樹海暮らしの薬屋リヒト

高崎閏

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第1章

ファティナの涙

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 シキを森で拾ってから四日目の夕方、便りは二つ程やってきた。

 一つは領都の知人に宛てたシキの身元引受け先の孤児院の件と、探し人の報せの件だ。

 孤児院自体は都が支援している団体がいくつかあるが、その中に新しくシキという名前の子どもを引き取る予定になっている団体は無かった。孤児院の話は詐欺だったことが分かった。

 探し人の件も今のところ亜人でシキの見た目の子どもの問い合わせは無いようで、そちらは今後も確認しておく、と知人は文を結んでいた。

「孤児院の話を出して、引き取るように見せて子どもを攫う、か。とりあえず知人経由で役人には通報させたし、君から聞いた盗賊の話も合わせて返信しておくよ」
「ありがとうございます」

 そしてもう一つの報せは、樹海の岩場に植えたファティナの開花が今晩いよいよ始まりそうとの報せだった。

 報せにきた二羽のカエルラウェスは得意げにリヒトの周りを飛び回り、ベリーを催促した。

 シキの手のひらにベリーを数粒落としてあげ、カエルラウェスをシキの腕に導く。

 きらきらした目で嬉しそうにベリーを啄む羽根の美しい魔鳥たちを眺めるシキに笑みが深まった。

「私はこれから少し森の中に入ってくるから、シキは湯浴みを済ませて先に休むといい」
「……あの、僕もついていって、いいかな」
「体調は?」
「大丈夫です」
「そうか、ただその服だと凍えてしまうね、何か羽織れるものを……」

 シキが今着ている服はリヒトの普段着をベルトでどうにかたくし上げ、袖はいくつも織り上げている。着の身着のまま逃げてきたシキの荷物は無く、商人が来るまではひとまずあるもので済まさせてもらった。

 リヒトは一旦自身の居室へと向かい、自分の上着を羽織ると、クローゼットから厚手のブランケットを取り出した。

「すまない、シキ。次に商人が来たら君の服を買うから、今日はこれで我慢してくれるかい?」

 また再び一階に降りてきたリヒトは佇むシキにブランケットをぐるりと巻き付け、赤子を包むお包みのようにしてしまう。

 首元をピンで止めて、ブランケットがずり落ちないようにした。少し大きな赤子と言われても問題ないサイズ感にリヒトはシキの実年齢を思って、ひどく申し訳ない顔をした。

 きょとんとしたリヒトは動きにくさはあるものの、あたたかいブランケットに丁寧に礼をした。

「ただ、これだとリヒトさんに着いていくのが精一杯になりそうで」

 ただでさえリヒトの腰にも届かないシキの上背だ。ブランケットで包まれた身体を動かすのは困難を極めている。夜の樹海に繰り出すにはいささか装備が不釣り合い過ぎた。

「『隣人』についてきてもらうから彼らの背に乗せてもらおう」
「『隣人』?」
「うん。さ、すぐそこまでは私が抱えさせてもらうよ」

 暖炉の火で温かな室内から抜け出すと、凍てついた風が身体を縮こませた。びゅうびゅうという木々の隙間を縫うような風の音と、乾いた葉や木々の擦れる音。そしてウルラと呼ばれる魔鳥のホーゥ、ホーゥという低い鳴き声が梢の合間から微かに聞こえてきた。

 リヒトの家の庭から出ると、途端に木々の密度が上がる。森の中にシキを抱えたまま足を踏み入れたリヒトはピューと長く指笛を吹いた。

 疑問符を浮かべるシキにくすりと微笑みかけて、森の奥を見やるように伝える。次第に枯れ草を踏む足音が近づいてきた。

 日が沈み、薄闇になりはじめた森の中に颯爽と姿を現したのは、白い毛並みを輝かせた、額にすっと伸びた角のある四本足の獣だった。

「なに……!?」

 シキが目を見開き、ビクリと身体を強ばらせる。ブルル、と小さく嘶き、蹄の音を鳴らす様子は小さな魔獣であればそれだけで蜘蛛の子を散らすように逃げてしまうだろう。

 深い森を背景に白銀の鬣が映え、凛とした出で立ちは悠然とした佇まいだ。

「モノケロースさ。彼が『隣人』。他にも数匹ほど顔見知りがいるんだけど、今日は彼に世話になろうかな」

 リヒトは歩み寄ってきた凛とした佇まいの一角獣に恭しく一礼して、声をかけた。

「やあ、いい夜だね。突然すまないけど、薬の採取に付き合って欲しいんだ」

 リヒトの言葉に承諾したモノケロースはくるりと体を反転させて背に乗るように促していた。

 シキを彼の背中へとそっと乗せると、リヒトもよいしょと掛け声をかけてその背へ跨った。すべすべとした鬣を撫でたそうに眺めるシキに落ちないようにと注意を促し、リヒトは目的地の岩場へとモノケロースを導いた。

 人の脚よりは早く、ただし二人を振り落とさないスピードでモノケロースは森を抜け、ファティナを植えた水場まで運んでくれた。

 その頃にはとっぷりと夜も更け、月明かりが眩いばかりに木々の開けた岩場を照らしている。

 岩場に咲くファティナもまた、月明かりを受けて白い花弁を開かせていた。

「リヒトさん、あれ……」
「ああ、あれがファティナさ。ただ私も開花した状態のものは初めて見たよ」

 文献の挿絵から、その姿は記憶しているが、実物はこうも幻想的だとは。

 丸みを帯びた白い五枚の花弁はふわりと開き、その中心の雌蕊がぷっくりとふくれている。そして夜の帳の中で、その子房が仄かに光を放っていた。

「お花が、光っているの……?」
「どうやらあの子房部分が薬になるみたいだ。どうもありがとう、一旦ここで降ろしてもらおう」

 リヒトは『隣人』にお礼を伝え、自宅から持ってきていたユレの実の蜜煮を彼へと差し出した。リヒトの手ずからペロリと実を平らげたモノケロースはご満悦の様子で、近くの水場で水を飲み始めた。

 岩場で滑らないようにシキの手を取り、ゆっくりとした足取りでファティナを植えた場所へと近づく。

 だいたい大人の拳ほどの大きさの花の中にころりとした子房が見える。淡く明滅しながら発光するその花は非常に美しかった。

「これ、どうやって採取するの? お花ごと取っちゃうの?」
「この子房の中にこの樹海の魔力をたっぷりと含んだ水が氷になって花の中で精製されているんだ。その氷が『ファティナの涙』って呼ばれている薬。萼から上を直接瓶に入れて採取するよ」
「何を治してくれるお薬なの?」
「色々効能はあるみたいだけど、一番は上級回復薬の主材料かな。噂によると高尚な魔術師殿がこの素材を使うと、失われた手足すらも蘇るらしい」
「ええっ!?」
「眉唾だけどね」

 興味津々と言った様子で花を見つめるシキに、リヒトは鞄から取り出した小瓶を手渡した。

「採取のやり方を教えるから一緒にやってみるかい?」
「うん!」

 ファティナの種は十個ほど譲り受けたがシンハ樹海の地質と相性が良かったのか、全て開花していた。

 リヒトは鞄から瓶と鋏を取り出し、萼のすぐ下の部分をパチリと鋏で断ち切って、そっと瓶の中に入れる。子房の中には薄膜の氷ができており、花弁が散ると萼ごと落下してしまうので中で精製された薬がそのまま地に還ってしまうのだ。

 リヒトからやり方を教わったシキもリヒトに岩場の上まで抱えあげてもらい、恐る恐ると言った手つきでファティナの花を採取する。

 採取用のガラス瓶も魔道具の一種で、中に入れられたものは入れた瞬間のまま時を止める。この魔道具も含めての卸値なので、種も合わせた金額はどれほどのものだっただろうか。大金貨数十枚はしたに違いない。

 それこそファティナを使って作られた上級回復薬が大金貨十枚はするのだから。

 そういった勘定の計算はマギユラの得意分野だから任せておこう、とリヒトは計算を始めてしまった思考を放棄した。

「さて、全て採取できたね。身体も冷えてきたし、帰ろうか」

 シキが最後の花を採取した後、鞄の中にガラス瓶をしまい込んだリヒトは、水場で待機してくれていたモノケロースを振り返った。

 ユレの実の蜜煮を再びモノケロースに捧げると、行きと同じようにシキをまずその背中に乗せ、自分もひらりと飛び乗った。

 さて家路へ、と思った所へ、ビクリ、とモノケロースが樹海の奥へと視線を向けた。

「……新参かな? 彼が居るのに遠慮しない魔獣とは厄介だな」
「リヒトさん?」

 モノケロースはこの樹海では最上位クラスの魔獣だ。魔力量、知識などは他の魔獣に遠く及ばず、嘶きで低級の魔獣を退ける。

 魔獣避けの意味も込めて彼に岩場まで運んでもらったのだが、まさか遭遇することになるとは。

「あまり闘いたくないんだよね、足の遅い獣なら彼に頑張ってもらうんだけど……」

 モノケロースも密林の先の存在が気になるのか、足踏みをして落ち着かない様子だ。

 岩場一帯は木々が少なく開けているため月明かりがさして明るいが、奥に進むほど木々の密度が上がり、闇が濃くなっている。そして霧のせいでより一層視界も悪い。

 リヒトの視力ではモノケロースが警戒する気配を視認できず、落ち着きのない彼を宥めることしかできなかった。

「……リヒトさん、手前から四本目のクルの木の根元」
「シキ……?」

 モノケロースから落ちないようにと抱えていたシキがブランケットから右手を出して、すっと森の奥を指差す。

 シキの指す方向に目を凝らしてみて初めて、そこに蹲るような小さな影があることに気づいた。シキはとても夜目が効くようだ。

 そろりとシキをモノケロースの背に残したままリヒトは一人、蹲る影へと歩み寄った。

「これは……」
「リヒトさん、大丈夫……!?」
「大丈夫だ、襲っては来ないよ」

 ようやく視認できる場所までやってきて、事態が飲み込めた。

 クルの木の根元に蹲っていたのは、黒色の毛を持つ魔獣だった。大きさはリヒトの両手を丸く囲った中にすっぽり収まりそうな全長で、種族はまだよくわからないが子どもの獣に思えた。

 獣の足は地面設置型の罠に嵌り、動けずに蹲っていたようだった。

「魔獣狩りの罠をこんな森の深くにまで設置するなんて……」

 罠は設置されてからまだ間もないようで、錆びた様子もなく鋭利な刃は獣の足に深く入り込んでいた。

 リヒトの存在にようやく気付いたのか、黒色の毛を逆立て、こちらに顔を向けて威嚇してきた。薄暗いため、その正体は判然としないが、子どもの獣だった。

 少しだけ、助けたばかりのシキと重なり、小さな獣が体を大きくしてこちらを退けようとする姿に苦笑してしまった。

「すまないね、君を助けたいんだけど、少し触れてもいいかな」

 ゆっくりと近づき、まずはユレの実の蜜煮を差し出した。モノケロースも大好物のこの甘く煮た実なら、他の獣にも受け入れて貰えるはずだ。

 芳しい花の香りのする実を差し出すと、すんすんと鼻をひくつかせて、そろりそろりと警戒しながらも口に含んだ。咀嚼音が暫く続いた後、くぅんと鳴き声がした。おねだりのようだ。

 くすりと微笑んで、リヒトはもう一つ実を差し出した。

 警戒心が解けてきた獣の様子を見つつ、リヒトは頃合いかと、獣の脚を捕らえている罠に手を伸ばした。

 獣はびくりと反応したが、捕らえられた脚を解放しようとしていることに気づいてくれたのか、震えつつもじっとリヒトの手の動きを見つめていた。

 ぐっと力を込めて、ハサミ状になっている鋭利な罠を広げてやり、獣をその刃から逃してやる。痛々しい傷跡に顔を顰めたリヒトは、鞄の中から先程採取したばかりのファティナが入った瓶を取り出した。

「リヒトさん、大丈夫?」

 じっと待っていたシキが凛と佇む獣の背の上から声を掛けてきた。モノケロースは罠に捕らわれた獣のことを気にかけていたようだった。水晶のような瞳がこちらを窺っている。

「ああ、この子も頑張って耐えてくれているよ。幸いにもファティナの涙がある、大丈夫だろう」

 希少な回復薬の原材料だが、目の前に痛々しい傷を持つ生き物がいるのだ。助ける手立てがあるなら手を差し伸べたい。
 小瓶から花を取り出したリヒトは、獣の傷を負った脚にそっとその子房の中の雫をかけた。

 きらりと光を帯びた雫が獣の脚の傷ごと覆うようにふわりと発光する。やさしい光は瞬く間に消え去ったが、同時に獣の脚の傷も消え失せた。

 薬の効果を目の前で見たリヒトは、満足気に頷いた。目の前で起きたことが不思議で仕方ないのか、魔獣の子どものはしきりに傷の治った足を舐めている。

「さぁ、行きなさい。どこかで母親が待ってるよ」

 脚が自由になれば樹海は魔獣の住処だ、これ以上の世話は不要だろう。
 たたっ、と駆けて茂みに潜り込んだ後ろ姿を見送ったリヒトは、立ち上がって振り返った。

「以前も同じことがあったんだよ。その時は彼が罠にかかっていてね」

 モノケロースの鬣をするりと撫でつつ、リヒトはじっと見つめてくるシキに答えた。

 当のモノケロースはぶるる、と嘶き、ご機嫌な様子でリヒトの鞄に鼻を擦りつけている。鞄の中のユレの実の蜜煮が気になるようだ。

 苦笑をこぼしたリヒトはわかりました、とばかりにモノケロースへ蜜煮を差し出した。

「リヒトさんは魔物も助ける薬屋さんなんだね」
「手に届く範囲しか助けられてないさ。それに積極的に役立ちたいなら、こんな樹海には住まないよ」

 さぁ、帰ろう、と話を切り上げてリヒトとシキは来た道と同じように、モノケロースの背中に揺られて、月夜の森の道を辿った。
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