孤独の恩送り

西岡咲貴

文字の大きさ
上 下
77 / 87
9章 虐待とネグレクト

76話 娘は恋の末路

しおりを挟む
 二人で住んでいたアパートは壁が薄くて、隣の部屋の声が丸聞こえになる。

 当然そんなぼろい物件は人気がなく、うち以外は全員引っ越していったが、引っ越すお金がなかった私達は残るしかなかったのだ。

 長らくうちしか住んでいなかったので問題がなかったが、隣の部屋に西宮家が引っ越してきた。

 これだけ部屋があるのに何故隣なのだろうかとも思ったが、そんな事を言ってもそうなってしまったものは仕方がない。

 とは言え引っ越してきたのは実質幼い女の子が一人なのだから秘密のままにしておく事は可能だったし、今まで静かに暮らしてきた私達にとって特に難しい事ではなかった。

 結菜の物心が付く頃には、もうこのアパートに誰も住んでいなかったので話し声が全部聞こえてしまう事を彼女は知らない。

 家の中では静かにする様に仕付けてきたので、いつも私との会話はひそひそと話すのがルールになっていたし、そんな生活でも娘がそばに居てくれるだけで毎日が幸せだと感じてもいた。

 しかしある日、小声で「大丈夫?」と言いながら水の入ったコップを持ってきてくれた時、受け取ったソレを結菜に思い切り投げつけてしまった。

 一人で立ち飲み屋に行き、安い酒を浴びる様に飲んで帰ってきた私の精神状態はとても正気とは言えなかったのだ。

 日曜午後、ライザに行くと大学時代に交際していた高田俊博が奥さんと楽しそうに買い物をしているのを見かけた。

 まだこの町に住んでいた事を知らなかったので凄く驚いたが本当は今でも好きで、彼を見ると胸が痛む……。

 ずっと忘れられないまま苦しみ、あなたとの娘を育て続けていると言うのに、本人は私の事などとっくに忘れて別の女性と幸せそうに暮らしている。

 あの時の事はもう忘れようと努力し続けてきたが、こうして会ってしまうと気持ちがぶり返す。

「あの……俊博……私……」

 奥さんが一緒だったし、私のこんな気持ちが迷惑な事は分かっているけど、どうしても声が聞きたくて我慢ができなかった。

 こんな重い女でごめんなさい……。

 一言だけ話せれば満足するし、これで終わりにするから許してほしい……。

「えーと、ごめんなさい……。
 何処かでお会いしましたでしょうか?」

 え?

 彼にとって私はその程度の存在だったのかと思うと、何だかやるせない気持ちでいっぱいになった……。

 こんなにも想い続けていた私は何だったのか?

 頭が真っ白になって、全てがどうでも良く思えた。

 しかもその言葉は「喫茶辻本で初めて会った日」に私が彼に言った言葉と同じだった……。

 あの日に戻って、出会わなかった事にしようと言う彼からのメッセージなのだろうか?

「すいません、人違いでした……」

 あるいは、本当に私の事が分からないのかもしれない。

 確かに髪型は変わったし、当時大学で学部一美人と言われた容姿も年齢と共になくなってしまっている。

 奥さんの前だから「元カノ」とは言えなかったとしても「大学時代の後輩」と言えば良いじゃないか?

 何とでも言える筈なのに、そうしないのは私の事が分からなかったからとも考えられる。

 別れたのが一〇年以上前だとは言え、三年も付き合っていた元カノの顔を覚えていないなんて……。

 どちらにせよ私の事には全く興味がなく、関わりたくもないと思っている事に違いはない。

 結菜に「女は顔だ」と言い続けてきたけど、あながち間違いでもなかったらしい。

 彼は当時「美人」と持てはやされていた私の事を装飾品かペットの様なものとでも思っていたのだろう。

 そんな風に考えてしまうとショックでしばらくは何も考えられなかったが、気が付けば近場の立ち飲み屋に行き、健康を害すほど大量のアルコールを摂取していた……。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

友達の母親が俺の目の前で下着姿に…

じゅ〜ん
エッセイ・ノンフィクション
とあるオッサンの青春実話です

サンタクロースが寝ている間にやってくる、本当の理由

フルーツパフェ
大衆娯楽
 クリスマスイブの聖夜、子供達が寝静まった頃。  トナカイに牽かせたそりと共に、サンタクロースは町中の子供達の家を訪れる。  いかなる家庭の子供も平等に、そしてプレゼントを無償で渡すこの老人はしかしなぜ、子供達が寝静まった頃に現れるのだろうか。  考えてみれば、サンタクロースが何者かを説明できる大人はどれだけいるだろう。  赤い服に白髭、トナカイのそり――知っていることと言えば、せいぜいその程度の外見的特徴だろう。  言い換えればそれに当てはまる存在は全て、サンタクロースということになる。  たとえ、その心の奥底に邪心を孕んでいたとしても。

百合ランジェリーカフェにようこそ!

楠富 つかさ
青春
 主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?  ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!! ※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。 表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。

死神

SUKEZA
ミステリー
自分の失態により全てを失った芸人が、死神に魂と引き換えに願いを叶えてもらい人生をやりなおす、、、

聖女の如く、永遠に囚われて

white love it
ミステリー
旧貴族、秦野家の令嬢だった幸子は、すでに百歳という年齢だったが、その外見は若き日に絶世の美女と謳われた頃と、少しも変わっていなかった。 彼女はその不老の美しさから、地元の人間達から今も魔女として恐れられながら、同時に敬われてもいた。 ある日、彼女の世話をする少年、遠山和人のもとに、同級生の島津良子が来る。 良子の実家で、不可解な事件が起こり、その真相を幸子に探ってほしいとのことだった。 実は幸子はその不老の美しさのみならず、もう一つの点で地元の人々から恐れられ、敬われていた。 ━━彼女はまぎれもなく、名探偵だった。 登場人物 遠山和人…中学三年生。ミステリー小説が好き。 遠山ゆき…中学一年生。和人の妹。 島津良子…中学三年生。和人の同級生。痩せぎみの美少女。 工藤健… 中学三年生。和人の友人にして、作家志望。 伊藤一正…フリーのプログラマー。ある事件の犯人と疑われている。 島津守… 良子の父親。 島津佐奈…良子の母親。 島津孝之…良子の祖父。守の父親。 島津香菜…良子の祖母。守の母親。 進藤凛… 家を改装した喫茶店の女店主。 桂恵…  整形外科医。伊藤一正の同級生だった。 秦野幸子…絶世の美女にして名探偵。百歳だが、ほとんど老化しておらず、今も若い頃の美しさを保っている。

失せ物探し・一ノ瀬至遠のカノウ性~謎解きアイテムはインスタント付喪神~

わいとえぬ
ミステリー
「君の声を聴かせて」――異能の失せ物探しが、今日も依頼人たちの謎を解く。依頼された失せ物も、本人すら意識していない隠された謎も全部、全部。 カノウコウコは焦っていた。推しの動画配信者のファングッズ購入に必要なパスワードが分からないからだ。落ち着ける場所としてお気に入りのカフェへ向かうも、そこは一ノ瀬相談事務所という場所に様変わりしていた。 カノウは、そこで失せ物探しを営む白髪の美青年・一ノ瀬至遠(いちのせ・しおん)と出会う。至遠は無機物の意識を励起し、インスタント付喪神とすることで無機物たちの声を聴く異能を持つという。カノウは半信半疑ながらも、その場でスマートフォンに至遠の異能をかけてもらいパスワードを解いてもらう。が、至遠たちは一年ほど前から付喪神たちが謎を仕掛けてくる現象に悩まされており、依頼が謎解き形式となっていた。カノウはサポートの百目鬼悠玄(どうめき・ゆうげん)すすめのもと、至遠の助手となる流れになり……? どんでん返し、あります。

独身寮のふるさとごはん まかないさんの美味しい献立

水縞しま
ライト文芸
旧題:独身寮のまかないさん ~おいしい故郷の味こしらえます~ 第7回ライト文芸大賞【料理・グルメ賞】作品です。 ◇◇◇◇ 飛騨高山に本社を置く株式会社ワカミヤの独身寮『杉野館』。まかない担当として働く有村千影(ありむらちかげ)は、決まった予算の中で献立を考え、食材を調達し、調理してと日々奮闘していた。そんなある日、社員のひとりが失恋して落ち込んでしまう。食欲もないらしい。千影は彼の出身地、富山の郷土料理「ほたるいかの酢味噌和え」をこしらえて励まそうとする。 仕事に追われる社員には、熱々がおいしい「味噌煮込みうどん(愛知)」。 退職しようか思い悩む社員には、じんわりと出汁が沁みる「聖護院かぶと鯛の煮物(京都)」。 他にも飛騨高山の「赤かぶ漬け」「みだらしだんご」、大阪の「モダン焼き」など、故郷の味が盛りだくさん。 おいしい故郷の味に励まされたり、癒されたり、背中を押されたりするお話です。 

放課後は、喫茶店で謎解きを 〜佐世保ジャズカフェの事件目録(ディスコグラフィ)〜

邑上主水
ミステリー
 かつて「ジャズの聖地」と呼ばれた長崎県佐世保市の商店街にひっそりと店を構えるジャズ・カフェ「ビハインド・ザ・ビート」──  ひょんなことから、このカフェで働くジャズ好きの少女・有栖川ちひろと出会った主人公・住吉は、彼女とともに舞い込むジャズレコードにまつわる謎を解き明かしていく。  だがそんな中、有栖川には秘められた過去があることがわかり──。  これは、かつてジャズの聖地と言われた佐世保に今もひっそりと流れ続けている、ジャズ・ミュージックにまつわる切なくもあたたかい「想い」の物語。

処理中です...