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私にとっては「本気」の恋でしたよ?
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私達が勤めている会社は、そこそこ名の知れた電力機器メーカーだ。
発電所や鉄道車両の電機機器などのインフラ系から、半導体や自販機まで、幅広い商品を扱っている。謂わば、電機の何でも屋みたいな企業だ。そこそこ大きな企業だから、福利厚生や各種研修制度もかなり充実している。
新入社員研修もまた然り。
我が社の新入社員研修は、主に三段階に分かれている。最初は入社後すぐに受ける座学研修。次に自社工場や関連企業に出向いての研修。そして最後に、正式な配属先が決まった後に行われる研修だ。
最後の研修は、配属先の先輩に教わりながら実地経験を積むOJTと座学やグループワークなどのoff-JTを交互に受けるもので、一番重要視されている分、期間も長い。
私と絢斗は、新入社員とOJT教育係として出会った。
絢斗は理想的な教育係だった。仕事に対する知識やスキルは勿論の事、社会人としての心構えや私的な悩み相談まで、どんな事でも面倒がらず、いつも親身に応たえてくれた。
そんな絢斗に憧れを抱くようになるまで、そう時間はかからなかった。
当時、私はこの派手な外見のせいで、かなり悪目立ちしていた。社内や取引き先の男性達があからさまに口説いてくるものだから、女性社員の反感を買っていたのだ。女の嫉妬は怖い。配属されてから一週間も経たないうちに、私が男好きだという噂がひろがった。
その噂を打ち消すべく、言い寄ってきた男性達に塩対応し始めると、今度は尻軽だの。枕で仕事をとってるだの。面接時にしかお会いした事のないお偉方の愛人だのという噂が実しやかに流れ始めた。
私はすっかり失念していたのだ。女の嫉妬も怖いが、それ以上にプライドを傷つけられた男の逆恨みは怖いという事を。
昔から何かとやっかまれる事が多かったので、噂される事にはある程度慣れてはいた。けれど、それでもかなりきつかった。そもそも学生と社会人とでは全く違う。環境が大きく変わるのだ。そんな右も左も分からない環境の中で悪意に晒され、勝手に植え付けられた先入観で見られれば、いつ病んでもおかしくはない。
実際私も、絢斗がいなければ病んでいたと思う。
多くの人達が色眼鏡で私を見る中、絢斗だけは違った。絢斗だけはきちんと私自身を見て、公平な目で評価してくれた。心身ともに疲弊していた当時の私にとって、絢斗の存在は救いであり、支えだった。
絢斗への憧憬が深まるにつれ、私は恐怖を抱いた。私に向いている悪意が、いずれ絢斗にまで及んでしまうのではないかと。私のせいで、絢斗が築き上げてきたものを台無しにしてしまうのではないかと。それだけは嫌だった。避けたかった。絢斗だけは巻き込みたくない。そうどれだけ強く願っても、悪意に抗う術が見つからない。そんな自分が情けなくて悔しくて…人の悪意が怖くて仕方がなかった。
ある日の午前中。私は恐れていた噂を偶然耳にした。
今思い返せば、私と絢斗の仲が良過ぎるのでは?という噂とも言えないようなものだったのだが、当時の私に冷静な判断など出来る筈もなかった。
どうにか午前中の業務をこなし、昼休みに入るとすぐに私は非常階段へと駆け込んだ。少しは気持ちを落ち着かせてくれるかと思った非常階段の冷えた空気も、静まり返った空間も、全く役には立たなかった。私は拳を固く握り締め、天井を睨みつけてながら立っていた。
今にも涙が溢れ出しそうだったのだ。だが、泣いてしまえば、午後からの仕事に響く。それに、勘のいい絢斗は、きっと私の目元に残る涙の跡に気付いてしまうだろう。これ以上絢斗に心配も迷惑もかけたくなかった。だから私は必死に涙を堪えていた。
しかし、その場に絢斗が現れた事で、私の努力は無に帰した。絢斗は心配そうな顔をして「すっごい捜したよ。ねえ山瀬さん、何かあった?」と尋ねてきた。「朝から様子がおかしかったから心配していたんだ」決まりが悪そうに笑った絢斗の姿に胸が熱くなった。
噂について知られたくなかった私は、どうにか有耶無耶にしようと話をはぐらかした。けれど、そんな事で絢斗が誤魔化されてくれる訳もなく、結局洗いざらい白状させられた。
全てを話し終えた私は、審判を待つように視線を床に落として俯いた。見捨てられるだろうか。嫌われただろうか。戦々恐々としていた私の耳に、くぐもった笑い声が聞こえてきた。
驚いて顔をあげると、絢斗が右手で口を覆いながら必死に笑うのを堪えていたのだ。怪訝な顔で私が見ている事に気付いた絢斗は、バツの悪そうな顔をした。
「ごめんね?山瀬さんが真剣に悩んでいるのも、傷ついているのもわかっているんだけど。けど、どんな噂をされたって涼しい顔している山瀬さんが、今泣きそうになってるのって、俺の為でしょ?そう考えたら…なんかこう、グッときた。ヤバイ!嬉しくて顔がにやける…」
「ちがっ!いや、違くないですけど。でも、それは尊敬している先輩の名前が、私なんかのせいで傷つくのが我慢ならな…」
「私なんかじゃないでしょ?山瀬さん。山瀬さんが他の誰よりも勤勉で努力家なのは、教育係である俺がよく知っている。君の評価が高いのは、上も君の仕事に対する姿勢を認めているからだ。君の評価は、君の努力の賜物。正当なものだ。だから誇っていい。
自分のすべき努力を怠っておいて、努力している人間にいちゃもんつけて追い落とそうとするような小物の事など気にする価値もない。
俺も噂なんか全然気にしないし。寧ろ、山瀬さんとの噂ならどんどん立てて欲しいくらいだね!……あっ!そうか」
絢斗は思い付いたように声を上げると、そのまま私の手を引いて社食に向かった。そして状況をのみ込めず戸惑う私を社食の中央付近の席に座らせ「お昼まだだよね?ちょっと待ってて」と言い残して姿を消した。数分後、戻って来た絢斗の両手にはランチの載ったトレイがあった。
二つのトレイには、それぞれAランチとCランチが載っていた。私の好みが分からいから取りあえず2種類買ってきたと笑った絢斗に、好きな方を選ぶよう言われた。だが、憧れの先輩に対してそんな図々しい真似ができるわけもない。
絢斗が選んで残った方で良いと伝えれば「こんな大勢の前で半分ずつ食べたいだなんて、山瀬さんって大胆だね」と茶化された。私はそれこそどんな噂が拡まるか分からないと焦り、Cランチを選ばせてもらった。
そこからは絢斗の独壇場だった。
絢斗は周りに聞こえるくらいの声量で、私の仕事ぶりを大袈裟なほど褒め称えた。そして、近々、悪意ある噂を立てて社内の風紀を乱している人間を、コンプライアンス部門の人達が処分する予定らしいと続けた。そんな噂を立てる卑怯な奴等も、面白おかしく拡める無責任な奴等も、くだらない人間はすぐに消えるから安心するようにと言ったのだ。
この昼休みの出来事は、驚く程効果があった。
その翌日から、あれだけ流れていた噂も、嫌がらせも、嘘のように消えたのだ。
後日、絢斗と付き合い始めてから、この件について尋ねてみたことがある。
すると絢斗は、悪そうな顔をして「前半に話した真尋の仕事ぶりについては本当。でも、後半のコンプライアンス部門の話は全部でっち上げ。噂を立てるような奴は小心者が多いからね?まあ実際、あれで収まったわけだし、作戦は大成功だったわけだ!度胸とハッタリは営業のお家芸みたいなもんだから」と笑っていた。
――きっと、あの日、あの瞬間、絢斗への想いが恋情に変わったのだと思う。
あんな風に助けてもらったら、誰だって恋に落ちてしまうと思うのだ。
けれど、それまでの男運が悪かった私は、絢斗のような堅実なタイプが自分を好きになってくれるとは思えず、自分の想いを受け入れようとはしなかった。
気持ちを認めなければ、まだ絢斗の傍にいられる。「頼れる職場の先輩」に「後輩」として甘える事ができる。そんな狡い女の計算が働いたのだ。
それまでも度々、絢斗は私を食事や飲みに誘ってくれていた。勿論、二人きりではない。大抵美優先輩が一緒だったし、たまに他の先輩が加わることもあった。
絢斗と美優先輩はとても仲が良かったので、私は2人が付き合っているものだと、後に2人に全力で否定されるまで、思い込んでいた。
それでも良かったのだ。
例え、本当に絢斗が美優先輩と付き合っていようと、傍にいられるだけで良かった。
……だって『初恋は叶わぬもの』だから。
発電所や鉄道車両の電機機器などのインフラ系から、半導体や自販機まで、幅広い商品を扱っている。謂わば、電機の何でも屋みたいな企業だ。そこそこ大きな企業だから、福利厚生や各種研修制度もかなり充実している。
新入社員研修もまた然り。
我が社の新入社員研修は、主に三段階に分かれている。最初は入社後すぐに受ける座学研修。次に自社工場や関連企業に出向いての研修。そして最後に、正式な配属先が決まった後に行われる研修だ。
最後の研修は、配属先の先輩に教わりながら実地経験を積むOJTと座学やグループワークなどのoff-JTを交互に受けるもので、一番重要視されている分、期間も長い。
私と絢斗は、新入社員とOJT教育係として出会った。
絢斗は理想的な教育係だった。仕事に対する知識やスキルは勿論の事、社会人としての心構えや私的な悩み相談まで、どんな事でも面倒がらず、いつも親身に応たえてくれた。
そんな絢斗に憧れを抱くようになるまで、そう時間はかからなかった。
当時、私はこの派手な外見のせいで、かなり悪目立ちしていた。社内や取引き先の男性達があからさまに口説いてくるものだから、女性社員の反感を買っていたのだ。女の嫉妬は怖い。配属されてから一週間も経たないうちに、私が男好きだという噂がひろがった。
その噂を打ち消すべく、言い寄ってきた男性達に塩対応し始めると、今度は尻軽だの。枕で仕事をとってるだの。面接時にしかお会いした事のないお偉方の愛人だのという噂が実しやかに流れ始めた。
私はすっかり失念していたのだ。女の嫉妬も怖いが、それ以上にプライドを傷つけられた男の逆恨みは怖いという事を。
昔から何かとやっかまれる事が多かったので、噂される事にはある程度慣れてはいた。けれど、それでもかなりきつかった。そもそも学生と社会人とでは全く違う。環境が大きく変わるのだ。そんな右も左も分からない環境の中で悪意に晒され、勝手に植え付けられた先入観で見られれば、いつ病んでもおかしくはない。
実際私も、絢斗がいなければ病んでいたと思う。
多くの人達が色眼鏡で私を見る中、絢斗だけは違った。絢斗だけはきちんと私自身を見て、公平な目で評価してくれた。心身ともに疲弊していた当時の私にとって、絢斗の存在は救いであり、支えだった。
絢斗への憧憬が深まるにつれ、私は恐怖を抱いた。私に向いている悪意が、いずれ絢斗にまで及んでしまうのではないかと。私のせいで、絢斗が築き上げてきたものを台無しにしてしまうのではないかと。それだけは嫌だった。避けたかった。絢斗だけは巻き込みたくない。そうどれだけ強く願っても、悪意に抗う術が見つからない。そんな自分が情けなくて悔しくて…人の悪意が怖くて仕方がなかった。
ある日の午前中。私は恐れていた噂を偶然耳にした。
今思い返せば、私と絢斗の仲が良過ぎるのでは?という噂とも言えないようなものだったのだが、当時の私に冷静な判断など出来る筈もなかった。
どうにか午前中の業務をこなし、昼休みに入るとすぐに私は非常階段へと駆け込んだ。少しは気持ちを落ち着かせてくれるかと思った非常階段の冷えた空気も、静まり返った空間も、全く役には立たなかった。私は拳を固く握り締め、天井を睨みつけてながら立っていた。
今にも涙が溢れ出しそうだったのだ。だが、泣いてしまえば、午後からの仕事に響く。それに、勘のいい絢斗は、きっと私の目元に残る涙の跡に気付いてしまうだろう。これ以上絢斗に心配も迷惑もかけたくなかった。だから私は必死に涙を堪えていた。
しかし、その場に絢斗が現れた事で、私の努力は無に帰した。絢斗は心配そうな顔をして「すっごい捜したよ。ねえ山瀬さん、何かあった?」と尋ねてきた。「朝から様子がおかしかったから心配していたんだ」決まりが悪そうに笑った絢斗の姿に胸が熱くなった。
噂について知られたくなかった私は、どうにか有耶無耶にしようと話をはぐらかした。けれど、そんな事で絢斗が誤魔化されてくれる訳もなく、結局洗いざらい白状させられた。
全てを話し終えた私は、審判を待つように視線を床に落として俯いた。見捨てられるだろうか。嫌われただろうか。戦々恐々としていた私の耳に、くぐもった笑い声が聞こえてきた。
驚いて顔をあげると、絢斗が右手で口を覆いながら必死に笑うのを堪えていたのだ。怪訝な顔で私が見ている事に気付いた絢斗は、バツの悪そうな顔をした。
「ごめんね?山瀬さんが真剣に悩んでいるのも、傷ついているのもわかっているんだけど。けど、どんな噂をされたって涼しい顔している山瀬さんが、今泣きそうになってるのって、俺の為でしょ?そう考えたら…なんかこう、グッときた。ヤバイ!嬉しくて顔がにやける…」
「ちがっ!いや、違くないですけど。でも、それは尊敬している先輩の名前が、私なんかのせいで傷つくのが我慢ならな…」
「私なんかじゃないでしょ?山瀬さん。山瀬さんが他の誰よりも勤勉で努力家なのは、教育係である俺がよく知っている。君の評価が高いのは、上も君の仕事に対する姿勢を認めているからだ。君の評価は、君の努力の賜物。正当なものだ。だから誇っていい。
自分のすべき努力を怠っておいて、努力している人間にいちゃもんつけて追い落とそうとするような小物の事など気にする価値もない。
俺も噂なんか全然気にしないし。寧ろ、山瀬さんとの噂ならどんどん立てて欲しいくらいだね!……あっ!そうか」
絢斗は思い付いたように声を上げると、そのまま私の手を引いて社食に向かった。そして状況をのみ込めず戸惑う私を社食の中央付近の席に座らせ「お昼まだだよね?ちょっと待ってて」と言い残して姿を消した。数分後、戻って来た絢斗の両手にはランチの載ったトレイがあった。
二つのトレイには、それぞれAランチとCランチが載っていた。私の好みが分からいから取りあえず2種類買ってきたと笑った絢斗に、好きな方を選ぶよう言われた。だが、憧れの先輩に対してそんな図々しい真似ができるわけもない。
絢斗が選んで残った方で良いと伝えれば「こんな大勢の前で半分ずつ食べたいだなんて、山瀬さんって大胆だね」と茶化された。私はそれこそどんな噂が拡まるか分からないと焦り、Cランチを選ばせてもらった。
そこからは絢斗の独壇場だった。
絢斗は周りに聞こえるくらいの声量で、私の仕事ぶりを大袈裟なほど褒め称えた。そして、近々、悪意ある噂を立てて社内の風紀を乱している人間を、コンプライアンス部門の人達が処分する予定らしいと続けた。そんな噂を立てる卑怯な奴等も、面白おかしく拡める無責任な奴等も、くだらない人間はすぐに消えるから安心するようにと言ったのだ。
この昼休みの出来事は、驚く程効果があった。
その翌日から、あれだけ流れていた噂も、嫌がらせも、嘘のように消えたのだ。
後日、絢斗と付き合い始めてから、この件について尋ねてみたことがある。
すると絢斗は、悪そうな顔をして「前半に話した真尋の仕事ぶりについては本当。でも、後半のコンプライアンス部門の話は全部でっち上げ。噂を立てるような奴は小心者が多いからね?まあ実際、あれで収まったわけだし、作戦は大成功だったわけだ!度胸とハッタリは営業のお家芸みたいなもんだから」と笑っていた。
――きっと、あの日、あの瞬間、絢斗への想いが恋情に変わったのだと思う。
あんな風に助けてもらったら、誰だって恋に落ちてしまうと思うのだ。
けれど、それまでの男運が悪かった私は、絢斗のような堅実なタイプが自分を好きになってくれるとは思えず、自分の想いを受け入れようとはしなかった。
気持ちを認めなければ、まだ絢斗の傍にいられる。「頼れる職場の先輩」に「後輩」として甘える事ができる。そんな狡い女の計算が働いたのだ。
それまでも度々、絢斗は私を食事や飲みに誘ってくれていた。勿論、二人きりではない。大抵美優先輩が一緒だったし、たまに他の先輩が加わることもあった。
絢斗と美優先輩はとても仲が良かったので、私は2人が付き合っているものだと、後に2人に全力で否定されるまで、思い込んでいた。
それでも良かったのだ。
例え、本当に絢斗が美優先輩と付き合っていようと、傍にいられるだけで良かった。
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