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23.俺 in the 森
しおりを挟む……………………ヤバい、泣きそうだ。
この年になってまさか迷子とか、情けなさすぎて本当に泣きそうになっている。でもな、この魔法や魔術の存在するファンタジー世界だからこそ、俺は迷子の迷子の奏多君になっているわけだ。
右を見ても森、左を見ても森、上を見れば微かに木漏れ日の降り注ぐ薄暗い木の葉の天井、下を見れば湿った腐葉土と短い草叢のオンパレード。
明らかに、慣れ親しんだ深奥宮殿の庭園のどれか、ではない。
遮られているせいでわかりにくいが、なんとなく陽の光もいつもより強い気がするし、日陰にいても普段より暑く感じる。真夏のうだるようなあの暑さよりはるかにましだが、年間を通して穏やかな気候だというヴェルメリア皇国しか知らなかった俺にとっては、こうしてじっとしていても少し堪える程だ。
これだけ環境が変われば、嫌でも見当がついてしまう。ここが、深奥宮殿の敷地内でもなければ、もしかしたらヴェルメリア皇国内ですらないのかもしれない、と。
それに、これが昼寝中に見ている夢ではないとわからせるかのように、久々にあの痛みが体中を軋ませているのだ。そう、魔力回路の損傷、とやらがもたらす痛みが。
「……いっ…つぅ……」
鋭いような鈍いような双極の痛みに身動きも出来ず、ただぐっと歯を食いしばって堪えていると、脂汗がじっとりと背筋を伝っていく。しかし、そのおかげで夢オチだと決めつけて、森の中をすぐさま歩き回るという状況を回避できているのかもしれない。
バルザックともしも森で遭難したら、の話をしておいてよかった。この世界、探知系の魔法もしっかりあるそうなので、時間さえかければ遭難者の居場所を特定することも出来るそうなのだ。
それを聞いていたおかげで、目覚めた瞬間わけのわからない森にいるこの状態でも、多分助けは来るはずだと希望が持てるのだから。
ただし、やはり迷子になった場所から動かない方が早く見つけてもらえる、というのは共通鉄則だ。
でもさ、俺のこの状況ってかなり酷くない?これってあれだろ?どうせ俺が寝ぼけて転移魔法……いや、なんとなくだけど多分転移魔術っぽい気がするが、それ系使って変なところにポンッと出てきた、ってことだよな?この体の痛さは魔力関連だって事は確かなんだから。
でも嘘だろー……俺があんな状態になってしまったから、予定されていた初めての実践魔法講座は当然延期中。まだ魔法の使い方すら実地で習っていないはずなのに、なんで寝ぼけてる状態でその上の魔術っぽいものすら使えてるんだ?もしかして体が覚えている、とかか?ロイもいくらかは体が覚えているだろうとか何とか言ってたし。
「……ぁ…ロイ……」
痛みと不安を紛らわすためにも現状について考え続けていた結果、ついロイの事まで頭に思い浮かべてしまった。もう少し落ち着いてから、考えたいと思っていたのに。だめだ、どうしても先ほど告げられた言葉が頭の中を占めてしまう。
---- カナタが愛しているのは、私ではない ----
あれは夢だった?俺が昼寝中に見た、ただの夢?
そう思い込みたい自分と、違うだろ無意識に魔力使って視てたんだろ、と主張する自分がいる。
それにこんな場所で目を覚ます直前、ロイたちがいた執務室の様子が視界から消える刹那、声を聞いた気がした。酷く焦ったロイの声音が俺の名を呼んで、行くなと叫んでいたような。
あの声は、夢にしてはやけに生々しく、強かった。多分魔力を乗せた声音だったのかもしれない。
ということは、勝手に覗き見してしまった挙句、俺の想いとか気持ちとか、全部信じてもらえていなかったというのも現実、なんだろう、きっと。
そこまで思考が回ってしまうと、地べたに座り込んでうずくまったままの体が、やけに冷えていく。肌はじわりと汗ばんだままなのに両腕で自分を抱きしめるようにしても、寒気が這い上がる。
あぁ、だめだ。こんな時は、思い出してしまうから。
--- 愛しているわ、奏多。奏多も愛してくれる? ---
--- うん、あいしてるよ! ---
誰よりも何よりも、優しく柔らかな声音で告げられる、穏やかで暖かな響きの、言葉。
それを疑うなんて知りもしないで、誰よりも何よりも大好きな事をそういうのだと習って、同じ言葉を返す、自分。
長い間ずっと当たり前のように確かにあったはずなのに、繋がれた手のぬくもりも、撫でられた頭の感触も、もう全然覚えていない。
抱き締められた体の、幸福感も。
それなのに、その声が告げた言葉ははっきり覚えている。一言一句、放たれた声音の冷たさと激しさまで。
--- 私が愛してるはずないでしょ。本当はあなただってそうでしょう? ---
そんなことない、だって俺にとってはただ一人の――……
--- だって、あなたは私の子供じゃないもの。これ以上、迷惑をかけないで ---
母さんだったんだ。
ようやく体の痛みがましになり、最低値にまで下がり切った気分もどうにか上向き始めたのは、木々の隙間から小さく覗く空の欠片がオレンジ色から宵闇へと染まる頃だった。
「えーっと……どれくらい経ったかな。一時間、は待った、かな?……流石に世界の反対側に来ちゃったとかはないだろうから……いやむしろそうであってくれ……時差ってこの世界どれくらいかもまだ知らないし……」
流石に夜もこのままここで過ごすわけにはいかない。まだ体に走る痛みを我慢してゆっくり立ち上がりながら、周囲を見渡してみるものの……
「……川とか水源の見つけ方、魔法以外の方法で教えてもらっておけばよかったな……」
この世界での俺、不思議と空腹をあまり感じない事は今までの生活でよく知っている。でも、喉の渇きは別だ。肌は汗ばんだままだし、不可抗力で体の水分を少々だが目からも失っているし。
本当ならこんな暗くなる直前に、サバイバル第一歩の水源確保のために動き出すなんてしたくなかったのだが、体の痛みもあったし何より、期待してもいた。
「ロイ……迎えに来てくれない、のかな……」
つい、ぽつりと口から零してしまった言葉に、また気持ちが沈みかける。
凄い魔術師で転移魔法も一日何度も使えるようなロイなら、簡単に俺を見つけて迎えに来てくれると楽観視していたから。
こんな明らかに深い森ですよ、な場所に突然一人で放り出されても、どうにか冷静でいられるのも、それが心の拠り所として大きかったからだ。きっとロイが、俺を探して迎えに来てくれるはずだって。
でも、こうして待ち続けるだけだと、不安で仕方なくなってくる。空に夜の気配が滲みだすと、もうだめだ。
俺はまた、捨てられるのかなって。どうしてもそんな不安が湧いてくる。
勝手にロイとセネルさんの話を覗き見した挙句、突然いなくなるなんて、どれだけ迷惑をかけているんだろう。つい最近だって、わけがわからなくなってあんな事をしでかしたばかりなのに。
きっと《魔導の頂点》なら、絶対にそんなへまはしなかっただろう。ロイだってきっと、呆れてるんじゃないかな?だから、もしかしたらもう愛想も尽きてるんじゃ……。
「…っだめだだめだ!くよくよするな!ロイはきっと探してくれてる、迎えに来てくれる。だって《魔導の頂点》は皇国でまだ療養中ってなってるのに、行方不明なんかになったらロイとしても困るって!」
うん、俺には価値はないけれど、《魔導の頂点》には価値がある。なにせ、ロイの想い人だった昔の俺なのだし。
だから、俺は《魔導の頂点》を愛しているロイを信じて、とにかくこの森でしばらくサバイバルしていればいいのだ!
…………………………ヤバい、墓穴掘ったわこれ。かなりまた気分沈みそうだし。いいや、安全な場所を見つけてからそこでしっかり落ち込もう。それまでは色々考えないようにしよう。
前向きなのか後ろ向きなのかは自分でもわからないが、とにかくそう結論付けた俺はひとまず勘を信じて、とりあえず今前を向いている方角へと一歩足を踏み出した。
そこで初めて裸足だったことを思い出して苦笑いしたのと、後方の茂みからガサガサと不穏な音が聞こえ始めたのは同時だった。
「っ!?」
思わず叫び出しそうになるのを我慢して振り返りながら、静かに後ずさる。
確か今まで読んできた本の中に、こういった人気のない森には大抵魔物が潜んでいたり、都市部では過ごせない逃亡犯罪者や、それらが寄り集まってできた盗賊団が塒にしている事もあるとあった。
それにこの世界、普通に獣も存在している。以前見せてもらった図鑑には、元の世界にいたような動物に似ているものも、全く馴染みのないものもいた。ただそんな獣たちは、地球と同じように自然の中で食物連鎖を構成して生きている、らしい。
(肉食系の獣ならアウト、盗賊系もアウト、魔物でもアウト……あぁあぁ今こそ!今こそ魔法か魔術で無意識にびゅーんってどこか移動させてくれよほんっとマジで!!!!)
だがそんな俺の希望空しく、魔術や魔法どころか、多分自分の中で魔力が動いたあのぶわっとした感覚すら、一向に芽生える気配もない。
とにかく距離を取ろう、と葉擦れの音がだんだん強くなってくる茂みから離れるよう、後ろ向きのまま足をそろりそろりと動かしていると
「やっと見つけたぜ。お前、ここで何してやがる?」
聞きなれない低い声音が突然、頭上からそう降ってきた。
自分でも滑稽なほど肩が跳ね、声の方向を見上げると太い木の枝に足をかけ、こちらを見下ろす獣人がいる。
一目でその種族がわかったのは、最も目立つ頭、いや顔の部分が俺の見慣れた地球の人間と比べて、これ以上ない程異様だったからだ。
頭の上に兎耳が生えていたり、髪の毛が羽根だったり、そんなもの些細な事だった。だって、その人物の頭は、まさしく犬、いや狼そのものだったのだ。
ヒトの体に狼の頭をしたその獣人は、俺が硬直して見上げている間に小さく音を立てて高い木の枝から飛び降りると、俺の目の前、かろうじで互いの腕が届かない距離へと立ちふさがった。
それは、黒いシャツの上に同じく黒い革製のプロテクターのようなものを体の要所に身に着け、左腕には青地に白で何かの模様が入った腕章を巻いている、リアル狼男。
一見すらりとした体格でロイとそう変わらない長身だが、腕も胸板もバルザックと同じか、それ以上に太い。それだけで俺にとっては物理的に勝ち目などないに等しいというのに、腰元には鞘に入った長剣らしき獲物が二本。見れば、狼男の手は頭と同じ体毛にしっかり覆われているが、人間のように五指に分かれているようだった。
その毛皮の色は深い茶に黒が混じり、肉食獣さながらの鋭い瞳は金色で、獲物を品定めするかのように俺へと注がれ続けていた。それは時間にすれば、ほんの数秒だったかもしれない。
やがて目の前の狼男は、俺にとっては背後、彼にとっては前方にあたる不穏な物音を出す茂みへ向かって、吠えるように怒鳴った。
「おいお前等!一体どこ探してやがる!鼻もろくに効かねぇとか鈍りすぎてんじゃねぇか!?」
「あぁ?!てめぇ見つけたんならさっさと知らせろっつーの!!」
「ほらだからこっちっぽいってオイラ言ったじゃねぇか。お、いたいた……ってぅおぉおぉ!!?」
「こりゃまた、かーわいいお嬢ちゃんじゃねぇの!今日はついてるってか?」
賑やかな声を上げながら、茂みからわらわらと現れたのは五人ほどの人間で、ぱっと見三人が頭の上や横にある獣の耳で獣人とわかった。
ただその中でも、この狼の頭を持つ獣人は別格なのだと、纏う雰囲気で一発でわかってしまう。
「……っ」
仲間内で言い合いながらも、俺を取り囲むように近づいてくる男たちに、一気に恐怖が沸き上がる。ただしそれは、あの制御不能なモノではなく、はっきりと今の俺から生み出された感情だ。だから、前後不覚になることなく、まだ考えることができる。
もしここが日本、いや地球の森や山で俺が遭難していて、ようやく他人と出会えたとしたら、何よりもまず素直に助けを求めていただろう。
でも、それは出来ない。この世界で、俺だけはそんな事できない。だって、昔の俺が何て書き残していたか、忘れる事なんてもうできないのだから。
だから、震えそうになる体を必死に気合で押さえつけながら意識を集中させる。あれだけなら、多分今の俺でもできるはずだから。一度目だって、成功したのだから。
「お前らじゃれるのもいい加減にしとけ!で、そこの人族っぽいガキ。もう一度聞くがこんな所で何してやがる?場合によっちゃぁ――」
「全員動くなッ!!」
まだ誰の手も届かない距離で、鋭く息を吸って吐き出す瞬間、声に腹の中から何かをぶつけるつもりで叫ぶ。そして結果も見ずに、一目散に背を翻して誰もいない方へと走り出すことに、どうにか俺は成功していた。
「なっ…魔法士か?!」
後ろで上がった多くの驚きの声の一つに、あの狼男の声音もある。どうやら、言葉に魔力を乗せて一瞬でも体の自由を奪う、という場当たり作戦はうまくいったようだ。
(このまま逃げきって誰もいない安全な場所を見つけて、ロイが迎えに来てくれるのを待っ)
「ったく手間かけさせんなよ」
心底面倒くさいと言わんばかりの声音が耳元で聞こえた瞬間、とんっ、と首の後ろに感じた衝撃の後、一瞬で俺の視界はブラックアウトしていた。
多分、それが良かった。余計な怖い思いをしなくてすんだのだから。
「あら、目が覚めた?もう大丈夫よ~おいたが過ぎる子は、ほら、こっちで反省させてるから。」
「へ?」
ただ次にちゃんとした、でも質素なベッドで目が覚めた俺が一番に見た光景は、割と恐怖だった。
何?なんで俺、ベッド取り囲まれて屈強な獣人たちに土下座されてるの?何かの宗教?あ、わかった。これ、夢の続きだわ。多分目が覚めたら、いつものベッドに寝ていて隣にロイが――……
「はいはーい、逃避してるところ悪いけどぉ、コレ夢オチじゃないからね~?」
うん、筋骨隆々とした金色の狼男が萌え声ってやつでそう話すのも、かなり怖いんだけど。
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