うようになった。

 だから今でも夢のようなのだと、ロイは呟く。


「私は、カナタに『愛されない』ことに慣れていた。それが当然だったからだ。故に、この状況をどこかで自分で疑っているのだろう。まるで、夢ではないのかと。
 カナタの『愛している』は『好き』という言葉だと諭された今でさえ、おそらくきっと。」


 約120年越しの片想いは、早々昇華されるわけもなく、まだ拗らせている。

 最後にぽつりと、情けない話だ、と言って小さく嗤ったロイ。俺はその広い背に腕を回して一度ぎゅっと抱き締めた後、体を離して、どこか儚げに自嘲の笑みを浮かべる端正な顔を見上げながら、手を伸ばして――――

その頬を引っ張った。わりと思い切り。


「っ!?……??!」

「ぶはっ……!やっぱロイでも変顔だと変な顔になるんだなぁ~!イケメンもこれだと台無しですねー?はは……っ!」

「か、かにゃ……?」

「っぅははははっ!!ロイが、ロイがにゃって言った!にゃって!!」

 ひとしきり笑ってから、こんな状況でも俺のなすがままにただ困惑気な顔をしていたロイを解放して、尋ねてみた。


「コレでもう、夢から覚めた?」


 ぱちりと瞬く紫色の瞳を見上げながら、足りないならもう一回、とばかりに今度は緩くその頬をつまんで笑う。


「うん、俺もさ結構夢オチじゃないのかよコレって思う事が多かったから、気持ちはわかる。でもさ、ほら、今の俺はロイの夢じゃない。ロイが信じてくれるまで、何度だって言ってやるよ。夢じゃない。

 俺は、ロイが『好き』だ。」

 俺の知らない俺を愛してくれていたことも、何もかも忘れた今の俺を愛してくれていることも、全部俺には伝わってる。
だから、次は俺が伝えていく番だろ。

「……っ…」

 でも俺が手を離した途端、今度は自分の片手で顔を覆ったロイは、そのまま俯いてしまった。俺から顔を背けて。

 ……………………マズい、流石に夢オチ否定に頬っぺたつねるのは子供過ぎたか?呆れて物も言えない、って状態かコレ?ヤバイ、ものの例えで『千年の恋も冷める瞬間~』とか言うじゃん、もしかしてそれ!?

「………えっと、ロイ?」

どうしよう、マズった。なんて思いながら、あわあわしたいのをどうにか気力で抑え込みつつ、殊更平静そうに首を傾げて目の前の恋人を呼んでみたのだが。

 その時に、気づいてしまった。

 金の髪から覗く、形すらも綺麗な耳がほんのり赤く、染まっていることに。そうして、その顔を覆っていた手が口元へとずれると、

「……な、なななんで、ロイが顔赤くなってるんだよっ……」

「どうしてくれる…………危うく心臓が止まりかけたぞ。」

 歓喜で、と告げる頬に赤みがさしたロイは、それでも文句なしの超絶美形だった。
 そんなロイに、なぜかつられるように俺も今更ながらに顔に熱が集まってくるのを感じ、つい視線を逸らした。がその直後、不意に頬を包み込まれる感触に思わず顔を上げると


「愛している、カナタ。
 何よりも今この瞬間に、私の為に想いを尽くしてくれるカナタを、心の底から愛している。」

怖い程の澄んだ光が宿る紫水晶アメジストに至近距離から射抜かれ、低く甘くどこまでも穏やかで柔らかい真摯な声音に包まれる。

「…………っ俺、の方が、心臓止まるって……………」

 だから慣れるわけないだろこんなの、と自分の心音を煩く思いながら目の前の胸に体をぶつける勢いで抱き着いた。
その日の夜がそれからめっちゃくちゃ長かったのは、まぁなんというか……………致し方ない。

 約120年越しの両想い、ってやつなんだから。


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