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貴方に勝てたことなど一度もありませんよ?

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私の戸惑う声に、美優先輩が顔を上げた。

「…あれ?もしかして、まひちゃん知らなかった?やだ、知っているのかと思って、つい話しちゃったじゃない。けどまあ、まひちゃんもあいつには散々な目に合わされてるし、知る権利はあるわよね?」

美優先輩は自らを肯定するように数回小さく頷くと、事の詳細を語り出した。

「あのバカ、酔っ払って人を殴って怪我させたのよ。飲み屋でね。泥酔してたから、詳細は曖昧らしいんだけど。バカにされたとか、侮辱されたとか。とにかく酷い事を言われて腹が立ったんだって。
当然警察沙汰になったんだけど、すぐに吉澤の両親が知り合いの弁護士に頼んで、示談に持ち込んだみたい。まあ、いくら示談になったとはいえ、傷害事件を起こしたわけだからね。会社としても何らかの処分を下さないわけにもいかないでしょ?だから、本来なら、あのバカ嫁が乗り込んできた日の夕方に、その件の聴取ヒヤリングが行われる筈だったのよ。まあ、あの騒ぎのせいで別件の聴取ヒヤリングになっちゃったみたいだけどね。
っていうか、三十過ぎて親に尻拭いしてもらうって、あり得なくない?ったく、いい大人なんだから、自分のケツは自分で拭けっての!親も甘過ぎ!ああやって甘やかすから、自制もきかないクズに育つのよ」

美優先輩の言葉に首肯しながらも、私は心の中で叫んでいた。

(オイコラ!絢斗父!何が『息子達に成長する機会を』だ?あんたらがその機会を潰してんだろうが!)

そんな真似をしておいて、よく私にあれだけしつこく食い下がれたものだ。厚顔無恥にも程がある。宇宙人の親はやはり宇宙人なのか。


「そんな事があったんですね。…ん?でも、何で美優先輩がそんなに詳しくご存知なんですか?」

「あ、それ聞いちゃう?聞くも涙、語るも涙の物語を。
何を隠そうあのクズ、警察から私に電話かけてきやがったのよ!しかも真夜中に!『警察に捕まっちゃったんだけど、どうしたらいい』って!信じられる?何で私よ!普通は身内にするもんでしょ?
よりによって、貴重なシンデレラタイムの睡眠を邪魔しやがって!マジであり得ない!さすがの私もブチ切れて、嫁か親に電話しろって怒鳴りつけてやったわ!
あー!今思い出しても腹が立つ!しかも、その翌々日にあのバカ嫁騒ぎだし。八つ裂きにしても足りないくらいよ!」

怒りがぶり返したのか。美優先輩の手元の書類がくしゃりと音を立てる。

「先輩!書類!皺になっちゃいます!」

私が焦って声を掛けると、美優先輩は「あらやだ、いけない」と書類の皺を伸ばした。

「…お疲れ様でした。しかし、何で絢斗は先輩に電話してきたんですかね?」

「そんなのこっちが訊きたいわよ」

美優先輩と絢斗は同期だし、同じ課だから気安い関係ではある。けれど、夜中にそんな電話をかけて来れる程親密かと言ったら、違うだろう。寧ろ最近は私の事もあって、険悪な空気が漂っている気さえする。

「そんな訳で、あの処分はちっとも重くないの!寧ろヘリウム入りの風船ばりに軽くてビックリよ!だって、相手は鼻の骨と奥歯を折っているのよ?店にも結構被害が出たみたいだし。それにプラスして、あのバカ嫁騒動でしょ?解雇されたって文句言えないくらいよ」

「鼻の骨と奥歯ですか?…思ってたよりかなり壮絶な感じだったんですね。まあ確かに、そんな事が周りにバレたら会社に居づらくなりますし、私だったら先に辞表を出しますね」


「はあ?異動を諦めたと思ったら、今度は会社を辞めようとしてんのかよ?お前」

背後から素っ頓狂な声がした。振り返ると、高遠が大きく目を瞠ってこちらを見ていた。

「佑!お疲れ様。ああ、今のは違うよ?違う人の話で…。私は会社を辞める気なんてないからね?」

「あら高遠。もう話は終わったの?お疲れ。あ、今のは本当に他の人の話だから、心配しなさんなって。っていうか、まひちゃんが会社辞めるわけないじゃない。もし本人が辞めたがっても、設楽課長が許さないわよ!まひちゃんは二課のエースなんだから」

「いや、エースではないですけど」

「あら?私達しかいないんだし、謙遜する必要ないわよ?」

「いえ、謙遜じゃなくて事実ですよ。件数はそこそことってますけど、二人とは数字のケタが違いますし。二人に比べたら、私なんかミジンコみたいなもんですよ」

私が苦笑をもらすと、美優先輩は呆れたような顔をした。

「ミジンコって…。まひちゃん知ってる?謙遜も過ぎると嫌味になるのよ。そもそも一課うちと二課じゃ、扱う商品の単価が違うんだから数字で比較できるわけないじゃない。比較できるとしたら成約率くらいでしょ?それが勝てないから、どこぞの健気な青年は焦っているのよね?高遠」

「ウガァァァー!どうしていつもペラペラ喋っちゃうんですか!?そんな事を気にする器のちっさい男だと思われて捨てられたら、どうしてくれるんですか!」

悲壮感たっぷりに喚きながら、高遠は物理的に美優先輩の口を止めようとする。しかし、美優先輩は高遠の手を避け、更に何か暴露しようと口を開く。
二人の戯れ合う姿は、まるで高遠が美優先輩を抱き込もうとしているように見えて、胸の奥がチリリと痛み、モヤモヤした。

「…ねえ佑。私、佑を捨てる気なんかないよ?」 

気がつくと私は、美優先輩の口元にまわされた高遠の腕を掴んで邪魔をしていた。
そんな私の行動に、高遠は目を瞠って固まった。美優先輩は訳知り顔でニヤニヤしながら、バシバシと高遠の背を叩く。

「やっだ―!あんたちゃんと愛されてるじゃない!今、まひちゃん、確実に嫉妬しジェラってたわよ!もうこの際、成績がどーだこーだ言ってないで、サクッと決めちゃいなさいよ!」

「へ?……いや、でも…。ああああ!取り敢えず、今日は帰ります!お疲れ様でした!ほら真尋、おいで」

高遠は真っ赤な顔で美優先輩に頭を下げると、片手で自分の荷物を持ち、もう片方の手を私へと差し伸べた。私はそっとその手を取る。私の手などすっぽりと包みこんでしまうくらい大きな手は、ゴツゴツと節くれだった、けれど温かで優しい私の大好きな手だった。



***



「ねえ佑。サクッと決めるって、何を決めるの?仕事のことで何か悩んでるの?」

私が隣を歩く高遠を仰ぎ見ながら尋ねると、高遠は気不味そうに視線を逸らした。

「あー。別に悩んでるとかじゃなくて、自分に課した枷っつーか…。何か一つくらいお前に勝てねーと格好つかねーだろ?だから成績くらいは勝てねーとなって…。まあ、そんな感じだ」

「…ん?全く意味がわからないんだけど?
一課と二課うちじゃ扱う商品が違うから比較にならないって、さっき美優先輩も言ってたじゃない。それに二課うちが扱っている商品って殆ど消耗品だから、件数も成約率も必然的に伸びるのよ。そもそも一課で扱ってる商品って、そんなバンバン売れるもんじゃないでしょうよ」

「あーもー。うっせーな!何一つ勝てない男が求婚プロポーズしたところで、勝算なんかねーだろ?これは男の意地ってか、矜持プライドの問題なんだよ!」

高遠は頭をガシガシと掻き毟りながら、そう吐き捨てた。

(へ?…今、求婚プロポーズと聞こえた気がするのですが。本気ですか?
それに私、これまで何一つ…ゲームや射的でさえ、貴方に勝てたことなんか一度もありませんよ?)
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