孤独の恩送り

西岡咲貴

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2章 アパートの二人

33話 パスタとサラダ

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「ほら、やってみて」

 食べるのに苦戦している様だったけど、今までパスタなんて食べた事がないだろうから仕方がない。

 母親に恵まれなかった彼女は同世代と比べても多くの事を知らないまま生きてきた。

 親と言う点に置いては自分も大差はないけど、私が知っている事に関しては、少しでも彼女に教えてあげたいと感じている。

「これ、美味しいよ!」

 目の前でやってみせたフォークに巻き付ける方法はすぐに習得し、美味しそうに食べてくれた。

「それは良かった」

 よほど気に入ったのか、二口、三口と、どんどんと入れられた口は、リスみたいにパンパンにさせている。

「そんなに慌てなくてもパスタは逃げないんだから、もっとゆっくり味わって食べてよ……」

 それ程気に入ってくれたのなら作った私も嬉しいけど、ゆっくり食べて欲しい。

「ほら、ついてるよ。
 女の子なんだから、顔は綺麗にしておかないと……」

 ティッシュで口のまわりを拭いてあげようとして手を伸ばすと、凄い勢いで拒否された。

 私の手が弾かれ、彼女が持っていたフォークが宙に舞う。

「止めて!」

 あぁ、やってしまった……。

 彼女の事を考えずに発してしまった言葉は、おそらく虐待による心の傷に触れてしまったのだと思う。

 特に意識はしていなかったけど、「女の子」「顔」「綺麗」の三つを組み合わせた言葉は鋭利な刃物が心に突き刺さった様な感覚だったのだろうか?

「ごめんね……」

 私を沙綾香さんの幻影と重ねて見てしまったのかもしれないと思うと、申し訳なく思う。

「それは私の台詞だよ……。ごめんなさい……」

 下を向いて深呼吸をし、必死に落ち着こうとしているのを見てしまうと、やはり生活に凄いストレスを感じているのが分かる。

 この子を助けようと決めた筈なのに、逆に苦しめる様な事をしてどうすると言うのだろうか……。

「結菜ちゃんが謝る事はないよ、私が悪いんだから」

 フォークを拾って洗い、再び彼女に渡した。

「ありがとう……私ね……」

 そう言いかけられた時、一旦言葉を遮って唇の前に人差し指を立てた。

 言いたくない筈の話をしようとしている事が表情から想像できたからだ。

 沙綾香さんに虐待されている事を知っているが、そんな話を他人にはしたくないだろうと考えれば、かなり無理をさせているのだと思う。

 勿論彼女が私に助けを求めてくれるのなら何とか力になりたいと思っているけど、自分から助けを求めると言うのは凄く勇気がいる事だとも分かっているつもりだ。

 話してくれるにしたって食事中に軽い気持ちでする様な話ではなく、時間を取ってしっかりと聞いてあげたい。

「とりあえず、食べてよ。
 せっかく美味しいと言ってくれたのに、冷めたらもったいないでしょ?話はその後で……ね?」

 彼女は頷いて、再びパスタを食べてくれた。

「それに、言いたくない事は焦って無理に話さなくて大丈夫だよ?
 結菜ちゃんが、聞いて欲しいと思った時に話してくれれば良いんだからね……」

 私は彼女の味方だから、相談されればどんな話であったとしても真面目に聞くつもりだ。

 でも今は一旦その話を横において、食事を美味しく食べて欲しい。

 その方が彼女も心を落ち着かせてゆっくり話せるはずだ。

「そう言えば忘れていたんだけど、昨日作っておいたサラダがあったんだ。
 良かったら食べない?」

「ありがとう、もらうよ」

 即答だった。

 本当に私が作ったものを気に入って食べてくれているのだと思うと、何だか嬉しい。

「口に合うかは分からないけど……」

 未祐さんのレシピ通りに作っているので不味い訳はないけど、まだ私も食べていないので一応そう言っておいた。

「それは?」

 聞かれて、レシピに載っていた料理の名前を思い出す。

「シーザーサラダだよ……。
 メインはロメインレタスだけど、ブロックベーコンとオリーブオイルはカルボナーラと共通した材料だから簡単にできるの」

 材料の名前を並べて説明すると私が作ったのだと自慢している様で何だか恥ずかしかった。

「ただ、すりおろしたニンニクとマスタードが入っているから、結菜ちゃんにはちょっと辛いかもしれない」

 そう言ってから、しまったと感じた。

 ニンニクの匂いで沙綾香さんに、私が食事させている事がバレてしまうのではないかと思ったからだ。

「これも本当に美味しい!凄いよ、お姉ちゃん……」

 一口食べて涙を流す彼女を見ると、食べるのを止めろとは言えなかった。

「私も練習すれば、こんな美味しい料理が作れる様になるかな……?」

 そう聞かれたのに私がこたえる間もなく、むしゃむしゃと一気に食べている。

「ご馳走様。お腹いっぱいだよ」

 食べ終わった食器を重ねてくれた。

「結菜ちゃんなら、すぐに上手になると思う。
 それは私が保証するよ」

 レシピさえあればこんなに簡単にできてしまうのだから、何の問題もない筈だ。

 そう考えていると笑いながら、

「私にも教えてくれる?」と聞いてきた。

 彼女の嬉しそうな顔を見ていると私を過大評価している様に見えて、期待に応えられるのかと言う疑問に押しつぶされそうになった。

 未祐さんのレシピを再現しているだけ、なのだから教える事なんて何もない……。

 ノートには包丁の使い方まで細かく記載されているし、ハッキリと言って何も考えずに書かれている事をやるだけでこの味ができ上ってしまう。

「せっかく褒めてもらったけど、これは私の知識じゃないんだ。
 友達のお母さんにもらったレシピに書いてあった方法をそのまま使って、作ってるだけ……。
 まぁ料理が上手くなる様に練習中ではあるけどね」

 初心者でもこのノートを見れば簡単にできてしまう事を知ったら彼女は私の料理が大した事ではなかったとガッカリするだろうか?

 最後に「練習中」と言う言葉を付け足し、笑ってごまかした。

「それは違う!」

 大きな声が返ってきてかなりびっくりしたけど、何も違わない。

 実際、この未祐さんのレシピが無ければ何も作る事はできないのだから、私の力ではない。

「お姉ちゃんは私からしたら、プロの料理人さんだよ。
 こんなにも美味しい料理をいつもいっぱい作ってくれるのに、凄くない訳がないじゃない!」

 そんな風に思ってくれていると知ったら、凄く嬉しい気持ちになる。

「ありがとう……」

 結菜ちゃんの頭を軽く撫でた。

「……だったら良かったのに……」

 ボソッと何かが聞こえた気がしたけど、小声だったのでよく聞き取れなかった。

「どうしたの?ごめん……嫌だったかな?」

 また嫌な思いをさせてしまったのかと、手を退けた。

 さっきみたいに彼女が何かを思い出して、苦痛を感じない様に気を付けないとダメだし、そのためには言葉もかなり選ばなくてはならない。

「ごめんね、そうじゃないの……。
 色々考えていたら、何だか寂しくなって……」

 私もそうだったから良く分かるけど、基本的には自分と母親だけの生活だし、更に言えば昼間はその唯一の家族ですら出かけている。

 そんな状況下で孤独を感じるなと言う方が無理な話だ。

「大丈夫だよ……私もずっとここに居るから、寂しくないでしょ?」

 少しでもこの子の寂しさを埋める存在になれたら嬉しいと思った。

 黙って考えている様だったが、しばらくして何かを決断したかのようにも見える。

 深呼吸をして気持ちを整えているのだ。

「お姉ちゃんに聞いて欲しい事があるの……。
 前々からずっと言おうかどうしようか、迷ってた話なんだけど、どう思われるか分からないから言うのが怖くて……。嫌われたらどうしよって考えたら……言えなかった」

 沙綾香さんの事や生活の事を話そうとしているのだと分かる。

 凄く勇気のいる事だし、話をしっかりと聞いてあげないといけないと思って彼女の方を向く。

 だけど、ここまできて話す事を躊躇しているかの様にも見える。

 身体は震え、緊張で冷や汗をかいていると言った感じだろうか?

 そんな彼女を強く抱きしめた。

「私の事を信用してそう言ってくれているんだと思うけど、本当に無理して言いたくない事は言わなくて大丈夫だからね?
 それでも言いたくなったと言ってくれるのなら、話はちゃんと聞くよ。
 どんな内容でも嫌いになったりしないし、笑ったりもしないから安心して。
 だから、そんなに緊張しなくても大丈夫……。
 焦らなくて良いし、ゆっくり結菜ちゃんのスピードで話して……ね?」
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