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1巻

1-2

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 いきなり、妊娠させたと言われて頭の理解が追いつかない。
 ど、どういうこと? も、もしかして、辺境伯様なりのジョーク? 
 いや、この方が冗談を言うとはとても思えない。一人でパニックになっていたら、辺境伯様は静かに説明を続けてくれた。

「君が混乱するのも無理はない。どうか説明させてほしい。まず、広場で行っていた実験は私の分身を作る魔法だった」
「辺境伯様の分身……ですか」
「ああ、そうだ」

 辺境伯様は剣術や武術にも秀でているけど、魔法の才もおありという話だ。魔族領に近い領地を治めるくらいだから、どれも高水準にできるのだと思う。ご自身でも日頃から魔法の実験や、研究をされていると聞いたこともある。

「分身を作る魔法が、どうして私を妊娠させたことになるのでしょうか」
「うむ……少々複雑な話になってしまうのだが、わかりやすく説明するので、最後まで聞いてほしい」
「はい、お願いします」

 文字通り、自分の身代わりを作る魔法ということしか私にはわからない。
 妊娠なんて関係ないと思うけどな。

「分身魔法は他の魔法と異なる点がいくつかある。一番大きな違いは、自分の体の一部を材料として使うことだ。具体的には髪の毛や血液、涙などだな」
「なるほど……自分の代わりを造るわけですからね」

 私が呟くと、辺境伯様も静かに頷いた。

「さて、ここからが本題なのだが……分身をより高度にするためには、どうしても必要不可欠な材料がある」
「は、はい」

 辺境伯様は恐ろしく硬い表情をされ、お部屋をピリピリした空気が包んだ。極悪で冷酷と噂される辺境伯様への恐怖が入り混じった緊張とはまた別の、胸が冷たくなるような緊張感が私を覆う。
 解呪以外の魔法に疎い私でも、これからこの話のきもが始まるのだとわかった。

「その材料とは…………自分の精力せいりょくだ。不快な気持ちにさせてしまったら申し訳ない」
「あ、いえ、それは全く構いませんが……」

 辺境伯様は心底申し訳なさそうに言う。
 噂だとすぐに怒鳴ったり、もしくは無視したりする、とても怖い人だと思っていたけど……。思っていたのとだいぶ違う印象を受けつつあった。

「私の精力せいりょくを含んだエネルギーが君の腹に直撃した。話というのはそういうことだ。つまり……君には私たちの子が宿ってしまったかもしれない」
「そ、そうなんですか……? ですが、そのようなことが本当に起きるのでしょうか」

 たしかに、理屈はわかるような……気がする……。目が覚めても、頭がまだぼんやりしており、いまいち理解が追いつかなかった。

「まだわからない。あくまで可能性があるというだけだ。そこで、アドラントで一番の医術師を呼んである。まずは妊娠していないか確かめよう。……オールド、入ってきてくれ」

 辺境伯様が言うと、初老しょろうの女性医術師が入ってきた。緩いウェーブがかかった薄紫色の髪に、猫みたいな瞳が元気な印象だ。私たちは軽く握手を交わす。

「こんにちは、キュリティ。あたしは元宮廷医術師のオールドって者さ。大変なことになっちまったねぇ。ディア坊主の子どもを妊娠したかもしれないって?」
「えっ……と、よろしくお願いします。キュリティ・チェックと申します」

 見た目通り快活かいかつに話しかけられた。予想以上にざっくばらんでビックリしてしまう。

「オールド、彼女は今不安な状態なんだ。もう少し気遣うことはできないのか。……すまない、キュリティ。オールドは昔からこういう性格なんだ。決して悪気があったわけではない」
「それくらいアンタに言われなくても心得てるよ。キュリティ、あたしの言動が嫌だったらすぐに言うんだよ。あたしは言われないとわからないからね」

 オールドさんはさも当然のように、辺境伯様と対等に話す。
 まさか、辺境伯様とこんなに気楽に話せる人物がいたとは……この女性はすごく偉い人なんだろうか。気になったことをそっと尋ねる。

「あの……お二人は長いお付き合いなんですか?」
「あたしは先代の奥様からディア坊主を取り上げたんだよ。びゃーびゃーうるさいのなんの。ちまたでは〝極悪非道の辺境伯〟なんて大層な名前で呼ばれてるけどね、あたしにとってはただの青臭いガキだよ。今でも全然変わんないね」

 私と挨拶したときと同じか、それ以上にざっくばらんとした物言いでオールドさんはずけずけと答える。彼女の話を聞くと、辺境伯様は力が抜けた様子で言った。

「……オールド、私はこれでも辺境伯なんだが」
「うるさいね、アンタなんかあたしがいなきゃ生まれてないんだよ」

 どうやら、オールドさんの方が立場が上みたいだった。二人のやり取りを聞くと、なんだか心が明るくなる。
 妊娠と聞いて強い驚きと衝撃を受けたけど、さっきよりは気持ちが緩んできたのを感じた。

「まぁ、それはさておき赤ん坊がいないか確かめようね。手で触るだけだから安心しな」
「はい、お願いします」

 オールドさんのストレートな物言いは、裏表がないからむしろ安心する。
 横になってお腹を出すと、オールドさんが静かに撫でた。彼女の手は柔らかくて優しい。医術師の豊富な経験が伝わるようだ。ホッとして身を任す。
 辺境伯様はというと、なぜか目を背け窓から外を見るばかりだった。
 ……そうか、私みたいな下々の者のお腹なんか見たくないものね。

「ふむ……大きな怪我けがはしていないみたいだね。じゃあ、ちょっとあったかくなるよ、〈イグザム〉」

 オールドさんが呪文を唱えると、その両手が黄色く光った。お腹を触られるとじんわり温かい。焚き火に当たっているみたい。
 オールドさんはしばらく私のお腹を撫でていたけど、その表情はずっと硬かった。私も自然と顔がこわばり、静かに診察が終わるのを待っていた。
 服を戻してくれたところで、辺境伯様が彼女に尋ねる。

「どうだ、オールド。彼女は妊娠しているのか?」
「……ああ、そうだね。ディア坊主、キュリティは妊娠しているよ」
「そうか……やはり、子が宿っていたか……」

 二人が粛として話すのを聞き、思わず呟いてしまった。
 だって……あまりにも衝撃的だったから。

「う、うそ……」

 妊娠していると言われ絶句した。
 辺境伯様からその可能性があると聞いたときは、まだ心のどこかで半信半疑だったのだ。


 ――ほ、本当に、私が辺境伯様の御子を懐妊してしまうなんて……


 どうしたらいいのかまったくわからず、頭の中が真っ白になった。全身の血はひんやりと冷たくなり、心臓は不気味なほど静かに鼓動する。
 拍動の音がやけに耳に響く中、オールドさんは硬い表情のまま話を続けた。

「……そして、キュリティの身に起こったのは、妊娠だけじゃないみたいだね。ディア坊主の魔力がキュリティの中で増幅しているよ。きっと、精力せいりょくと一緒に魔力も宿っちまったんだろう」

 聞いたことのない話をされ、より不安が強くなる。妊娠以外にも、私の身体では何か異変が起きているんだ。聞くだけで怖くなってしまったけど、自分の身体のことなのでちゃんと聞かなきゃ。

「魔力の増幅とは……どういうことでしょうか?」
「文字通りの意味さ。定期的に発散しないと体が苦しくなっちまう。呼吸が落ち着いたら腹に意識を集中してみな。いつもより魔力を強く感じるはずだよ」

 言われた通り、お腹に意識を向ける。
 ……たしかに、魔力がくすぶるような、小さく弾けるような変な感じがした。今まで感じたことのない感覚なので、やはり魔力の増幅という現象が起きているのだろう。

「私としたことが本当に申し訳ない。大変に迷惑をかけてしまったな。謝ってすむ問題ではないが謝らせてくれ」

 自分の身に降りかかった数々の出来事を不安に思っていると、辺境伯様は深く頭を下げて謝ってくれた。
 見せかけの謝罪ではない。私のような下級の者にでも、この方は真剣に謝ってくれるんだ……
 その真摯しんしな態度は、私の胸に渦巻く不安や心配を少しずつ和らげてくれた。

「い、いえ……私の方こそ、あんなところを隠れるように歩いており申し訳ありませんでした」
「……なに?」

 私も同じく頭を下げて謝った。
 そもそも、私がこそこそと隠れるように歩いていたのが悪いのだ。もっと自分の存在をアピールしていれば、辺境伯様に気づかないフリをしなければ、この事態は回避できたかもしれない。
 そう考えると、やはり自分にも一因はあると思った。

「いや、君はまったく悪くないんだ。全て私の責任だ」
「辺境伯様……」

 辺境伯様が謝っているのは保身のためなどではない。心の底から申し訳なく思っているのだ。その誠実な視線と態度から十分過ぎるほど伝わる。
 私たちはまだ出会って間もない。
 だけど、少しずつ辺境伯様のことがわかってきた……ような気がする。
 辺境伯様はさらに言い出しにくそうに切り出した。もっとも、何を言われてもいいように、心の中で静かに覚悟を決める。

「そこで、私から君に頼みがある。このような話をした後で申し訳ないが、君を思うとこれが一番良い選択だと考えられるんだ」
「はい、頼みとはなんでしょうか?」
「頼みというのは他でもない。私と…………私と夫婦になってくれないか?」
「へ、辺境伯様と私が……夫婦になるのですか!?」

 覚悟を決めたはずなのに、思わず素っとん狂な声を出してしまった。
 思いもよらないどころか想像もしない頼みだったから。

「ああ、そうだ。とは言っても、ほとんど形式上の関係だ。当然だが、君に手を出すつもりはない」
「ダ、ダメです! 私のような者を妻にしては、辺境伯様の評判が悪くなってしまいます!」

 慌ててお断りした。
 私は貴族といえど、しがない男爵家の娘だ。とてもじゃないけど釣り合わない。
 辺境伯様の妻になるのは、公爵家の令嬢や他国の姫様が普通だろう。私みたいな下級の人間が妻になったら、辺境伯様に迷惑がかかってしまう。

「いや、これは完全に私のミスだ。君にはいくら謝っても謝り切れない。せめて……責任を取らせてほしい」
「で、ですから、そんなに頭を下げられては……!」
「君の、いや、君たちのためにできることなら何でもさせてくれ。生まれてくる子のことを考えると、キュリティとともに人生を歩むべきなんだ。私の傍にいてほしい。君が必要だ」

 辺境伯様は深く深く頭を下げる。極悪非道という噂への恐怖と、妊娠や魔力の増幅への不安はまだ完全に消えたわけではない。
 それでも、私のこの先の人生について真剣に考える力を与えてくれた。
 思い返せば、私の毎日はシホルガやフーリッシュ様の言いなりだった。自分の力で誰かの役に立つこと、家計を助けることの二つを目的に生きてきたけど、ついぞ評価されることはなかった。
 虐げられる日々を送るうちに、きっと心のどこかで諦めていたのだ。何も変わらないと。
 結果、流されるように王宮から追い出されてしまった。
 でも、これからはそんな自分ではダメだ。
 私のお腹には大切な命が宿る。親として母として、まずは我が子を元気に産んであげないといけない。突然の事態だったけど、お腹の赤ちゃんを思うと、辺境伯様といるのが一番安心できる。

「……わかりました。不束者ふつつかものですが、どうぞよろしくお願いします」

 ベッドの上でぺこりとお辞儀した。辺境伯様と一緒に、我が子をしっかり育てたい。

「ありがとう、キュリティ。良かった……」

 辺境伯様はホッとしたような表情だ。

「私たちの関係を公にするのは、もう少し待ってからにしよう。君のご両親にも、きちんと説明して、結婚の許可をもらわなければならないしな。もちろん、君には絶対に不自由はさせない。衣類も装飾品そうしょくひんも食事も、全て最高品質の物を用意する」
「……両親が反対することはないと思います。私は貴族の家に生まれましたが、しがない男爵令嬢ですし、婚約者もいないので。お言葉ですが、衣類や装飾品そうしょくひんに関しては、そこまでしていただかなくても大丈夫でございます。私は服や宝石などにそれほど興味はありませんので」
「だが、何もしないわけにはいかないだろう」
「いえ、いいんです」

 なおも断る私を、辺境伯様は不思議な顔で見ていた。

「私は……辺境伯様に気遣っていただけるだけで嬉しいです」

 そう、これは私の本心だった。別に高価な服や宝石などは欲しくない。お腹の中にいる子どもを大事にしてくれれば、それ以上望むことはなかった。

「そうか。まぁ、何か欲しい物があったら遠慮せず言いなさい。あと、私のことは辺境伯様と呼ばなくていい」
「い、いや、しかし……で、でしたらなんとお呼びすればいいでしょうか?」

 困った……。辺境伯様は、男爵などの下級な貴族にとっては雲の上にいるような人だ。呼び方一つとっても非常に迷う。
 あれこれと考えていると、辺境伯様が淡々と告げた。

甲斐性かいしょうなしの迷惑男でも、ダメ男でも何でもいい。好きに呼んでくれ」
「あたしみたいにディア坊主でもいいよ。もしくはクソガキとかかね」

 オールドさんまでもが言うのだけど、さすがにそんな呼び方はできるわけもない。相手は帝国の辺境伯なのだ。必死に考え、当たり障りのなさそうな結論を導き出した。

「で、では……ディアボロ様と呼ばせていただいてもよろしいでしょうか」
「君がそれでいいのなら、そう呼んでくれ」

 ディアボロ様も了承くださり、恐れ多くもお名前で呼ぶことで落ち着いた。

「さて、すまないが私はもう仕事に戻らねばならん。あとで世話係のバーチュというメイドを来させる。困ったことがあったら、何でも彼女に伝えてくれ」
「わかりました。あの……ディアボロ様」
「なんだ?」

 扉へ向かおうとするディアボロ様を呼び止めた。立ち去られる前に、どうしても伝えておきたいことがある。

「こんなに私のことを……子どものことを大事に想ってくださり、本当にありがとうございます」
「いや……むしろ感謝するのは私の方だ」

 静かな声で言うと、ディアボロ様は出ていった。

「……じゃあ、あたしも一度戻るよ。何かあったら呼びなさいな」

 オールドさんはしばらく書類をまとめたりした後、お部屋から出た。
 お部屋の中は私一人となる。見渡してみると、室内は結構広かった。窓の外には、私が魔法事故に遭ったあの大きな森が見える。

「私は本当に妊娠したのね……」

 お腹を撫でてみるけど、まだぺたんこだ。このぺたんこなお腹に新しい命が宿っていると考えると、なんだか不思議な気持ちになる。これから大きくなってくるのだろうか。
 貴族令嬢としていつかはこんな日がくると思っていたけれど……やっぱり、ちょっと不安だな。
 そんなことを考えていたら、お部屋の扉がコンコンと軽くノックされた。

「奥様、失礼いたします。お世話係を務めさせていただきます、バーチュと申します」


「あ、はい! ど、どうぞお入りください。鍵はかけていませんので」

 カチャリと静かに扉が開いて、ディアボロ様にも負けないくらい背の高い女性が入ってきた。
 私と同じ黒髪黒目で、少し親近感がわいた。キリッとした目は力強く、メイド服をきっちり着こなしていて頼りがいがありそうだ。

「初めてお目にかかります。私は辺境伯様より奥様のお世話係を承りました、メイドのバーチュでございます。どうぞよろしくお願いいたします」
「こ、こちらこそ初めまして。キュリティ・チェックです。よろしくお願いします」

 バーチュさんはすごく丁寧にお辞儀をする。両手はお腹の前で組み、ピシッとしたお辞儀の角度は大変に美しい。まるで、メイドのお手本のようだ。

「奥様、さっそくでございますが、動きやすいお洋服をご用意いたしました。まずはこちらにお着替えくださいませ。その間、私は簡単なお食事をご用意いたします」
「ありがとうございます。それはまたお心遣いを……」

 バーチュさんは着替えを置くと、お部屋の奥に行ってしまった。さっきチラッと見学したとき簡易的なキッチンがあったので、そこで料理を作ってくれるのだろう。
 用意してくれたお洋服に着替える。
 ゆったりしたズボンとシャツは、肌触りも柔らかくて気が安らいだ。

「奥様、お食事ができました。リビングへどうぞ」
「あ、はい」

 着替えが終わったタイミングを見計らうように、バーチュさんが教えてくれた。これまたとても広いリビングへ行くと、できたての食事が用意されていた。蒸し鶏が入ったスープにふんわりとしたパン、色とりどりの茹で野菜だ。良い匂いを嗅ぐと、たちまちお腹が空いてきた。

「うわぁ……美味しそうですね」
「お口に合うとよろしいのですが」
「合うに決まってますよ。匂いだけでこんなに美味しそうなのですから。それではいただきます……美味しい……」

 スープを一口飲むと、ほのかな塩味と蒸し鶏の油とともに、身体の隅々までに美味しさと栄養が行きわたる。感動……と言ったら大袈裟だけど、本当にそれくらい心に染み入った。

「こんなに美味しいご飯を食べたのは初めてかもしれません」

 喜んで食べていたら何か視線を感じる。顔をあげたらバーチュさんが、じっ……と私を見ていた。

「あ、あの、どうかされましたか?」
「お口に合いましたでしょうか」
「ええ、とても美味しいですよ」
「安心いたしました」

 会話を終えても、バーチュさんはじっ……と私を凝視する。
 気にしないようにしたけどやっぱり気になる。

「バ、バーチュさん、どうしてそんなに私を見るんですか?」
「辺境伯様より奥様をしっかり見ておくように、と伝えられておりますので」
「そうなんですか……それなら仕方ありませんね」

 相変わらず、じっ……と見られる中、やや気まずい思いで食事を続けた。


 ◇◇◇


「それでは、私はそろそろ失礼いたします。おやすみなさいませ、奥様」
「おやすみなさい、バーチュさん。色々ありがとうございました」

 その後、あっという間に日が暮れた。今や、お部屋はかなり快適な空間だ。綺麗なお花を飾ったり、明るいランプを置いてくれたりと、バーチュさんが諸々整えてくれたからだった。

「何かあればベッド脇にありますベルを鳴らしてください。すぐに参りますゆえ」

 バーチュさんがベッドの隣を指す。いつの間にか、小さな銀色のベルが置かれてあった。

「お気遣いありがとうございます。でも、たぶん大丈夫かなと思います。夜遅いときに起こしてしまうと悪いのでっ……!」
「いいえ、奥様」

 言い終わる前に、バーチュさんがズンズンズンッ! と近寄ってきた。背が高いので、私の上からキリッとした表情でこちらを見る。ちょっと気圧されてしまう威圧感だ。

「あ、あの~、バーチュさん?」
「どうか、ご遠慮はなさらないようにお願いいたします」

 そう言うと、バーチュさんは静かに出て行った。ほのかに残ったラベンダーの香水が香る。
 明かりを消して、ベッドに横たわった。

「なんか……未だに信じられないな」

 本当に私がディアボロ様の御子を宿したのだろうか。もう一度お腹を軽く撫でてみたけど、特に変わりはなかった。
 でも、医術師のオールドさんが言うのだから間違いないだろう。
 ただ、確かなことが一つだけあった。


 ――もしかしたら、ディアボロ様はそれほど怖い方ではないかもしれない。


 今日一日を思い出す。頭に浮かぶのは、真摯しんしで誠実なディアボロ様の表情ばかりだった。


 ――このお屋敷なら、きっと子どもを元気に産んであげられる……


 シホルガたちからアドラントに行け、と言われたときの恐怖は鳴りを潜め、安らかな気持ちで眠りにつけた。


 ◆◆◆


「シホルガ、君はいつ見ても美しい。このピンクの髪なんか一度見たら忘れられないよ」
「とても嬉しいお言葉ですわ。フーリッシュ様こそ、本当にいつも素敵でございますね」

 ここは王宮の休憩室。
 お義姉様を追い出して、あたくしは無事王宮勤めをすることになった。
 しかも、ただの代わりではない。極めて優秀な後釜あとがまとしてだ。フーリッシュ様が口添えしてくれたし、順調な毎日が始まるんだわ。
 そう思いながら、フーリッシュ様と互いの愛を確認し合っていたときだ。
 無遠慮にゴンゴン! と、扉が騒々しく叩かれた。

「シホルガさん! いつまで休憩しているんですか!? 早く戻ってきてください!」

 リーダーの声だ。休んでいるというのに金切り声であたくしを呼び立てる。この人はいつもガミガミ怒ってくるので嫌いだった。

「なんだ? ずいぶんと騒がしいな」
「あのおばさんは検査係のリーダーですわ。あたくしは何も悪くないのに、やたらと怒ってくるんですの」
「きっと、シホルガの美しさと若さに嫉妬しているのさ」


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