【完結】〜 花は花なれ 人も人なれ 〜

キリン

文字の大きさ
上 下
3 / 3

下巻 〜 死しても 尚 薫る 山百合 〜

しおりを挟む
珠の大事な話というのは『離縁』の話などではなかった。が、受け入れ難い事実だった。

太閤殿(豊臣秀吉)がバテレン追放令を出したすぐ後に、珠は切支丹の洗礼を受けたというのだ。子供達とともに。全て忠興の預かり知らぬことだった。

忠興は焦った。太閤殿(秀吉)の意に反するような行動を取ったとなれば、忠興自身も、既に「逆臣の娘」という烙印を押されている珠の命も危ぶまれる事となる。忠興の命だけで済めばいい。だが最悪、お家断絶の可能性もある。何と軽率な…。

忠興は珠に何度も改宗するよう話した。自分が置かれた状況を鑑みろと、子供達にも危険が及ぶのだと、何度も諭し説得した。だが、珠は頑なに拒み続けた。


焦りを隠さずしつこく改宗を迫る忠興の姿は、自身の立場を守る為に必死で、珠を責めたてているように見えたのかも知れない。だが、本心はただただ珠を失う事を恐れていた。

珠を失わずに済むのであれば、どんなに恨まれようと憎まれようと構わない。
珠を頷かせる為には、やはり更なるで支配するしかないのか?
さすれば、流石の珠も「是」と頷いてくれるのではないか?

そんな思いがふと忠興の頭を過った。
どのような方法ならば、頑な珠が折れるだろうか?珠が耐えられない程の衝撃を与えるにはどうしたらよいのか?
忠興の頭の中に、恐ろしい程残忍な方法が幾つも浮かび上がっては消えていく…。

結局、忠興は最も悍ましい方法をとった。
珠と共に洗礼を受けたという珠の腹心の侍女の耳と鼻を、少しずつ削ぎ落としていったのだ。珠に何度も何度も改宗するよう問いながら。

侍女が激しい痛みに悶絶する。涙を流しながら狂ったように絶叫を上げた。
傷口から流れ出る鮮血と止まる事のない涙に塗れて、侍女の顔がぐちゃぐちゃに汚れていった。
……だが、それでも珠は侍女への謝罪の言葉を口にするだけで「是」とは答えなかった。

頑固な珠に業を煮やした忠興は、激痛のあまり気絶してしまった侍女の豊かな黒髪までも切り落とした。


何故?…何故ここまでしても承知しない?近しい者を犠牲にしてまで、何故改宗を拒む?
忠興は珠の信仰心が理解できなかった。これでは何をしても無駄だ。
忠興は血塗れになった侍女の襟元から手を放した。血塗れの身体が、飛び散った深紅の鮮血と散らばった黒髪の上に力なく転がる。
その瞬間珠は辛そうに目を伏せて、無残な姿となった侍女から目を逸らした。だが、すぐに前を向くと、侍女の元へと駆け寄り、介抱し始めた。

忠興がその場を去ろうとしたその時、一瞬だけ、珠が燃えるような『憎悪』が滲んだ瞳で忠興を見た。

そんな『憎悪』の視線でさえ、忠興は喜びを感じた。己によって生み出される全てが愛おしくてたまらなかった。

珠に関して、己がおかしくなっていると忠興は自覚していた。
『狂気』に憑りつかれていると。

珠の全てを独占しなければ気が済まなかった。
珠の全てを支配しなければ我慢ならなかった。
珠を失わない為ならば、何でも出来た。

人を殺める事にさえ厭わない。罪悪感すら抱かなかった。
珠に向けてもらえるなら、どんな感情でも構わなかった。
蔑まれようと、憎まれようと、珠の感情が己に向けられている。そう思うだけで、天にも昇る気持ちになった。



当然の如く、その日以降、忠興は珠に避けられ続けた。

……そして、此度の悲劇の報せを受けることとなったのだ。


最後に珠と笑顔で会話を交わしたのは、いつの事だっただろうか?
忠興にはどうしても思い出す事が出来なかった…。



***



結局、珠の骸が見つかる事はなかった。

珠の私室の至る所に鉄砲の火薬の粉を仕掛けておいたのだから、残骸さえ残らぬのは当然だとは思いながらも、珠の骸を目にしていない分、実感がわかなかった。


今でも時折、ふとした瞬間に、甘く濃厚な山百合の薫りが漂ってくる。
そんな時、忠興は仄暗い喜びを感じるのだ。


ーー珠。お前の魂は、死んでも尚、儂の側から離れられずにいるのか?すぐ傍にいるのだろう?

「憎しみ」であろうが「呪い」であろうが、珠が己の傍にいるのであれば構わない。


珠…珠…。


もし来世というものがあるならば、今度はもっと言葉を尽くして愛を語ろう。
もっと大事に大事に。座敷牢にでも閉じ込めて、儂以外に逢えないようにしてしまおう。
今度は勝手に飛び立つことのないよう、最初からその翼を切り落としてしまおうか?

早く、早く、お前に逢いたい…。

お前のいない現世など早く終えてしまいたい。早く、お前と再会して、その柔らかな肢体を抱き締めたい…。



ーー結局、その後43年もの長きに渡り、忠興が珠の元に旅立つことは叶わなかった。
忠興は、最後まで『狂気』とも呼べる想いを抱えいたのだろう。生涯、珠以外の正妻を持つことはなかったと言うーー


《終》
しおりを挟む
感想 0

この作品の感想を投稿する

あなたにおすすめの小説

春嵐に黄金の花咲く

ささゆき細雪
歴史・時代
 ――戦国の世に、聖母マリアの黄金(マリーゴールド)の花が咲く。  永禄十二年、春。  キリスト教の布教と引き換えに、通訳の才能を持つ金髪碧眼の亡国の姫君、大内カレンデュラ帆南(はんな)は養父である豊後国の大友宗麟の企みによってときの覇王、織田信長の元に渡された。  信長はその異相ゆえ宣教師たちに育てられ宗麟が側室にしようか悩んだほど美しく成長した少女の名を帆波(ほなみ)と改めさせ、自分の娘、冬姫の侍女とする。  十一歳の冬姫には元服を迎えたばかりの忠三郎という許婚者がいた。信長の人質でありながら小姓として働く彼は冬姫の侍女となった帆波を間諜だと言いがかりをつけてはなにかと喧嘩をふっかけ、彼女を辟易とさせていた。  が、初夏に当時の同朋、ルイスが帆波を必要だと岐阜城を訪れたことで、ふたりの関係に変化が――?  これは、春の嵐のような戦乱の世で花開いた、黄金(きん)色の花のような少女が織りなす恋の軌跡(ものがたり)。

愛姫と伊達政宗

だぶんやぶんこ
歴史・時代
長い歴史がある伊達家だが圧倒的存在感があり高名なのが、戦国の世を生き抜いた政宗。 そこには、政宗を大成させる女人の姿がある。 伊達家のために、実家のために、自分のために、大きな花を咲かせ、思う存分に生きた女人たちだ。 愛姫を中心に喜多・山戸氏おたけの方ら、楽しく、面白く、充実した日々を送った生き様を綴る。

鬼を討つ〜徳川十六将・渡辺守綱記〜

八ケ代大輔
歴史・時代
徳川家康を天下に導いた十六人の家臣「徳川十六将」。そのうちの1人「槍の半蔵」と称され、服部半蔵と共に「両半蔵」と呼ばれた渡辺半蔵守綱の一代記。彼の祖先は酒天童子を倒した源頼光四天王の筆頭で鬼を斬ったとされる渡辺綱。徳川家康と同い歳の彼の人生は徳川家康と共に歩んだものでした。渡辺半蔵守綱の生涯を通して徳川家康が天下を取るまでの道のりを描く。表紙画像・すずき孔先生。

世界はあるべき姿へ戻される 第二次世界大戦if戦記

颯野秋乃
歴史・時代
1929年に起きた、世界を巻き込んだ大恐慌。世界の大国たちはそれからの脱却を目指し、躍起になっていた。第一次世界大戦の敗戦国となったドイツ第三帝国は多額の賠償金に加えて襲いかかる恐慌に国の存続の危機に陥っていた。援助の約束をしたアメリカは恐慌を理由に賠償金の支援を破棄。フランスは、自らを救うために支払いの延期は認めない姿勢を貫く。 ドイツ第三帝国は自らの存続のために、世界に隠しながら軍備の拡張に奔走することになる。 また、極東の国大日本帝国。関係の悪化の一途を辿る日米関係によって受ける経済的打撃に苦しんでいた。 その解決法として提案された大東亜共栄圏。東南アジア諸国及び中国を含めた大経済圏、生存圏の構築に力を注ごうとしていた。 この小説は、ドイツ第三帝国と大日本帝国の2視点で進んでいく。現代では有り得なかった様々なイフが含まれる。それを楽しんで貰えたらと思う。 またこの小説はいかなる思想を賛美、賞賛するものでは無い。 この小説は現代とは似て非なるもの。登場人物は史実には沿わないので悪しからず… 大日本帝国視点は都合上休止中です。気分により再開するらもしれません。 【重要】 不定期更新。超絶不定期更新です。

覇者開闢に抗いし謀聖~宇喜多直家~

海土竜
歴史・時代
毛利元就・尼子経久と並び、三大謀聖に数えられた、その男の名は宇喜多直家。 強大な敵のひしめく中、生き残るために陰謀を巡らせ、守るために人を欺き、目的のためには手段を択ばず、力だけが覇を唱える戦国の世を、知略で生き抜いた彼の夢見た天下はどこにあったのか。

Get So Hell? 3rd.

二色燕𠀋
歴史・時代
なんちゃって幕末、最終章? Open the hurt.

【完結】斎宮異聞

黄永るり
歴史・時代
平安時代・三条天皇の時代に斎宮に選定された当子内親王の初恋物語。 第8回歴史・時代小説大賞「奨励賞」受賞作品。

融女寛好 腹切り融川の後始末

仁獅寺永雪
歴史・時代
 江戸後期の文化八年(一八一一年)、幕府奥絵師が急死する。悲報を受けた若き天才女絵師が、根結いの垂髪を揺らして江戸の町を駆け抜ける。彼女は、事件の謎を解き、恩師の名誉と一門の将来を守ることが出来るのか。 「良工の手段、俗目の知るところにあらず」  師が遺したこの言葉の真の意味は?  これは、男社会の江戸画壇にあって、百人を超す門弟を持ち、今にも残る堂々たる足跡を残した実在の女絵師の若き日の物語。最後までお楽しみいただければ幸いです。

処理中です...