孤独の恩送り

西岡咲貴

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6章 殺傷事件

55話 母親の仇

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 彼のそんな言葉で、あの夜の記憶が一瞬蘇る。

 私が火事から助け出された日に朦朧とする意識の中で、かすかに聞こえた誰かの声。

「生きていてくれてありがとう……。
 ……二人にハンバーグを作ってあげて欲しい……」

 あの時は「ハンバーグ」なんていう場違いな謎ワードだった事から聞き間違いだったのだと思い込んでいたけど、あの人がもし未祐さんだったとしたら私と誠がもらったレシピの事を言っていたのではないのだろうか?

 もう颯太と麻衣ちゃんに大好きなハンバーグを作ってあげる事ができないと思っていたの?

 だとするなら私達を助けてくれた後、沙綾香さんを助けに行く時には既に死を悟っていたのかもしれない。

 彼女は子供想いの素敵なお母さんだった。

「ごめんなさい……」

 私は、彼女を救うために取り返しのつかない犠牲を払ってしまったのだと改めて気が付いた。

「もう良いんだ……。
 自分の命と引き換えに二人の女の子を守った母さんを誇りに思う事にするよ。
 だから涼香ちゃんも元気に生きて欲しい……」

 私の事を想って発せられたその彼の言葉は凄く温かい気がした。

 誠の思った通り「神の力」によって、お互いの気持ちを言い合えて関係が回復した。

 ありがとう……。

「やっと見つけた……。
 さっきの話は本当なの?
 お姉ちゃんがアパートに放火したって……?」

 洞窟から出ようとした時、あの夜生き残ったもう一人の女の子がこの場に現れる。

 火事の後、病院に運ばれて施設で保護されたと聞いていた。

「それは……」

 母親以外に知っている人が居なかった彼女は、施設を抜け出して私を追ってきたのだろう。

「この子が結菜ちゃん?」

 私は颯太の質問に無言で頷いた。

「どうして?
 どうしてママを殺したの?」

 急な彼女の問いに、私はこたえられないでいた。

「どこまで馬鹿にすれば気が済むの!
 状況を全部知っていて惨めな私を笑っていたお姉ちゃんが、今度は大切なママを殺した……」

 母親の死の真相を知って泣き出した。

「違う!ねえ、聞いて……」

 もう私の言葉は彼女に届かない。

「私はお姉ちゃんの事が本当に好きだったよ……。
 凄く好きだった……。
 優しくしてくれたし、食べさせてくれたご飯はいつも美味しかった……。
 ママに怒られて辛かった時も一緒に居てくれた。
 だから喧嘩した後もずっと謝りたいと思っていたのに、ママを殺した……そんな人をどうやって信じれば良いの?
 目の前が真っ暗になって、もう何が何だか分からなくなった……。
 大好きだったママが居なくなって、これからどうやって生きて行けば良いのかも分からない……。
 私に優しくしてくれたお姉ちゃんは嘘だったの?」

 救いたいと心の底から思っていたのだから、彼女に対する好意が嘘である筈がない。

「私は私だよ。
 嘘じゃないし、結菜ちゃんの事を馬鹿にした事なんて一度もないよ……」

 母親を殺したのは事実ではあるけど、それは事故だった。 

 彼女をネグレクトから救う為にアパートを燃やし、沙綾香さんと結菜ちゃんを連れて建物を出るつもりだった。

「じゃあどうして、壊したの?
 大好きだったママが殺されてしまった……。
 ママとの生活も終わってしまった……。
 その上、住んでいたアパートも燃えてしまった……。
 大切なものが全て、お姉ちゃんに壊されたんだよ!
 もう私には何も残ってない……」

 虐待されてあれ程生死の境をさ迷っていたと言うのに、それでも母親が大切だと言える彼女は本当に凄かった。

 命を救いたかっただけなのに、彼女にとって完全なる悪者になってしまった事が凄く悔しい。

「でも、あのアパートから出られなければ君も死んでいたんだよ……」

 涙を流しながら凄い殺気で颯太を睨む。

「そんな事頼んでない!
 私はママと一緒に居られればそれで良かった……。
 痛かったし、辛かったけど、ママが笑って褒めてくれればそれで幸せだった……なのに……。
 ああそうか、何もしてくれなかった児童相談所に通報したのもお姉ちゃんだったんだね?」

 あの人達がもっと力になってくれれば、私はこんな事をして犯罪者にならなくても済んだのに……。

 それでも私は彼女の為に身体が動いたんだ。

「そうだよ、私は結菜ちゃんを助ける為に必死だったんだ……」

 彼女はズボンの右ポケットから鋭利な刃物を取り出した。

 薄暗い洞窟内ではよく見えなかったけど、私と颯太の懐中電灯が反射して光っているのを見ると刃渡りはそれほど長くはない鞘付きの果物ナイフの類だ。

「落ち着いて……。
 そんな事をしたら、結菜ちゃんが犯罪者になっちゃうよ?」

 かなり危険な精神状態だったとは思う。

 でも、せっかく救った筈のこの子に刺されたくはなかったし、彼女自身にも罪を背負って欲しくはない。

 どんなに酷い母親だったとしても子供にとっては大切な存在であり「母親は偉大な存在」なのかもしれないと思えた。

「もう関係のない事よ。
 ママの居ない未来なんて私には必要ない」

 近寄って来る彼女に恐怖を感じた。

 私はこの子を助ける為とは言え、母親を殺したんだ……「因果応報」「自業自得」呼び方は何だって良いけど、これが贖罪になると言うのなら受け入れるしかない。

 そう思って、目を閉じた。
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