孤独の恩送り

西岡咲貴

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5章 火事の裏側

52話 子供を愛した母

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 彼女達が居た部屋に戻ると、さっきよりも火が大きくなっている事が分かる。

「大丈夫ですか?」

 女性はさっきより元気がなくなっている。

「どうして……戻って……きたんですか?
 娘は……?」

 下半身は下敷きになっていて身動きできないものの、倒れていたおかげで姿勢は低く、またタオルで口と鼻をおさえていた事もあって、意識はしっかりしている。

「安心してください、娘さんは無事に助け出しました。
 次はあなたの番ですよ……」

 そう言って、女性の上に乗っている物をよける。

 今まで急に握力がなくなる瞬間があったと言うのに、この時は不思議と力が維持できた。

 これが火事場の馬鹿力と言うやつなのだろうか?

 そんなものが自分にもあったとは驚きだ。

「もう少しですよ、頑張ってください」

 彼女の肩を抱き上げ、ゆっくりと部屋の外に出る。

「ありが……とう……」

 あの子の為にも、この人を助けられてよかった。

 このアパートを出て、あの子にママの元気な顔を見せてあげる事ができれば、泣き止んでくれるだろうか。

「そう言えば……私と娘の……命の恩人の……名前を……聞いていませんでしたね……。
 私は……後藤沙綾香……と言います」

 わざわざ名乗ってくれたが、会話をする事で煙を吸う危険があったので言葉は最低限の事だけにする。

「私は高田未祐と言います。
 お話はここを出てから、ゆっくり聞きますので、今は煙を吸わない様に口を閉じておいてください……」

 彼女は無言で頷くと、再びタオルで口と鼻をおさえた。

 ハンカチは、あの子を助け出した時に使ったまま渡してしまったので自分の分はなく、必死で息を止めている。

 下に降りる階段があった場所にたどり着いたが、既に焼け崩れていて、降りられる状態ではなくなっていた。

 結構な高さがあってここから飛び降りれば、おそらく怪我程度では済まないだろう。

「私は……大丈夫だから……
 一旦戻って……他の降り方を……考えましょう」

 廊下の反対側に窓があった筈だ、そこまで行って外に救助を求めるくらいしか思いつかなかった。

 他に良い案もなく、考えている余裕などないのだから、戻るしかない。

 そう思って廊下を階段と反対方向に歩き出した時、踏んだ床が崩れ、私達は一階フロアまで落下した。

 かろうじて意識はあったものの、隣にいた彼女は打ち所が悪く、話しかけても返事はなかった。
私が難病になってしまったのは、この為だったのではないだろうか?

 通報が遅かったのか、消防車も救急車も到着が遅れている。

 私が来なければ涼香ちゃんも、あの子も確実に亡くなっていた事だろう。

 しかし仮に健康体であったなら、助けに来る事を躊躇したと思う。

 颯太と麻衣の成長を見守っていたいという気持ちが強かったし、彼等を母親の居ない子供にしたくなかったからだ。

 長く生きられない上に、今後必ず介護で迷惑をかけて苦しませる事が分かっていたからこそ、こうやって彼女達を助ける為に身体が動いたのだ。

 短い余生を代価に未来ある若い子供を二人も救えたのだから、この病にも意味があったのかもしれない。

 この後藤沙綾香という女性は救う事ができず、あの子にも申し訳なく思うけれど、死ぬだけだった残りの人生で二人も救えたのだから感謝してもしきれない。

 息子娘の大切な友達を救ってあげる事ができて本当に良かったと心からそう思う。
 いつまでも涼香ちゃんと仲良くいてくれる事を望んでいるよ……。

「颯太、麻衣、母さんはこれで居なくなってしまうかもしれないけれど、いつでも天国から見守っているからね……」

 こんな頼りない母親だったけれど、私の子供として生まれてきてくれて本当にありがとう……。

 運命が許すと言うのなら、来世もまた私の子供として生まれてきて欲しい……愛しい私の息子と娘……これからも元気に育って行ってください……。
 
 家族に苦労させない為に自殺願望が芽生えた愚かな母親という事は誰にも気付かれてはいけない。

「命と引き換えに子供の友達を助けた英雄」

 そんな美談で終わってくれる事を心より望む……。
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