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13.寝てる間に
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ヴェルメリア皇宮の贅を尽くした造りとは違い、上品に落ち着いた様相で整えられている深奥宮殿。
そのプライベート性故に他国の王族であったとしても、この宮にまで足を踏み入れたことがある部外者はほとんどいないだろう。
表向きは歴代の皇帝が、皇宮から手近な場所で静養するための離宮とされているが、その始まりは表には出せない寵姫、それもどうしても自らの手元に置きたいと願われるほど、特別な寵愛を受けた者の為だった。というのは、世界の統治者階級の間では有名なラブロマンスだ。
後の代の皇帝たちの中でも、その宮を真の意味で使う者もそこそこいたという噂だが、まさか当代ヴェルメリア帝があの《魔導の頂点》を連れ込んだと知った時は、有り得ない、いやあのジジイついにやりやがったか、と勢い余って頭の羽根を掻き毟って振り撒いてしまったのはいつだったか。
しかし、そんな滅多に訪れることのできない特殊な場所、その応接室の一室で今目の前に広がる光景こそが最も有り得ない、と若き獣人の王はただその空色の瞳を見開いていた。
「……カナタ?…あぁ、疲れたか。やはり魔力を扱うのは、まだ早すぎる。
サリアス、請われようとも実践の手ほどきだけは今後も拒否せよ。完治まで油断するな。」
「心得てますよ、陛下。魔力回路侵度5レベルの損傷なんて、精人でも普通即死なんですからぁ。
それよりシン様に防音魔法を。お話し中に起こしちゃいますよ?」
それもそうだな、と言ってこの皇国の支配者がその白く傷一つない長い指先を、黒髪の隙間から覗く耳元へそっと動かす。そこに小さく小さく浮かんだ魔法陣は、その顔が浮かべたモノと同じように淡く優しい色をしていた。
「…………本当に、《魔導の頂点》なのか……」
ぽつり、とペネリュートの口からは吐息のようにそんな疑問が零れる。
《魔導の頂点》、いや《黒の殲滅者》とすら呼ばれたかの存在が、先ほど浮かべた笑顔が信じられなかった。まるでただの人間の、それも子供のようにどこかあどけなく、見ているこちらまで何故か嬉しさが滲むような、ふわりとした暖かな笑みが。
それだけではない。くるくると変わる豊かな表情も、抑揚が滲む暖かな声音も。その全てが、有り得ないと思ってしまった。
自分の知っている彼は、この世界では珍しい楚々とした怜悧なその美貌を、いつも人形のような無表情さで固定していた。
仮にその口元が小さく弧を描くことはあってもそれは嘲笑に過ぎず、その深い深い漆黒の目に宿るのはどこまでも無機質な感情であり、何を見ても、誰を視界に入れようと、滅多に光を纏う事すらない。
彼の心が僅か動くことはあっても、決まってその目に浮かぶのは塵屑を見るような、路傍の石の方が遥かに暖かみをもって見るだろうというほどの、侮蔑しきった鋭利なモノだ。
そして何よりも、あっけなくその名を、名乗った。
過去、一生分の幸運を贖うような奇跡により知己を得た彼に、どれだけ尋ねようと決して与えられることはなかった、名を。
--- この世界で、俺の名前を呼んでいいのは一人だけだ。あの人以外になんて、反吐が出る。
例えもし俺の名を知ることがあっても、決して呼ぶな。呼べば殺す。 ---
そう凍り付くような冷たい声音と、憎悪の滲む闇を宿した目で拒絶された日の事は、今でも鮮明に思い出せるというのに。
そんな《魔導の頂点》と目の前の《シンドウ・カナタ》が同一人物だと、理解は出来てもどうしても受け入れられない。これではあまりにも、そう、まるで魂さえもが違う別人ではないか。
その思考さえ筒抜けになっていたのか、華奢にも見える細い躰を大切そうに膝の上に抱え直した男が、ペネリュートへようやく視線を向けて小さく嗤う。
「それだけの動揺を覚えた今なら、我が意に逆らう気も失せたか?
魔術はおろか魔法すら操れず身を守る術も知識もない、ただし育てば確実に神と同じ座に就く存在がいる。それを世界に知らしめてどうするのだ。
ただでさえ《魔導の頂点》の力を、その寵愛をと争うように取り合う唾棄すべき愚か者どもに、今が狩り時だと教えてやるのか?」
睥睨する紫暗の瞳が纏う威圧に、無意識に背の黒翼が縮みそうになるのを気合で耐えながら、ペネリュートは言葉を探しつつ口を開く。
「昨日、貴公より受けた説明で凡その理解は出来ている。これ以上は、我も声を荒げるつもりはない。だが…………っいつまでも隠し通せるわけじゃねぇ。それは勿論わかってるんスよね?」
素の自分を知っている相手ではあれど、格上の支配者に対して精一杯、対等な王として話を続けようとしているのに、次第にそれをさも愉快そうにニヤニヤ見つめられれば、潔く仮面を脱ぐくらいは自分でもできる。
少々眉間に皺を寄せたそんなペネリュートを、ロイは更に愉し気に眺めながら当然だと鷹揚に頷いた。その目に浮かぶ色は、どこまでも冷たいままに。
「じゃあどうするんすか。ここの守りが固いのは知ってるっすけど、この御方をずっと閉じ込めておくつもりなんすか?」
「……だから貴様は、まだまだ未熟者だというのだ。《魔導の頂点》に一時でも目を掛けられたのだ。いい加減それに相応しく在れるようになれ。」
これだ、この遥かに年下の王が気に入らない理由は、ただその一点なのだ。
そう胸の奥で小さく淀む憤りに、ロイは僅かばかり過去に記憶を馳せる。
かつてのカナタが結果的にこの王のために、彼の国で随分と派手に動いてやったことがあった。それなのに、この男ときたら頭が足りない、突発的な行動は取る、感情で動く。そのせいで事態の収拾がかなり七面倒くさい事になってしまった。
いつも以上に能面になった《魔導の頂点》から、有無を言わさず転移魔術で呼びつけられ、その尻拭いをさせられた、というか丸投げされたのが誰であろう、他ならぬこのヴェルメリア皇帝なのだ。
その日以降しばし、なぜあんな愚物に目をかけるのか、いやしかし少しは頼ってもらえたのでは…だがやはり若く愛らしい素直な方が云々……、と激しい嫉妬と苛立ちに鬱々とも悶々とした日々を送ったことは、ロイにとってまさしく『黒歴史』と呼べる一つになっている。
しかし、そんな圧倒的に未熟だった男も、玉座に座り続ければ多少とはいえ極僅かでも成長は見せている。なによりペネリュートという王は、皇帝としてではなくロイという個人として信頼できる、数少ない統治者なのだ。
この男自身と、彼が統べるその王国は、いかなる事態になっても決して《魔導の頂点》を害しはしない。その確固たる理由と心情を知っているからこそ、信じられる。
それが何よりも、ロイという人間にとって重要視されることなのだから。
だからこそ、相変わらずの叱責に悔しそうに口を結び、必死に頭を働かせながらもただ一度も逸れることのない蒼天の瞳へ、彼は言葉を続けてやるのだ。
「と言っても今回の行動、実は私はそれほど不愉快ではない。むしろ不測の事態に対して、よく動いた。国も民も放り出して《魔導の頂点》の為のみに、な。
ただ私であれば、意識不明と知った時点で即座にその身柄を確保するよう動くが。」
「…………それって王として失格なのを褒められてる?ような?……微妙な気分っス。常日頃、譲位するって周りに圧力かけまくってる人と同じにはしないで欲しいっすけど……まぁ…どうも。」
「そんな殊勝なカロディール王に、今回だけは特別に教えてやろう。
バルザック、状況を。」
緩く吊り上げられた口元と共に紫暗の流し目を向けられ、この皇国の軍事全てを司る筋骨隆々とした若き元帥は、自分がこの場に呼ばれた理由が予想通りだった事に胸をなでおろしながら、その重い口を開いた。
「同盟国への通達は完了。仮想前線部隊は6割を対魔物ではなく対人特化装備へと換装済。勅令一つで、ユーレンシア大陸全土は第一級戦時体制へと移行可能。
ただし、イルレンキ及びエベレント陣営にまだ動きはありません。」
大きな黒翼がバサリと小さな音を立てるも、ロイは続けてサリアスへと視線を合わせ短く問う。
「諜報部、状況は。」
「はい、陛下。レベルは戦時下ラインで既に確立済。勅令の後、一昼夜も頂ければ全大陸での通信系情報魔法は皇国の管理下でしか起動しなくなっちゃいます。対《魔導の頂点》を想定しなくていいなんて、楽勝すぎちゃいましたねぇ。」
そうにこやかに笑う桃色の瞳は、ちらりと部屋の隅へと流される。当然、その意味するところを理解しているロイが、更に短く問う。
「暗部」
静かに一礼する動きに合わせ、その白く長い耳が小さく揺れた。
「《魔導の頂点》と陛下を除く魔術師、全3名の居場所を捕捉済。お望みであればいつでも仕掛けられますぞ。首は取れずとも、皇国の威は示せましょう。」
常と変わらぬ好々爺然としたファイの穏やかな口調に、ついに背の翼を大きく羽搏かせた青年が思わず腰を浮かせた。
「戦争でもするつもりっすかアンタ!?魔術師対策までって…同じ《魔導の頂点》の直々の門弟っスよね!?何を考えっ……って、まさか……自分にわざわざ教えたってことは……」
青ざめた顔のままそれでも思考を止めず自ら答えに近づいたペネリュート、その成長ぶりに内心驚きながら紫暗の瞳を眇め、ロイはゆったりと告げる。
「そうだ。今後《魔導の頂点》の状況が漏れ、愚かな動きを示す陣営が出れば即座に皇国が叩き潰す。二か月もあれば、この通り準備も整う。
全大陸統一などさして興味もなかったが、状況次第では有り得るという事を忘れるな。
ここまで言えば理解できよう?」
「…………ここユーレンシア大陸は実質皇国の統治下っス。ってことは、残り二大陸……オレの国があるイルレンキとエベレントでその愚かな動きが起きないよう、牽制と監視を強めろってことっスよね?しくじれば……世界を巻き込む戦乱の可能性……」
ごくりと生唾を飲み込みながら、見下ろす形になった皇国皇帝にそう確認すれば、そこで初めて紫色の瞳が穏やかな光を纏った。
「ようやく正解だ。貴公の役目は、皇国に剣を抜かせぬこと。二大陸の各陣営の動きを注視し、必要なら皇国が本気であると牽制すること。
ヴェルメリア皇国第176代皇帝、ロディリクス・ディ・ユレンス・ヴェルメリアは《魔導の頂点》を害す者は許さぬ。国ごと王族も民も、《黒の殲滅者》が如く等しく滅ぼすと。」
その腕の中で眠る唯一が、何よりも愛しいのだと紫水晶は雄弁に語っていた。
(だからと言って、これはやりすぎじゃねぇっすかね?いくら《魔導の頂点》がこんな状態っつっても、手出ししてくるような命知らずはいねぇっすよ……。間違いねぇっす…やりすぎっすヴェルメリア帝…。さすが、《魔導の頂点》の事には決して妥協しない男っス……)
背の大きな翼をせわしなく動かしながら、ペネリュートは考える。
自分の最も重要な役目は、この皇帝の暴走を止めることではないかと。しかし、三秒でその考えは捨てた。無理、こんな完璧皇帝とは、いくら年をとっても太刀打ちできる気がしない、と。
「……とりあえずは了解っス……」
どうにかそう返すだけで、今の自分は精一杯なのだから。
そのプライベート性故に他国の王族であったとしても、この宮にまで足を踏み入れたことがある部外者はほとんどいないだろう。
表向きは歴代の皇帝が、皇宮から手近な場所で静養するための離宮とされているが、その始まりは表には出せない寵姫、それもどうしても自らの手元に置きたいと願われるほど、特別な寵愛を受けた者の為だった。というのは、世界の統治者階級の間では有名なラブロマンスだ。
後の代の皇帝たちの中でも、その宮を真の意味で使う者もそこそこいたという噂だが、まさか当代ヴェルメリア帝があの《魔導の頂点》を連れ込んだと知った時は、有り得ない、いやあのジジイついにやりやがったか、と勢い余って頭の羽根を掻き毟って振り撒いてしまったのはいつだったか。
しかし、そんな滅多に訪れることのできない特殊な場所、その応接室の一室で今目の前に広がる光景こそが最も有り得ない、と若き獣人の王はただその空色の瞳を見開いていた。
「……カナタ?…あぁ、疲れたか。やはり魔力を扱うのは、まだ早すぎる。
サリアス、請われようとも実践の手ほどきだけは今後も拒否せよ。完治まで油断するな。」
「心得てますよ、陛下。魔力回路侵度5レベルの損傷なんて、精人でも普通即死なんですからぁ。
それよりシン様に防音魔法を。お話し中に起こしちゃいますよ?」
それもそうだな、と言ってこの皇国の支配者がその白く傷一つない長い指先を、黒髪の隙間から覗く耳元へそっと動かす。そこに小さく小さく浮かんだ魔法陣は、その顔が浮かべたモノと同じように淡く優しい色をしていた。
「…………本当に、《魔導の頂点》なのか……」
ぽつり、とペネリュートの口からは吐息のようにそんな疑問が零れる。
《魔導の頂点》、いや《黒の殲滅者》とすら呼ばれたかの存在が、先ほど浮かべた笑顔が信じられなかった。まるでただの人間の、それも子供のようにどこかあどけなく、見ているこちらまで何故か嬉しさが滲むような、ふわりとした暖かな笑みが。
それだけではない。くるくると変わる豊かな表情も、抑揚が滲む暖かな声音も。その全てが、有り得ないと思ってしまった。
自分の知っている彼は、この世界では珍しい楚々とした怜悧なその美貌を、いつも人形のような無表情さで固定していた。
仮にその口元が小さく弧を描くことはあってもそれは嘲笑に過ぎず、その深い深い漆黒の目に宿るのはどこまでも無機質な感情であり、何を見ても、誰を視界に入れようと、滅多に光を纏う事すらない。
彼の心が僅か動くことはあっても、決まってその目に浮かぶのは塵屑を見るような、路傍の石の方が遥かに暖かみをもって見るだろうというほどの、侮蔑しきった鋭利なモノだ。
そして何よりも、あっけなくその名を、名乗った。
過去、一生分の幸運を贖うような奇跡により知己を得た彼に、どれだけ尋ねようと決して与えられることはなかった、名を。
--- この世界で、俺の名前を呼んでいいのは一人だけだ。あの人以外になんて、反吐が出る。
例えもし俺の名を知ることがあっても、決して呼ぶな。呼べば殺す。 ---
そう凍り付くような冷たい声音と、憎悪の滲む闇を宿した目で拒絶された日の事は、今でも鮮明に思い出せるというのに。
そんな《魔導の頂点》と目の前の《シンドウ・カナタ》が同一人物だと、理解は出来てもどうしても受け入れられない。これではあまりにも、そう、まるで魂さえもが違う別人ではないか。
その思考さえ筒抜けになっていたのか、華奢にも見える細い躰を大切そうに膝の上に抱え直した男が、ペネリュートへようやく視線を向けて小さく嗤う。
「それだけの動揺を覚えた今なら、我が意に逆らう気も失せたか?
魔術はおろか魔法すら操れず身を守る術も知識もない、ただし育てば確実に神と同じ座に就く存在がいる。それを世界に知らしめてどうするのだ。
ただでさえ《魔導の頂点》の力を、その寵愛をと争うように取り合う唾棄すべき愚か者どもに、今が狩り時だと教えてやるのか?」
睥睨する紫暗の瞳が纏う威圧に、無意識に背の黒翼が縮みそうになるのを気合で耐えながら、ペネリュートは言葉を探しつつ口を開く。
「昨日、貴公より受けた説明で凡その理解は出来ている。これ以上は、我も声を荒げるつもりはない。だが…………っいつまでも隠し通せるわけじゃねぇ。それは勿論わかってるんスよね?」
素の自分を知っている相手ではあれど、格上の支配者に対して精一杯、対等な王として話を続けようとしているのに、次第にそれをさも愉快そうにニヤニヤ見つめられれば、潔く仮面を脱ぐくらいは自分でもできる。
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「じゃあどうするんすか。ここの守りが固いのは知ってるっすけど、この御方をずっと閉じ込めておくつもりなんすか?」
「……だから貴様は、まだまだ未熟者だというのだ。《魔導の頂点》に一時でも目を掛けられたのだ。いい加減それに相応しく在れるようになれ。」
これだ、この遥かに年下の王が気に入らない理由は、ただその一点なのだ。
そう胸の奥で小さく淀む憤りに、ロイは僅かばかり過去に記憶を馳せる。
かつてのカナタが結果的にこの王のために、彼の国で随分と派手に動いてやったことがあった。それなのに、この男ときたら頭が足りない、突発的な行動は取る、感情で動く。そのせいで事態の収拾がかなり七面倒くさい事になってしまった。
いつも以上に能面になった《魔導の頂点》から、有無を言わさず転移魔術で呼びつけられ、その尻拭いをさせられた、というか丸投げされたのが誰であろう、他ならぬこのヴェルメリア皇帝なのだ。
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しかし、そんな圧倒的に未熟だった男も、玉座に座り続ければ多少とはいえ極僅かでも成長は見せている。なによりペネリュートという王は、皇帝としてではなくロイという個人として信頼できる、数少ない統治者なのだ。
この男自身と、彼が統べるその王国は、いかなる事態になっても決して《魔導の頂点》を害しはしない。その確固たる理由と心情を知っているからこそ、信じられる。
それが何よりも、ロイという人間にとって重要視されることなのだから。
だからこそ、相変わらずの叱責に悔しそうに口を結び、必死に頭を働かせながらもただ一度も逸れることのない蒼天の瞳へ、彼は言葉を続けてやるのだ。
「と言っても今回の行動、実は私はそれほど不愉快ではない。むしろ不測の事態に対して、よく動いた。国も民も放り出して《魔導の頂点》の為のみに、な。
ただ私であれば、意識不明と知った時点で即座にその身柄を確保するよう動くが。」
「…………それって王として失格なのを褒められてる?ような?……微妙な気分っス。常日頃、譲位するって周りに圧力かけまくってる人と同じにはしないで欲しいっすけど……まぁ…どうも。」
「そんな殊勝なカロディール王に、今回だけは特別に教えてやろう。
バルザック、状況を。」
緩く吊り上げられた口元と共に紫暗の流し目を向けられ、この皇国の軍事全てを司る筋骨隆々とした若き元帥は、自分がこの場に呼ばれた理由が予想通りだった事に胸をなでおろしながら、その重い口を開いた。
「同盟国への通達は完了。仮想前線部隊は6割を対魔物ではなく対人特化装備へと換装済。勅令一つで、ユーレンシア大陸全土は第一級戦時体制へと移行可能。
ただし、イルレンキ及びエベレント陣営にまだ動きはありません。」
大きな黒翼がバサリと小さな音を立てるも、ロイは続けてサリアスへと視線を合わせ短く問う。
「諜報部、状況は。」
「はい、陛下。レベルは戦時下ラインで既に確立済。勅令の後、一昼夜も頂ければ全大陸での通信系情報魔法は皇国の管理下でしか起動しなくなっちゃいます。対《魔導の頂点》を想定しなくていいなんて、楽勝すぎちゃいましたねぇ。」
そうにこやかに笑う桃色の瞳は、ちらりと部屋の隅へと流される。当然、その意味するところを理解しているロイが、更に短く問う。
「暗部」
静かに一礼する動きに合わせ、その白く長い耳が小さく揺れた。
「《魔導の頂点》と陛下を除く魔術師、全3名の居場所を捕捉済。お望みであればいつでも仕掛けられますぞ。首は取れずとも、皇国の威は示せましょう。」
常と変わらぬ好々爺然としたファイの穏やかな口調に、ついに背の翼を大きく羽搏かせた青年が思わず腰を浮かせた。
「戦争でもするつもりっすかアンタ!?魔術師対策までって…同じ《魔導の頂点》の直々の門弟っスよね!?何を考えっ……って、まさか……自分にわざわざ教えたってことは……」
青ざめた顔のままそれでも思考を止めず自ら答えに近づいたペネリュート、その成長ぶりに内心驚きながら紫暗の瞳を眇め、ロイはゆったりと告げる。
「そうだ。今後《魔導の頂点》の状況が漏れ、愚かな動きを示す陣営が出れば即座に皇国が叩き潰す。二か月もあれば、この通り準備も整う。
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ごくりと生唾を飲み込みながら、見下ろす形になった皇国皇帝にそう確認すれば、そこで初めて紫色の瞳が穏やかな光を纏った。
「ようやく正解だ。貴公の役目は、皇国に剣を抜かせぬこと。二大陸の各陣営の動きを注視し、必要なら皇国が本気であると牽制すること。
ヴェルメリア皇国第176代皇帝、ロディリクス・ディ・ユレンス・ヴェルメリアは《魔導の頂点》を害す者は許さぬ。国ごと王族も民も、《黒の殲滅者》が如く等しく滅ぼすと。」
その腕の中で眠る唯一が、何よりも愛しいのだと紫水晶は雄弁に語っていた。
(だからと言って、これはやりすぎじゃねぇっすかね?いくら《魔導の頂点》がこんな状態っつっても、手出ししてくるような命知らずはいねぇっすよ……。間違いねぇっす…やりすぎっすヴェルメリア帝…。さすが、《魔導の頂点》の事には決して妥協しない男っス……)
背の大きな翼をせわしなく動かしながら、ペネリュートは考える。
自分の最も重要な役目は、この皇帝の暴走を止めることではないかと。しかし、三秒でその考えは捨てた。無理、こんな完璧皇帝とは、いくら年をとっても太刀打ちできる気がしない、と。
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