孤独の恩送り

西岡咲貴

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2章 アパートの二人

16話 隣の住人と一人の部屋

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「おーい、聞いているのか?」

 誠の声が聞こえて我に返る。

「……え?……あ?
 ごめん、考え事をしてて……」

 颯太、麻衣ちゃんと別れた後、誠と二人でコンビニによっていた。

「だから……早く食べないと溶けるぞって……」

 会計を済ませた後、店の前の駐車場にて二人でアイスを食べている。
私が握っていた棒状のソレは少し溶け始めていた。

「そうだね……」

 慌てて食べる。

「あぁ涼香ちゃん、学校帰り?」

 そう言って女性に話しかけられた。

「こんにちは」

 アイスの棒をゴミ箱に捨てる誠の方をじっと見ている。

「涼香ちゃんの彼氏?」

 まったくこの人は、何を言い出すのだ……。

「そんなんじゃありません!」

 ちょっと怒ってみせると彼女は笑っていた。

「えーと、知り合い?」

 彼は不思議そうに小声で尋ねてきた。

 私には三人しか友達が居ないのだから他の誰かと親しげに話していれば珍しくもなる。

「この人は沙綾香さん、私の部屋の隣に住んでるお姉さんだよ」

 彼女は頭を下げた。

後藤沙綾香ごとうさやかです。よろしくね」

 こうやってコンビニやライザで会うと、いつも私に声をかけてくれる人当たりの良いお姉さんだ。

「こちらこそよろしくお願いします。
 俺はクラスメイトの川島誠です」

 悪い人ではないと思うけど、いつもの雰囲気からして彼に変な事を言いそうだなぁと少し不安になる。

「ところで誠君、学校での涼香ちゃんはどんな感じよ?」

 やばい、予想通り変な事を聞きだした。

「どんな感じと聞かれましても……」

 返答に困っている。

「涼香ちゃんはね、意外とシャイで人見知りなのよ。
 私とこうやって話してくれる様になるまでだって凄く時間がかかったんだから。
 でもこんな素敵なお友達が居てくれて、ちょっと安心したよ。
 涼香ちゃんをよろしくね……」

 母親かよ……と思う様な台詞である。

「ちょっと!
 恥ずかしいからやめてくださいよ!」

 私は彼の腕を掴む。

「行こう!」

 これ以上ここに居たら、どんどん変な事を言われる気がした。

「失礼します……」

「もう~。つれないなぁ……」

 後ろからは彼女のそんな声が聞こえていたが、無視してその場を離れた。

「なんかごめんね……」

 彼は笑っていた。

「面白い人だったね……」

 私もそう思う。

「そうなんだけど変な事言って、からかってくるから」

 笑ってしまう。

「じゃあ、俺もそろそろ帰るわ……。
 やる事もあるし」

 丁度このコンビニが別れる場所であったが、彼の家はまだここから少し距離がある。

「じゃあ、また明日」

 そう言って手を振る。

 誠とは帰る方向が同じなので颯太達と別れた後、二人になるが、位置関係で言えば誠の家だけ結構距離が離れているのだ。

 私は学校から帰ると首にかかった鍵を扉に差し込み、ゆっくりとノブを回す。

 木造建てで壁が薄く、大きめの声で喋られると隣の声も聞こえる程のボロアパートである。

 両親の離婚後、母と二人暮らしをしている。

「ただいま……」

 一応帰宅するとそう口には出すものの、誰も返事はしてくれない。

 たった一人しかいない家族はいつも仕事に出かけており、学校から帰宅しても誰も居ないのだから当然だ。 

 母は一旦出かけるとほとんど家には帰ってこず、働き詰めで会社に泊まり込んでいるらしい。

 一週間に一度着替えを取りに帰ってくるくらいで、顔を合わせても会話はほとんどない……。

 月初めの朝に台所のテーブルの上にお金が少し置いてあって、一ヶ月の食事はそのお金を使ってライザから調達する。

 学校から帰った私は目的を持って何かをする事はなく、ただ一人で時間を潰すだけだ。

 最近は未祐さんにもらった料理のレシピを見て少し自炊する様になったけど、湯を入れるだけのインスタントやレンジでチンするだけのレトルト食品を食べて、学校の宿題をする日が多い。

 風呂は湯船にお湯を入れると水道代とガス代が高くつくので、基本的にはシャワーだけ浴びて一人で寝る。

 父には優しくしてもらった記憶が残っているが、両親が離婚してからは母と話す事はほとんどなくなってしまった。

 二人ともが居た頃、私の事でずっと喧嘩していたのを覚えている。

 望まれない子供だったのだろうか?

 母は可愛くもない娘を押しつけられて面倒がっていたのだろうか?

 私という存在は彼女にとって邪魔なのではないだろうかとさえ思えてくる。

 そう考えると、放任な彼女の態度にも納得がいく。

 しかしながら彼女は何故私を引き取ったのかと疑問に思い、インターネットで調べてみた事がある。

 令和二年度の裁判所「司法統計データ」によれば、調停や裁判で父親が親権を獲得できたのは約一割であったという。

 それを知った上で考えてみると、優しかった父は私を捨てたのではなく、裁判で親権戦争に負けただけなのかもしれない。

 幼かった私がその真実を知る術はないが、その可能性を少しでも信じられる事が唯一の救いでもある。

 親の暴力や虐待に耐え、それによって死んでしまう子供のニュースをよく耳にするこの社会において、私は恵まれているのかもしれない。

 ボロアパートとは言え、雨風しのげて寝る事のできる家があり、最低限の生活費は用意してくれているし、学校に通わせてもらえているのだと思うと、それだけで幸せ者なのだろう。

 人生とは高望みをするから絶望するのだ。

 こんな私でも経済的に不自由なく生活できているのだから、育ててくれている母には感謝しなくてはならない。

 それが、仕事で殆ど家に帰ってこない放任主義の母親であったとしても……である。

 それに最近は私にも友達ができて、彼等はすぐ近くに居てくれるのだ。

 もう、ちっとも寂しくはない。
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