樹海暮らしの薬屋リヒト

高崎閏

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第1章

初めての諍い

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 その後、リヒトとシキは各々に慌ただしい日々を過ごしていた。

 リヒトは盗賊の件が片付いたので、宿屋に戻る旨をヒューマに伝えたら、気にせんでええ、と引き止められ恐縮に恐縮をかさね、ひたすらヤツヒサの手伝いや掃除に奔走した。

 家事手伝いの合間に、南区には軟膏を売りに行き、更に受注を受けては薬作りを繰り返していた。時折薬剤が足りなくなると、北の森に赴き、レイセルに挨拶をして森の中で薬草を採取する。

 シキは簡単な魔法から使い始め、今では明かりを灯したり、道具類を浮かせてみたり等、思ったように魔法が使えるように魔力操作の練習に勤しんでいた。

 体術の訓練も非常に楽しいようで、体格が同じ子どもたちと組手をしては勝負を何度も繰り返し、新しいことを覚える度に、嬉しそうにリヒトに報告してくれた。



 ユーハイトに訪れてから暫くの月日をそうやって忙しく過ごしていたある日。

 朝食後、食器の片付けをしながら、ヤツヒサ、リヒト、シキの三名は調理場で雑談を交わしていた。ふと思い返したようにヤツヒサが二人へと語りかける。

「そういえば三日後は新節の宴なので、少しだけお客様がお見えになると思います。リヒト様もシキ様もぜひご同席くださいね」
「あ、もうそんな時期でしたか」

 きょとんとしているシキにリヒトが補足して説明した。

 芽吹きの季節、実りの季節、落葉の季節と三つの季節が巡るこの大陸では、季節が一回りする区切りの日にお祝いの席を設ける。

 芽吹きの季節を新節の幕開けとして、暗くて寒い落葉の季節の終わりを祝う日がある。芽吹きの季節最初の満月が三日後に訪れるため、領都の民は家族や親族とでお祝いするのだ。

「芽吹きの季節になってもまだ二の月までは肌寒いですからね、なかなか実感が湧きませんが寒期も終盤といったところでしょう。早く色々な種類の野菜を買いたいものですね」

 二の月は二番目の満月のことを指す。リヒトは芽吹きの季節の二の月が来るまでにはまた再びシンハ樹海に戻る予定で考えていた。

 滞在期間のことをシキと相談していなかったことを思い出し、シキへと言葉をかける手前で、はたと思いとどまった。

 楽しそうな体術の稽古や魔法の鍛錬に水をさしていいのだろうか、と。

「新節の宴用に少し多めの買い出しをして来たいのですが、リヒト様、ご一緒願えますか?」
「もちろんです。……シキはこのあと魔法の鍛錬?」
「うん、お師匠様が外の稽古場においでって言ってた」
「そうか。寒くないようにきちんと着込んでね」
「うん!」

 シキ様は元気でいらっしゃいますね、とヤツヒサもシキに笑いかけた。

 食器類を洗い終えると、シキは庭の先にある稽古場へ。リヒトとヤツヒサは身支度を整え、街へ繰り出すことになった。

 乗合馬車に揺られながら辿り着いた場所は中央区の朝市だった。新節の宴のための食材やお祝い用の提灯や飾りが並ぶ。

 新節の夜には各家庭のドアの前に提灯を飾る。夜更けに昇る満月の光が家々に満ちるよう祈りを込めたその風習は昔から伝えられており、ヒューマ邸ももちろん提灯を準備する予定のようだ。

「この頃の紙工房と蝋燭工房は大忙しでしょうね。新節の夜だけとはいえ、透かし模様の紙細工など、提灯に使われる技巧が凝らされていて年々美しくなっていってるんですよ」
「へぇ、昔から少しずつ変わっていってるんですね」

 リヒトがユーハイトに住んでいた幼少期は蝋燭の明かりのみを灯していた。ただ年々寒波の影響で風が強く吹く落葉の夜には向いていなかったようだ。木の枠に紙を貼った提灯型になったのは、ここ数十年のことらしい。

「私の故郷にもこれと似たような装飾品がありました。ユーハイトは外国から情報が入りやすいですし、他国の文化も少しずつ混ざって行っているのでしょうね」
「新節の祝い方は王都でも違いますし、各領地の特色が出やすいんでしょうか」
「そうかもしれませんね。リヒト様は樹海では以前の新節はどのように過ごされたのですか?」

 リヒトは昨年のことを思い返す。たしか周囲が雪で真っ白になり、雪の中にしか生えない花を採取しに積雪の中を挑んだりした。ただ、あまりにも寒すぎて途中で断念してすごすごと家に帰ってきたのをよく覚えている。

「大したことは特にしていませんよ。雪の中でしか咲かない薬草を探そうとしていましたが、寒くて諦めました」
「それはそれは。ふふ、お風邪などは召されませんでしたか?」
「大丈夫でしたよ、体調管理だけは気をつけていたので」
「お二人ほど、心配性の方がいらっしゃいますもんね」

 ヤツヒサはにこにこと笑うが、リヒトはレイセルとマギユラの叱咤する声を思い浮かべて苦笑が漏れた。



 朝市で食材を買い回り、一通り揃えたところで帰宅の途につくことにした。乗合馬車を待ちながら、ヤツヒサが問う。

「リヒト様は暫くしたら樹海にお戻りになるのですよね」

 考えを見透かされていたようで、びくりとリヒトは肩を竦める。

「……はい、芽吹きの二の月にはここを発つつもりでいましたが……」

 言い淀むリヒトにヤツヒサがまっすぐに伝えてきた。

「お悩みなのは、シキ様をどのようになさるのか、ですか?」
「……ヤツヒサさんには隠せませんね。そうです、また樹海に戻るときに、シキを連れ帰っていいのか、悩んでいます」

 今日も恐らくヒューマ指導のもと、新しい魔法を習得していることだろう。亜人種でありながら、先祖返りのような膨大な魔力を何も知らずに持て余していただけの時とは違い、日々新しいことを覚えるのが楽しいようだ。

 樹海のリヒトの家へと帰れば、魔法の指導は出来なくなってしまう。定期的に領都へやって来るのも日数が掛かってしまうので、拠点をユーハイトに置いておくほうがシキにとっては良いことなのではないか。

「シキを保護した手前、私にはシキの面倒を見る責任があるとは思っています。ですが、シキの今後のことを考えると、領都で暮らしたほうが良いのではないかな、と」
「シキ様にそのお話はされたのですか?」
「いいえ、まだ……」
「シキ様はまだ幼いとはいえ、自分の意思をしっかりとお持ちだと思います。一度お話の席を設けては如何でしょうか?」
「そうですね、今日にでも話してみようと思います……」

 リヒトがそう返答すると、乗合馬車が到着し、並んでいた人々が乗り込んでいく。ヤツヒサとリヒトも乗り込み、北区のヒューマ邸へと帰り道を辿った。





 夕食後、湯殿から戻ってきたシキを待っていたリヒトは寝室として宛てがわれている自分の部屋へシキを招いた。

「シキ、まだ髪の毛が濡れているよ。風邪を引くから布を貸して」
「わわ、ありがとうリヒトさん」

 リヒトは屈み、シキと目線を合わせて髪の毛を拭いてあげていると、はたと気付くことがあった。

「あれ? シキ、身長伸びた?」
「ほんとう? あまり自分ではわからないけど……」

 少しではあるが、以前は屈んだときにシキの目線はもう少し下だったはずだ。それが今や同じくらいになっているということは、こぶし一つ分くらいは身長が伸びているということだ。

 ユーハイトにやって来た当初は少し大きめの服を着ていたはずが、今や丈は丁度よく、いや寧ろ少し寸足らずのようにも感じる。

「魔力操作の影響かな? 身体の成長が追いついてきたみたいだね」
「はやく大きくなりたいな」
「いきなり大きくなると関節が痛くて仕方がないと思うよ」
「痛いのはいやだなぁ」

 シキの服をまた調達しなければ、と思案したところで本題を思い出したリヒトは火鉢の側にシキを座らせ、向かい合うようにリヒトも座った。

 改まって何だろう?という疑問がシキの顔から読み取れる。

「……シキ、君はこの先どうしたい?」
「え?」
「魔法や体術をもっとヒューマ殿から学びたい?」
「……えーと、うん、それは……そうだけど、リヒトさん?」

 ずっと考えていたことを伝える時が来たようだ、とリヒトは重たい口を開いた。

「……シキ、君は領都で暮らすべきだよ。魔法を学べばゆくゆくは将来、魔力持ちしか就けない仕事だって始められる。なんならランダイン帝国にある魔法学校だって通えるかもしれない。君には選択肢がたくさんあるんだ、このまま領都で暮らして成人するまではしっかり魔法や体術の鍛錬に励むのが、私は良いと、思っている」

 ほとんど一息に、思っていたことを伝えた。シキと目線が合わせられず、畳の目を見つめながら話した。

 シキが身じろぐ気配がする。

「……リヒトさんは、どうするの?」
「私は樹海の家に帰るよ。育てている薬草もあるし、薬屋として過ごすのは丁度いいところだから」
「……僕は、リヒトさんと一緒に居たいよ」

 ようやく目線をシキと合わせた。不安そうな顔をした、背は伸びてきたとはいえ、まだまだ幼い子どもがそこに居た。

「私と居ても、新しく魔法は覚えられないし、体術だって指導できないよ」

 後ろ向きな発言ばかりに、嫌気が差してくる。

 樹海の家は、リヒトにとっては住みやすい城にはなったが、シキにとってはきっと違う。シキにとって成長できる望ましい環境は、確実に樹海のあの家では無いはずだ。

 じくじくと胸が痛くなるのは、シキと過ごす時間がとても好ましくなっていたからだ。自分を慕ってくれるこの子どもが、かけがえの無い存在になってきていたのだ。

「渡り鳥の背に乗ればひとっ飛びだから、リヒトさんの家から領都に通うよ」
「アドウェナアウィスは落葉の季節しか領都まで渡らないよ。陸路だと馬車で五日はかかる、道中の旅費だって馬鹿にならない」
「マギユラさんのグランドコルニクスみたいな魔鳥を従魔にして移動すれば……」
「従魔師の鍛錬だって大変な道のりだ」

 シキからの言葉を否定する返答を口から吐き出す様は、呪詛を吐き出すようだった。

「……リヒトさんは、僕とは、過ごしたくない?」

 シキの目に水の膜が張っていた。そんな顔をさせるつもりは無かったのだ。

「……違うよ! ……でも、シキの将来を考えると、領都の方が頼れる人がたくさん居るんだ」
「……リヒトさんだって、薬草のことに詳しいよ、リヒトさんから教わることだって、たくさん――」
「でも、君に魔法は教えてあげられない」
「……、」

 平行線だった。シキにとって、ユーハイトで暮らすことは最善だと思ったが、シキ自身はそうとは思っていなかった。

 話せばわかってもらえるだろうと、更に言葉を重ねようとしたら、シキは口をへの字に曲げて、リヒトをきっ、と見つめていた。その顔は、シキを保護した初日に見たことがあった。

 ――敵対心からくる表情だ。

「……僕、もう魔法教わらない!」
「……えっ!?」
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