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第三章 魔王様の専属シェフとお猫様の日常

魔王様の専属シェフは、愛猫を探す

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 速度を上げて港へと向かう私たちの船を、ヴァイスは執拗に追い掛けてくる。そして結界を壊そうとしているのか、時折ゴンゴンという鈍い音が辺りに響いていた。

「クッソ! こんだけ警戒音が鳴るってことは、コイツ本気で結界を破るつもりだぞ!」

 ダニーさんが悪態をつきながら、結界を破られないようにするためか両手を広げて魔法を断続的に使用している。彼の体全体から放たれる光は先ほどよりも多く、眩しくて目を開けていられないほどだ。
「ダニー、もう少し堪えてください!」
「言われなくとも分かってるっての! それよりもジャル、ヴァイスの相手を頼めるか!?」

 ヴァイスの相手、と言う言葉が聞こえてきて、私はこんな状況にも関わらず内心で首を傾げてしまった。
 ここはまだ海の上だ。港へはまだ戻れないだろう。ジャル様もダニーさんも、船上でヴァイスを相手取るのは悪手だと言っていなかっただろうか。
 そんな私の疑問など、もちろん二人は知る由もない。ジャル様は一度だけぐっ、と眉間にしわを寄せてから、ふぅ、と小さく息をついた。

「私がヴァイスの足止めをしている間に、アイラさんとマロンちゃんを安全に港まで送り届けてくださいね」
「それも分かってるっての!」

 ダニーさんのその言葉が合図になったのだろう。ジャル様が一瞬のうちに姿を消してしまった。

「えっ、ジャル様!?」

 姿が消えたことに頭の処理が追いつかず、私は思わず声を上げてしまう。この声を心配のものと受け止めたらしいダニーさんが、安心しろ、と先ほどよりは余裕のある声色で私に声をかけてきた。

「慌てる必要はないぜ、嬢ちゃん。俺の結界を超えてヴァイスの元へ向かっただけだ」

 そうは言うが、ヴァイスの元というのはつまり、海の中ということだ。ジャル様は世界で一番強いらしいけれど、海の中という安定しない環境でその強さを発揮できるのだろうか。しかも相手は十エルトを超える大きさの海の神獣だ。ジャル様の身を案じてしまうのも仕方がないというものだった。

「……とりあえず、ヴァイスが結界にちょっかいをかけるのを止めてくれたみてーだな。おし、早く戻るぞ! 俺たちが海上にいたんじゃ、ジャルも安心してヴァイスを仕留められないからな」
「えっ、このまま戻るんですか?」
「ああ。ジャルもヴァイスを外海まで連れ出そうと誘導はしてくれるだろうが、それに素直に従ってくれないのが神獣だからな」
「す、素直に従ってくれないというのは……?」
「そりゃあ、魔族を見たら全力で攻撃してくるってやつだよ。ジャルも海中じゃあ地上ほど自由に身動き取れねえし」
「自由に身動きが取れないのなら、むしろダニーさんが応援に行く方がいいのでは……」

 話を聞いて疑問に思ったことを尋ねると、ダニーさんは「あー」と若干言葉を濁す。その後しばらく何か思案して、おもむろに口を開いた。

「……ジャルはな、強すぎるんだよ。俺が全力で結界を張ってても、ヴァイスの攻撃に応戦した余波だけで破っちまうくらいには」
「……ヘあ?」
「まあ分かりやすく言うと、俺らがここにいるだけでジャルは戦えないんだよ。自分の攻撃で船を沈めちまうから」
「それは早く港に戻るしかありませんね!」
「分かってくれて何よりだぜ、お嬢ちゃん」

 私たちがいるだけで足手まといどころかセルフ人質状態になっているのだと聞かされたら、もう理解するほかないだろう。
 私はこれ以上ダニーさん、そしてジャル様を煩わせたくなかったので、何も言わないようにした。ヴァイスの相手をしているジャル様はもちろんだけど、ダニーさんも額に汗を滲ませながら必死に結界を維持している。二人の邪魔をしないことが、今の私ができる最善だった。

 そういえば、ダニーさんとの話に夢中になってマロンのことをすっかり忘れていた。あの子はヴァイスの気配のせいか気が立っていたから、変なことをしていないか心配だ。
 私は周囲を見回してマロンの姿が見えないことに気が付いて内心で慌てた。まさか海に飛び込んではいないとは思うけど、この船のどこかに身を隠しているとしたら探すのが大変だ。
 客船よりは小さいとはいえ、他の漁船よりはずっと大きいこの船。その分、体の小さい猫が隠れることのできる場所も多い。警戒心が高まっているマロンが船員の人たちに手を出す前に探し出して、彼女を落ち着かせなければ。

「ダニーさん、マロンがどこかに隠れてしまったみたいなので、探してきます」
「おう、分かった。見つけたら船内に入っててくれ」
「はい」

 ダニーさんにマロンを探しに行くということを伝えて、私は彼のそばを離れる。そしてマロンが隠れていそうなところを重点的に探すことにした。

「マロン、どこにいるの!」

 名前を呼びながらマロンが隠れていそうな荷物の後ろなどを覗いて見るも、茶色のふわふわの毛玉は見つからない。前世でも今世でもマロンはあまり隠れんぼは得意な方ではなかったと思うんだけど、それは住んでいる家が狭かったり、隠れられる場所が少なかったからなのかもしれない。
 こうも雑多に物が置かれている船では、猫の姿を見付けるだけでも一苦労だ。私の猫センサーも反応しないし、どこに行ってしまったのだろう。

「まさか本当に海に飛び込んじゃった……?」

 最悪の想像をしてしまい、ざっと血の気が引いていくのを自覚する。ううん、きっと大丈夫。マロンは賢い子だから、無謀にも海に飛び込むなんてことはしないはずだ。
 だけど、一度不安になったらどうしても気になってしまう。だから私は顔を上げて海の方を見た。
 そこでようやく気が付いた。どうやら私はいつの間にか船尾の方に来ていたらしい。最初は船首の方にいたはずなのに、マロンを探しに夢中になってて気が付かなかった。

「……あれ?」

 なんだろう、違和感がある。

「船員さんがいない……?」

 いくら港に戻るために速度を上げているからって、ヴァイスの脅威があるのに船尾に見張りの一人もいないのはおかしくないだろうか。それに、やけに静かだ。

 違和感の正体に思い至ったその時。

「ニィー……」

 私の耳に、探し求めていたマロンの小さな鳴き声が届いた。

「マロン!」

 鳴き声が聞こえてきた方に慌てて視線を向けると、そこには予想だにしていなかった神物が立っていて私は言葉を失ってしまった。

 豊かな長い金髪を高い位置でくくり、こんがりと焼いてある小麦色の肌をした、まるで宝石のような金色の目を持っているこの世のものとは思えないほどに見目の美しい男。

「ハッハー! いやー、久しぶりだねぇ!」

 役十八年ぶりに聞いたが、この軽い口調は忘れられるはずもない。

「ウォルフ、様」

 私がこの世界に転生する原因ときっかけを作った張本人が、マロンの首根っこを掴んで軽薄な笑みを浮かべていた。
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