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正義のヒーローなのですか?
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「高遠!?」
私を守るように立ちはだかった大きな背中を見て、私は安堵した。
「何だよ。お前帰ったんじゃなかったのか?」
「ええ。一度帰りかけたんですけど。途中で忘れ物をしたのを思い出して戻ってきたんです。…っ!主任、これ何ですか?」
帰宅した筈の高遠が現れた事に、絢斗は戸惑っていた。それに対して高遠は掴みどころのない笑みを浮かべている。会話の途中で、私のデスクに置かれた紙袋に気付いた高遠は、眉根を寄せながらそれについて絢斗に尋ねた。
「こ…これは、まひ…山瀬さんが以前欲しがっていた物だ。偶然空港で見つけたから、土産に買ってきたんだよ」
さすがの絢斗も、自分の言動の不条理さに気付いているのかも知れない。その証拠に、絢斗は気不味そうに高遠から視線を逸らし、言い淀みながらか細い声で答えていた。
その答えを聞いた高遠は、何かに耐えるように俯き、両手の拳を強く握りしめた。その後、一度大きく深呼吸してから「お返しします!」とその小さな紙袋を絢斗に突き返した。
「は?いや、これは別にお前にあげた物じゃないぞ?これは真尋に…山瀬さんにあげた物だ。だから、お前が返すのはおかしいだろ!というか、俺と山瀬さんはまだ話が終わってないんだ。邪魔しないでくれ!お前は忘れ物とやらを持って、さっさと帰れよ!」
高遠が土産を突き返してきたのが面白くなかったのだろう。絢斗が珍しく怒ったように声を荒げた。けれど、高遠はそんな事など気にもとめず、私に話し掛けた。
「山瀬。お前、仕事は終わったのか?」
「え?…うん、もう殆ど終わってるけど」
「そうか、じゃあ後は明日でいいだろ。ほら、さっさと帰れって言われちゃったし、さっさと帰るぞ!」
(へっ?高遠の忘れ物って、私!?)
私は高遠に急かされるまま急いでデータを保存すると、PCの電源を落とした。その間、高遠はすぐ帰れるように私の荷物を纏めておいてくれた。
「ちょっ!おい、待てよ!何でお前が真尋を連れて行くんだよ!俺等はまだ話があるって言ってるだろ!」
「山瀬。お前、主任と何か話したいことあんの?」
そんなものあるわけがない。私はすぐさま首をブンブンと横に振った。
「だそうですよ?少なくとも、山瀬の方にはないみたいです」
「高遠!お前…。お前ら別に付き合ってるわけじゃないんだろ?だったら、一体何の権利があってこんな真似…」
「権利ですか?それなら、主任にも山瀬を引きとめる権利ないですよね?もうとっくに別れてるわけですし。それと俺の権利なら、主任が下さったじゃないですか。覚えてます?二次会の後に主任が言ったんですよ?『真尋の事を頼む』って。俺は主任に頼まれたので、その権利を有難く行使させていただいてるだけですけど、何か?」
「う…。そ、それは…これ以上、真尋を傷付けたくなかったから。…真尋の助けになって欲しいという意味で言ったまでで…」
「ええ。だから今、こうして助けてるんじゃないですか。山瀬を傷付けてる貴方から」
「は?俺がいつ真尋を傷付けたんだよ?…いや、確かに俺は真尋を裏切って傷つけた。けど、けど今は…今は傷付けていないよな?なあ真尋」
そんな事をムキになって問うてくる絢斗より、仮にも上司に向かって不遜な態度をとっている高遠の方が心配だった。このままこの場に留まれば、更に揉めるかも知れない。ならば、高遠と一緒にさっさとこの場を去ろう。私は高遠の背中を小さく引いて「もういいから帰ろう?」と声を掛けた。
そんな私を見て、絢斗はまた傷付いたような顔をした。
(ああ、この人はどこまでも自分本位なんだな…)
別れ話をしていた時もそうだった。
別れたくないと、自分に悪い所があるなら出来る限り直すからと縋る私に、絢斗は耳障りのいい言葉ばかり口にした。
――お前の事が嫌いになったわけじゃない。
――俺じゃ、お前を幸せにできないよ。
――お前なら、俺なんかよりももっといい奴が現れるから。
そう言われる度、私は心の中で叫んでいた。
――嫌いじゃないなら、何で別れるの?
――私は貴方とじゃなきゃ、幸せになんてなれないの!
――私は貴方がいいの!他の人じゃ嫌なの!
今振り返れば分かる。絢斗が曖昧で耳障りのいい言葉ばかり並べていたのは、自分が悪者になりたくなかったからだと。悪者になってでも、はっきり突き放してくれた方が、もっと早く諦めがついた。私にとってはそっちの方がよっぽど良かったのに…。
期待を持たせる曖昧で優しい別れの言葉など、恋愛関係の解消においては残酷でしかない。
「吉澤主任。私からもそのお土産の品をお返しします。私にはそれを受け取る理由がありません。主任はお気付きでないようですが、それを私に送ろうとする事自体、私への侮辱ですし、奥様への裏切りです。さっき高遠が言ったように、無神経に私を傷付け、侮辱する人と話す事など、これ以上何もありません。
…ですが、主任と過ごした二年半近くの日々、私は本当に幸せでした。あんな素敵な日々を私に与えて下さった事には感謝しています。本当に有難うございました!では、これで失礼します」
私はとびきりの笑顔を浮かべてお礼を言い、絢斗に向かって深く頭を下げた。そして「ほら、早く行くよ!」と高遠の腕を引っ張りながらその場を後にした。
オフィスを出るまで振り返らなかったから、絢斗がどんな顔をしていたのか分からない。けれど私は、胸につかえていた澱みが取れたような、すっきりとした解放感を覚えていた。
エレベーターを待っている間、私は不貞腐れた顔でそっぽ向いている高遠の顔を覗きこみ、お礼を言った。
「へへへ。ねえ高遠、戻って来てくれて有難うね。正義のヒーローっぽくて、ちょっと格好良かったよ!」
そう言うと、高遠は照れ隠しなのか仏頂面をして片手で頭をガシガシと掻き始めた。
「何だ、惚れたか?まーなあ。なんせ俺は御庭番衆らしいから。主の危機には駆けつけねぇとな?」
…まだ根に持っていたのか。高遠おそるべし。
「それよりあんた、仮にも上司に向かってあんな態度とっちゃって大丈夫なの?ハラハラしたんだけど」
「さあ?知らね。でも俺、こう見えて割と有能な部下だから大丈夫なんじゃねーの?まあ飛ばされたら飛ばされたで何処でもやってけるし。俺くらいになると」
「あーねー。雑草根性ってやつだよね。高遠はアレでしょ?春に咲く青いヤツ!あっそうそう、オオイヌノフグリ!ねえ、この名前の意味知ってる?花は可愛いんだけどさ」
「馬鹿にすんな、コラ!それぐらい知っとるわ!犬のキン○マって意味だろ?君は知らないのかね?山瀬君。キン○マはとても偉大なんだぞ!」
それから最寄り駅に着くまでの間、私達はいつもように馬鹿なやり取りをして笑いながら歩いた。駅に着くと、私は改めて高遠にお礼を言った。
「それじゃあ、また明日!」
軽く手を振りながら改札をぬけると、高遠が突然大声で叫んだ。
「山瀬!お前一人で泣くなよ!もし泣きたくなったら、すぐに俺を呼べ!いつでも駆けつけてやるから!」
高遠が大真面目な顔をして、そんな恥ずかしい台詞を周りの目も気にせずに叫ぶもんだから、私は少しだけ泣きそうになった。
「高遠!今日は本当に有難うね!また明日ね~!」
私も負けじと馬鹿みたいに大きな声でそう叫び、高遠に向かって両手をブンブン大きく振ってバイバイした。私の行動が予想外だったのか、改札の向こう側にいる高遠が鳩が豆鉄砲をくらったような顔をして固まった。その様子があまりにも可笑しくて、私は声をあげて笑った。
周囲の人達が奇怪な物を見る目で私を見ていたけれど、今の私にはどうでも良かった。
今はただ、この解放感を深く味わっていたかったのだ。
私を守るように立ちはだかった大きな背中を見て、私は安堵した。
「何だよ。お前帰ったんじゃなかったのか?」
「ええ。一度帰りかけたんですけど。途中で忘れ物をしたのを思い出して戻ってきたんです。…っ!主任、これ何ですか?」
帰宅した筈の高遠が現れた事に、絢斗は戸惑っていた。それに対して高遠は掴みどころのない笑みを浮かべている。会話の途中で、私のデスクに置かれた紙袋に気付いた高遠は、眉根を寄せながらそれについて絢斗に尋ねた。
「こ…これは、まひ…山瀬さんが以前欲しがっていた物だ。偶然空港で見つけたから、土産に買ってきたんだよ」
さすがの絢斗も、自分の言動の不条理さに気付いているのかも知れない。その証拠に、絢斗は気不味そうに高遠から視線を逸らし、言い淀みながらか細い声で答えていた。
その答えを聞いた高遠は、何かに耐えるように俯き、両手の拳を強く握りしめた。その後、一度大きく深呼吸してから「お返しします!」とその小さな紙袋を絢斗に突き返した。
「は?いや、これは別にお前にあげた物じゃないぞ?これは真尋に…山瀬さんにあげた物だ。だから、お前が返すのはおかしいだろ!というか、俺と山瀬さんはまだ話が終わってないんだ。邪魔しないでくれ!お前は忘れ物とやらを持って、さっさと帰れよ!」
高遠が土産を突き返してきたのが面白くなかったのだろう。絢斗が珍しく怒ったように声を荒げた。けれど、高遠はそんな事など気にもとめず、私に話し掛けた。
「山瀬。お前、仕事は終わったのか?」
「え?…うん、もう殆ど終わってるけど」
「そうか、じゃあ後は明日でいいだろ。ほら、さっさと帰れって言われちゃったし、さっさと帰るぞ!」
(へっ?高遠の忘れ物って、私!?)
私は高遠に急かされるまま急いでデータを保存すると、PCの電源を落とした。その間、高遠はすぐ帰れるように私の荷物を纏めておいてくれた。
「ちょっ!おい、待てよ!何でお前が真尋を連れて行くんだよ!俺等はまだ話があるって言ってるだろ!」
「山瀬。お前、主任と何か話したいことあんの?」
そんなものあるわけがない。私はすぐさま首をブンブンと横に振った。
「だそうですよ?少なくとも、山瀬の方にはないみたいです」
「高遠!お前…。お前ら別に付き合ってるわけじゃないんだろ?だったら、一体何の権利があってこんな真似…」
「権利ですか?それなら、主任にも山瀬を引きとめる権利ないですよね?もうとっくに別れてるわけですし。それと俺の権利なら、主任が下さったじゃないですか。覚えてます?二次会の後に主任が言ったんですよ?『真尋の事を頼む』って。俺は主任に頼まれたので、その権利を有難く行使させていただいてるだけですけど、何か?」
「う…。そ、それは…これ以上、真尋を傷付けたくなかったから。…真尋の助けになって欲しいという意味で言ったまでで…」
「ええ。だから今、こうして助けてるんじゃないですか。山瀬を傷付けてる貴方から」
「は?俺がいつ真尋を傷付けたんだよ?…いや、確かに俺は真尋を裏切って傷つけた。けど、けど今は…今は傷付けていないよな?なあ真尋」
そんな事をムキになって問うてくる絢斗より、仮にも上司に向かって不遜な態度をとっている高遠の方が心配だった。このままこの場に留まれば、更に揉めるかも知れない。ならば、高遠と一緒にさっさとこの場を去ろう。私は高遠の背中を小さく引いて「もういいから帰ろう?」と声を掛けた。
そんな私を見て、絢斗はまた傷付いたような顔をした。
(ああ、この人はどこまでも自分本位なんだな…)
別れ話をしていた時もそうだった。
別れたくないと、自分に悪い所があるなら出来る限り直すからと縋る私に、絢斗は耳障りのいい言葉ばかり口にした。
――お前の事が嫌いになったわけじゃない。
――俺じゃ、お前を幸せにできないよ。
――お前なら、俺なんかよりももっといい奴が現れるから。
そう言われる度、私は心の中で叫んでいた。
――嫌いじゃないなら、何で別れるの?
――私は貴方とじゃなきゃ、幸せになんてなれないの!
――私は貴方がいいの!他の人じゃ嫌なの!
今振り返れば分かる。絢斗が曖昧で耳障りのいい言葉ばかり並べていたのは、自分が悪者になりたくなかったからだと。悪者になってでも、はっきり突き放してくれた方が、もっと早く諦めがついた。私にとってはそっちの方がよっぽど良かったのに…。
期待を持たせる曖昧で優しい別れの言葉など、恋愛関係の解消においては残酷でしかない。
「吉澤主任。私からもそのお土産の品をお返しします。私にはそれを受け取る理由がありません。主任はお気付きでないようですが、それを私に送ろうとする事自体、私への侮辱ですし、奥様への裏切りです。さっき高遠が言ったように、無神経に私を傷付け、侮辱する人と話す事など、これ以上何もありません。
…ですが、主任と過ごした二年半近くの日々、私は本当に幸せでした。あんな素敵な日々を私に与えて下さった事には感謝しています。本当に有難うございました!では、これで失礼します」
私はとびきりの笑顔を浮かべてお礼を言い、絢斗に向かって深く頭を下げた。そして「ほら、早く行くよ!」と高遠の腕を引っ張りながらその場を後にした。
オフィスを出るまで振り返らなかったから、絢斗がどんな顔をしていたのか分からない。けれど私は、胸につかえていた澱みが取れたような、すっきりとした解放感を覚えていた。
エレベーターを待っている間、私は不貞腐れた顔でそっぽ向いている高遠の顔を覗きこみ、お礼を言った。
「へへへ。ねえ高遠、戻って来てくれて有難うね。正義のヒーローっぽくて、ちょっと格好良かったよ!」
そう言うと、高遠は照れ隠しなのか仏頂面をして片手で頭をガシガシと掻き始めた。
「何だ、惚れたか?まーなあ。なんせ俺は御庭番衆らしいから。主の危機には駆けつけねぇとな?」
…まだ根に持っていたのか。高遠おそるべし。
「それよりあんた、仮にも上司に向かってあんな態度とっちゃって大丈夫なの?ハラハラしたんだけど」
「さあ?知らね。でも俺、こう見えて割と有能な部下だから大丈夫なんじゃねーの?まあ飛ばされたら飛ばされたで何処でもやってけるし。俺くらいになると」
「あーねー。雑草根性ってやつだよね。高遠はアレでしょ?春に咲く青いヤツ!あっそうそう、オオイヌノフグリ!ねえ、この名前の意味知ってる?花は可愛いんだけどさ」
「馬鹿にすんな、コラ!それぐらい知っとるわ!犬のキン○マって意味だろ?君は知らないのかね?山瀬君。キン○マはとても偉大なんだぞ!」
それから最寄り駅に着くまでの間、私達はいつもように馬鹿なやり取りをして笑いながら歩いた。駅に着くと、私は改めて高遠にお礼を言った。
「それじゃあ、また明日!」
軽く手を振りながら改札をぬけると、高遠が突然大声で叫んだ。
「山瀬!お前一人で泣くなよ!もし泣きたくなったら、すぐに俺を呼べ!いつでも駆けつけてやるから!」
高遠が大真面目な顔をして、そんな恥ずかしい台詞を周りの目も気にせずに叫ぶもんだから、私は少しだけ泣きそうになった。
「高遠!今日は本当に有難うね!また明日ね~!」
私も負けじと馬鹿みたいに大きな声でそう叫び、高遠に向かって両手をブンブン大きく振ってバイバイした。私の行動が予想外だったのか、改札の向こう側にいる高遠が鳩が豆鉄砲をくらったような顔をして固まった。その様子があまりにも可笑しくて、私は声をあげて笑った。
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