お題小説

ルカ(聖夜月ルカ)

文字の大きさ
上 下
534 / 641
087 : 狂犬の牙

しおりを挟む
一度はその過酷な運命を受け入れた金持ちの夫妻だったが、やはり我が子を死なせることは出来なかった。
夫妻は、生贄を捧げる少し前に、乞食の住みついている洞窟を訪れ、乞食の女を薬で眠らせると赤子の身に着けているものをすべて我が子のものと取り替えた。
この子にはすまないが、どうしても我が子を死なせたくない…
そう思った夫妻は、いずれ、この乞食親子を召使として屋敷に呼び寄せようと考えていた。
そうすれば、身近で我が子の成長を確かめることが出来る。
たとえ、一生親子の名乗りが出来ずとも、死なせてしまうよりはずっと良いと考えたのだ。

夫妻は、絹の肌着に包まれた乞食の娘を抱き、生贄を捧げる川へやってきた。
そして、町の皆の見守る中、慣わし通り、赤子を竹の籠に載せて川へ流した。

すべてが終わった…
心の中で、乞食の女とその娘に手を合わせながらも、夫妻は安堵した心持ちで眠りに就いた。

ところが、次の日、夫妻の耳に恐ろしい話が飛びこんで来た。
洞窟に住んでいた乞食の親子が、野犬の群れに襲われ死んだと言う。
話を聞いて慌てて洞窟に駆け付けた夫妻は、そこで血にまみれた二人の遺体を目の当たりにした。
自分達のした浅はかな行動が、こんな結果を招いたんだと悔やんだ二人は、乞食の子を流した川に身を投げた。



「それから、どういういきさつで生贄の風習がなくなったのかはわからないが、今はそんな酷い風習がなくなって本当に良かったよ。
金持ちの夫婦がやったことは許されることじゃあないが、その気持ちは私にも子供がいるからよくわかるんだ。
自分の子供を生贄だなんて、そんなこと、親なら絶対に出来ないよな。
親なら、どんなことをしても子供を救いたいと考えるもんだよな。
……あれ…?あんた、どうかしたかい?」

「本当だ、マルタン、どうしたんだ?!
顔色が真っ青だぜ!」

「え…?そうか?」



皆の視線が私に注がれているのを感じる。

どうしたのだろう…?

なにが、私をこんなに動揺させたのだろう?

異常に速い鼓動…

汗が滴り落ちている…





そして、その思考を最後に私は意識を失った…
しおりを挟む

処理中です...