とんでもなく臭い世界の賢者~異世界在住10年、未だ独身ですけど何か?~

キリン

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第5話 とんでもなく臭い世界の衛生状況。

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――『疫病』対策には何が有効か?

どれだけ考えても、消毒を徹底するくらいしか思いつかなかった。

そもそも私の『疫病』についての知識なんて、道路横の側溝よりも浅いのだ。皆の期待に応えられる気なんて全くしない。
けれど、協力すると約束してしまった以上 、何かしなくてはならない。

意を決して部屋の仕切りの厚手の布を開けた瞬間、私は自分がなすべき道を見つけた気がした。 
ツーンとした古い公衆トイレのようた臭いが鼻をついたのだ。


正直、この国の衛生状態は最悪だった。
今までの『賢者』達は一体何をしていやがったんだ!と怒りたくなるレベルで酷かった。

よくラノベや漫画に出て来る『異世界』って、大抵中世ヨーロッパと現代社会との良いとこ取りだ。
トイレだってお風呂だって当たり前のように整備されているし、食べ物だって豊富にあるから餓死する心配もない。
飲み水だって、飲んで下痢になる描写なんてみた事がないから、きっとそのまま飲んでも問題ないくらいに清潔なのだろう。

異世界っていったら、そうであるべきなのに!
何でこの世界は、要らないところだけ妙にリアルなんだよ!と怒鳴りたくなるくらい惨状だった。


そもそもこの国にはリアル中世ヨーロッパと同じように、下水や汚物を処理するという概念がなかったのだ。
これでは『疫病』も蔓延る筈だ。

因みに、万能ではないが『魔法』が使える者もいるらしい。
しかし、その魔術師達も、この状況を当たり前だと思っているのか、量が多過ぎて処理し切れないと諦めているのか、魔法で汚物や汚水を処理する事はない。
 

神殿や王宮内には、かろうじて洋式トイレのような物が幾つか存在した。
いや、赤ちゃんが使うオマルのような物といった方が正しいだろう。座面の中央部分に穴が開いている椅子に座って用を足す形だから。

穴の開いた椅子の中に壺が入っており、壺の中身が一定量溜まると、使用人が庭に掘った穴に捨てに行く。その手間を考えてか、壺自体そこそこの大きさがあるので、屎尿が溜まるまでには数日はかかる。その間放置されたものが臭うのだ。

それでも、現代のトイレに近い物だから画期的だと言えるだろう。
だから、その分高価なのかも知れない。

神殿はもちろん王宮内ですら、このトイレもどきの数が足りていなかった。このトイレもどきを使用できるのはごく一部の人達だけ。
使用人達は人目を避けて、庭の片隅で用を足しているのだという。

一応、庭の東側は男性、西側の人目につき辛い場所は女性、という暗黙のルールは存在するらしい。けれど、気取った紳士淑女が野糞って…シュール過ぎやしないだろうか。



王宮や神殿ですらそんな感じなのだから、庶民の住む街中など推して知るべし。街には鼻がまがるどころか、もげ落ちそうな悪臭が漂っていた。

初めて街を視察しに出た時はうっかり口から魂が飛び出しかけた程だ。世界的にみても綺麗好きだと言われる現代日本で生まれ育った私には、刺激が強過ぎた。

だって、通り全てが汚物で埋め尽くされていたのだ。酷い所だと数センチも蓄積している。
一応、通りの真ん中に排水用の浅い穴が作られているらしいのだが…。そんな物で追いつくわけがないと、この状況を見て誰も思わないのだろうか? 


この国の人達は、『汚物』に対しての意識がとにかく低かった。

低くなければ、家に置いてあるオマルがいっぱいになったからって、窓から外に投げ捨てやしないだろう。
……確か、リアル中世ヨーロッパでも日常的に行われていたとか。それらを避ける為にハイヒールや日傘が生まれたのだと聞いた気がする。

道を歩くと頭上から屎尿……何と笑えないコメディーか。
 

悪臭の原因は屎尿だけではない。
肉屋や魚屋の前には、解体された動物や魚の臓物がそのままに放置され、蛆が湧いているし。通り上には馬の糞があちこちに落ちていた。
 
何より驚いたのは、それらの汚物を豚が食べ歩いていた事。野生の豚ではなく、誰かが放し飼いにしているであろう豚だ。
……街中まちなかで汚物を食べる豚さん。こちらもかなりシュールだ…。


そういえば、古代中国では豚トイレが使用されていたって何かで読んだ事がある。
人間が食べても、食物が含む栄養の二割しか摂取できないとか。だから、便として出た残りの八割を雑食である豚が食べて処理をするんだって。

古代中国の場合はここみたいに放し飼いではなく、予め汚物を廃棄される場所が決められていて、そこで豚を飼育していたから『豚トイレ』って呼ばれていたらしい。
今でも、中国の奥地の方では使用している所もあるそうだ。

まあ理に適ってるといえば、適っている。
豚の餌代もかからないし、汚物は処理されるし、最終的にはその豚が人間の食料になるのだから。ある意味エコを極めている。
けれど…、じゃあその豚を喜んで食べれるかと訊かれたら…どうなんだろう?


私にとっては街中汚物で溢れかえり、悪臭を放っているのも大問題だけど。根本的な問題は悪臭ではない。

汚物だらけだから、ハエはブンブン飛び回っているし、ネズミも虫もその辺をチョロチョロと駆け回っている。
『疫病』対策の面ではこちらの方が深刻な問題だ。


……こんな不衛生な環境で普通に生活できるとか、ある意味称賛に値するわ。
いや、自分達も汚いから気にならないのか?

私はこれまで歴史物の映像作品を数多くみてきた。つい最近も、近世ヨーロッパが描かれた海外ドラマを観たばかりだ。

海外で制作された歴史物の映像作品は、屋内の薄暗さといい、人々の薄汚れ具合といい、史実に忠実にリアルさを追求しているのだろうと思っていた。
しかし実際には、役者さん達の美しさを損なわない為に、かなり綺麗めに描いていたのだとしみじみ感じる。


庶民が入浴が出来ないのはまだ分かる。
だが、王侯貴族でさえ殆ど入浴しないのは理解に苦しむ。匂いが気になるからって、自分の体臭を香水で誤魔化そうとするなどもっての外だろう。

「お風呂に入ればいいのに」

そう私がこぼすと、使用人から信じられない答えが返ってきた。
なんと、何代か前のこの国の王族が『入浴をすると、毛穴から病原菌が入りこんで病を引き起こす』というバカな話を信じこんでいたらしいのだ。
その話が貴族の間で広まり、今では病を防ぐ為に入浴しないのが常識になっているのだという。
……もう、何処からツッコめばいいのか分からない。真逆じゃん!

 
どれだけ贅を尽くした煌びやかな衣装を着ていようと、汚い身体に纏われるドレスは、肌に触れる部分が垢で汚れる。それに気づいてしまうと何とも言えない気分になった。

以前、『お姫様気分を味わえる』というSNS映えする城に家族旅行で行った事がある。
その時着たドレスも、多くの人が着回ししているものだからかなり薄汚れていた。それが嫌で着るのを躊躇ってしまったけれど、今思うと、あの位の汚れなんて可愛いものだ。



唯一の救いは、灯りが鯨油ではなく魔法だという事だろうか?リアル中世ヨーロッパでは、灯り用の鯨油の臭いも酷かったと聞いた事がある。
……あれ?鯨油は近世だったっけ?


まあ、それでも充分臭い。
清潔なのが当たり前の現代日本で生きてきた私は、この信じられない程の悪臭に慣れるまで、毎日吐き気と戦う羽目になったのだった。
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