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第1章
軟膏づくり
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採取から帰ってくるなり机に突っ伏して眠りに落ちたリヒトは、レイセルの言う通り、数刻ほどで目覚めた。ぼんやりしているとシキがじーっと間近で見つめてきたので、慌てて起き上がったのだった。
「ごめんごめん、お待たせシキ、帰ろっか。レイセルも突然やってきて悪かったね」
「リヒトさんもういいの?」
「大丈夫! レイセル、顔が見れて良かった。また来るよ。もう根を詰めすぎないようにね」
「お前と違ってちゃんとするから安心しろ。そのうちおっさん宅に顔出すって言っとけ」
「まったくおっさんだなんて失礼だからやめなさいって」
知るか、と顔をとぼけさせるレイセルにため息をつきつつ、シキとリヒトはレイセル宅を後にすることにした。
「あ、壊した魔道具、今度持って来いよ」
「わ、忘れてた! そうだった、水遣りの魔道具! レイセル、本当にごめん。このお詫びはまた今度……!」
「三倍くらいにして返してくれたら許す」
えー、と情けない声を出すリヒトにレイセルは冗談だ、と肩を竦めた。他愛ないやり取りを交わし、リヒトとシキはレイセル宅を後にする。
リヒトはまた再びずっしりとした麻袋を抱えあげ、ヒューマ邸へと戻る道を辿った。途中で何度かシキが慌てて、リヒトの背中(を支えようと思ったがシキの背が足りないので実際には腰元)を支える場面があったが、無事に帰りついた。
ユーハイトはアレスティア王国では南側の土地とはいえ、寒季はそれなりに気温が下がる。しんしんと雪が積もるシンハ樹海一帯と比べると温暖な気候だが、厚着をしなければ凍えてしまう。
ヒューマ邸の調理場も火鉢という熱源があるお陰で、あたたかい状態で調剤の作業に入ることが出来た。
リヒトとシキは服が汚れないように前掛けをして、調理場に立っていた。
「リヒトさん、僕は何をしたらいい?」
「まずは皮が硬いから大鍋で実を湯掻くんだ。全体にまんべんなく熱が通るように木べらで混ぜる作業を頼もうかな」
かまどに火を焚べる作業はヤツヒサが手馴れた様子でやってくれたこともあり、大鍋の中には既に沸騰した湯が湧いていた。
麻袋からざざざとマカの実を流し入れ、再沸騰するまで湯掻く。
かまどの傍に踏み台を起き、その上に登ったシキが慎重に実をかき混ぜていく。
「あまり強くかき混ぜすぎてしまうと湯が跳ねるからね、火傷をしないように。鍋も熱いからね、気をつけて」
「うん、そっとだね」
もくもくと昇る水蒸気に少しだけ汗ばむ。もしかしたら火鉢は要らなかったかもしれない。
半刻ほど湯掻いたあとは、火から降ろし、湯を捨てる。少しだけふやけたマカの実だが、まだ皮はそこそこの硬さを持っている。
ほこほこと湯気が昇るマカの実の粗熱を取ったなら、ようやく皮剥き作業だ。
「皮は私が剥くとして、シキには実と種を分ける作業をお願いしようかな。この手袋を付けてね」
「わかった、やってみる!」
リヒトは自分も革手袋を付けると、さっそくナイフ片手に大量のマカの実の皮を剥き始めた。
シキも覚束無い手つきではあるが、白い実と種を分けていく。だんだんとコツが掴めてきたのか、リヒトが皮を剥くよりも早く実と種を分けるので、リヒトもさくさくとスピードを上げて硬い皮を剥き続けた。
器にこんもりと白い実の山ができる。これを目の細かい網で裏ごしする作業が次の段階となる。
「この網の上に実を置いて、木べらで押さえつけるんだ。すると、こんな感じに大きな繊維は網に引っかかって、とろんとした実だけが残るよ。これを手分けしてやって行こう」
「うん! 何だかお団子についてる餡子みたいだね」
「見た目は美味しそうにみえるけど、マカの実は無味だからねぇ……美味しくないよ。独特な芳香も少ないから薬の材料に向いてるんだけどね」
「無味……?」
「舐めてみる? あまりオススメはしないけど」
舐めてみる?と問われたシキは好奇心の方が勝ったらしく、裏ごししたあとのマカの実を一匙ほど掬うとぺろりと舐めた。直後、顔を渋くさせ、流し台にぺっ、と口の中のものを捨てた。そしてそのまま口の中を洗う。
予想通りの行動にリヒトはくすくす笑うが、シキは顔をくしゃりとさせたまま少し不貞腐れていた。
「どうだったかい?」
「なんだか、どろどろに溶かした羊皮紙を噛んでるみたいだった……食べられる味じゃなかったよ」
「あはは、シキにはそういう風に感じたんだね。私は捏ねた土のようにも感じたよ」
「リヒトさんも食べてみたの!?」
「……こんなに真っ白な実なら、味が気になるしね」
二人して笑いあった。好奇心に勝てない部分は似ているようだった。
裏ごしが終わり、真綿でも見かけないような真っ白な塊が出来上がった。これと精油と混ぜながら湯煎する作業にとりかかる。
「花から抽出する精油と混ぜると化粧品とかにも使えるような軟膏になるんだけど、今回は食事を作る方に向けたものだから香り成分はむしろ無い方がいいんだ。だから、油分としてつかう精油は――」
「が、ら、ん?」
シキがたどたどしく瓶のラベルの文字を読む。装飾の多い字体だったため読みにくかったようだ。
「ガランオイルだよ。ガランの実の種を絞って採られる油分で、これは単品でも顔や髪に使って潤いを保ってくれるのに役立つんだ」
ガランの実はアレスティア王国では珍しい植物のため、ほとんど輸入品に頼っている。だが、比較的安価で入手出来ることもあり、平民の家の化粧品としても重宝されている。
「ガランオイルの保湿成分とマカの実の性質が相性が良くて、二つを溶かして混ぜ合わせると水洗いしても落ちにくい軟膏になるんだ」
ふんふん、と興味深そうにシキはリヒトの説明を聞いている。知識をこのように別の誰かに共有することは久しく、懐かしさと妙な気恥しさがあったが、シキは興味津々にこちらの話に耳を傾けてくれている。彼のための知識の肥やしになるなら、少しの恥ずかしさも我慢できた。
「鍋の水をまた沸かしたら、一回り小さい鍋でゆっくり二つの材料を混ぜ合わせるんだ。完全に二つが溶けて混ざりあったら、このガラス瓶に小分けにして入れていくよ。ちなみにこのガラス瓶は熱湯をかけて、乾燥させてあるよ」
「あ、それは婆様もやってるの見たことある。消毒?だっけ?」
「そうそう。漬物とかジャムなんかを瓶詰めするときにやっておくと、清潔に長持ちさせてくれる」
ふつふつと鍋の中の水が湧いてきたようなので小鍋にマカの実と同量のガランオイルを入れた。シキに木べらを渡し、薄黄色のオイルと真っ白な実を混ぜてもらう。
「わあ! マカの実、透明に溶けた!」
「あんなに真っ白な実だったのに不思議だよねぇ。熱を加えると透き通るんだ。ただし冷やすとまた白っぽくなるよ」
完全にマカの実の塊が無くなったことを確認したら、鍋から小瓶へと小分けにする。少し黄色味の液体が流し込まれる様子をシキはじっと眺めている。
鍋に作った分を分け終えると、また再びマカの実とガランオイルを混ぜる工程を繰り返す。マカの実を使い切るまで作業は続いた。
「終わった~」
「シキ、お疲れ様。少し休憩しようか」
使った大鍋や調理器具を洗い、布巾で拭いたあとに元の場所にしまう。調理台には冷まし中の軟膏の瓶たちだけが残された。
「リヒトさん、これはどこで冷ますの?」
「ああ、それは外の保管庫を一旦借りようと思っていてヤツ――」
「はい、呼びましたか?」
ヤツヒサさんに許可を取ろうと思っている、と伝えようとしたところで調理場にヤツヒサが顔を出した。
いつものように気配が無かったのでびっくりしてしまったが、ちょうど良かったので質問する。
「調理場を貸してくださり、ありがとうございました。あの、この軟膏たちを冷ましたいんですが、裏庭の保管庫に一時的に置かせて頂いても良いでしょうか?」
「もちろんですよ。私もそれくらいはお手伝いしましょう」
「ありがとうございます」
四角い木桶にずらりと小瓶が並ぶ。一人で運ぶには少し量があったので、ヤツヒサの手を借りられるのは助かる。保管庫で冷ましたなら、作業は終了だ。
調理場から裏庭へと出ると冷たい風が身を切るようだった。今頃シンハ樹海は白い雪景色が美しいことだろう。
「今年は冷え込みますね。雪が積もるほどの気温では無いのが幸いですが、板間の道場は床が冷たいですよね。シキ様は鍛錬時にしっかり体を温めてから稽古に励んでくださいね」
「うん!」
今日は子どもたちの稽古日ではなく、自警団の稽古日のためシキの鍛錬はお休みだ。だが、夕方からヒューマの手が開けば、魔法の訓練を見てもらえることになっている。
お茶菓子を食べて一休みしたシキはヒューマが来る前に少し鍛錬してきます!と庭へと飛び出して行った。
「ごめんごめん、お待たせシキ、帰ろっか。レイセルも突然やってきて悪かったね」
「リヒトさんもういいの?」
「大丈夫! レイセル、顔が見れて良かった。また来るよ。もう根を詰めすぎないようにね」
「お前と違ってちゃんとするから安心しろ。そのうちおっさん宅に顔出すって言っとけ」
「まったくおっさんだなんて失礼だからやめなさいって」
知るか、と顔をとぼけさせるレイセルにため息をつきつつ、シキとリヒトはレイセル宅を後にすることにした。
「あ、壊した魔道具、今度持って来いよ」
「わ、忘れてた! そうだった、水遣りの魔道具! レイセル、本当にごめん。このお詫びはまた今度……!」
「三倍くらいにして返してくれたら許す」
えー、と情けない声を出すリヒトにレイセルは冗談だ、と肩を竦めた。他愛ないやり取りを交わし、リヒトとシキはレイセル宅を後にする。
リヒトはまた再びずっしりとした麻袋を抱えあげ、ヒューマ邸へと戻る道を辿った。途中で何度かシキが慌てて、リヒトの背中(を支えようと思ったがシキの背が足りないので実際には腰元)を支える場面があったが、無事に帰りついた。
ユーハイトはアレスティア王国では南側の土地とはいえ、寒季はそれなりに気温が下がる。しんしんと雪が積もるシンハ樹海一帯と比べると温暖な気候だが、厚着をしなければ凍えてしまう。
ヒューマ邸の調理場も火鉢という熱源があるお陰で、あたたかい状態で調剤の作業に入ることが出来た。
リヒトとシキは服が汚れないように前掛けをして、調理場に立っていた。
「リヒトさん、僕は何をしたらいい?」
「まずは皮が硬いから大鍋で実を湯掻くんだ。全体にまんべんなく熱が通るように木べらで混ぜる作業を頼もうかな」
かまどに火を焚べる作業はヤツヒサが手馴れた様子でやってくれたこともあり、大鍋の中には既に沸騰した湯が湧いていた。
麻袋からざざざとマカの実を流し入れ、再沸騰するまで湯掻く。
かまどの傍に踏み台を起き、その上に登ったシキが慎重に実をかき混ぜていく。
「あまり強くかき混ぜすぎてしまうと湯が跳ねるからね、火傷をしないように。鍋も熱いからね、気をつけて」
「うん、そっとだね」
もくもくと昇る水蒸気に少しだけ汗ばむ。もしかしたら火鉢は要らなかったかもしれない。
半刻ほど湯掻いたあとは、火から降ろし、湯を捨てる。少しだけふやけたマカの実だが、まだ皮はそこそこの硬さを持っている。
ほこほこと湯気が昇るマカの実の粗熱を取ったなら、ようやく皮剥き作業だ。
「皮は私が剥くとして、シキには実と種を分ける作業をお願いしようかな。この手袋を付けてね」
「わかった、やってみる!」
リヒトは自分も革手袋を付けると、さっそくナイフ片手に大量のマカの実の皮を剥き始めた。
シキも覚束無い手つきではあるが、白い実と種を分けていく。だんだんとコツが掴めてきたのか、リヒトが皮を剥くよりも早く実と種を分けるので、リヒトもさくさくとスピードを上げて硬い皮を剥き続けた。
器にこんもりと白い実の山ができる。これを目の細かい網で裏ごしする作業が次の段階となる。
「この網の上に実を置いて、木べらで押さえつけるんだ。すると、こんな感じに大きな繊維は網に引っかかって、とろんとした実だけが残るよ。これを手分けしてやって行こう」
「うん! 何だかお団子についてる餡子みたいだね」
「見た目は美味しそうにみえるけど、マカの実は無味だからねぇ……美味しくないよ。独特な芳香も少ないから薬の材料に向いてるんだけどね」
「無味……?」
「舐めてみる? あまりオススメはしないけど」
舐めてみる?と問われたシキは好奇心の方が勝ったらしく、裏ごししたあとのマカの実を一匙ほど掬うとぺろりと舐めた。直後、顔を渋くさせ、流し台にぺっ、と口の中のものを捨てた。そしてそのまま口の中を洗う。
予想通りの行動にリヒトはくすくす笑うが、シキは顔をくしゃりとさせたまま少し不貞腐れていた。
「どうだったかい?」
「なんだか、どろどろに溶かした羊皮紙を噛んでるみたいだった……食べられる味じゃなかったよ」
「あはは、シキにはそういう風に感じたんだね。私は捏ねた土のようにも感じたよ」
「リヒトさんも食べてみたの!?」
「……こんなに真っ白な実なら、味が気になるしね」
二人して笑いあった。好奇心に勝てない部分は似ているようだった。
裏ごしが終わり、真綿でも見かけないような真っ白な塊が出来上がった。これと精油と混ぜながら湯煎する作業にとりかかる。
「花から抽出する精油と混ぜると化粧品とかにも使えるような軟膏になるんだけど、今回は食事を作る方に向けたものだから香り成分はむしろ無い方がいいんだ。だから、油分としてつかう精油は――」
「が、ら、ん?」
シキがたどたどしく瓶のラベルの文字を読む。装飾の多い字体だったため読みにくかったようだ。
「ガランオイルだよ。ガランの実の種を絞って採られる油分で、これは単品でも顔や髪に使って潤いを保ってくれるのに役立つんだ」
ガランの実はアレスティア王国では珍しい植物のため、ほとんど輸入品に頼っている。だが、比較的安価で入手出来ることもあり、平民の家の化粧品としても重宝されている。
「ガランオイルの保湿成分とマカの実の性質が相性が良くて、二つを溶かして混ぜ合わせると水洗いしても落ちにくい軟膏になるんだ」
ふんふん、と興味深そうにシキはリヒトの説明を聞いている。知識をこのように別の誰かに共有することは久しく、懐かしさと妙な気恥しさがあったが、シキは興味津々にこちらの話に耳を傾けてくれている。彼のための知識の肥やしになるなら、少しの恥ずかしさも我慢できた。
「鍋の水をまた沸かしたら、一回り小さい鍋でゆっくり二つの材料を混ぜ合わせるんだ。完全に二つが溶けて混ざりあったら、このガラス瓶に小分けにして入れていくよ。ちなみにこのガラス瓶は熱湯をかけて、乾燥させてあるよ」
「あ、それは婆様もやってるの見たことある。消毒?だっけ?」
「そうそう。漬物とかジャムなんかを瓶詰めするときにやっておくと、清潔に長持ちさせてくれる」
ふつふつと鍋の中の水が湧いてきたようなので小鍋にマカの実と同量のガランオイルを入れた。シキに木べらを渡し、薄黄色のオイルと真っ白な実を混ぜてもらう。
「わあ! マカの実、透明に溶けた!」
「あんなに真っ白な実だったのに不思議だよねぇ。熱を加えると透き通るんだ。ただし冷やすとまた白っぽくなるよ」
完全にマカの実の塊が無くなったことを確認したら、鍋から小瓶へと小分けにする。少し黄色味の液体が流し込まれる様子をシキはじっと眺めている。
鍋に作った分を分け終えると、また再びマカの実とガランオイルを混ぜる工程を繰り返す。マカの実を使い切るまで作業は続いた。
「終わった~」
「シキ、お疲れ様。少し休憩しようか」
使った大鍋や調理器具を洗い、布巾で拭いたあとに元の場所にしまう。調理台には冷まし中の軟膏の瓶たちだけが残された。
「リヒトさん、これはどこで冷ますの?」
「ああ、それは外の保管庫を一旦借りようと思っていてヤツ――」
「はい、呼びましたか?」
ヤツヒサさんに許可を取ろうと思っている、と伝えようとしたところで調理場にヤツヒサが顔を出した。
いつものように気配が無かったのでびっくりしてしまったが、ちょうど良かったので質問する。
「調理場を貸してくださり、ありがとうございました。あの、この軟膏たちを冷ましたいんですが、裏庭の保管庫に一時的に置かせて頂いても良いでしょうか?」
「もちろんですよ。私もそれくらいはお手伝いしましょう」
「ありがとうございます」
四角い木桶にずらりと小瓶が並ぶ。一人で運ぶには少し量があったので、ヤツヒサの手を借りられるのは助かる。保管庫で冷ましたなら、作業は終了だ。
調理場から裏庭へと出ると冷たい風が身を切るようだった。今頃シンハ樹海は白い雪景色が美しいことだろう。
「今年は冷え込みますね。雪が積もるほどの気温では無いのが幸いですが、板間の道場は床が冷たいですよね。シキ様は鍛錬時にしっかり体を温めてから稽古に励んでくださいね」
「うん!」
今日は子どもたちの稽古日ではなく、自警団の稽古日のためシキの鍛錬はお休みだ。だが、夕方からヒューマの手が開けば、魔法の訓練を見てもらえることになっている。
お茶菓子を食べて一休みしたシキはヒューマが来る前に少し鍛錬してきます!と庭へと飛び出して行った。
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