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30.いいよな?
しおりを挟む「ッッ!!!!」
出来るなら、力の限り叫んでおきたかった。それくらい、怖かった。
でも現実には声なんて全く出なくて、紅く輝く巨体を見上げたまま後退りもろくにできずに、見下ろしてくる無機質な深紅をただただ、見つめ返しているだけだった。
一切望んでなどいないが、魔物と熱く見つめ合うこと、しばし。
やがて目の前の蟷螂がガチリ、と顎にある牙を打ち鳴らし小さく鈍い音を立てる。と、それが聞こえたのか、まるで応えるかのように、マーリちゃんに吹き飛ばされた蟷螂の方から、黒板に爪を立てたかのような、嫌に甲高い鳴き声が上がった。
何か意思疎通でもしているのか、俺を見つめる魔物は首をかしげたまま、再度ガチガチと顎を鳴らし続けている。
(あ、れ?襲って……こない?認識阻害が効いて……ないな、確実に俺を見てる……でも今なら……逃げ……)
流石にこんな意味不明生物……生物?を前にして冷静さが勝つほど、俺はパニック慣れしていないし、達観もしてないし、老成もしていない。バクバクと逸る気持ちのまま、小さく足を後ろに一歩動かした瞬間、
「ギャギャッ!」
そう短く鳴いた目前の蟷螂が、四本の腕全てを振りかぶるのがかろうじて見えた。これ俺には避けられないって、無理。ごめん、ロイ。流石に異世界だからって、都合よく助けなんて来ないよな……。
そう固まった体が唯一出来たことは、ただきつく目を閉じる事だけ。
だったんだが、気づいた時には再び俺の体はぐるぐる回転していて、今日三度目のその経験に、は?え?なんで?と疑問に思いながら多分地面を転がっていった。
時間にすればほんの数秒だったのだろうが、ようやく体が止まった瞬間、勢いよく目を開けた俺の前にいたのは、金色の狼――ではなく、体全体で大きく息をしている黒の狼、だった。
「……ったく、手間ぁかけさせ、やがってぇ……ほんっとに、お前はぁ……」
金色の狼よりも幾分か小さめの獣から漏れた、荒い息。それが紡ぐ言葉は、俺のよく知っている声音で。
「ッウーウルさんッ!?死んだんじゃ!?」
「あぁ!?誰が死んだって言いやがった!?ちょい下手うって足一本吹っ飛んだだけだっつーの!!!」
「だって!だってウーウルさんがやられたってッ!!って足ぃッ!!?吹っ飛んだ!!?」
「やられたから救護班に掻っ攫われてたんだよ!!見ろ!!ちゃんと足くっつけて復帰しただろーが!?」
その背中の高さでも俺の頭より上にある獣は、ふんふんっ!と鼻息荒く、長い尾と左後ろ足をたしたし動かしながらも俺を庇うように前に立っている。
でも間近にいるとわかる、濃い鉄錆の匂いによくよく見れば、黒い狼のその黒色は、大半がどす黒い赤でもあった。
「ウーウルさん怪我してっ……!」
「お前は黙って隠れてろ!!中型が群れに二頭以上もいるなんざおかしすぎる!索敵班からも情報が途絶えた。何が来るかわかんねぇんだ。」
全身の毛並みを逆立て、目前の魔物を威嚇しながらそう低く唸るように告げるウーウルさんの言葉に、俺はとにかく邪魔にならないよう身を隠す場所を探す。
その視線の先、最初の蟷螂型魔物が吹き飛ばされたであろう方向から、こちらに駆け寄る獣姿のマーリちゃんが見えた。それは丁度、二頭目の蟷螂の背後で、俺とウーウルさんを注視している魔物は、まだ気づいていない。
そして、駆ける金色の狼の口元に赤い魔法陣が浮かび上がっていくのが、見えた。
「げぇっ!?」
聞いたことのないウーウルさんの、心底嫌そうな声音に何かを問う前に、その意外に細く長い尻尾が体に巻き付いたと思った次の瞬間には、俺は空を飛んでいた。
「ぅ、えぇぇええぇ!!?」
「黙ってろ舌噛むぞッ!!」
いや、忠告するなら予告して欲しい。と内心ツッコミつつも、ウーウルさんの尻尾に巻き上げられながら、高く高く跳躍した俺は、眼下の蟷螂が金色狼の口から放たれた馬鹿でかい火球に呑み込まれていくのを見た。
すげーわ……やっぱ異世界だわ。狼が炎を吐くんだよ。ゲームとかならそれって、ドラゴン級?なんて思いながら、自然落下していった。
幸い覚悟した衝撃がなかったのは、ウーウルさんが気を利かせて尻尾を調整してくれたからだろう。そうして降り立ったのは、金色狼のすぐ隣で。
「ゴラァァァ!!!このクソガキ!!なにシン君を危険な目に合わせてやがる!?」
「あぁあ!?ふざけんなよ兄貴!!ちゃんと守ってたんだろうが!?アンタこそ何こいつを独りにさせてんだよ!?」
……チンピラ、いやドスの効き方からして、ヤのつくご職業の方々の怒鳴り合いかと思う程の迫力で、二人の会話が始まっていた。
「ちっ!まぁいい後で鼻貸せ!そっちの状況は?」
「正門付近は小型主体の群れだ。編成通りで問題ねぇ。だが索敵班から、連絡が途絶えた。中型二頭なんざ情報が入った直後に、だ。」
「……ったく……何か来るか……」
未だウーウルさんの尻尾に胴体を掴まれプラプラ揺れている俺はそのままに、そう金と黒の狼たちが周囲を油断なく警戒しながら話し合う。
その間にも、遠くから多くの軍人さんたちがこちらに向かって走ってくるのが見えて、心底ほっとして、肩の力が少しだけ抜ける。その視界の隅では、炎に飲まれ、動かなくなった紅い鉱石の塊がゆっくりと、炎と共に揺らめくように、宙に溶けていった。
「隊長!クレイオンから正門付近ほぼ討伐完了と……!」
「ッ索敵予備班から緊急連絡!中型が裏門付近に複数移動中ッ!!」
グルッ、と低い唸り声が二つ、重なった。
「……最初の奴に、裏の結界破られたのがバレてやがる。」
「複数って何匹だッ!?数出せ数をッ!陣形整えろ!!兵舎を背後に展開!正門戦力が揃うまで持ち堪えろ!!」
「「「了解ッ!!!」」」
ウーウルさんの独り言のような苦み走った声音に、マーリちゃんが指示を飛ばす怒声が重なり、一糸乱れぬ応答が上がる。
そしてすぐさま、倉庫が立ち並ぶ区画から離れ、先ほどの戦闘で傷んではいるが、まだしっかりとしている建物、多分四階建てぐらいはありそうだと今更ながら観察したそれを背後に、半円陣を組むようにして三重の人垣ができあがった。
その中心にいる二頭は、短く語り合う。
「ウル、いざとなったら走ってね。アナタの足なら街まで一頭駆けできるでしょ。」
「……アニ……隊長が行けよ。見ての通り足くっつけたばかりで、血も足りてねぇんだよ。」
俺の聞きなれた可憐な声に戻ったマーリちゃんは、ウーウルさんの尻尾にぶら下がっているままの俺を優しく見つめて、そう言った。
「シン君を守れるくらいの根性、見せなさいよね。ほんっとに、手のかかる従弟なんだから。」
「っマーリちゃん!俺も、俺もちょっとなら手伝えるから……!」
「やっぱりさっき魔物の魔法が不発だったの、何かやったのね?!魔力回路痛めてる子が何やってるのよもうッ!!……助かったけど、でももうそんな事しないで、ね?」
幼子に言い聞かせるような、そんな声音と顔で念を押すマーリちゃんに俺が言い募る前に、地響きを感じたと思った直後、その轟音は凄まじい速さで近づいてきた。周囲を、取り囲むように。
そして崩れた瓦礫の向こうや、まだ無事な倉庫を圧し潰しながら現れた紅い生き物は、全てがあの蟷螂の姿をしていて、全部で七頭も、いた。
「―――――マジかよ。」
ぼそり、とそう思わず呟いていたのは、俺たちの前にいる軍人さんの一人で、マーリちゃんとウーウルさんの息も一瞬、静かになった。
ギチギチ、と耳障りな音を立て、魔物同士で視線を交わしながらゆっくりと距離を詰めてくるそれを前に、少しだけ忘れることができていた恐怖が、徐々にまた大きくなってくるのがわかる。
結局このまま、目の前でたくさん人が死ぬのをただ見ているだけしかできないんだ、と。
そして、自分もあの生き物に殺されるんだ、と。
もう二度と、会えない――――・・・
「ッ……ロイ……」
だから、気づいた時には勝手に口がそう開いていた。
「っろい……助けて、ほしい……」
一頭の蟷螂が、まるでもったいぶるように、ゆっくりとその鎌の一つを掲げていく。それを見つめながら、自分が零した言葉に、頭のどこかで否定が入る。
そんな都合のいいこと、何度も起こるわけないだろって。
でも、でもさ。
ほら、魔物の向こう、あの空に浮かぶのは、俺のよく知る金の魔法陣だから。だから、きっと
「すまぬ、待たせたなカナタ」
異世界だから、俺を誰よりも何よりも大切にしてくれる人がいる世界だから、こんな都合のいいことが起きたっていいよな?
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