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17.何も変わらない

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 戦々恐々としながら、かつての自分の家、ロイ曰く『隠れ家の一つ』に踏み込んだ俺は、その室内を見回してから、すっかり拍子抜けしていた。
 平屋建ての室内はざっと12畳ほどの空間があり、奥の壁際にセミダブルほどのベッド。部屋の中央に黒っぽい木製の丸テーブルと背もたれのないシンプルな丸椅子。向かって右側の壁には造り付けの棚があるが、本が数冊と綺麗な宝石のような物がついた装飾品が数個、無造作に置かれているだけ。
出入口とは別に二つの扉があるが、俺の予想的にトイレと風呂だな。
 部屋の隅には収納用の大きな木箱があるが蓋は開いていて、黒い外套のような衣服が無造作に一着突っ込まれていただけだった。

「…………何もなくない?」

 物がなさすぎて、記憶どころか第六感的なモノすら微塵に反応できないわコレ。まだモデルルームにお邪魔した方が、生活感がありそうだ。ぱっと見、素泊まり用の山小屋に見えなくもない。キッチンらしきものもないし。

「カナタは、あまり物を置きたがらなかった。それに必要であれば大抵魔術で用意していたし、ここへの出入りも室内へ直接転移魔術で行っていたな。扉を作るんじゃなかった、とよくぼやいていた。」

 そんなロイの話を聞きながら、肩の力の抜けた俺はその手を離してベッドへと歩を進める。
埃一つ被っていない白いシーツに、やや硬めの枕。その上に無造作にぼふっと横になってみると

「あー…………この枕落ち着く……持って帰ってもいいかな?」

「無論だ。カナタの愛用品なのだから、好きにするがいい。」

そう微笑むロイに腕を引いて起こされ、もう一度ほとんど何もない室内を見回した。

 あれだけ緊張したのが勿体ないくらい、この空間が俺の記憶を刺激することは、どうやらなさそうだ。
聞けば、ほかの大陸にもこんな感じの俺の隠れ家が幾つかあるらしい。そのどれもがここと似たり寄ったりで、ほとんど物のない、生活感に欠ける空間になっていると。

 そんな話を聞きながら狭い室内を見て回る時間はそう長くもなく、念のため家の外で周囲を警戒してくれていたファイとすぐに合流し、今度こそ皇宮へとロイの転移魔法で戻った。
遅い昼食を皇宮の一室でロイと食べて、俺の初めての外出兼プチ旅行はそこで終了。今までと比べると、なかなかにハードな一日だった。ただ新しい服を着てみただけで、こんな事になるとは。

 外出したせいで更に執務に追われることになったロイが深奥宮殿に戻れるのは、どう頑張っても日付が変わってからになるのは確定だそうだ。
残念そうなロイに「仕事頑張って」と一応のエールを送ってから執務室を出た俺は、来た時同様ファイと薄青の鎧たちに連れられて、深奥宮殿のいつもの部屋へと戻った。
 そうして読みかけの魔法書や、今流行りだと教えられた旅行記なんてものを読みながら時間をつぶし、ファイに付き合ってもらいながら夕食、入浴、と済ませばあっという間に後は眠るだけになる。

「それでは、本日は大変御疲れ様でございました。どうぞごゆるりとお休みくださいませ。」

「ファイも付き合ってくれてありがとう。じゃ、おやすみなさい。」

 朝一番に目にしたとき同様、皺ひとつない燕尾服のような衣装をきっちり纏った兎耳爺様に、そうベッドの上から挨拶をすると天蓋の幕がゆっくり降ろされる。
 遠くで扉の閉まる小さな音を聞きながら、俺は壁際の頭一つ高い位置にある埋め込み式光源ランプの柔らかな灯りを消そうと手を伸ばして、やめた。

 代わりに、手元に引き寄せたのは今日俺の住処だったという家のベッドから持ち帰った、あの何の変哲もない少し硬めの枕だ。


「……別に、ロイを疑ってるわけじゃない。ただ、俺って…日本にいた頃は……」

何かを隠すならだった。

 昔もらった小さな玩具、授業で必要だったから用意されただけの親から子供への例文のような手紙、ほんの数枚しかない家族写真。
そんな物を何重にも重ねたビニール袋に入れて、小さなタオルでくるんで、枕カバーの中にしまい込んでいた。
自分から脱衣籠に入れなければ枕カバー自体、親が自発的に洗濯することはなかったし、隠せる量もしれていたから、一度も誰にもバレたことはなかった。
だから、あんな何もない山小屋に等しい家の中で、もし何か大事なものを俺が隠すなら、きっとここだと思った。

 ファスナーなんてないただの布の塊を膝の上に置き、その縫い目を引き裂くように両手に力を込める。途端、小さなビリッという音と共に簡単に破れ目ができ、中身の綿が少々あふれ出す。

「……やっぱ、考えすぎかな。」

破った瞬間、隠し物が零れなかったことにどこかほっとして、それでも念のために、その中へと手をうずめて…………指先にカサリと触れた紙の束を引きずり出す、その決意をするのに数分かかった。

 小さく折り畳まれていたそれを広げると、巻物のように縦に長い一枚の紙だった。折り目による劣化やインクの掠れもないのは、魔法か魔術で保存状態を良くしているからかもしれない。
 身に覚えのある筆跡で、この世界で初めて見る母国語日本語で綴られたそれ。
その最初に踊る文言に心臓が嫌な音を立て、指先が冷えていく。それでも視線を外すこともできず、慣れ親しんだ文字を次から次へと流れるように最後まで追ってしまった。



『迷い込んですぐ捕まった後、性奴隷として男に犯される生活が多分10年以上は続いて壊れてた。最後は魔物の森に捨てられた。薬と魔法で廃人にされてた俺を助けてくれたシュレインは、最後の天霊人で魔術師。

魔術で魔法の負化魔力を相殺しなければ魔物が強大化。天霊人を滅ぼした他種族では魔術を使えない。魔術は天霊人の固有能力か?異世界人の俺には自然魔力が視える。だから使える。

どれだけ経っても体だけが疼く。嫌なのに犯されたい、死にたい。こんなにした奴らの血縁、子孫、関係者、一人残らず殺し尽くしたい。

こんな世界さっさと滅べばいい。なのにシュレインはこの世界に巡ると最期に言った。何に巡るかなんて本人にすらわからないのに、俺にわかるか。
なのに世界が滅べば絶対にもう二度とシュレインに会えない。その希望を自分の手で殺せるほど俺は強くない。
会いたい、会いたい。愛されなくてもいいから、もう一度名前を呼んでほしい。会いたい。なんで俺は死ねないんだ。

どんな姿でどんな命で生まれてくるのか。天霊人の先祖返りを見つけたが、違う、シュレインではない。でも魔術師にすることは出来た。シュレインが巡る世界を維持するためだ。俺だけより他に魔術師がいる方が世界もつだろう。

どれだけ待っても巡るシュレインを見つけられない。もう嫌だ。なんで俺がこんな世界のために戦わなきゃいけない。シュレインがいないのに、なんで他の人間が生きてるんだ、死ねよ。
人も亜人もことごとく死ね。それが嫌なら、誰か俺を殺せばいい。

シュレインを見つけた、そう思った。だってそっくりだったんだ。髪も目も。でもやっぱり違う。成長した顔も同じなのに、なぜ違う。もう無理だ。多分精神が限界なんだ。ただの短命種が、世界を越えたところで700年も生きるなんて、精神構造的に無理なんだ。
負化魔力の増大に処理も追いつかなくなってきた。直にデレス級で世界が溢れる。そうなれば本当に終わりだ。

デレス13体現出。1体ごとの強さも跳ね上がっていた。残り12体を纏めて消すことができれば一時しのぎにはなるが、自己魔力だけでは出力不足の可能性大。
700年の記憶を魔力に変換すれば、出力を補うことは可能とみる。
後継をロディリクスに決定。俺の記憶があれば、多少は世界維持に役立つだろう。廃人になる危険も大きいが、無理矢理にでも俺の、レグ・レガリアの記憶をアレに引き継がせる。シュレインが巡る世界のために

なんで俺ここまで書いてきたんだろう。誰も読めないだろ、こんなの。
俺の記憶を継いだ人間なら、読めるか?枕の中に隠してるっていう記憶だけは継げないように術式変更しておくか。

それでもあいつなら、ロディリクスなら見つけたりして。
ほんと馬鹿なやつだよな。シュレインと同じ髪、同じ瞳をしていた、最も天霊人に近い先祖返りだから手元に置いていただけなのに。成長したら顔までシュレインそっくりになるとか、つくづくこの世界は最悪だ。
あの目で俺を愛しいと語る、年々強くなるその想いが嫌だ。
俺にとって、シュレイン以外にこの世界で価値ある存在なんてない。この世界にとっての俺が、そうだったんだから。シュレインだけが俺を助けてくれて、守ってくれて、必要としてくれた。愛してだけはくれなかったけど、それは仕方ない。天霊人はそういう種族だったんだと今ではわかってる。だから他種族から滅ぼされたんだ。

シュレインを覚えている以上、ロディリクスを、ロイを俺が愛することはないし、もし「愛している」などと言われようものなら即座に殺すだろう。
あいつはシュレインの偽物だ。同じ姿で違う言葉を吐かれたら、俺はきっと殺す。

でも、もうその心配もしなくていい。朝陽が昇れば作戦開始だ。ロイに記憶を引き継がせ、その足でまとめてデレスを殺す。
そして俺も死ぬ。
この世界の存在ではない俺は、死んでもきっとシュレインと同じように巡れはしないだろう。結局ずっと独りだ。生きていても死んでいても変わらない。

だけど、もし、もしもがあるなら、ロイを愛せたなら、俺は少しは幸せになれただろうか。

レグ・レガリアではなく、奏多と呼ばせたなら、何か変わっただろうか。


いや、無理だな。』




 そう結論付けて終わったそれを、俺は何度も何度も読み返して、同じ結論に達した。

「…………うん、無理だ。」

 500年か700年なのか知らないが、これはない。無理だろ、《魔導の頂点レグ・レガリア》。
 俺にあんたは背負えない、受け入れられない。だって俺は、あんたが愛せないと言ったロイが好きなんだ。それこそ、他と比べようがないほどに。誰かの代わりなんて有り得ないほどに。

 震える指先でその紙を元のように小さく小さく折り畳みながら、俺は決めた。

 俺は何も見ていない、知ってもいない。このまま眠って、朝になったらきっとロイの腕の中で、ぬくぬくしながら言うんだ。いつもみたいに、「おはよう」って。


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