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私にとっては……。
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――絢斗は私が初めて自分から好きになった男性だった。
絢斗を好きになるまで私は、瞳が合うだけで感じる幸福も、会えない時間に覚える寂寥も、息苦しくなる程の愛しさも、胸が張り裂けそうな切なさも、全てが小説や漫画の中で大袈裟に表現されているのだと思っていた。
けれど、実際に絢斗の事をどうしようもなく好きになってしまえば、それらを真実抱く感情だと思い知った。
勿論、それまで付き合った男性もいる。
多くはないが、肌を重ねた男性もいる。
けれど、彼等に抱いた想いと、絢斗に抱く想いは全く違った。きっと絢斗と出逢うまでの私は、人を好きになるという事がよく分かっていなかったのだと思う。告白されて、断る程嫌でもないから付き合う。そんな付き合い方が常だった。
別に彼等との恋が本気ではなかったとか、遊びだったわけではない。付き合っていた時はそれなりに好きだったし、別れる時もそれなりに悲しかった。
ただ、彼等に抱いたどの想いも、私が絢斗に抱いた魂が揺さぶられる程の強さを持つものではなかった。
入社二年目に入った頃から、絢斗に誘われる回数が増えていった。研修期間中は美優先輩も一緒だったが、徐々に来る回数が減っていき、そのうち二人で出掛けるのが当たり前になった。
まだ若かった当時の私は、絢斗と食事に行く度、様々なテイストのお店に連れていって貰う度に、自分が大人になっている気がしていた。絢斗が未知への扉を開き、私の世界を広げる事で、成長を促してくれているように感じていたのだ。そう錯覚してしまう程、当時の私は絢斗に傾倒していた。
その年の七夕の夜。絢斗が連れていってくれたのは、隠れ家的な創作料理のお店だった。
通りから見え難い位置に小さく看板を掲げているだけのその店は、一見普通の古民家にしか見えない。けれど内部は、古民家の良さをとどめながらもモダンにリノベーションされており、とてもお洒落で落ち着いた雰囲気の店だった。
ただ、それなりにお値段がはりそうなお店だったので、私は少しばかり自分のお財布の中身が心配になった。
職場の先輩とはいえ、お付き合いをしているわけでもない男性に奢られるわけにはいかない。絢斗には「俺にも男としてのプライドがあるから、このくらい出させてよ」と言われていたけれど、私は自分のポリシーだからと言って、毎回きちんと出していた。
(…今日は幾らくらいかかるんだろ?)
財布の中身を心配して青くなっている私をよそに、絢斗は店員に声をかけ、店の奥へと入っていった。慌てて私も後に続いた。
通されたのは、趣のあるこじんまりとした個室だった。部屋の中央に置かれた黒檀の座卓の上には既に二人分の席が用意されていた。
「……もしかして予約なさってたんですか?」
互いに営業職の為、予定が流動的になる事が多い私達は、それまで店の予約などした事がなかった。それなのに…何故今日に限って?私が戸惑いながら問うと、絢斗はとにかく座ろうと話を逸らした。不思議に思いながら腰をおろし、メニューに手を伸ばせば、既に頼んであるからと止められた。
その日の絢斗は明らかにおかしかった。いつも饒舌なのに、その日に限ってとても静かで、話す素振りさえない。僅かながら顔も強張っていた。
もしかしたら体調が悪いのかも知れない。そう思って、今日はもう帰りましょうと口を開きかけたその時。
「失礼します」
ノックとともに部屋の引き戸が開き、店員さんが入ってきた。店員さんの手には、花火のような火花を散らす蝋燭のささった小さなケーキがあった。
「え!何で?」
「え!違うの?今日山瀬さんの誕生日だって、高橋から聞いたんだけど?」
「美優先輩?いえ…確かに今日は私の誕生日です。けど…」
「よかった…。これで間違えてたら俺、格好悪すぎでしょ。じゃあ改めて。山瀬さん、お誕生日おめでとう」
「…有難うございます」
好きな人が自分の誕生日を祝う為に時間を費やしてくれた。その事実だけで胸がいっぱいになり、目頭が熱くなった。
「ハハッ。人前じゃ絶対泣かないって言ってたくせに。今の山瀬さんの顔、涙でぐちゃぐちゃだよ?」
「だって、こんな不意打ち…。それに、生憎ですが。私、物心ついた時から今まで、吉澤先輩以外の前で泣いた事なんかありませんから」
私は悪戯っ子のように笑う絢斗を軽く睨めつけながら、口をとがらせ反論した。すると絢斗は蕩けるような笑みを浮かべた。
「そっか。…じゃあ、今後一生、そんな可愛い泣き顔を俺以外には見せないで?」
「……?」
「分かりやすくアプローチしてきたから、もう気付いているだろうけど。ケジメは大事だからね。俺、山瀬さんの事が好きなんだ。一年以上前からずっと。だから俺と付き合って欲しい。俺の彼女になってくれないかな?」
緊張したような声で紡がれた言葉を、その夢のような瞬間を、私は生涯忘れないだろうと思った。
涙で霞む視界の先に見えた絢斗の瞳は、部屋の灯りを反射させて優しく輝き、とても綺麗だったのだ。
予想外の出来事に理解が追いつかず、私は石像のように固まっていた。
「えっと…やっぱ俺じゃダメかな?」
「っ!そ…そんな事ありません!」
「ん?」
「あ…あの、有難うございます。ただ何ていうか…ちょっと信じられなくて。吉澤先輩は、本当に私の事が好きなんですか?私なんかでいいんですか?」
「は?え?いや、山瀬さんがいいから、俺、今告ったんだよね?ああそう来たか…。あのさ、他の男は知らないけど。俺、別に山瀬さんを見た目で好きになったわけじゃないからね?体目的なわけでもないし。…いや、そういう事をしたくないって言ったら、嘘になるけど。俺の事が信じられない?それとも生理的に無理?」
そんな訳がない。私だってずっと絢斗が好きだったのだ。私が首を大きく左右に振って否定すると、絢斗は嬉しそうに破顔した。
「よかった。じゃあ、付き合ってくれるって事でいいのかな?今から山瀬さんは俺の彼女で、俺は山瀬さんの彼氏?そう思ってもいい?」
「はい。よろしくお願いします」
真っ赤な顔をして俯いた私の頭を、絢斗がとても優しく、愛おしそうに撫でるものだから、止まった筈の涙が再び溢れ出た。
それから二年半弱続いた日々は、とても穏やかで満ち足りたものだった。
映画や水族館。テーマパークに山や海。温泉にオーベルジュ。二人で様々なところに行ったし、互いの親にも紹介しあった。
絢斗が私の部屋に入り浸るようになってからは、少しでも絢斗が過ごし易いよう、どんなに仕事が忙しくても部屋を綺麗に保つようにしたし、可能な限り自炊をして手料理を振る舞った。
因みに、絢斗に少しでも可愛いと思われたいという乙女心が発動し、それまで部屋着にしていた高校時代のジャージを処分して、可愛い部屋着を買い直したのはここだけの秘密だ。
――絢斗は料理が苦手。恋愛ドラマが好き。お笑いや流行りの音楽が好きで、活字よりもテレビ派。
――私は料理が趣味。恋愛ドラマは苦手で海外のサスペンスドラマが好き。音楽は好きなアーティストの曲を聴く程度で、テレビ嫌いの活字派。
そんな正反対な二人でも、相互補完しながら上手くやってきたつもりだった。これからも上手くやっていくつもりでいた。
それなのに…
「なんで、私じゃダメだったのよぉぉ!どこがダメだったって言うの?ねぇ高遠!」
絢斗を好きになるまで私は、瞳が合うだけで感じる幸福も、会えない時間に覚える寂寥も、息苦しくなる程の愛しさも、胸が張り裂けそうな切なさも、全てが小説や漫画の中で大袈裟に表現されているのだと思っていた。
けれど、実際に絢斗の事をどうしようもなく好きになってしまえば、それらを真実抱く感情だと思い知った。
勿論、それまで付き合った男性もいる。
多くはないが、肌を重ねた男性もいる。
けれど、彼等に抱いた想いと、絢斗に抱く想いは全く違った。きっと絢斗と出逢うまでの私は、人を好きになるという事がよく分かっていなかったのだと思う。告白されて、断る程嫌でもないから付き合う。そんな付き合い方が常だった。
別に彼等との恋が本気ではなかったとか、遊びだったわけではない。付き合っていた時はそれなりに好きだったし、別れる時もそれなりに悲しかった。
ただ、彼等に抱いたどの想いも、私が絢斗に抱いた魂が揺さぶられる程の強さを持つものではなかった。
入社二年目に入った頃から、絢斗に誘われる回数が増えていった。研修期間中は美優先輩も一緒だったが、徐々に来る回数が減っていき、そのうち二人で出掛けるのが当たり前になった。
まだ若かった当時の私は、絢斗と食事に行く度、様々なテイストのお店に連れていって貰う度に、自分が大人になっている気がしていた。絢斗が未知への扉を開き、私の世界を広げる事で、成長を促してくれているように感じていたのだ。そう錯覚してしまう程、当時の私は絢斗に傾倒していた。
その年の七夕の夜。絢斗が連れていってくれたのは、隠れ家的な創作料理のお店だった。
通りから見え難い位置に小さく看板を掲げているだけのその店は、一見普通の古民家にしか見えない。けれど内部は、古民家の良さをとどめながらもモダンにリノベーションされており、とてもお洒落で落ち着いた雰囲気の店だった。
ただ、それなりにお値段がはりそうなお店だったので、私は少しばかり自分のお財布の中身が心配になった。
職場の先輩とはいえ、お付き合いをしているわけでもない男性に奢られるわけにはいかない。絢斗には「俺にも男としてのプライドがあるから、このくらい出させてよ」と言われていたけれど、私は自分のポリシーだからと言って、毎回きちんと出していた。
(…今日は幾らくらいかかるんだろ?)
財布の中身を心配して青くなっている私をよそに、絢斗は店員に声をかけ、店の奥へと入っていった。慌てて私も後に続いた。
通されたのは、趣のあるこじんまりとした個室だった。部屋の中央に置かれた黒檀の座卓の上には既に二人分の席が用意されていた。
「……もしかして予約なさってたんですか?」
互いに営業職の為、予定が流動的になる事が多い私達は、それまで店の予約などした事がなかった。それなのに…何故今日に限って?私が戸惑いながら問うと、絢斗はとにかく座ろうと話を逸らした。不思議に思いながら腰をおろし、メニューに手を伸ばせば、既に頼んであるからと止められた。
その日の絢斗は明らかにおかしかった。いつも饒舌なのに、その日に限ってとても静かで、話す素振りさえない。僅かながら顔も強張っていた。
もしかしたら体調が悪いのかも知れない。そう思って、今日はもう帰りましょうと口を開きかけたその時。
「失礼します」
ノックとともに部屋の引き戸が開き、店員さんが入ってきた。店員さんの手には、花火のような火花を散らす蝋燭のささった小さなケーキがあった。
「え!何で?」
「え!違うの?今日山瀬さんの誕生日だって、高橋から聞いたんだけど?」
「美優先輩?いえ…確かに今日は私の誕生日です。けど…」
「よかった…。これで間違えてたら俺、格好悪すぎでしょ。じゃあ改めて。山瀬さん、お誕生日おめでとう」
「…有難うございます」
好きな人が自分の誕生日を祝う為に時間を費やしてくれた。その事実だけで胸がいっぱいになり、目頭が熱くなった。
「ハハッ。人前じゃ絶対泣かないって言ってたくせに。今の山瀬さんの顔、涙でぐちゃぐちゃだよ?」
「だって、こんな不意打ち…。それに、生憎ですが。私、物心ついた時から今まで、吉澤先輩以外の前で泣いた事なんかありませんから」
私は悪戯っ子のように笑う絢斗を軽く睨めつけながら、口をとがらせ反論した。すると絢斗は蕩けるような笑みを浮かべた。
「そっか。…じゃあ、今後一生、そんな可愛い泣き顔を俺以外には見せないで?」
「……?」
「分かりやすくアプローチしてきたから、もう気付いているだろうけど。ケジメは大事だからね。俺、山瀬さんの事が好きなんだ。一年以上前からずっと。だから俺と付き合って欲しい。俺の彼女になってくれないかな?」
緊張したような声で紡がれた言葉を、その夢のような瞬間を、私は生涯忘れないだろうと思った。
涙で霞む視界の先に見えた絢斗の瞳は、部屋の灯りを反射させて優しく輝き、とても綺麗だったのだ。
予想外の出来事に理解が追いつかず、私は石像のように固まっていた。
「えっと…やっぱ俺じゃダメかな?」
「っ!そ…そんな事ありません!」
「ん?」
「あ…あの、有難うございます。ただ何ていうか…ちょっと信じられなくて。吉澤先輩は、本当に私の事が好きなんですか?私なんかでいいんですか?」
「は?え?いや、山瀬さんがいいから、俺、今告ったんだよね?ああそう来たか…。あのさ、他の男は知らないけど。俺、別に山瀬さんを見た目で好きになったわけじゃないからね?体目的なわけでもないし。…いや、そういう事をしたくないって言ったら、嘘になるけど。俺の事が信じられない?それとも生理的に無理?」
そんな訳がない。私だってずっと絢斗が好きだったのだ。私が首を大きく左右に振って否定すると、絢斗は嬉しそうに破顔した。
「よかった。じゃあ、付き合ってくれるって事でいいのかな?今から山瀬さんは俺の彼女で、俺は山瀬さんの彼氏?そう思ってもいい?」
「はい。よろしくお願いします」
真っ赤な顔をして俯いた私の頭を、絢斗がとても優しく、愛おしそうに撫でるものだから、止まった筈の涙が再び溢れ出た。
それから二年半弱続いた日々は、とても穏やかで満ち足りたものだった。
映画や水族館。テーマパークに山や海。温泉にオーベルジュ。二人で様々なところに行ったし、互いの親にも紹介しあった。
絢斗が私の部屋に入り浸るようになってからは、少しでも絢斗が過ごし易いよう、どんなに仕事が忙しくても部屋を綺麗に保つようにしたし、可能な限り自炊をして手料理を振る舞った。
因みに、絢斗に少しでも可愛いと思われたいという乙女心が発動し、それまで部屋着にしていた高校時代のジャージを処分して、可愛い部屋着を買い直したのはここだけの秘密だ。
――絢斗は料理が苦手。恋愛ドラマが好き。お笑いや流行りの音楽が好きで、活字よりもテレビ派。
――私は料理が趣味。恋愛ドラマは苦手で海外のサスペンスドラマが好き。音楽は好きなアーティストの曲を聴く程度で、テレビ嫌いの活字派。
そんな正反対な二人でも、相互補完しながら上手くやってきたつもりだった。これからも上手くやっていくつもりでいた。
それなのに…
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