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31.夢オチ反対
しおりを挟む空を覆うように浮かんだ、巨大な金の魔法陣が一際強い輝きを放つとそこに顕れた人影は、二つ。
先程聞こえた声が空耳ではないと証明するように、その姿は遠目にもはっきりとわかった。
陽に透けて輝く金糸の長い髪をした、黒の外套を纏った細身の一人。と、その手になぜか首根っこを掴まれてぶら下がっている、灰色のフード付き外套に頭からすっぽり身を包んだ、大柄の人間。
「後方は任せた。巻き込まぬよう努力はするが、なるべくこちらには近寄るな。」
「御意」
突然の闖入者、その派手な登場に魔物たちも蟷螂の頭部を一様に空へと向ける中、翼もないのに空中に佇んだままの一人と、それにぶら下がっている一人の会話が、距離を無視してなぜかはっきりと俺には聞こえた。
「では、行きがけの駄賃に二頭ほど減らしていけ。」
「御意、我が君。」
低く渋い、男らしい声音がそう短く返礼した直後、灰色フードの首元から手が離され自然落下を始めると同時に、その外套の下から現れたのは藍色の袖に包まれた筋骨隆々とした両腕で、そこには既に抜き放たれた大剣が――……だと文句なしにかっこよかった気もするんだが、光に煌めいた白刃は糸のように細い二振りの剣、レイピアだった。
落下途中で上体を下に向け、何もないはずの宙を更に蹴って加速したその灰色を見失った直後、俺たちを取り囲んでいた魔物、その正面の二頭がいきなりバラバラになって崩れ落ちていた。
後にただ、キンッという冴え冴えした高い音の木霊だけを残して。
「ぇえ――……」
ナニソレ、アリ?ナシよりのアリじゃね?とは、周囲の軍人さんたちの心の叫びが口をついて出た物だろう。うん、俺もそれ同意。多分、周りでぼーっと突っ立ったままの魔物も唖然としているんじゃないだろうか。
だって、魔物の包囲が崩れたその間隙へ、空から悠々と降り立つもう一人の人影に、全く手も足も出そうとしないのだから。
そして俺も、ジャリ、と地に着いたその足が初めて立てた小さな音でようやく、思考が再起動し始めた。
頭の上で一つに括られた金糸が風に流され、黒い外套の上を踊る中、その顔は、少し痩せただろうか。
シャープさが僅かに増した輪郭は、絶世と言う言葉ですら足りないほどの人間離れした美貌に、更なる深みを滲ませているような気すらする。
ただ、一度も俺から逸らされないあの紫水晶は、何の変りもなかった。俺がこの世界で目を覚ました時からずっと、片時も離れず俺へと注がれ続けた、色。
知らず身じろぎしていたのか、無言のままウーウルさんの尻尾がそっと俺を地面へと降ろしてくれた瞬間、俺の足はもつれる様に動き出していた。
人垣が自然と割れる中をこちらへ真っすぐ歩み寄る彼へ、そう遠くない距離をただ夢中で足を動かして、何度も何度も独りで口にしていたその名を、呼ぶ。
「ッッ……ロイッ!!!」
「カナタ、すまぬ。待たせてしまったな。」
最後はもう、こけながら飛びつくような不格好になってしまったけれど、腕を広げて難なく俺を受け止めてくれたロイの懐かしい感触と、恋焦がれた温もりに包まれた途端、じわりと熱が目元に集まりだすのが嫌でもわかった。
それでも「ロイ」と口にすれば、「カナタ」と唯一人だけに呼び返される名前が呼ばれる、それが馬鹿みたいに嬉しくて、その胸元に顔をうずめたまま何度も何度も、その名を口にする。
そうしていると、後ろ髪を軽く指先で梳かれ始めた。日常にすらなっていたその感触を、また懐かしいと自覚した瞬間、あっけなく零れた熱がついに頬をつたっていった。
「ロイ!ロイッ!!俺っ……俺、いっぱい話したいことがあるんだっ……たくさん、ロイにっ……!」
「そうか、私もだ。私もカナタに、話さねばならぬことが幾つかある。」
「うんっ……うん……!話してくれるならっ、ちゃんとっ、全部、聞くからっ……!ごめっ……ごめんなっ俺、急にいなく、なってっ……!また迷惑かけてっ……ごめん、なさい……っ」
「無事でいてくれたのなら、それでよい。むしろカナタは何も悪くなどない、謝るのは私の方だ。迎えに来るだけでこれほどまでに時間を取られてしまった……挙句、カナタをこのように泣かせて……本当に、不甲斐無い男だ。」
そのまま、みーみーぐずりながら思いついた順に話し出す俺を止めもせず、一々きちんと応えてくれるロイの声音。そこに次第に自責の色が滲んでいくのが申し訳なくて、ただただ首を横に振った。
「ロイは悪くない!ちゃんとっ、迎えに来てくれた、しっ……今だって助けにっ……!………………って、あれ?」
………………………………ちょっと、待とう。
俺はロイにぎゅうぎゅうコアラ化してしがみついて、それだけでもう満足で安心感満載で、全部終わった気になってたんだけど、あれ?今の状況、どんなだったっけ……?
「カナタ?どうした?」
ぽんぽん、と今度はあやすように軽く頭を叩かれた俺は、ようやくそこで正気に返った。思わず涙も止まる程に。
「悠長にこんなことしてる場合じゃなかったッ!!ロイ、ここのみんなを助けてほしっ……って、んぇえ??!!」
急いで顔を上げて、まだ周囲に残っていた魔物の様子を確認しようとした瞬間、変な声を上げてしまったのは許してほしい。だってさ、なんで?なんでいきなり目の前が更地になってるんだ?
崩れてた倉庫とか、まだ無事な倉庫とか、その向こうに見えてた森とか森とか森とか、どうなった?なんで区画整理して、売りに出す前の更地みたいなのが、どこまでも続いてるんだ?
「あら、アタシたちのこと思い出してくれたみたい。よかったわね、ウル。」
「そーかいそーかい。俺、正門行ってくるわ。」
うふふ、と愉し気なマーリちゃんと、疲れが滲み出ているようなウーウルさんの声に背後を振り向けば、至る所が血で汚れたままお座りしている金色狼と、若干足を引きずりながら背を向けている黒色狼だけが、そこにいた。
こうして改めて見ると、狼男姿が人型だとすれば、この獣型は8割増しで二人とももふもふしている。なにより大きさが大きさだし。
なんてまた思考が脱線しそうになるのを押しとどめ、ついでに一番の疑問を彼らにぶつけた。
「マーリちゃん、ウーウルさん!?これどーなってんの!?他の人たちは!?」
「あ?どうって…………お前を確保した瞬間、そこの魔術師様がここらに結界張ったと思ったら、間髪入れずに魔物全部吹き飛ばしてくれたんだよ。すげーわな、音も衝撃も皆無であんな光景見るとか……俺今日は絶対夢見て吠えるわ…………」
「他の子たちは早々に散らしたわ。初めて魔術を目の当たりにして、動揺してる情けない子も多かったしね。」
ちらりとロイの方へ流れた金の瞳が僅かに逡巡した後、ぐったりと唸るような声音でそう説明してくれたウーウルさんと、いつもの調子でそう楽しげに語るマーリちゃん。彼らの言葉に再びロイへと視線を戻せば、
「カナタを害そうとする存在など、目障りにも程がある。魔物であれば尚更、容赦などせぬ。」
そう当然の如く言い放ち、薄着のままの俺の体を確かめるようにもう一度その胸にきつく抱き寄せられる。
あぁもう、ほんとここ落ち着くな。このままずっとこうしてて欲しい………なんて、また思考があらぬ方へ散歩に出かけそうになるのを必死に堪え、見かけより逞しいその背をとんとん叩いて止めてもらう。
「ロ、ロイ!あの、あのな、こっち……こっちの金色狼さんがここの隊長さんで、マーリちゃん、えっとマーリヴィル・シズさんで、すごくお世話になったんだ!
あとこっちの黒っぽい狼さんが副隊長の、ウーウル・シズさん。森で迷子になってた俺を見つけて、保護してくれた人なんだ。
二人にはとってもお世話になってて、ここの人たち、みんなにもすごいよくしてもらえてっ……。さっきまでも、魔物が襲ってきてて大変なのに、俺だけ逃がそうとしてくれたり、守ってくれたりでっ……なのに、俺っ、なにも、できなくてっ…………」
あ、マズい。俺がめちゃくちゃ迷惑かけてお世話になったことを伝えたかったのに、魔物を前にした恐怖と緊張感とか、ただ人が倒れていくのを見てた無力感とか、一度治まっていた感情が今更揺り戻しのようにぶり返してくる。
これ以上泣いてたまるか、とぐっと口を引き結んでその衝動をやり過ごそうとしていると、わかっていると言うようにロイの優し気な眼差しに小さく頷かれた。
そして腰を抱かれながら、ロイと共にマーリちゃんとウーウルさんの前へと移動すると、ほんの少し体を遠ざけられたと思ったら、ゆっくりとロイの体が傾いでいった。
地に片膝をつき、二頭の獣の前で頭を垂れる形で。
「マーリヴィル・シズ殿、ウーウル・シズ殿、我が最愛を手厚く保護してくれていたこと、拝謝する。並びに、我が名を名乗らぬ非礼を詫びる。」
「……………………あらーまぁー……」
マーリちゃんの気の抜けたそんな声に、深く頭を下げたロイをぽかんと見下ろしていた俺も、慌ててその横に正座して二人に頭を下げた。
一国の皇帝陛下ともあろう御方に、俺はなにをさせちゃってるんだ!と内心だだ焦りながら。
「ほんっとにお世話になりました!ご迷惑ばかりおかけして、すみませんでした!!」
「ごふっ!?ちょ、ちょっ、ちょっと待って待って!レッ……んー!!シ、シン君もアナタも!頭を上げてちょうだいな!?
ッウル!いい加減アホ口開けて現実逃避してないで、アナタもこの二人止めてちょうだい!?」
「…………………魔術師に頭下げられるとか、俺、ほんとは死んでるのか?」
「カナタ、何度も言うが全ては私の落ち度だ。カナタに非などない。」
「そんなことないって!俺が勝手にいなくなっちゃったんだから!ロイにこそ落ち度なんて、絶対にないし!」
「とーにーかーくー!御二人ともお立ちなさいな!ウルも戻ってきなさい!ほら、お連れの方も戻られたみたいだし!!」
ちょっとしたカオスに陥りそうだった現場は、マーリちゃんが見事にそう舵を取ってくれたことによりどうにか納まったのだが、いつの間にか気配なく俺とロイの背後に佇んでいたのは、あの灰色フード外套の大柄な人影だった。
優雅に立ち上がったロイにあわせ、その人影が目深に被ったフードが小さく腰を折った時に、僅かに揺れた。
そこから覗いた燃えるような赤髪と、開かれた口が紡いだ声音は、確かに俺がよく見知っている人のものだった。
「我が君、周囲の掃討は完了済。目立つ反応は更に奥地に幾つか残ってますが、今のところ動きは見られません。
シン様も、ご無事で何より。」
「~~バルザックも来てくれたんだっ………ありがと、ほんっと、迷惑かけてごめんっ……!」
「自分はへぃ……ごほん、我が君と休暇の旅の途中にここの火急の事態を聞き、助太刀に入ったまで。」
「あら、そういう設定なのね?了解したわ。
街から遠路はるばるの助太刀、感謝いたします。旅の魔術師様、並びにその騎士様。」
「………っ……まさか、お前皇国のダブっギャイン!?」
きっとロイが直接ここに出向くにあたり、色々事情があるのだろう。素性を隠したままのロイとバルザックに不愉快さを見せることもなく、マーリちゃんはにこやかに話しながら、ウーウルさんの鼻先をその長い尻尾で殴り飛ばして黙らせていた。
そのやり取りがなんだか見てるだけで肩の力が抜けて、ロイに一緒に立たせてもらったばかりなのに、もう足の力も抜けそうになる。なんだか、ジェットコースターに乗りながらパニック映画を観ていた気分だ。
あれ?もしかしてコレ夢か?目が覚めたら、誰も死んでなくて、怪我した人もいなくて、でもロイもいない?
「っカナタ?……熱があるな、これは。」
「ん、そう?」
小さくふらついてしまった俺の体は、すぐロイに支えられ、額にその白く長い指先が置かれるのを、ぼんやりと見つめながら受け入れる。
小さくしかめられた眉も、心配げに揺れる紫水晶も、風に揺れる長い金の髪も、全部全部、すぐ傍に在る、はずだ。
「…………ロイ」
「どうした、カナタ?すぐ横になれる場所へ――……」
「夢じゃない?」
自分からその首元に手を伸ばして、すがりついて、確かに感じた体温にほっと息をついた。
なんだか急に目の前がゆらゆらするし、気が付いたら体中が押しつぶされたみたいに痛いし、立ってるのか立たせてもらってるのかもよくわからないんだが、こうして触れられるってことは、やっぱり夢オチじゃなさそうだ。
「っ……あぁ、もう大丈夫だカナタ。私が傍にいる。」
低く穏やかで、どこまでも柔らかく甘さを伴った声音にもそう諭された途端、もう大丈夫なんだと心の底から理解した。
ロイが、ここにいる。なら、俺の実質家出生活も、これでやっと終わりだろうな。
そんなことをぼんやり考えながら、久しぶりに意識が遠ざかるのを自覚しつつも、安心してそのまま体の力を抜いた。
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